第一章5話 『貴族都市【アルトリウス】』
朝、いつも通りの時間に起きる。着替えたら、いつも通りの時間に自室に運ばれてくる朝食を食べて、いつも通りの時間に部屋を出て、教師がやって来る部屋へと向かう。そして、少しの時間が経つと機嫌が悪そうな顔をした教師がやってくる。
これが私の日常、十六年の間――正確には自分というものを認識できる年齢になってから、ほとんど変わることなく繰り返されてきた日常。
だけど今日は、その日常もいつもとは違う様相を見せていた。
「私について来て下さい」
いつものように部屋で教師を待っているときだった。一人のメイドが部屋に入ってきて私に声をかける。
「……? ですが――」
いままでここで生活をしていてこんなことは無かった。だから、私もついうっかり話しかけてきたメイドに聞き返してしまった。彼女からの返答なんてわかっていたのに……。
「私について来て下さい」
メイドの返答は先ほどと変わらない。メイドたち――正しくは私に接する人間の対応は皆同じだ。向こうが伝えたいことがあれば、話しかけてくれるが私の言葉は一切聞いてくれない。
これはこの家――アークフェリア家に仕えている者たちが皆、貴族であることが関係しているのだろう。貴族は血を何よりも大事にする傾向にあるのだ。そのため、メイドたちにとって身分の知れない女の子どもである私は、いくら当主の血を引いているといっても差別対象になるのだろう。
けれど、私には彼女たちへの不満・文句は一切ない。私のことを今日まで世話してくれたのは間違いなく彼女たちなのだから。感謝こそあれ、文句などあるはずがなかった。
「……」
メイドの後について部屋を出る。メイドが向かっているのは、どうやら屋敷の外のようだった。
私がこの屋敷から出るのは一年間に一度あるかどうかであり、その際にも教師が来る時間は避けていたため、やはり今日の出来事は私の変わりない日常と比べると異常事態だ。
「乗ってください」
メイドの言葉に従い、馬車に乗り込む。私が馬車に乗りこむと、すぐさまメイドが馬車のドアを閉め、馬車はゆっくりと動き始めた。馬車の中には私以外に誰もいない。
――それから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。少なくても半日ほどではないことは確実だ。一日か二日か、はたまた三日か。この馬車には窓がついていないため、外の明るさはわからない。
行先もわからないため、以前に一度だけ見たことがあるセミファリア王国の地図を頭の中に思い浮かべてみても、あとどれくらい馬車に乗っていればいいのか検討がつかない。加えて、自室を出て以来何も食べ物を口にしていないため、私のお腹はずっとなり続けている。
「……っ」
突然、馬車が止まった。今回のように、途中で何度か止まることはあったが、今までと違って再び馬車が動き出す気配がない。御者の交代などではなく、目的地に到着したのだろう。
「外に出てください」
しばらくの間、外の様子を窺っていると馬車のドアが開き、一人の女性が私に声をかけた。アークフェリア家の使用人服を着ていることから、アークフェリア家のメイドであることがわかる。けれど、私を馬車に乗せたメイドとは別のメイドだ。
外は明るく、馬車に乗り込んでから短い時間しか馬車に乗ってなかったかのような錯覚を覚える。
「私について来て下さい」
馬車を出ると、そこは私の知らない屋敷の庭だった。服装も別に着飾っているわけではないため、ここが結婚相手の屋敷だということはないのだろう。それでもやはり一抹の不安は覚えるが、もしかしたらこの感情は、私が初めて王都の外に出たために生まれたものかもしれない。
前を歩くメイドが屋敷の玄関扉を開けて中に入るので私もそれに続く。
「私の仕事はここまでです。引継ぎの者が数日以内には来ると思います。そのことも含め事情を記した手紙は談話室に置いておきましたので……それでは」
メイドは言いたいことを全て伝え終えると、いま来た道を引き返していき、御者に一声かけると馬車に乗り込んだ。私が乗ってきた馬車は段々と遠ざかっていき、私は未知の屋敷の中に取り残されることとなった。
とりあえず、開いたままだった玄関扉を私はゆっくりと閉める。改めて屋敷の中を見渡すが、その範囲に人の姿は見えない。それに、耳を澄ましてみても屋敷からは物音一つ聞こえない。
どうやら、私以外にこの屋敷には人がいないようだった。
屋敷は二階建てで、王都にある屋敷と比べたらとても小さなものだが、一人で住むには広すぎる大きさだ。私が思うに十数人がかなりの余裕を持って住めるほどの広さがあるだろう。
とりあえず今は自分が置かれた状況を把握することが最優先だ。
「…………」
談話室なのだから屋敷の二階ではなく一階にあるだろうと、何の根拠もないただのイメージをもとに、間取りが分からない屋敷の中で手紙探しを始める。
幸いにも、手紙は屋敷の一階ですぐに見つかった。私に直接手紙を渡すことを避けたメイドも“手紙を隠したり”、“架空の手紙の存在を教えたり”なんてことはしなかったようであった。
手紙を開いて目を通す。手紙には簡潔に、私のおかれた状況とこれからするべきことが書かれていた。
手紙によるとどうやら私は、この屋敷から魔法を習うための学園へと通うことになるらしい。メイドが去り際に言っていた「引継ぎの者」というのは、私と一緒にその学園に通うことになる同い年ぐらいの男性なのだという。
だとしたら、この「引継ぎの者」というのが“あの人”なのだろうか。メイドたちが話していた“あの人”――男装をして、執事として私に仕えることになってしまった人。
あの時、廊下で掃除をしていた若いメイドたちが言っていた通り、もし私に利用価値が無くなれば一緒に殺されてしまうかもしれない人。
メイドたちはあり得ないとして切り捨てた可能性。私に男装していることがバレたら一族郎党皆殺しというのも、あながち間違いではないだろう。
レストリア・アークフェリア――アークフェリア家当主の要望に、“私を男慣れさせる”というものがあるのなら、それが失敗したことが判明したら、彼はその要因である人間を排除し、その証拠となり得るモノを全て隠滅した上で、新しい使用人を私に送ってくるだろう。
このことは、ある程度の期間アークフェリア家に仕えた者ならば、誰であれ予想がつくことだ。彼は自分の失敗が形として残っていることを嫌う。
だから、私がこうして生きながらえているのは奇跡みたいなものだ。
一方で、若いメイドたちがこのような考えに行きつかないのは、内容が内容なだけに屋敷の中で話の種にすることが極力避けられているためだろう。
私は手紙を閉じ、これからこの屋敷に来る人のことについて考えをまとめる。
私がこの段階で、すでに相手の本当の性別に気がついていることは、誰も知らないだろう…………たぶん。
――であれば、話は簡単だ。私が、相手が女性であることに気がついていないように振舞えばいいだけのこと。
相手も“男性として仕えるように”と念を押されているはずだから、精一杯の男装をしてくるはずだ。私もそれに合わせていれば、誰も私が、相手が女性だと気づいているとは思わないだろう。
そのことで、アークフェリア家の者が私に探りを入れるとしても、まさか「執事の性別は?」なんて直接的な質問はしないはずだ。せめて「執事はどんな感じだ?」くらいだろう。だとすれば、やはり私が気をつけていれば大きな問題にはならないはずだ。
「……」
そうと決まれば、次は私自身の問題だ。
「……たべもの」
◇◇◇
「これが貴族都市アルトリウスか。話には聞いたことがあったけど、実際に来るのは初めてだ」
エストが王都にあるアークフェリア家の屋敷に行き、執事の仕事を受けることを決めてから少し経ったある日。エストは自分が仕えることとなった女性が通う予定の学園――アルトリウス魔導学園がある街【アルトリウス】に来ていた。
アルトリウスは王都から見て、北東に三日ほど馬車で向かった場所にある街だ。街並みは王都と似ており屋根が赤く壁が白い建物が多い。
街の北側には大きな森が広がっているが、この森に入る人間はそう多くない。というのもこの森の奥の方には魔獣が住み着いているからだ。街側では滅多に見かけないとはいえ、用事がないのに好き好んで森に入り魔獣に襲われるリスクを背負う者はいない。
魔獣は、アルトリウスから見て奥に進めば進むほど、つまりは背後に控える山脈に近づけば近づくほど数が多くなる傾向があるということが今までの調査から判明している。また、同じく調査の結果から、森には亜人系の魔獣が比較的多く生息していることも報告されている。亜人系の魔獣というのには、一般的なところで“ゴブリン”や“オーク”、“オーガ”などがいる。
「(仕事が決まったのはいいけど、仕える相手にまだ一度も会ったことがないんだよな。……名前だけは手紙に書かれていたけど)」
エストは今になって、“実態がよくわからないのに給料が高い”といういかにも怪しい仕事を、あの場の勢いで引き受けてしまったことに若干の後悔をしていた。
「(まさか、仕える相手がアークフェリア家の御令嬢とは……)」
エストは仕事を引き受けることを決めてから、ふとした時に浮かんでくる後悔という感情に対して「自分のあの時の判断は正しかったんだ」と思い込むようにしていた。しかし実際のところ、今回の仕事を引き受けたことが正解か失敗なのかは、エストの中ではまだ結論が出ていない。
一週間ほど前に、自分の元へと届いた封筒に入っていたメモ――アルトリウスにあるアークフェリア家の屋敷の場所が記されたメモを見ながら、エストは街を歩く。
メモによると、屋敷はアルトリウスの中心から少しばかり外れたところにあるらしい。
エストは大きな荷物などは持っておらず、格好は以前「薬草採集」の依頼を受けて森に行ったときと大差がない身軽なものだ。髪は後ろでしっかりと一本にまとめている。
「(アマリアさんとイキシアさんの言葉通り、髪をまとめるようにして正解だな。まとめてからは街中を歩いていても女性と勘違いされることが無くなった気がする)」
エストのその考えは完璧に思い違いだったが、本人がそのことに気がつく気配は微塵もない。
「(髪を切ることが一番いいんだろうけど、どうしてもこればかりはね)」
アルトリウスは歩いている人が少ない物静かな街だ。しかし、数少ないすれ違う人のほとんどには付き人らしき者を連れている。
「貴族都市、か」
アルトリウスは国内で最も貴族の人口割合が多い街として有名だ。商業を営んでいる者以外は皆、貴族といっても間違いではない。
この街に貴族が多いのには理由がある。それは、いくつもの貴族学校があるということと、物価が法外に高いということ。
アルトリウスに貴族学校が多いのは、その構想の段階から貴族が通う学校を中心とした街づくりをしているためだ。この構想や、それに伴った貴族たちの多額な出資のもと、元々更地だったこの場所にアルトリウスは造られた。
周辺の開発は今でも進んでおり、近い内には街の北側に広がる森を切り開いて学校の付属施設を増やす計画があるほど潤沢な出資金が存在する。
「(ぱっと見た感じだと、食料品なんかは相場の七、八倍か……。品質はいいんだろうけど高すぎだな。あっ、ここを曲がるのか)」
エストは街の中心にある市場を抜け、脇道に入る。エストが入った道は道幅が狭く両脇に並ぶ建物も背が高いため薄暗い。
「(ここをまっすぐ――さらに人気のない道に出たな。ここを曲がって道なりに……)」
エストは街中を流れる水路を横目に見ながらメモの指示通りに進むが、進めば進むほど人気は少なくなっていく。やがて小道を抜けて開けた場所にエストは出た。
「(あっ! あれだ)」
エストはメモの案内先であろう屋敷を少し離れたところに見つけた。
メモには地図に赤い線が引かれているのみで屋敷の位置を示す点などの目印がなかったため、エストは屋敷の正確な位置がわかるか心配していたが、それは杞憂に終わった。
というのも、エストの目的地であった屋敷の周りには建物がほとんどなかったからだ。これならメモの通りにここまで来れば間違いようがない。
屋敷の周囲は、人の背丈より少し高い壁で覆われているが、正面に門などはついていない。誰でも、何にも阻まれずに玄関扉まで向かうことができるようになっている。それに、エストが見る限り、スキルや魔法への対策もされていないようであった。
エストは屋敷の敷地内に入り玄関扉に向かう。扉の前までたどり着き一息つくと、扉についている鉄の輪――ノッカーを掴み、二回ノックをした。
「すみませーん。執事として仕えることとなったエストという者ですけど――」
ご愛読ありがとうございました。




