第三章6話 『小柄な彼女』
ザーリス冒険者養成学園は全寮制であるため、ほとんどの者はこの食堂を利用している。一方で、“ほとんど”に含まれない少数の学生は、共同の調理室・調理スペースで自炊するなどして学園生活を送っていた。
さきほどの迷宮探索に関する報告を、担任教師に伝え終わったシンシアたちは、教室を出て学内に設置されている食堂へと向かっていた。しかし、エリンの姿はない。教室を出てすぐに別れたのだ。ぱらぱらと廊下を歩いている学生を除けば、この場にいるのはシンシアと妹のセニカのみになる。
「シンシアさんは調理室を使うことはありますか?」
「滅多に使わないわね。作るのもそうだけど、それより食材を買いに市場まで行くには手続きをする必要があるから気が向かないのよ」
「自由に出歩くことはできないんですね」
「冒険者は最も自由な職業って言われているのに、その育成をする学園では学内から自由に出れないなんて皮肉な話よね。……でもちゃんと理由はあるらしいわよ」
「理由、ですか?」
「なんでも昔、ザーリスの治安が悪かった時、一人で市場に行った学生が襲われたことがあって、それが大きな問題に発展したから、こういった制限ができたらしいわ」
シンシアはそう言った後、「直接見たり、聞いたりした話でないから信憑性はないけれど」と付け加える。
「……そんなことが」
「っと、話をしていたら、あっという間に着いたわね。それで、本当に先に入っていていいのかしら」
「はい、『借りた杖を返したらすぐに向かう』と言っていましたから。それに、お姉ちゃんの分は私が頼んでおくので大丈夫ですよ」
「わかったわ。じゃあ入りましょうか」
セニカの答えを聞いたシンシアは、学生で込み合っている食堂の中に入る。食堂は簡素な造りをしていたが、全寮制ということも影響しているのか、教室が何個も入るほど広い。そんな食堂で、学生たちは座席について賑やかに食事をとっていた。
一方で、食堂の入り口近くから壁に沿って並んでいる学生たちがいる。まだ料理を頼んでいない学生たちだ。厨房と食事スペースはカウンターで区切られており、先頭あたりに並んでいる学生は、厨房と繋がっている注文受付場所で料理を頼んでいた。そして、自分の料理を受け渡し場所で受け取り、各自の好きな座席へと移動していく。
列に並んですぐ、シンシアとセニカの二人も料理を注文する受付場所にたどり着いた。各自――セニカは姉であるエリンの分も、料理を頼んだ二人は、少し待って完成した料理を受け取ると、あらかじめ目星をつけていた座席に移動し、向かい合って座った。
「あ! お姉ちゃん!!」
二人がちょうど座席についたところで、食堂にエリンが入ってくるのを見つけたセニカは、再び立ち上がると、姉に向かって手を振り、自分たちの居場所を伝える。それに気がついたエリンは、軽く手を振って答えると、濁りのない灰色の髪を揺らしながら、足早にこちらへと向かってきた。
「お待たせしました」
「いま座席についたばかりだから、気にする必要はないわよ」
「そうだったのですね。早めに戻ってこられてよかったです。セニカ、料理頼んでくれてありがとう」
そう言って、エリンはセニカの隣に座る。
「うん、何となくで頼んでみたんだけど、これで大丈夫だった? もし、違うのがよかったら私が頼んだ料理と交換するけど」
「ううん。食堂前のメニューを見て、今日はこれを頼もうと思っていたから大丈夫。それよりもコレ、食べるでしょ」
エリンは自分の盆に乗っている複数の小皿の内、鮮やかなソースがかかったサラダを指さしている。そのサラダは、エリンが頼んでもらった料理の限定品であるようで、シンシアとセニカの盆には載っていない。
エリンが指さしたサラダをみたセニカは、驚いた表情を見せると、
「ふふっ。私が食べたいの、やっぱりバレてたんだ。でもね、一口だけで大丈夫だよ。ありがとね、お姉ちゃん」
そんな二人のやり取りを何とも言えない表情で、見つめている者が一人。
「(あたしは何を見せられているのかしら。……あれね、小さいときに劇場で見た熟年夫婦の恋物語みたい)」
自分の記憶に思い当たるものがあったシンシアが再び視線を上げると、目の前に座る二人と目が合う。どうやら、考え事をしている様子であったシンシアを待っていたようだ。シンシアはそれに気がつくと、「それじゃあ食べましょうか」と言って手を合わせた。
「「「いただきます」」」
ザーリス冒険者養成学園の食堂には、学生以外にも教師や清掃員、警備員など、学園内で働く職員たちも利用することができる。そのこともあってか、夕食の時間にはチラリホラリとそういった人々の姿も見受けられる。それほど人数が多くないのは、まだ仕事が残っている者も多いためだろう。それでも、学生たちの中に混ざる職員たちは、周囲から浮いており、何をせずとも目立っていた。
「エリンさん、事前に小杖は借りていたのね。それならナイフではなく魔法で戦えば良かったんじゃないの?」
「そうできればよかったのですが、魔法はちょっと……。借りていた小杖もお守りみたいなもので」
エリンは苦笑いをしながら答える。エリンの言葉は、冒険者を目指す他の学生が聞けば、馬鹿にされそうなものであったが、身内であるセニカはもちろん、シンシアも気にしている様子はなかった。
「ということは、セニカさんの方が魔法の才能があるのね。……たしかにそういうことなら前衛で魔物の足止めをする方が、セニカさんが魔法を発動させるまでの時間を稼げるからパーティーとしてバランスがいいわね」
「あの、私は」
シンシアの言葉にセニカは何か言いたいことがあったようだが、言葉の途中で口を閉じる。どうやら、シンシアからは見えないテーブルの陰で、エリンがセニカを静止したようだ。そのエリンは、シンシアの歯に衣着せぬ物言いを、気にしている様子はなく、反対にいつもより機嫌がよさそうであった。
「――? えっと、エリンさん。これからも迷宮探索で前衛をやるなら、持っているナイフではなくて、魔物との距離をとれそうな武器を借りてみてはどうかしら? 借りる人が少ないから知っている人は少ないけれど、学園では魔器以外に普通の武器も貸し出しているはずよ」
「そうなのですね! 今度、貸出所で聞いてみます」
このような感じで会話をしていた三人であったが、段々と目の前にある食事も当然無くなってくる。そんな中で、セニカはシンシアが魔獣の肉を綺麗に残していることに気がつく。
「お肉、苦手なんですか?」
「ええ。ほかの魔獣のは食べられるんだけれど、この種類は臭いとえぐみが強くてあまり……。えっと、食べる?」
手元の肉に向けられたセニカのキラキラとした視線に気がついたシンシアは、少し迷ったのち残っている魔獣の肉を食べたいか尋ねる。
「――! はい、食べたことないので、食べてみたいです!」
「それなら、はい。癖が強くて人を選ぶと思うから、もし食べられないのなら無理して食べなくていいわよ」
シンシアは小皿ごとセニカの方に差し出す。それを嬉しそうに受け取ったセニカは、さっそく問題となっている魔獣の肉を口に運んでゆっくりと咀嚼する。
「どう? なかなかでしょう?」
「うーん、そうですね。たしかに臭いは強いですが、味は……私は大丈夫みたいです。全部食べてしまっても大丈夫ですか?」
「……ええ。食べられるのならいいわよ。あたしは食べられないから。でも、無理はしないようにね」
この肉のえげつない味を知っているシンシアは、再度セニカに無理をしないように告げる。しかし、セニカが無理をしている様子はなかったため、シンシアは彼女が肉を口に運ぶのを安心して眺めていた。
「ごちそうさまでした」
三人のうち、最後に夕食を食べ終わったセニカが手を合わせる。三人が食事を始めた時にいた学生たちは、すでに食事を食べ終えており、周囲の顔ぶれはほとんど入れ替わっている。その中には、見知った顔もいくつかあった。教室で見かける者たちがいるのを見て、シンシアは何か思い出したようで、
「そういえばあなた達、来週の開放日はどうするの? どこのパーティーに入れてもらうか決まっているの?」
それを聞いたエリンとセニカは不思議そうな顔をする。そんな二人の反応から、自分とこの二人の認識に、乖離があるようにシンシアは感じた。
「これからパーティーを組むことになったんですよね?」
「……」
尋ねてくるセニカの透き通った瞳を見て、シンシアは彼女が嘘や冗談の類を言っていないことを察した。またそれと同時に、シンシアはこの認識差を生み出した黒幕の正体にも検討がついた。
「(……あの先生の仕業ね。エリンさんとセニカさんは『これからパーティーを組むことになるシンシアさんに、迷宮を案内してもらってください』とでも言われていたのかしら?)」
シンシアは自分に二人の案内を頼んできた担任教師を思い浮かべる。
「違うのですか?」
「……そう、ね。あたしは何も知らなかったわ」
エリンの問いに、シンシアは少し戸惑った後に答えたが、それを聞いてセニカは「あれ」と言葉を漏らす。
「あれ、アンネロッテ先生が間違えたのかな?」
「それは……ないでしょうね。この数か月で、誰ともパーティーを組めなかったのは、教室であたししかいないわ。転入生とすぐにパーティーを組ませようとするなんて、赴任したばかりの先生の目にも、一人で行動していたあたしは目に余ったのかもしれないわね。でも、本当にパーティーを組むのがあたしでいいの?」
「はい、私はシンシアさんとパーティーを組みたいです! それに、お姉ちゃんも……」
セニカに視線を送られてエリンは頷いていた。
「……。少し考える時間をもらえないかしら? 先生にもちゃんと確認しておきたいし」
「わかりました」
「じゃあ、そろそろ部屋に戻りましょうか。早くしないと、共同浴場に行く時間も無くなってしまうわ」
その言葉を契機に、手元の盆をもって三人は立ち上がって座席を後にした。食器を返却口に持っていくためだ。
「シンシアさんは共同浴場を使っているのですか?」
「開放日だけよ。いつもより身体を動かした後は、お湯に浸かった方が疲れを取ることが出来るのよ。部屋の浴室はお湯にも浸かれないし狭いから」
シンシアやエリン、セニカが住む旧学生寮には、各部屋に浴室が備え付けられている。だが、その他の学生寮はそうではない。そういった学生寮を使用している学生たちが、主に共同浴場を使用しているのだ。
「……シンシアさん、もしご迷惑でなければ妹を共同浴場に連れて行ってくださいませんか?」
「ええ、それは構わないのだけれど。エリンさんは?」
「私はお湯に浸かるのが苦手なのです」
「ああ、そういった人もいると聞いたことがあるわ。……それじゃあ、セニカさん。よろしくね」
食堂を出たシンシアとセニカは、楽しそうに会話しながら廊下を歩き、離れにある学生寮にまで戻る。二人の後ろを歩くエリンは窓の外、夜空を静かに眺めていた。




