第一章3話 『ガナウ冒険者ギルドの日常』
「(……うわぁ)」
ガナウの冒険者ギルド、そこは昨日と全く違う様相を見せていた。というより、昨日の静けさが異常だっただけで、今日の様相がガナウ冒険者ギルドの真の顔だ。
薄暗く、狭いギルドの建物内に入ったエストの目の前では、“討伐依頼”と書かれた一枚の羊皮紙をめぐって、三人の男たちによる壮絶な戦いが繰り広げられていた。
「君たちはここ最近も受けていただろ!」
「――てめぇくそっ、やりやがったな!」
「お前らのところは貯金があんだろ! 討伐依頼は俺に譲って、とっととそれを溶かしやがれ!」
「「ぁあ?」」
冒険者ギルドの伝統的な決まりとして、ギルド内の掲示板に張り出された依頼は早い者勝ちだ。
万が一、同じタイミングで同じ依頼を受けることを決め、掲示板の前で鉢合わせてしまった場合は、両者での話し合いを行う。それでも決まらないなら、ギルド職員を中間においての話し合いになり、最終的にはギルド職員の諸々を含めた公正な判断によって依頼を受ける者が決められる。
しかし、それはギルドの人手が足りている場合だ。目つきが悪い老齢の男一人、つまりはギルドマスターしかギルド職員がいないここ――ガナウ冒険者ギルドでは、“冒険者ギルドの伝統的な決まり”なんてものは存在しないことになっていた。
ガナウ冒険者ギルドには喧嘩を止める職員はおらず、わざわざその役回りを代行する慈善者もいない。そのため少し前までは、朝のガナウ冒険者ギルドでは“討伐依頼”をめぐり、パーティーVSパーティーのスキルあり魔法ありの総力戦をギルドの建物内でおこなっていた。
パーティーに所属していないため、エストはその争いに参加したことはないが、早朝にギルドへ顔を出すと、その騒動に巻き込まれる可能性があるため、わざとその時間帯を外してギルドに足を運ぶようにしていた。
しかし、いまエストの前で怒鳴り合い“掴み合っている”のは三人だけだ。
パーティーVSパーティーの総力戦は行われていない。争っているのがなぜ三人なのかというと、それは彼らがそれぞれ各パーティーのリーダーであることが関係してくる。
“依頼の取り合いが起きた場合は、リーダー同士による魔法・スキルの使用を禁止とした争いで決める”
ガナウの冒険者たちの間で、勝手にそんな掟が出来たのは半年前――ガナウ冒険者ギルド史上最高額の達成報酬、小金貨一枚(=大銅貨千枚)の討伐依頼が掲示板に張り出された時だ。
エストが後に聞いた話によると、依頼奪取のため早朝にギルドへ顔を出した冒険者たちは、この依頼用紙を見た瞬間に目の色を変え、狭い室内で一枚の羊皮紙の争奪戦を始めたらしい。
三パーティー、合計九人――エストを除いたガナウの全冒険者による加減のないスキル、魔法入り乱れた争いは勿論、当事者たちだけではなく建物にも及んでいたわけで、
「あれ、ギルドの建物が無くなって瓦礫の山に。古い建物だったし、別の場所に移転したのかな? ……ん?」
エストは瓦礫の山の前で、風に乗って自分の元へと飛んできたボロボロの羊皮紙を掴み、掠れている文字を読む。
「討伐、依頼? ……まさか」
エストの悪い予感は的中した。朝の依頼争奪ラッシュ時を避けて、エストが冒険者ギルドに着いた時には、すでに建物が瓦礫の山となっていたのであった。
幸いにもギルドマスター含め、建物が倒壊した際に大きな怪我を負った者はいなかったが、建物修復費を全額払うことになった三パーティーの冒険者たちは、心を入れ替えたと言い張り、ギルド職員を除いた話し合いのすえ、
“依頼の取り合いが起きた場合は、リーダー同士によるスキルの使用を禁止とした争いで決める”
というどこの冒険者ギルドにもない規則をつくったのであった。話し合いのハの字もないこの規則が適用できたのは、ギルドマスターが何も口を挟まず傍観に徹しており、また外から来る冒険者が皆無だからであった。
「(……あれから半年ぐらいたつのか)」
エストが空いているテーブルについても、三人の中年男の戦いはいまだに終わっていない。
「(あの人たち、朝から元気だな。……まだ外も真っ暗なんだけど)」
テーブルの上に右手を出して“掴み合っている”内の一人は上半身裸で細身の男、一人は緑色の燕尾服に同色のシルクハットを被り、近くにまたも同色のステッキを立てかけている男、最後の一人は日頃から自分は四十歳だと言い張る、外見十二歳ほどの口が悪い男だった。
「スキルを使えなければ、この私にも勝てないのですね。あなたは」
「なんだと、“変態グリーン”」
「……! そのあだ名で呼ぶのはやめなさいと言っているでしょう。私のことを変態と言いますが、あなたは常に上半身裸じゃないですか。この“脳筋ガリオーク”、とっとと討伐依頼でも出されてしまいなさい!!」
「誰がオークだ! これはしょうがないんだよ!!」
オークとは亜人種の魔獣で知能の低さと怪力が特徴の魔獣だ。また、豚の顔を半分溶かしたような気味の悪い顔に、大樽に足が生えたような体という醜悪な容姿から、多くの人が嫌悪感を持つ魔獣でもある。
“変態グリーン”と“脳筋ガリオーク”が素早く親指を動かし激しい攻防を始めた。
そして、“脳筋ガリオーク”が“変態グリーン”の親指を押さえつけ、三カウントを始めようとしたところで、残っている最後の一人が二人の親指をさらに上から押さえつけカウントを始める。
掴み合い・親指・押さえつけ・カウント、三人が討伐依頼をかけて全力でやっているのは指相撲だった。
中年のおっさんが三人、器用にも互いの右手を巻き込むようにして握りこみ、三人で同時に指相撲をしていた。
三人が座っているテーブル周りには誰もいない。彼らがリーダーを務めるパーティーの仲間たちは、三人を無視してギルドの色々な所に散り、気が合う者と談笑していた。
「あ、エスト君だ。今日はいつもより早いんだね」
「珍しい」
エストに近づいてきたのは二人の女性だ。
「おはようございます、アマリアさん、イキシアさん」
アマリアは、肩に届く長さの真っ赤な髪をした活発そうな女性だ。一方で、イキシアは肩にはギリギリ届かない長さの水色の髪をした物静かそうな女性であった。
「(相変わらずプレートは付けていなみたいだ)」
目の前にいる二人もそうだが、冒険者ギルド内にいるエスト以外の冒険者は、誰もプレートを付けていない。そのことはギルドの規定で明確な違反に当たるのだが、ガナウ冒険者ギルドには誰も咎める者がいない。
「ある人と待ち合わせをしているんです。その時間に遅れたくなかったので、いつもより早めにギルドに来ました」
エストの言葉を聞いて二人は驚く。
「えっ!? こんなところに人が来るの?」
「……こんな薄暗いところに呼んだら場合によっては失礼」
アマリアとイキシアは、エストに対してまるで自分の弟であるかのように接していた。これは、残りの七人の冒険者も二人には及ばないものの、似たような感じだ。
「向こう側からここに待ち合わせと言われたんですよ」
「もの珍しい人もいたものね。……って――もしかして、エスト君の待ち人ってあの人?」
アマリアが指をさしていたのは、冒険者ギルドの入り口でキョロキョロしている白髪の老執事だ。このギルドに見知らぬ人が来ることは滅多にないため、ギルドにそういった人が入ってくると非常に目立つのだ。
老執事はキッと鋭い目をしていて、執事服越しでもわかる分厚い身体をしている。老執事はエストの外見をレストリアから聞いていたのか、エストのことが目に入ると一直線に近づいてきた。それに気がついたエストも失礼にならないように席から立ち上がる。
「確認させていただきたいのですが、あなたがエストさんでよろしいですか?」
「はい」
近づいてきて分かったが、老執事の背はかなり高い。男性の平均身長弱しかないエストと比べるとまるで、目の前にそびえる壁のようだ。
アマリアとイキシアの二人は、既に少し離れたところまで移動しているが、エストと老執事の話に全力で耳を傾けていることは明白だった。それに、エストが周囲の様子を探ってみると、指相撲をしていた三人までもが、こちらに意識を向けていることが分かる。
「(このギルドに知らない人が来ることは珍しいからしょうがないか。僕が初めてここに来た時もこんな感じだったし)」
「それでは、まずはこれを」
老執事が懐から出したのは小袋だった。
「ありがとうございます」
エストは差し出されたそれを受け取る。その時にたったチャリッという音から、犯罪奴隷の引き渡し報酬である大銀貨四枚がちゃんと入っていることが分かると、エストは中身を確認せずに小袋をしまった。
「私はアークフェリア家で執事長を務めているガレスというものです。先日はアークフェリア家当主、レストリア・アークフェリア様を助けていただきありがとうございました」
ピシッという音と共に、ガレスは深く頭を下げる。多くの回数を重ねても寸分の狂いがないであろう綺麗なお辞儀から、ガレスの執事という仕事に対するプライドのようなものが伝わってくる。
しかし、ガレスに頭を下げられたのはそういった作法には全く詳しくないエストだ。
「私の力が少しでも役に立ったのならよかったです。お気持ちは受け取ったので、どうか顔を上げてください」
エストは上流階級の所作といったものが全くわからないが、「謙遜したら失礼になるのか?」と思い、ガレスにそう言った。
「ありがとうございます。エストさん」
ガレスはゆっくり顔を上げた。その瞳はまっすぐにエストの瞳へと向けられている。まるで、自分の中を丹念に観察されているようなガレスの視線を受けて、エストは落ち着かない。
「じつは、まだエストさんへの用事は終わっていないのです。これをどうぞ、レストリア様からです」
そう言って、ガレスがエストに差し出したのは封筒だった。昨日の白い馬車に施されていた紋章と同じものが封に使われている。
「ここで、開いても?」
ガレスが頷いたのを見たエストは、封筒の中から手紙を取り出し読み始める。
「(えーと、要するに“大事な話があるので王都にある屋敷に来れないか”ということと“大丈夫であれば、明日か明後日のどちらかで来れる日をガレスさんに伝えてくれ”ということか)」
エストは素早く手紙を読むと仕舞い、ガレスの方に向き直る。
「ガレスさん、日程のことですけど明日の、できれば午後でお願いします」
「はい、畏まりました。では、レストリア様には明日の午後と伝えさせていただきます」
用事が済むとガレスはすぐに冒険者ギルドの建物から出て行った。
「……?」
ギルドから出て行く直前に、ガレスがカウンターの奥へと目線を向けていたことがエストには気になったが、それもエストだけだったようで、少し静かになっていた冒険者ギルドは元の喧騒を取り戻していた。
「指相撲も終わったみたいだ」
指相撲はあのまま終了したらしく、依頼用紙は自称四十歳で外見十二歳の冒険者が受付に提出しに行くところだった。
「それで結局なんだったの? 助けたとか聞こえたけど、あの人って確かアークフェリア家の執事でしょう? 王都で何回か見かけたことがあるよ」
エストに尋ねるのはガレスが来てから蚊帳の外になった二人の冒険者の内の片方、“脳筋ガリオーク”のパーティーに所属するアマリアだ。
「昨日馬車が襲われているのを偶然見かけて、少しばかり手を貸したんです」
何気ない感じでそう言ったエストのことをアマリアとイキシアの二人はジトーと呆れた目で見る。
「スキル、使えるようになったの?」
「いえ、まだです」
エストのその言葉を聞いて、二人の視線にかかる重圧はさらに大きくなる。
「前にも言ったよね。スキルや魔法を使えない人が、それらを使える人に勝てる確率なんてほぼ無いから、エスト君はスキルを習得するまで自分の身を守るのを最優先にしてねって」
「……無謀。私たちが長期依頼に行っている間が心配」
二人はエストがスキルを使える者相手に勝利したことなど全く想定していない。せいぜい、スキルや魔法が使えない銅に相当する相手に辛勝したんだなといった感じに思っている。
魔獣と戦うことを一つの生業としている冒険者は、スキルや魔法が使えないとなることができなさそうな仕事だが実際はそうではない。
実際に、ランクで言うところの銅以下というのは、スキルや魔法を使えない者たちがほとんどだ。というのも、冒険者になる時――冒険者登録の際に、スキルや魔法を使えることが証明できた者は、銀ランクから冒険者としての生活が始まるからだ。
銀から冒険者生活が始められるにも関わらず、好き好んで報酬が少ない依頼しか受注できない木や銅を選ぶ者はほぼいないのだ。
冒険者の多くを占めるのは、木や銅の冒険者だ。
そういった現状は、スキルや魔法を使えない者が多いことを示す一方で、それらを使える者が希少であるということも同時に示していた。
「でも、今回は向こうから向かって来たので……」
「この前も同じこと言ってたよ」
「私も聞いた」
エストの言葉は二人にバッサリと切り捨てられる。
そして、その後も二人による“冒険者として生き残っていくために必要な心掛け”という話は長く、とても長く、続いたのであった。
ご愛読ありがとうございます。