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君に傅く魔術師の備忘録  作者: 星月夜 真紅
第一章
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第一章7話 『長い一日の終わり(表)』

 


 談話室を出たエストたちが、屋敷内の部屋をまわり終え、使わない部屋を決めた頃には、すでに日は落ちていた。近くに他の家や店が少ないこの屋敷の周辺は真っ暗で、二階の窓から見えるアルトリウスの街は不気味に見える。



「いま見たので最後の部屋ですね。どうでしたか、大体の場所は掴めましたか?」


「はい、大丈夫だと思います。……ですが、お嬢様のお部屋はどちらになるのですか? そちらも把握しておいた方がいいと思うのですが」


「――ぁ。そういえば紹介だけして、何の部屋なのかを言い忘れていましたね。最後に見た部屋が私の部屋ですよ」



 ティアリスは本当に説明することを忘れていただけのようで、何気なく二人がさっきまでいた部屋を指さす。


 しかし、彼女が指さした最後見た部屋というのは、



「あの部屋は使用人用の部屋なのではないのですか?」



 ティアリスが自分の部屋だといったのは、この屋敷にある部屋の中で最も小さな部屋――数ある使用人部屋の内の一室だった。


 ティアリスもそのことを理解していたからこそ、それ以外の似たような大きさの部屋は巡回をしながら“使用しない部屋”と決めていたはずだった。



「(最後の部屋だけは使わない部屋と言っていなかったから、てっきりその部屋がこれから僕が使う部屋だと思っていたんだけど。まさかお嬢様の部屋とは……)」



 貴族の御令嬢が使うにしては質素すぎる部屋を思い返して、エストは思い悩む。



「確かに使用人部屋ですけど、私はあれぐらいの大きさの部屋がちょうどいいんです。私物もそんなにないですし……。なので、あの部屋は私が使わせてもらっています」



 ティアリスは何ともなしに言う。



「(私物がない? あの部屋に私物らしき物なんて何かあったっけ?)」



 エストは頭を捻るが、やはり何も思いだせない。しかし、それもしょうがないことだった。


 先ほどまでエスト達がいたティアリスの部屋は、他の“使わない部屋”と決めた使用人用の部屋と何の代わり映えもないからだ。ティアリスは「私物がそんなにない」と言っていたが、正確には必要最低限の服以外は、何も持っていないというのが正しかった。


 その少しの服も、他の部屋に同じく備え付けられている両開きの衣装ケースの中に仕舞われていたため、未使用の使用人部屋との違いが何もなかったのだ。


 エストとティアリスは談話室に戻ってくる。



「一通り部屋はまわってきましたけど、エストさんは自分の部屋をどこにするか決めましたか?」


「私の部屋ですか?」


「はい、誰も使っていないので一番大きな部屋とかでも大丈夫ですよ」



 ティアリスのこの言葉を聞いて、二階にある寝室になるような部屋を見て回る前にティアリスが、「よく見ておいてくださいね」と言った意味をエストは正確に理解した。


 ティアリスが自分の部屋のことを言うまでエストは、てっきり「私がよく使う部屋だから覚えておくように」という意味だと思っていたのだった。



「(部屋。……部屋かぁ。別に寝られればどこでもいいかな。……お嬢様と似たようなもので私物なんてそれほどないし)」



 エストは今まで泊まったことのある宿屋の部屋を思い返す。どの部屋もベッドしかなく、大きな身動きの取れない部屋だった。それに比べれば、この屋敷の使用人部屋の方が幾分か広いだろう。



「どこの部屋でもいいのですか?」


「大丈夫ですよ。私の部屋以外のそういった部屋は全て余っていますからね。それに、エストさんが選ばなかった部屋は全て使わないことにしようと思っているので、どの部屋を選んでも支障はありませんよ」



 談話室に戻ってくる前に用意してきた紅茶を二つのカップに注いだティアリスは、エストに片方を渡す。エストはそれをお礼を言って受け取る。



「……」



 一階に戻ってきた際に、ティアリスが「紅茶の準備をする」と言ったのを聞いて、エストは「初仕事だ」と思い、代わりに準備をしようとした。しかし、他ならぬティアリスによってその初仕事は奪われていた。どうやら彼女は紅茶をいれることが好きなようだった。



「どの部屋でもよいということなら、私はお嬢様の隣の部屋を使っても構いませんか?」


「私の隣ですか? あそこは私の部屋と同じ使用人室で、他の部屋と比べると狭いと思いますよ」



 ティアリスは飲んでいたカップを置き、エストに「なぜ、他の大きな部屋ではなくあそこの小さな部屋なのか」と尋ねる。



「私もお嬢様と同じで私物が少ないですし、広い部屋は落ち着かないのです。それに、使用人はなるべく主人の近くにいた方がいいと思いましたので」


「私がどの部屋でもいいと言ったので、あれですけど……本当にいいのですか?」


「はい、大丈夫です」



 エストの返答には迷いがない。



「そういうことなら、これ以上私から言うことはありません。自由に使ってください」


「ありがとうございます」



 エストとティアリスの会話はそれで終わり、二人とも手元のカップに入っている紅茶を静かに飲み始める。



「(どちらかというと、珈琲の方が好きなのかと思っていたけど……お嬢様がいれる紅茶を飲むと、それもわからなくなるな)」


「……」



 先ほどから、ティアリスは紅茶を飲みながら同じく紅茶を飲んでいるエストのことを伏し目がちにチラチラと見ている。



「(なんか見られている? どうしたのかな……。あ――目が合った)」


「――っ!?」


「(――と思ったら物凄い勢いでそらされた。……本当にどうしたんだろう?)」



 もう一度先ほどのように見てきたら、話しかけようと思ったエストだったが、それからティアリスがエストの方を見ることは無かった。




 ◇◇◇




 紅茶を飲み終わった後は、ティアリスが片付けに行こうとする前にティーカップとティーポッドを奪取したエストが、それらを厨房に戻した。そんなエストが厨房から談話室に戻ってくる。



「お嬢様は昨日このお屋敷に到着したのですよね?」


「そうですよ。着いたのは、お昼を過ぎた頃だったと思います」



 談話室の窓から見える庭に向けていた視線をエストに向けたティアリスは、ソファに座って、ちょうどいい大きさのクッションを胸に抱きしめている。



「……今までのお食事はどうされていたのですか?」



 この屋敷に使用人がいないと聞いてから疑問に思っていたことを、エストはティアリスに尋ねる。



「恥ずかしながら、私は料理がさっぱりで……。なので、昨夜と今朝は先ほどエストさんに出した焼き菓子をうまい具合に……」


「そうでしたか。それでは今日の夕食は私が作ってもよろしいでしょうか?」


「――!? いいんですか?」



 ティアリスはエストの提案に心底驚いたようだった。いや、その提案を想定していなかったというのが正しいかもしれない。



「はい、執事の作法というのは未だに自信がありませんが――」



 エストは執事という仕事を受けた後に、「そういえば執事の仕事って何をするんだ」と思い悩み、最終的に「先輩の使用人に聞けばいいか」という結論に至ったのであった。しかし、その時はこの屋敷の使用人事情など露とも知らなかったわけで、



「――料理ならやったことがあるので。私にお任せください。……味に自信はありませんが」


「ぜひ、よろしくお願いします!!」



 ティアリスは抱きしめていたクッションを横に置き、ソファの肘置きに身を乗り出して答える。



「それでは食材を確認してきます。今ある物で夕食を作れるようなら作ってしまいますが、よろしいですか?」


「はい、大丈夫ですよ。それなら私はお風呂を入れる状態にしておきますね」



 ティアリスはそう言って早速行動を起こそうとするので、エストが慌てて止める。



「お嬢様、そういったことは私がやりますので」



 ティアリスはエストのその言葉を聞き、不満げな顔をする。



「エストさんは私がこの屋敷に家の使用人を呼ばなかった理由を覚えていますか?」



 ティアリスに言われて、エストは部屋を見て回る前の「十六歳になったのだから自分のことは自分でできるようになりたい」という彼女の言葉を思い出す。



「料理……はまだ無――出来る気がしませんが、専門的ではない普通の掃除や洗濯といったものなら私も出来ます……たぶん。なので、お風呂のことは私に任せてください」


「……」


「任せてください」



 ティアリスの「絶対にやってやるぞ」という気に押されて、エストは渋々頷くのだった。




 ◇◇◇




 屋敷一階部分の最奥、外からの来客を想定していないわかりづらい場所に浴室はあった。浴槽は十人ほどが一度に入ることが出来る大きさだ。


 また浴槽の中心には、その縁よりも低い位置で区切られている空間がある。浴槽の中に作られた人一人分も入れないこのスペースだが、これがあることにはしっかりと理由があった。



「昨日は使わなかった浴槽も念入りに洗ったし、これで一通り終わりかな」



 ティアリスは浴室の清掃を終え、グルリと辺りを見渡す。最初に浴室に入った時と比べて、かなり綺麗になっている。



「うん、大丈夫みたい」



 ティアリスも自分が短時間で挙げた成果に満足がいったようであった。ティアリスは蛇口と繋がるツマミを捻り、浴槽に水を入れる。そして、その場でしばらく待ち、適量の水が浴槽に溜るとツマミを元に戻す。



「あとは、入るときに熱石をもってくるだけ……っと」



 ティアリスは浴槽の中央にある区切られたスペース。今は水が溜ったことで見えづらくなった場所を見てそのことを思い出す。


 ティアリスは浴室を出て脱衣所を抜ける。そして、廊下に出たとき、ティアリスは何気なく進行方向とは反対側――廊下の終着点に目を向けた。



「――!」



 いつも通りなら、そちらを向けば窓から外の景色が見えるだけだ。しかし今、ティアリスの目の前に広がる光景はいつものそれとは違った。



「……」



 ティアリスの瞳の先には、窓から差し込む月明かりの中で、自身の周りを羽ばたく三羽の小鳥と戯れている黄金色の髪を持った少女がいた。年齢はティアリスとそう変わりないように見える。


 少女はティアリスよりわずかに背が高く、純白のワンピースを着ている。また、首には赤色の石や真珠がはめ込まれた赤金のトルク――輪状の首飾りをつけており、その肌は新雪よりもなお白い。


 神秘的という言葉がよく似合う少女だった。



「……」



 少女の炎のような真紅の瞳がティアリスに向けられる。


 そして、


 少女は空気に溶けるように消えた。周囲にいた小鳥たちも共に消えたのか、少女がいたことを示すものは何も残っていない。


 ティアリスは少しの間、少女がいた空間を黙って見つめてみるが、やはり誰もいないようだった。



「……幻覚を見るなんて、疲れてるのかな」



 目にも留まらぬ速さで移動することは出来るが、空間転移や障害物を透過するようなことはできない。気配を極限まで薄くして姿を消すことは出来るが、人に認識された状態から姿を消すことはできない。


 魔法やスキルにそういった制限があることは有名な話だ。ティアリスもそんな話を聞いたことがあったので、段々と薄く――溶けるように消えたさっきの少女のことを自分が見た幻覚であると考えたのだった。


 ティアリスは両頬を軽く叩くと、回れ右をして歩き始めた。




 ◇◇◇




「「いただきます」」



 ティアリスとエストは、中央に横長の机が鎮座したダイニングルームで向かい合って座り、食事を始める。


 本来なら使用人であるエストは、主人であるティアリスと共に食事をとることは無い。使用人の作法に詳しくないエストも、それぐらいのことは知っていたので、自分の分の夕食は用意をしているものの、皿には盛り付けていなかった。


 しかし、風呂掃除が終わり浴室から帰ってきたティアリスが、厨房でその様子を見るなり、「あんなに広い部屋で、一人で食べたら寂しいじゃないですか」とエストの分も用意するように告げたのだった。


 エストが用意した夕食は、シチューにパン、それとサラダだ。エストが思っていた以上に屋敷の食糧庫には食材がなく、簡単な料理しか作れなかったのだ。


 ティアリスがシチューを一口、スプーンにすくって口に運ぶ。



「……――かい」



 口元からスプーンを離したティアリスは、目の前のシチューに目を落とし、思わずといった様子で何事かをボソリと呟いたが、その声は正面にいたエストにも聞こえないほどの小声だった。



「とても美味しいです!!」



 ティアリスは、今度は顔を上げてはっきりとエストに料理の感想を言った。その表情に嘘を言っているような感じはなく、心の底からエストの料理に満足していることがわかる。



「お嬢様のお口にあったようで何よりです」



 エストは自分で作ったシチューを口に運ぶ。



「(……うん、普通だ。あんな顔をして食べてくれるから料理の腕が上がったと勘違いしそうになったけど。……うん、普通だ)」



 エストは自分が作った料理に正確な評価を下し、再びティアリスの方を見る。


 ティアリスは先ほどと同様「生まれて初めてこんなに美味しいものを食べた」と言わんばかりの様子でシチューを食べ進めている。



「(満足してもらえるのなら、これはこれでいいのかな)」



 エストはそう考え、そっと胸をなでおろした。というのもエストが作った料理は実質一品、シチューだけだからだ。他の品の評価はあまり重要ではない。


 他の品――パンとサラダは正確にはエストが作ったとは言えない。パンは食糧庫にあったものを持ってきただけ、サラダは同じ所にあったものを洗って盛り付けただけだ。サラダにも洒落ているソースなんてものはかかっていない。


 生だ。




ご愛読ありがとうございます。

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