第一章4話 『発端』
目の前にそびえるのは巨大な壁。
街をグルリと囲っている背の高い壁は、王国の心臓部である王都を敵国や魔獣の侵略から防ぐ役割を担っていた。
「(セミファリアの王都に来るのも久しぶりだな)」
王都の西側にある門で、冒険者の証であるプレートを見せたエストは街の中に入る。王都の建物は、屋根が赤っぽく建物自体は白に近い色をしているものがほとんどだ。
エストの今日の恰好は昨日とは異なっており、フード付きのマントは着ていない。
そのことにより、普段は足に付けている投げナイフを入れたホルダーは、むき出しになってしまうため、今日は外してある。しかし、武器が全くないというわけではなく、腰の正面からは見えないところには、短剣とホルダーから抜いた数本の投げナイフを隠していた。
エストはガナウを朝早くに出発して王都に来ている。そのため、レストリアとの約束の時間である“午後”まではまだ時間的な余裕がある。
「久しぶりだし、色々なところを見て回ってみよう」
久しぶりの王都を満喫すべくエストは上機嫌に歩き出す。
新鮮な食べ物が所狭しと並ぶ中央市場に、数多くの薬草や魔法薬・魔導具を扱っている錬金術師の店、武具屋、高級なものから格安のものまで並ぶ服屋――
エストはただ品物を見て回っているだけで、特に何かを買うような素振りはない。客としては最悪だが、不思議と店主たちからは何も言われなかった。
「もう少しだけなら、時間がありそうだ。次はどこに行こうかな」
しばらく店を見て回って、人気のない細い一本道を歩いているときだった。エストの一本に結んでいた長い黒髪が、突然パアッと広がる。
「切れちゃったか」
エストは自分の髪を結んでいた紐を拾いあげる。紐は短くなりすぎていて、エストの髪をもう一度は結べなさそうだ。
「何かの前触れじゃないといいんだけど」
エストは紐を仕舞う。
「代えはガナウの宿にしかないし、さっきの店に紐があったから買いに戻る……か」
「よし! そっち行ったぞ!!」
エストが道を引き返そうとすると、背後から大きな声が聞こえた。声が聞こえた方を見ると、フードを被った何者かが、大柄な男に追われてこちらに向かって走って来るのが見えた。
◇◇◇
「はぁ……はぁ……危なかった」
王城の近くにある大きくて立派な屋敷の前。土地が高いこの場所まで全力で走ってきたため、エストの息は切れていた。
「まさか、あんなところで人さらいの現場に遭遇するとは……。あの女の子を助けられたのは良かったけど、けっきょく紐を買う時間も無かったな」
エストは呼吸を整えると、今日の目的地である屋敷の正門に近づく。すると、
「おや? ……もしかしてエストさん、ですか?」
門の向こう側からエストに声をかけたのは、昨日会った老執事のガレスだ。ガレスはエストが髪を結んでいなかったため、目の前にいる人物がエストだということが、すぐにはわからなかったようであったが、エストはそのことに気がついていない。
「はい。すみません、遅くなってしまって」
「エストさんが謝ることはありません。昨日、私が屋敷の場所を伝え忘れていたのですから、私の方こそ申し訳ありませんでした」
ガレスは門を開け、エストに中に入るように促す。
「いえ、お屋敷の場所が分からなかったことが遅れた理由ではないんです。ちょっと、人さらいの現場に居合わせてしまって……」
「――! そんなことがあったのですか、この王都で人さらいとは……。わかりました、レストリア様にはそのように伝えておきます」
門をくぐり、庭のような所を通り、屋敷の玄関を抜けたエントランスホールに到着する。
「(これが貴族の屋敷……住んでいる世界が違うなぁ……)」
ここに着くまでにあった大きな噴水や、何気なく置かれている高そうな石像を、エストは思い返していた。
「部屋までは他の使用人が案内しますので、私はここで」
「はい、ありがとうございました、ガレスさん」
ガレスと別れたエストは、その場で待っていた女性の使用人――メイドの後をついていく。
「こちらになります」
メイドは、エントランスホールからすぐ近くにある部屋のドアを開け、エストを案内する。
「それでは、こちらの席で少々お待ちください。それと、珈琲と紅茶どちらがお好みでしょうか?」
メイドは二つある椅子の内の片方を指定して、エストに座らせる。
「……珈琲、でお願いします」
「はい、わかりました。ではすぐにお持ちします。座ったままでお待ちください」
メイドは一礼をすると部屋を出ていった。エストはメイドに指定されたイスに座りながら、部屋の中を自然に見渡す。
「(やっぱり、ただの応接間ではないみたいだ。探知系のスキル・魔法を阻害する魔導具が発動している。……それに先客がいたみたいだ。天井裏に二人、壁の後ろに四人か)」
最後に、エストはテーブルを挟んで正面にみえる誰も座っていないイスをそれとなく観察する。
「(向こう側のイスにだけ毒と魅了を無効化する魔法が付与されているな。一時的でいいなら、この空間自体に無効化の魔法をかけた方が何倍も楽なのに、それをやらないのは相手にも毒や魅了が効かなくなるから……か)」
エストは先客たちのことを考えて、ため息をつきそうになるのを抑える。
「(貴族の屋敷だから暗殺とかを考えるとしょうがないとはいえ、もう少しうまく隠蔽して欲しいな)」
仕掛けを壊したい衝動を抑え、悶々としながらエストはレストリアが来るのを待つのであった。
◇◇◇
屋敷の部屋の内、個人が使うもので最も大きな部屋のドアが、トントンッとリズムよく叩かれる。
「ガレスです」
「入れ」
一言「失礼します」と言ってから、音を立てずに部屋の中に老執事が入ってくる。
「冒険者エストが到着しました」
「探しに行ってから戻ってくるまで早かったではないか」
「はい、どうやら人さらいの現場に居合わせたため、屋敷に来るまでに時間がかかったそうです。ちょうど屋敷の前で鉢合わせました」
「そうか。人さらい……。この間、街に入りこんだ可能性があると連絡がまわってきたやつらか」
レストリアは紅茶に口をつける。
「それで、彼女はちゃんと“あの部屋”に?」
「はい。レストリア様のご命令通り、最上位の応接間に通しました」
「それならいい。彼女は二人といない良い人材だからな。“あれ”の入学式が近づいてきていることを考えると失敗は出来ない。もし、断ろうとしたら仕掛けをすぐに使うよう連絡をしておけ」
何かを思い出したような仕草をしたレストリアは、再び口を開く。
「ああ、あと初めての者がいたら仕掛けを使用した際にも、それらは一つたりともバレることはないから安心して使うように、とも伝えておいてくれ。なにせ、神鉄の冒険者も、彼らと同格とされる宮廷魔術師たちも気がつかなかったのだからな」
「はい、承知いたしました」
それから少し時間が経ち、空になったカップをテーブルに置くと、レストリアは立ち上がる。
「彼女の緊張も解けた頃だろう。行くぞ、ガレス」
「はっ」
◇◇◇
「(これは前に飲んだモノより美味しいな。もしかして、すごく高い豆を使っているのかな)」
レストリアとガレスの会話など全く知らないエストは、この応接間に隠された仕掛けを“発動前に”全て見破り、今の段階で自分にとって危ないものが無かったため、メイドが持ってきてくれた珈琲を黙って飲んでいた。
「はぁ」
エストは珈琲のおいしさに吐息を漏らす。そして、もう一口。
「(んん……ん? もうちょっとこっちか。やっぱり、魔力を使ってくれないと正確な位置が掴みづらいな)」
エストはカップを置き、少し腰を浮かせて自分が座っているイスを僅かに横にズラす。
「(これで、後ろの壁についている何かの射出孔から飛んでくるかもしれない飛来物は避けやすくなったかな)」
そう考えながらエストは残っている珈琲を飲む。
「(珈琲そのものではなく、カップに微弱な魅了の魔法を付与させて、口をつけることで発動か。面白い魔法の隠蔽方法だな)」
魅了の魔法が付与されていると言うが、エストが何かしらの状態異常にかかっている様子はない。
エストがカップをテーブルに置くと同時にドアが開く。
「待たせたね」
応接間に入ってきたのはレストリアとガレスだ。
「いえっ、私の方こそ遅くれてしまい、すみませんでした」
エストは席から立ち上がり頭を下げる。
「ああ、その件ならガレスの方から聞いたよ。気にしていないから座ってくれ」
テーブルを挟んでエストと向かい合うイスにレストリアが座り、そのななめ後ろにガレスが立ったまま並ぶ。
先ほどエストが自分のイスを横にズラしたため、真正面に座っている二人の顔があるとは言えないが、それほど違和感はない。
「それでは早速、本題に入ってしまおうか。……君に、ある人物の執事をやってもらいたいんだ」
レストリアは言葉通り、前置きなど一切なく自分の要求をエストに提示する。
「執事、ですか?」
なぜそのような話になったのかわからず、エストの頭の中に疑問符が浮かぶ。
「ああ、戦闘の腕を見込んでのお願いだ」
「執事なのに戦闘、ですか?」
レストリアの言葉を聞いて、エストの頭の中に浮かんだ疑問符は消えるどころかさらに増える。
「仕えてもらいたい相手というのは、君と同い年ぐらいの女の子でね。彼女が通うことになる魔法学園には付き添いが必要なんだ」
「それで私を?」
「ああ、君に執事として仕えてもらいたいっていう女の子は、近しい者や家族以外の男と一言も喋ったことが無いし、近づいたこともない。だから、少しずつ男に対する耐性をつけさせたくてね。……彼女に仕えるのは君みたいな人でないとダメなのだよ!」
レストリアは「君みたいな」という部分を強調する。
「(要するに“女性っぽいから、執事を任せることができる”ってことか。確かに今日は髪を結んでいないから、少しだけ女性に見えやすいかもしれない。けど、髪を結んでいる時はどこからどう見ても男にしか見えないはずだし、僕だって正真正銘、男なんだ。そういった仕事を頼まれることはよくあるけど、決まってこういう話は断ることにしてい――)」
エストが頭の中でこの話を断るという結論を出し終わる直前だった。同じタイミング、いやそれよりほんの僅か早いタイミングで再びレストリアが口を開いた。
「……君にはぜひ“おんな”としてではなく“おとこ”として、その女の子に仕えてほしい!!」
レストリアは最初、言いづらそうにしていたが意を決したようで、はっきりとその言葉をエストに告げた。
「――ッ!? “おとこ”として、ですか!?」
レストリアの「“おとこ”として」という言葉にエストは過剰に反応する。
「(男として……男として、かぁ……。反対のことはあっても、こんな風に『“おとこ”として』仕事を頼まれるなんて本当に久しぶりだ。……この仕事、受けようかな。それに、なんとなくだけど――)」
単純なもので、先ほどまでのほんの小さな憤りも綺麗さっぱり忘れ去り、エストの中にはこの仕事に対する受けるか受けないかの迷いが生まれている。それに、エストの頭の中では既に執事の恰好をして働く自分の姿があった。
「……やはりダメだったかな、“おとこ”としてとい――」
レストリアがガレスに目配をする。
「いえっ、そんなことはありません! ぜひ、私に執事をやらせてください!」
エストはテーブルにバンッと手をつき、立ち上がる。
「あ、ああ。それならよかった。……本当によかったよ。でも本当にわかっているのかな? “おとこ”として仕えるのだぞ?」
レストリアはエストの決断までにかけた時間が短かったのを不安に思ったのか、再確認をする。
「はい、わかっています。“おとこ”として、その女の子に仕えるんですよね」
「その通りだ。理解しているのならばいいのだ。……では、ガレスあれを」
今までレストリアの隣で直立不動の姿勢をとっていたガレスが、懐から折りたたんだ一枚の羊皮紙を取り出してレストリアに手渡す。
「これに今回の件の報酬について書いてある。すまないが、今すぐに一通り目を通してくれないか。読んだ後で報酬が足りなければ言ってくれ。増やす方向で考えよう」
エストは差し出された羊皮紙を受けとり軽く目を通す
「(……一ヶ月で大金貨一枚って、もの凄く高額な気が……ん? ――って、一日!? 一日で大金貨一枚!?)」
想定の遥か彼方をいく金額から目を離したエストは、バッとレストリアの方に向き直る。
「あのっ!! 一日で大金貨一枚というのは流石に多すぎませんか?」
「ん? そうか? まあ、たしかにこの屋敷にいる並の使用人よりも金額は多いが、そのぶん仕事も多いから妥当だと思ったのだが……。それに、私としてはこの仕事を君に断って欲しくはないしな、絶対に」
レストリアは何とはなしに淡々と答える。
「(一日で大金貨一枚も稼げる仕事ってなんだ? いや、それよりも今までやって来た依頼って……)」
羊皮紙に記された高額の報酬をもう一度見て、エストは肩を落とす。
「今の段階で金額が多く感じるならそれで良い。もし、今後仕事をやってみて少なく感じたら私に手紙でも送ってくれ、随時対応をしよう」
「はい。……わかりました」
「うむ、これで話しは以上だ。君が仕える者のことなどについては後日手紙で送る」
この後、エストは「外が暗くなり始めているから」とガレスに馬車でガナウまで送ってもらうのだった。
◇◇◇
――とある屋敷の廊下にて
「ねぇ、あの話……聞いた?」
「――? ……もしかして今日来た子の?」
二人の若いメイドは掃除している手だけは休めずに会話をする。
「そう、それそれ。レストリア様とガレスさんの会話を盗み聞ぎした人によると、正式に雇うことになったみたい」
「ええっ!? なんで? 屋敷の使用人は足りているでしょ? 今は逆に余っているぐらいなんだし」
廊下の窓から見える外の景色は既に真っ暗だ。
「何でも執事として雇うそうよ」
「いやっ執事とかそういう問題じゃなく――……あれ? たしか、今日来たのって女の子だった……よね?」
片方のメイドの手が止まる。
「女の子だったはずよ。……男装させて、“あれ”の男慣れ要員として一緒に学園に通うらしいわ」
「――!! ああ、そういうこと、だからどこの家の晩餐会でも見たことがなかったのか。貴族じゃなかったんだね。でもかわいそうに、それって何かあったら……まとめて処分されるってことだよね」
もう片方のメイドも掃除の手を止める。
「ええ、男慣れ要員でわざわざ男装させるということは、もしかしたら『女であることが“あれ”にバレたら一族郎党皆殺し』ってことにでもなるかもしれないわね」
「あはは、いくら何でもそんな理不尽なことはないでしょう」
「ふふっ、そうよね。万が一彼女が平民であったとしても、流石にそんなことはないわよね。さて、ここら辺はこれぐらいにしときましょう」
二人のメイドは掃除道具を持って何処かへと行ってしまった。
これで、廊下は二人が来るまでの元の静寂に包まれる――ハズだった。
「……………………はぁ」
二人のメイドが向かった方向とは反対側――廊下の曲がり角から聞こえたのは、本当に本当に小さなため息だった。
ご愛読ありがとうございます。