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お待たせしました。
マリーに教えてもらった最初の橋は、きれいな水がさらさらと流れる、穏やかな流れの小さな川にかかっていました。パロはとてものどが渇いていたので、橋を渡る前に岸辺に近づくと、落ちないように気を付けながら川の水をこくこくと飲みました。
「あぁ、おいしい。」
「ほんと、ここのお水はおいしいやね。」
水を飲んでホッとして、思わず出たため息のような声に返事がありました。少し驚いたパロが声がしたほうを見ると、川の中の石の上で、冬眠前の蛙が大きな口を広げて笑っています。
「うん、ぼく、こんなにおいしいと思ったのははじめてだよ。」
「坊ちゃんは一人でここまで来たのかい?」
「うん。……ぼく、迷子になっちゃったの。おなかがすいて、おのども渇いてたの。」
「それは、なおさらお水が美味しかったろう。たんとお飲み。」
「うん、ありがとう。」
「おうちへ早く帰れるといいね。」
そういうと、蛙は少し心配そうな顔をしました。
「さっき、小鳥のマリーおばさんに池までの道を教えてもらったの。そこまで行けば、帰り道は見つかると思うんだ。」
「あぁ、この先にある大きな池かい?」
「うん。」
「ドングリ池って池だね。この川もそこから流れ出していて、とてもきれいな池だ。」
「どんぐりもたくさんある?ぼく、マリーおばさんにどんぐりをひとつもらったけれど、とても足りないの。」
「もちろん。くぬぎや、かし、ならの木なんかがたくさんあって、この季節はそりゃあ見事さ。どんぐりもたくさん落ちてるよ。誰が採ってもいいんだよ。」
よかった。とにかく、そこにつけばお水も食べ物もたくさんありそうです。蛙はパロがホッとしたのを見て頷きながら、話を続けました。
「ただ、ドングリ池もどんぐりが大好きだから、全部食べちゃあいけない。最後の1つは池に投げ込んであげるんだ。」
「池が?」
「そう、池も生きてるんだ。そうすると、困ったときに願い事を叶えてくれる、って言うよ。まあま、あたしも何度も投げ込んだけれど、まだ叶えてもらったことはないがね。みんなが投げ込むから、きっと順番待ちなんだろうさ。」
そういうと、蛙は大きな口をあけてまた笑いました。
「池さん、ぼくのこと、おうちに連れて帰ってくれるかなぁ。」
パロはパパとママのことを思い出して、ちょっぴり涙を浮かべました。ちょっと出かけるつもりだったのに、もうこんなに長い時間お外にいます。パパとママは戻ってきたかしら。それとも、まだ怒っているでしょうか。
パロの涙に気づいた蛙は、慌てて慰めてくれました。
「きっと帰れるさ。池が導いてくれるかなんてのは、あたしにゃわかんないけど。大きな池だからきっとりすのお仲間だっているだろうし、坊ちゃんが帰る道を思い出すかもしれないだろう?」
「うん。」
パロは笑顔を作って答えました。パロはなんとしてもおうちに帰るのです。泣いてる時間なんかありません。
「ちっと遠いけれど、坊ちゃんくらい元気なら頑張れるだろう。」
そういうと、蛙は次の分かれ道まで見送ってくれました。
***
ホオジロのマリーや蛙のおばさんと出会ったことで元気の出たパロは、どんどん道を進んでいきました。道はまっすぐ。お日様も木の枝の間からのぞいて、明るく道を照らしています。
パロは木の枝に登ってみたり、走ってみたり、少し休んでみたり、いろんな歩き方を試してみます。もう、風が吹いたり木の実が落ちたくらいでびくびくすることはありません。
そうやって、どのくらい歩いたでしょうか。さすがにだいぶ疲れてきた頃に、パロはたくさんの水をたたえた大きな池にたどりつき、歓声をあげました。
「うわぁ、きれい!」
水は透き通ってとてもきれい。畔の木々の紅葉と、枝の間を通る木漏れ日が水面に映り、この世のものとは外思えないような幻想的な景色です。パロは、不安も疲れもすっかり忘れて、しばらく景色を眺めていました。
ぐっ、ぐーっ。
おなかが鳴ったことで、パロは我に帰りました。そうだ、おなかが空いていたんだった。それに、ここはとてもきれいだけど、パロがパパと行った池とはまるで違います。どうにか、おうちに帰る方法を見つけなければなりません。
とにかく、おなかがすいていてはどうしようもありません。あたりを見回すと、パロのおうちの近くにあるのと同じ葉っぱをつけたどんぐりの木がいくつか見つかりました。パロはそちらにかけていって、いくつかどんぐりを掴むと一気にお口に入れました。
(ふぐっ、ふぐふぐふぐっ!?)
口にいっぱい入れてはいけませんよ、とママがいつも言うのに、パロはそんなことつまんないもん、といつもパンをいっぱい頬張っていました。パンは今朝みたいにぎちぎちに詰め込まなければ口のなかで少しずつ味わうことができましたが、――そしてパロはママに何度怒られてもそれを楽しむのが好きでしたが、硬いどんぐりはお口にいっぱいでは噛もうにも噛めないし、飲み込んだら喉に詰まってしまいそうです。
(ど、どうしよう?)
パロは目を白黒させ、急いで一生懸命考えました。頬袋までお口にはどんぐりがいっぱい。あーんとしたら噛めません。飲み込んだらおなかを壊すでしょうし、喉に詰まったら大変です。
(と、とにかくお口から出して。)
せっかくお口にいれたものを出すのは、おなかの空いたパロにとっては大変悔しいことでしたが、パロはしぶしぶ口からひとつ、どんぐりをだしました。最後に見つけた一番大きなクヌギのどんぐりでしたが……
(ふぅ、噛めそう。)
パロは出したどんぐりをしっかりと手に持ってなくさないように抱えたまま、残りのどんぐりをよく噛んで食べました。
お日様はもう、だいぶ西に傾いています。朝ごはんも食べ損ねたし、もちろんマリーにもらったどんぐりを除いてはお昼ごはんも食べていなかったパロは、おなかにどんぐりが落ちるとほっと息をつきました。
(はぁ~。)
やっとなんとなく、落ち着いた気がします。パロはそのあともそこらじゅうにあるどんぐりをいくつか――もちろんさっきのクヌギのどんぐりも――食べ、おなかがいっぱいになったら池の水を飲み、それから頬袋に入るだけどんぐりを入れ、そして忘れずに最後のどんぐりを池に投げ入れました。
(ちゃんとおうちに帰れますように。)
パロが池に向かってお祈りをしていると、後ろから声がかかりました。
「おー、感心な子だねー。」
パロが後ろを振り返ると、しっぽの大きな、艶々した毛並みのきつねが、木の陰にきちんと座っていました。
***
きつねは、フォン、と名乗りました。フォンは昨年独り立ちしたばかりの若い男のきつねで、どんぐり池の近くに家があるといいます。
「きつねさんって、こわいんだよね?」
パロはフォンの話が一段落したところで、まずそう言いました。パパとママからも、いつも言い聞かせられている話です。鷲や鷹、それにきつねやへびや、夕方からはふくろうには注意しなさい、と。
「そうなんだよねー。」
フォンは軽い調子でそう言って、後ろ足で耳の後ろをぽりぽりと掻きました。
「でも、なんか話しかけちゃって、なんか友達になっちゃって。さすがにさ、友達を食べちゃうってのもないよねー。」
たしかに、フォンから食べられそうな気はしません。きっと、食べるつもりがあるならわざわざ話しかけはせず、パロの隙を見て捕まえていたでしょう。パロはそれに思い当たって、今更ながらどきっとしました。
「フォン……さんは、こわくないきつねなの?」
「うん、怖くないよ。大丈夫ー。それより、君の名前は?」
「パロっていうの。」
「パロ、聞かない名前だね。どこから来たの?」
そう聞かれたパロは、わからないの、と返事をしようとして、寂しさと心細さがぎゅっとおなかの中から上がってくるのを感じました。必死におなかの中に沈めておこうとしても、それに抗うように胸の方へとかたまりがせり上がってきます。
「ぅ、うわああん!!」
パロは答える前に泣き出してしまいました。何気なく聞いたつもりだったフォンは、おろおろしています。
「ど、どうしたの?ごめんね、聞いたらいけないこと聞いた?」
「ち、違うの……」
パロは、やっとのことでそれだけ答えると、わんわんとそのまましばらく泣いていました。あたりはもう夕方になっていて、お日様もオレンジ色に眠たそう。少しずつ寒くなってきて、パロは今日中にはおうちにたどり着けそうにありません。
いつもなら、そろそろおうちに帰る時間です。夜はパパとママに囲まれて、あったかく、ぬくぬくと安心して過ごす幸せな時間。それなのに、今日はどことも知れぬ大きな池のほとりで、さっき知り合ったきつねと二人きり。これからどうするかの当てもありません。パパとママはどんなに心配しているでしょう。
パロはしばらく大泣きしたあと、少し落ち着いて、鼻をぐすぐす言わせながら、やっとのことでそれをフォンに伝えました。
「ん~。困ったねぇ。」
フォンは立派なしっぽをぱたぱたさせ、少し考える仕草を見せました。
「僕はこの辺りのりすたちとは結構仲良くしてるけど、今朝から迷子が出たって話は聞いてないなぁ。パロって名前も初めて聞いたし。たくさんたくさん歩いてきたんだね?」
「うん。」
「どっちから来たかわかる?」
パロは口を開いたらまた涙が止まらなくなりそうだったので、無言で首を振りました。おうちを出てからあっちに曲がったりこっちに曲がったりしたので、もうおうちがどこにあったかわかりません。
「おうちの近くに、小さい池があったの。そこにいけばお水が飲めて、どんぐりが見つかると思ったんだけど。」
「このへんの動物に「池にいきたい」って言えば、どんぐり池のことだと思うよねー。それでここまで来ちゃったってことか。うーん。」
フォンは話しながらもしっぽをぱたぱたさせて考えていましたが、しばらくすると考えがまとまったようで、最後にぱたん!としっぽで地面を叩き、動きを止めました。
「ま、日も暮れるしさ、今日はとりあえずうちに来なよ。このまま外にいたら、ほかのきつねやふくろうなんかのいい餌だし。」
餌!パロは卒倒しそうになりました。
「あんまり脅すでないよ、フォン。」
頭の上から低い声が聞こえ、パロは更にぎょっとしました。
「なんだよ、ホーのオヤジかぁ。」
「そんな小さいりすの子、食べるやつがこの辺にいるもんか。可哀想に、顔が青ざめてるじゃないか。」
「それは、ふくろうのオヤジがいきなり声かけてきたからだろ?」
フォンは気安くふくろうに応答していますが、パロはそれどころではありません。きつねにふくろう。パパとママに知られたらなんと言うでしょう。
「とにかく、そこのりすの子。」
「パロです。」
「パロ、パロね。覚えたよ。パロ、とにかく今日はフォンのところに行ったらどうだ。」
「はい……」
「この辺に、お前さんを食べるような不届きものはおらん。しかし、外はもう夜になると寒いし、お前さんも不安でおちおち眠ってもおれまい。明日は家を探すのだろう?フォンはフォンで暇をしてるんだから、付き合わせればいい。」
「暇ってなんだよ、オヤジ。」
「お前、最近もう狩りは諦めて、主に木の実や虫たちを食ってるんだろ?暇じゃないか。」
「しょーがねーだろ。ちっちゃいやつらと友達になっちゃうんだからさ。」
フォンはぶー、とした顔をして見せました。
「あ、あの、ふくろうさん。ぼくのおうちはどこか、わかりませんか?この池みたいに大きくはない、小さな池の近くにあるんです。」
「んー、それだけだとわからんなぁ。池はわしの知ってるだけでも四つほどあるし、それがお前さんの家の近くのとも限らんだろ?」
「そうですか……」
パロはしょぼんとしてうつむきました。なかなか、パロがおうちに帰れる方策が見つかりません。
「ま、今日はもう日も暮れる。明日、夕方まで家が見つからなければ、また相談に乗ろうよ。それから、フォンのところにはそれなりに木の実が溜め込んであると思うが、お前さんも好きな食べ物を持っておいき。」
そう言われて気づきましたが、泣いていた間に、頬袋にいれていたどんぐりも落としてしまったようです。パロはあわてて近くのどんぐりを口の中に詰め込みました。
お読みいただきありがとうございました。
捕食関係や行動(夜行性かどうかとか)が現実と一致しないところもありますが、そこは童話ということでご寛恕ください。
ってか、割といろんな童話でその辺が都合よくスルーされることに微妙に違和感を感じたり感じなかったり。(笑)