第二章23話 『冒険者①』
「(ワダン!? ……ワダンって、もしかしてあの?)」
ティアリスはエストが口にした「これから行くのは――ワダンという名前の村です」という言葉を聞いて思わず立ち止まる。村の名前を聞いて、これほどまでにティアリスが動揺したのは、
「お嬢様?」
「あの、エスト君。ワダンの村というのは、あのワダンの村ですか?」
「あの、とはどういう意味でしょう? 今から行くのは王国の西端、シャルティ大森林の近くにあるワダンという名前の村ですが」
エストはティアリスの質問の意味がわからなかったようだが、ティアリスはその言葉を聞いて、村そのものの認識にズレがないことの確認はできた。
「……エスト君、その村は百年ほど昔に無くなっているはずですよ」
「え!? そうなのですか!? ……もしかすると、村が無くなったのは、帝国との戦争が原因だったり、するのでしょうか?」
エストはどうしてかバツが悪そうに尋ねる。エストから遅れた数歩分の距離を取り戻しながらティアリスは、
「……わかりません。その辺りのことは私が読んだ本に何も記載がありませんでしたから」
「……そうですか」
エストが難しい表情をしたのも、束の間のことで、すぐにいつもの顔に戻る。
「そうなると、これからどうしましょうか? 少し遠回りをして、ワダンの村へ向かうメリットもなくなってしまいました」
「私たちは今、シャルティ大森林の中を北に抜けて帝国領に入ろうとしているんでしたよね?」
足並みがそろった二人はとりあえず、前に歩みを進める。
「はい。北に抜けるための関所がある【ハスタヴルム】も警戒が厳重そうですし、今の装備で山越えをするのも難しいでしょうから。シャルティ大森林も“魔物”が出るので危険なことに変わりはありませんが、王国から帝都であれば“二の森”まで入らなくても大丈夫ですし、二人という少人数なら魔物を呼び寄せることもあまりないはずです」
それが何を指しているのか分からなかったのか、エストの口から出た「魔物」という言葉をティアリスは反芻している。しかし、彼女は今ここでエストにそれを尋ねることをしなかった。
「ということは、シャルティ大森林に入ってしまえば、しばらくは村や街がないのですよね。であれば、エスト君が行こうとしていた村に一応寄って見ませんか? もしかしたら、エスト君と私が思い浮かべている村が違って、まだ人が生活をしているということもあるかもしれません」
エストは少し考えた後に、「そうですね。そうしましょう。この目でも見ておきたいですし」と言って、再びワダンの村を目指して歩を進めた。
「(それに、もし少しでも建物が残っていたら、エスト君が周囲の警戒に使う労力を減らせるかもしれない。本当は、私にも見張りが任せてもらえるような実力があればよかったんだけど……。今の、エスト君に任せきりの状態じゃダメだ。――強く、ならないと)」
ティアリスはギュッと手のひらを握りこんでからエストに着いて行く。
◇◇◇
鬱蒼とした森の中、わずかではあるが日が差し込む場所を見つけたエストとティアリスの二人は、その場所で昼食をとった。
「(今の分で持っていた食べ物はなくなっちゃったな。でも、エスト君と二人で一日三食とっていたはずなのに、どうして今日まで残っていたんだろう。たしかに、私はあまり食べなくても動けるから、受け取った食べ物をこっそりとバッグに戻していたけど、それでも今日まで残るほどは……)」
現在はちょうど昼食を食べ終わったところだ。フードを被りなおしたティアリスは、席を外しているエストを待ちながら出発の準備を整えている。
「お待たせしました」
「――!」
ティアリスは、後方から聞こえた声に驚いた様子を見せると、素早く振り返って袖元に隠していた小杖を引き抜いた。
「あれ? エスト君?」
ティアリスの視線の先にいたのは何処からどう見てもエストだった。もちろん、ティアリスが警戒するような相手ではない。
「すみません。驚かせてしまいましたね」
「私の方こそ、すみません。なんとなく近づいてきた気配がエスト君ではない気がして」
「……。追っ手の実力が正確にわからない以上、それ位の警戒は必要だと思いますから、気にしないでください」
出発の準備がしっかりと整った二人は、この場所を後にしてワダンの村を目指して歩き始めたが、しばらくも行かないうちに、
「(エスト君、やっぱりさっきのお昼を食べたところから何か変わった気がする。 ……エスト君だけどエスト君じゃない、みたいな感じ。この感覚は何だろう?)」
エストのすぐ後ろを歩くティアリスは、フードを被るその後ろ姿をみながら、抱いている違和感の正体を探ろうとするが、しばらく経っても納得のいく答えはでなかった。
「……」
この森のように、滅多に人が入り込まない自然の中では、いたるところから鳥の鳴き声が聞こえてくる。また、小動物が草木をわける音や珍客を観察している気配を感じることもできる。
そのような体験・感覚は、王都とアルトリウスの屋敷ぐらいしか長期間滞在したことがないティアリスにとっては、非常に新鮮なものだ。実際に、森の中を歩き始めてから先ほどまでは、絶えず周囲に視線を巡らして瞳を輝かせ、大自然特有の澄んだ空気を、胸いっぱいに吸い込んだりしながら歩いていた。
ただ、その好奇心も今――エストのことについて考えている時には、全く頭にないようであった。ティアリスは周囲に全く視線を向けておらず、森の所どころから聞こえてくる音に反応している気配もみられない。そんなティアリスは、
「うっ!?」
バフッという音と共に、声を漏らした。考え事をしながら歩いていたティアリスは、目の前で突然立ち止まったエストに気がつかず、その背中に頭を打ったのだ。
「すみません。ちゃんと前を見ていませんでした」
「……」
「――?」
エストはティアリスの方を振り返ったが、その視線は彼女に向けられていない。エストの視線が向いているのは、ティアリスの遥か後方だ。ティアリスもエストにつられてそちらに視線を向けるが、何も見えない。
「お嬢様。私はお嬢様に謝らなければいけないことがあります」
「――?」
ティアリスはその言葉の意味が分からず、エストの顔を見上げる。
「つい最近のことですが、私は彼女と接触しました。ですが、そのことをお嬢様には黙っていたのです」
「――??」
しっかりと耳には入ってくるものの、エストの言葉の意味がティアリスにはさっぱりわからない。ティアリスはその言葉の意味をエストに尋ねようとするが、それよりも早くエストが口を開いた。
「“彼女”がアレを防いだら走って逃げますよ」
「――?」
ティアリスは自分たちが歩いてきた方へと視線を向けて、
「――っ!?」
先ほどとの変化にティアリスは目を丸くする。
それは、腰元ぐらいの高さの宙を這い、木々の間を縫いながらかなりの速さでこちらに近づいて来る一匹の大蛇だった。胴体は周囲の幹より遥かに太く、その終点である尾の先端はまるで見える気配がない。
もちろん、そんな大蛇が普通の生き物なわけがなく、その身体は毒々しい靄のようなもので構成されていた。つまり、何者かの魔法によって形づくられていた。
目の前に脅威が迫っている状況、しかし次の瞬間にはティアリスの意識は別のことに向いていた。
「空気が張り詰めた? これは――」
ティアリスがエストに、次なる魔法の発動を告げようとした時だった。すでに攻撃範囲内にまで二人との距離を詰めていた大蛇が、鎌首をもたげて飛び掛かってくる。
「――!!」
ティアリスは巨大な蛇が頭上に迫り、思わず目を閉じる。しかし、
「(……あれ?)」
いつまでたっても、想定していた衝撃や痛みはやってこず、ティアリスはゆっくりと目を開ける。そんなティアリスの視界に映ったのは、いつか見た黒色のローブを羽織った後ろ姿だった。




