第一章6話 『衝撃的な出会い×2』
エストが屋敷の扉をノックしてから少しして、扉はゆっくりと開いた。エストのノックにこたえ、扉を開けてくれたのは、エストと同じくらいの年齢に見える小柄な少女だった。
「エストさんですね。どうぞ、中に入ってくださ――い」
少女はエストの顔を見ると表情を固まらせた。しかし、それも一瞬のことですぐに元の表情に戻る。
「――?」
もちろん、エストには少女が自分の顔を見て表情を固めた理由に心当たりはない。
少女は亜麻色(薄い栗色)の髪をしたおとなしそうな見た目をしている。後ろ髪は太ももに届くほど長く、肩の前を通る横髪はあばら骨の下にまで届き、左右それぞれ胸の辺りで一度、紐でまとめている。
少女の服は王都の屋敷で見たメイド服でも貴族の女性が好んで着る豪華な服やドレスでもなかった。
「(この屋敷の使用人かな? だとしたら、王都の屋敷とは使用人の制服が違うみたいだ)」
少女を見てそんなことを考えながらエストは、少女の言葉に「ありがとうございます」と返して玄関扉をくぐる。
エストが屋敷の中に入ると、少女は扉を閉めて鍵をかける。屋敷は二階建てで、王都にあったアークフェリアの屋敷ほどではないが、一般的な家と比べるとかなり大きい。
エストは屋敷に着いたら渡すようにと言われた手紙を少女に渡す。
「……。エストさんの本人確認証明書みたいですね。それでは、ゆっくりと話が出来るところまで案内しますので、私について来て下さい」
少女の言葉に従いエストは彼女の後ろについていく。いくつかのドアの前を通り過ぎて、少女は一つのドアの前で立ち止まった。
「どうぞ」
少女はドアを開け、エストを先に部屋の中へと案内する。
「ありがとうございます」
エストが少女に案内された部屋は所謂、談話室と呼ばれる部屋だった。エストは王都の屋敷でのことを思い出し、部屋の中に設置された仕掛けをさがそうと辺りの気配を探ったが、何も見つからない。
「(何も仕掛けがないなんて、王都のあの部屋のことを考えると少し意外だ)」
「私は飲み物を用意してくるので、どこでも好きな所に座っていてください」
そう言葉を残すと、少女はドアを閉めてどこかへ行ってしまった。
「さすが伯爵家のお嬢様。こんなに大きな屋敷を一人で使っているのか。……ああそっか、使用人が住み込みで働いているから、ある程度は大きくないとダメなのか。それにしてもさっきの使用人の子はしっかりしていたな。僕もしっかりと見習わないと」
エストは最初、なんとなくソファに座ろうとしたが先ほどの少女が飲み物を用意してくると言っていたことを思い出し、テーブルを挟んで置かれたイスの一つに座る。
「“ティアリスお嬢様”か。どんな人なんだろう。良い人だといいんだけど。はぁ、なんか胃がキリキリしてきた」
エストが落ち着きなく部屋の中をキョロキョロと見渡しながら座っていると、先ほどの少女がティーポットやティーカップ、それに焼き菓子――アーモンドのタルトを載せたカートを押しながら部屋に帰ってきた。
それに気がついたエストは背筋を正す。これまでの経験上、そろそろ屋敷の主が登場するタイミングだからだ。
「すみません、お待たせしました。あと、飲み物が水か紅茶しかないのですが……紅茶で大丈夫でしたか?」
「ええ、大丈夫です」
「ほんとですか! よかったです」
少女は顔を綻ばせ、テキパキと紅茶をティーカップに注ぐ。カップの数は二つ。一つを「どうぞ」とエストの目の前に置くと、もう一つをエストの正面の空いている席に置く。
「(まだ、お嬢様が来ていないのに紅茶を入れちゃってよかったのかな)」
エストの「お嬢様が飲む前に、紅茶が冷めちゃうんじゃないかな」という心配をよそに、少女は焼き菓子も紅茶と同じようにエストの前に置く。
「(なんか……、不自然に割れてる)」
エストの目の前に置かれた皿に載っている焼き菓子は、半分に切られ二切れになっている。しかし、どう見てもそれらは、くっついて一つにはならなそうであった。また、少女が持つ皿には半分に切られた焼き菓子が一つだけのっている。
「……」
少女は焼き菓子を載せた皿を、エストの反対側の席に置くと、そのまま席に――座った。
「(――っ!! まさか……)」
少女が自分の目の前のイスに座る。その意味を理解したエストは、自分の思考が停滞するのを感じた。
「遅くなってしまいましたね。聞いているかもしれませんが、私の名前はティアリスです。これからよろしくお願いしますね、エストさん」
ティアリスと名乗った少女は頭を下げる。
「……」
「――?」
エストが自分のことを見て固まっていることに気がついたティアリスは、その理由が分からず首を傾げていたが、何かに気がついたようで、ハッとする。
「もしかして、私の顔に何かついていますか?」
そう言ったティアリスは、何もついていない口元を手でペタペタと確認する。そして、エストからの反応が反ってこないことがわかると、段々と顔色を悪くさせていき、
「――違うのです。これは違うんです! 決して『お腹空いたなぁ、一口なら先に食べてもいいよね』とか、思ったりしたわけではなく、『これから私に仕えてくれる相手に下手な物は出せないな』と思っただけで――」
ティアリスの口元には何もついていない。つまり、彼女が勝手に色々と自爆しているだけだ。
「(さっきまでしっかりしていたのに、意外と抜けているところもあるんだな)」
エストは目の前であたふたしているティアリスを見て、そんなことを思う。
「……ふふ」
エストはついには笑うことを堪えきれなかった。
「なっ!? 笑わなくてもいいじゃないですか。本当なんですよ。本当に――」
ティアリスは耳まで赤くして、エストに抗議をする。
「はい、わかっています。お嬢様が裏で焼き菓子を食べていたのは私のためで、決してお腹が空いてつまみ食いしたわけではない、ということですよね?」
「……ぅぅ」
ティアリスは今になって誤解を招くことを色々と口走ったことに気がついたようで、さらに顔を赤らめる。
「これからよろしくお願いします。加えて、先ほどまでの不適切な態度……大変申し訳ございませんでした」
自分より慌てている者がいると、落ち着けるというのは本当だったようで、エストはすっかり自分のペースを取り戻していた。
◇◇◇
「……どうぞ、冷えてしまうので飲んでください」
エストから口元に何もついていないことを聞いたティアリスは、見当違いのことであたふたしていたのがよほど恥ずかしかったのか、顔をまだほんのりと赤くさせ、むすっとしている。
ティアリスの言葉に促されて、エストは紅茶に口をつける。
「(……美味しい。でもこれは茶葉が美味しいというより、入れ方がうまいのかな)」
エストは自分好みの味に頬が自然に緩むのを感じる。
「ぁ……」
エストのその表情はティアリスの目にも入ったようで、彼女の表情も柔らかくなる。それほど広くはない談話室の中、二人は無言で紅茶を飲み、焼き菓子を食べる。
それから少しして、二人とも紅茶を飲み干し、焼き菓子も食べ終えた。
「紅茶のおかわりはいりますか?」
「いえ、もう大丈夫です。それと、すみません。お嬢様に仕事をさせてしまって」
「……おじょうさま」
ティアリスはエストに聞こえないぐらいの小さな声で呟く。
「(何か不味いことでも言ったかな?)」
エストが「あの」と声をかける。
「いえ、何でもないです。エストさんは今日初めてこの屋敷に来たのですし、仕事のことは今は気にしないでください。これぐらいのことなら私でも出来ますから」
「(お嬢様がそう言うなら、ここは無理に僕が動かない方がいいのかな?)」
エストはこういう時にどうすればいいかわからない。口調もそうだが、こういった場所での作法とかをエストは全く知らないのだ。
「(本当に、いま考えると何でレストリアさんは貴族の相手が慣れていそうな高位の冒険者ではなく、僕に執事の仕事なんて頼んだんだろう)」
エストの頭の中には次々と疑問が浮かぶ。ティアリスはエストと自分の分のティーカップと皿をカートの上に戻すと、再び席に座る。
「さて、落ち着いてきたことですし、さっそく話をはじめましょうか。……とは言っても、この場でできるのは今後の予定を擦り合わせるぐらいですけどね」
ティアリスは「それ以外は後で一緒に屋敷の中をまわりながらですね」と言う。
「(お嬢様自ら案内してくれるっていうことなのかな? 他の使用人の人たちはどうしたんだろう。……そういえばさっきから、それらしき人を一人も見かけないような)」
エストは屋敷に入って来てから談話室までの道のりを思い返してみるが、やはり使用人らしき人影は見ていない。そもそも、エストがティアリスを使用人だと誤認したのも、彼女が来客の相手や部屋への案内、お茶の用意と本来なら使用人がやるようなことを、全て一人でやっていたことが原因だ。
「まず、私の予定ですが重要なものは何一つありません。ただ、入学式までに学園で使う物を揃えておかなければいけませんが、それも一日で済む程度しかないでしょう。なので、入学式までは基本的にこの屋敷の外には出ないつもりです」
ティアリスは服のポケットから折り畳んだ羊皮紙を取り出して、さっと目を通す。
「エストさんはどうですか、何か予定はありますか? 学園が始まると連日何処かに出掛けるということが難しくなってしまうかもしれません。なので、アルトリウスの外に用事があるのでしたら、入学式までに済ませてしまった方がいいかもしれません」
エストは自分の予定を頭の中で確認するが、特段やらなければいけないことは思い浮かばない。
「その心配はありません。私も、お嬢様と同じようなもので、この街で少しばかり買いたい物があるぐらいですから」
ティアリスは「そうですか」と言い、顎に手を当てる。
「そういうことなら、明日にでも二人で必要な物を買いに出かけませんか? 用事は早めに済ませてしまった方が、気が楽でしょう」
ティアリスは名案だとばかりに手をポンと打ち、エストに提案する。
「二人で、ですか? 買い物などは私の仕事に当たるので、私が一人で行ってきますよ? 執事の仕事というものには慣れていませんが、お給料分はしっかり働きたいですから」
「私も買いも……――いえ、私も昨日この屋敷に着いたばかりなので、アルトリウスの街を見てみたいと思ったのですが……」
「ああ、そういうことでしたか。わかりました。それでは、明日は一緒に行きましょう。私もアルトリウスの街は初めてなので、隅々まで案内は出来ませんが、このお屋敷までは歩いてきましたから、ある程度ならどうにかなるはずです」
予定のすり合わせが終わり、二人は席を立つ。
「さて、次は部屋の案内ですね。これ以上ゆっくりしていると日が暮れてしまいそうですし、急ぎましょうか」
ティアリスは焼き菓子を載せてきたカートに手をかける。
「あの、お嬢様! 一つ質問してもよろしいでしょうか?」
ティアリスは不思議そうな顔をして「はい」と頷く。彼女がそのような顔をしたのは、エストの質問に全くの心辺りが無かったからだろう。
「このお屋敷に来た時から思っていたのですが、ここにはお嬢様以外の人はいないのですか? 例えば、私以外の使用人とか……」
「……ぁ。もしかしてアークフェリアの家から何も聞いていませんか?」
ティアリスがエストに不安げな顔を向ける。
「私以外の使用人については何も」
手紙の内容だけではなく、レストリアとの会話も思い返してみるが、やはりエストにはそのような話を見たり聞いたりした覚えがない。
「エストさん。……エストさんは私のことについて何か聞いていますか?」
「――? レストリア様のご息女であるということと、学園では身の安全のことなども考えて家名を名乗らないということは聞きましたが」
「……」
エストは手紙に書いてあった内容を正確にティアリスに伝える。
「……そうですか。エストさんの質問にまだ答えていないのに、変なことを聞いてしまってすみませんでした」
「いえ、答えられないことであれば、お答えにならなくても大丈夫です。私の仕事はそれとは関係なくできますから」
エストはティアリスがこの質問に答えられない、もしくは答えにくい理由があるのかと思い、話を終わらせようとした。
「ふふっ、関係ありますよ。お仕事を一緒にする人がいるのか、いないのかでは動き方が変わってきますからね」
しかし、エストの言葉は明るい表情をしたティアリスに否定される。
「(……もしかして答えにくい質問でもなかったのかな)」
そんなエストの予想通りティアリスは話を続ける。
「それで、先ほどのエストさんの質問ですが、この屋敷には私とエストさんしかいません」
「(……だからお嬢様がお茶をいれたりしていたのか。他の人たちは来るのが遅れているのかな)」
先ほどの予想は見事あたったエストだったが、そんな偶然も二度は続かない。
「他の使用人の方々が遅れているということではありません。これから私とエストさんの二人だけで生活することになります」
「えっ」
エストはそのような話を初めて聞いたので、思わず声を出してしまう。
「ここに他の使用人がいないのは……、私が父に『十六歳になったのだから自分のことは自分でできるようになりたい』とわがままを言って、この屋敷に人が来るのを断ったからなんです。しかし、学園に随行してもらう方は絶対に必要だと父に言われて……」
ティアリスとエストの目が合う。
「それが私ということですか」
「はい。……私のせいでエストさんに大きな迷惑をかけてしまい、本当にすみません」
「いえ、そんなことはありませんよ。私が考えていたよりも使用人のお給料が多かったので、どんな仕事をするのだろうと不安に思っていたのですが、そういうことなら納得できますし、何の問題もありません。なので、お嬢様が気にする必要もありませんよ」
エストは心からの気持ちを口にする。
「そう言っていただけるのは、私としてもありがたいです。それでは部屋の案内に移りましょう。……そのついでに使わない部屋も決めた方が良さそうですね」
「使わない部屋ですか?」
「ええ、二人で生活するにはこの屋敷は広すぎますし、掃除をするのも大変でしょうから。必要最低限の部屋だけを使って、後の部屋は放置してしまいましょう」
ご愛読ありがとうございます。