第三章1話 『編入生』
――イクスティンツォ帝国首都近郊にある都市【ザーリス】、その一画にある“学園”の教室にて。
「(なんか、いつもより騒がしいわね。何か面白いことでもあったのかしら)」
ふと、そんなことを思った少女は、窓から覗く快晴とは裏腹な仏頂面を隠そうともせず、あたりの様子をうかがう。けれど、瞳に映るのは思い思いの服装に身を包んだ学生たちのみであり、教室内で何かしらの珍事が起きている様子はみられない。入学してから数か月の月日が経っても、さほど変わることのなかった、いつも通りの景色だ。ならばと、耳を澄ませた少女は、
「ねぇねぇ、聞いた?」
「あ、もしかして編入生のこと? 同室の娘が昨日見たって言ってた!」
「なんだ、知ってたの。それでその娘たちなんだけど――」
少女の予想どおり、普段と比べて教室が騒がしいのには、理由があったようであった。
「(ああ、確か昨日挨拶に来たわね。名前は……何だったかしら?)」
けれど、少女は他の学生のように胸を躍らせるようなことにはならなかった。少女にとっては、既知の情報であり、また会話を弾ませる相方もこの場にはいなかったためだ。ただ、不確かな情報を噛みしめて、モヤっとしただけだった。少し開けられた窓の隙間から流れ込む温かな風を受けながら、少女は「もうこの話はいいや」と教室内に張り巡らせていた神経を自分の内にしまったが、自分の意志とは関係なく、得てしまう情報は存在するものだ。
「(……。噂話ばかりね。確かな情報がほとんどないじゃない。こんなんなら、隣人になったあたしの方がマシなぐらいよ)」
意図せず数多の情報が飛び込んでくるほど、騒音に満ちた教室だが、すでに授業の開始を告げる予鈴は鳴り終わっている。この状態はもうしばらく続くかに思えたが、
「あ、この足音! 先生だ!お前ら、早く座席に戻れ!」
返事はない。ただ、一人の男子学生が発した一言により、自分の座席から離れていた者は移動を始め、噂話で盛り上がっていた者たちは口をつぐんだ。教師からの叱責を避けたい学生たちによる、どこの学び舎でも体験できる“見慣れた光景”といえるだろう。
「遅れてしまってすみません! 早速授業を始めたいところですが、その前に本日は皆さんに重大なお知らせがあります! 実は、この教室で一緒に学ぶ仲間が増えることとなりました!」
スッと控えめに扉を開けて、教室に現れた小柄な女教師は、教室にいる大半の学生が、すでに知っている情報を、ニコニコと嬉しそうに話しながら教室に入ってきた。
「(やっぱり、小動物みたいよね。あの髪色だと“リス”かしら)」
実のところ、この教室で“見慣れた光景”が起きるのは、教師による叱責が原因ではない。では、どういった原因があるのか。それには、この教師が持っている独特な雰囲気が影響していた。
「よかった~、先生が困った顔をしていると、こっちの心が痛むもんね~」
「ほんとほんと、最初のころなんて――」
さきほどまで、噂話をしていた学生たちがヒソヒソと安堵の声をあげている。一方で、少女の視線の先では、教壇にたどり着いた教師が、後続する誰かのためにそうしたのか、開けたままにしている扉の向こう側を伺っている。けれど、誰かが教室に入ってくることは一向になく、教師はオロオロとしている。
「ちょ、ちょっと探してきますね! 皆さんは座席についたまま待っていてください」
何人かの学生は「また先生が迷子になりますよ」と、慌てて教室から出ていこうとする教師に静止の声をかけて、その後についていこうとしている。しかし、ことは教師たちが教室から出ていく前に解決した。開けたままの扉から人影が現れる。
「先生、いくら焦っているからってこの娘たちを置いていかないでください。校舎の中で迷子になっていましたよ。さあ、あなた達も教室の中へ」
「カミラさん! すみません、いつもありがとうございます」
今まで慌てていた教師は、呆れた声で二人の女学生を教室に突っ込んだ初老の女性――カミラを見て落ち着いたのか、頭を下げた。
「それでは、私は掃除に戻りますので」
一言、そう言い残したカミラは掃除用具を詰め込んだカートを押して、すぐに教室前から立ち去った。彼女の言葉や家事使用人のような服装からもわかる通り、カミラはこの学園の雑務を担当している職員の一人であった。
「あはは……、カミラさんには感謝してもしきれないですね」
教師は苦笑いをしながら教壇にまで戻る。カミラに連れてこられたうちの一人は、肩に届かないほど短い灰色の髪に青い瞳をした学生で、もう一人は太ももまで届くほど長く、透き通った暗赤色の髪、同じく青い瞳をした学生だ。
「あなたたちもそこに立ち止まってないで、こちらまで」
戸惑ったように「はい」と返事した二人は、教壇がある教室の中心にまで歩みを進めた。
「えっと、どこまで話をしましたっけ? ……と、とりあえず、ここにいる二人が編入生になります!」
教師は編入生たちの方に顔を向けて、「簡単でいいので自己紹介をお願いしてもいいでしょうか」と小声でいうと、一歩前に進むように促している。それに応じるかたちで、灰色の髪をした編入生が口を開いた。
「はじめまして、今日からこの“ザーリス冒険者養成学園”に編入することとなりました。辺境域出身のエリンです。そして――」
「はじめまして、エリンの妹のセニカです。不慣れなことも多く、ご迷惑をかけることも多いかと思いますが、姉ともどもよろしくお願いします」
二人がそろって軽く礼をすると、それをうんうんと頷いて眺めていた教師は、「それでは、生徒代表の隣の座席が空いているので――」と、二人を窓際の座席につくように指示を出した。
「(やっぱり、あの二人が……)」
窓際にある自分の座席から、いくつか前の座席――遠すぎず近すぎずという距離にある座席を目指して歩いてくる二人を少女は眺めていた。周囲から複数の視線に晒されているためか、二人が少女の視線に気がつくことはない。
二人の姿が確認できてから、すでにザワザワとしていた教室内だったが、「生徒代表の隣の座席」と指定されてから、その声量が上がった。生徒代表は女学生であるため、色事を勘繰ったわけではないのであろうが、仲間が未知の情報を得ている可能性があるという事実は、彼らの好奇心を刺激するには十分であったらしい。彼らのうち、知識人になりきった一部の学生によると、教師があのような座席の指定をしたのは昨日、生徒代表である学生が、二人に対して【ザーリス】の案内をしたためであるらしい。
「(……二人ともお揃いのネックレスをしていたのね。あれほど特徴的なのに、どうして教室に入ってきたときは気が付かなかったのかしら。えっと、昨夜は――)」
少女は昨夜、エリンとセニカの姉妹が訪ねてきたときの恰好を思い返してみるが、肝心な首元については記憶がなかった。何となく気になったこともあり、少女は窓の外に広がる中庭へと、無意識に視線を移して考え込む。
「……。……。――ぁ」
ふと少女が教室の中へと視線を戻したとき、黒板に板書をしながら、魔法の基礎について説明している教師と目が合った。おそらく、少女の反応がわかりやすく、上の空で話を聞いていない学生そのものであったのだろう、教師は意外そうな顔を見せると、
「シンシアさん? 珍しくボーっとしていたみたいですけど、もし体調が悪いのなら離席しても構いませんよ?」
「すみません。もう、大丈夫みたいです」
「無理はしないでくださいね? 少しでも体調が悪いなと感じたら、いつでも教室を出ていいですからね」
教師は授業を再開する。無事に自分から注意を引き剥がすことができたとわかると、少女――シンシアは周囲に聞こえないように息を吐きだした。そして、物音を立てないよう足元のカバンから、ボロッとした教科書を取り出すと、該当ページを開く。
教科書がボロッとしているのは、何もシンシアだけではない。彼女以外の学生たちが広げる教科書も大差がない、同じような見た目をしている。そのことを証明するかのように、教室の窓が開いているにも関わらず、室内には古本独特の香ばしい香りが充満していた。
どの学生も、新品ではない教科書を使用しているのには、もちろん明確な理由がある。それは、彼らが持つ教科書は全て、学園側から貸し出された使いまわし品であるためだ。貸し出される理由は単純で、数年しか使用しないにもかかわらず、新品の教科書を購入できるほど、金銭的な余裕がある学生が少ないためだ。それに、そのような余裕があれば、自立してからの活動資金にしようと画策している学生も多い。
こういった理由から、この学園では教科書だけにとどまらず、授業に用いるいくつかの必要最低限のモノは、新品を買うのに比べたら、はるかに少ないお金で、一定期間借りることができるのだ。使いまわしであるため、質が落ちるのはもちろんのことだが、生涯使用したいモノや、愛着のあるモノを持ちたい場合でなければ、この制度を利用する学生がほとんどだ。
「……」
そんな経緯のある教科書を広げるシンシアは、先ほどまでの散漫な様子はどこに行ったのやら、集中して授業に耳を傾けていた。
「(あたしには、コレしかないの。だから誰にも――)」
一度、集中状態に入った少女は、気遣わしげな視線が、教壇から自身へと向けられていることに気がつくことはなかった。