第二章21話 『ある村のお話①』
――空を見上げる。
誰かに見られているような気がしたが、広がっているのは、雲一つない青い空。今の気分とは正反対の真っ青で透き通った空が広がっている。
その白々しさに苛立ちを覚え、空を見上げた青年は舌打ちをする。
「なにが、『神はいつでも我らを見ておられる』だ。『我々、一人一人の内に神はおられる』なんて嘯く奴らもいたか? “見て”いて、そこに“いる”のなら、この状況をなんとかしてみろよ。ほら――」
――見ているだけで救わないじゃないか。いるだけで手を差し伸べることもしないじゃないか。
これだから宗教は信用ならないと、青年は忌々し気に、手に持っている短槍の石突で、ガンッガンッと地面を抉る。しかし、それで苛立ちが収まるわけでもなく、
「――はぁ、オレが一番落ち着かなきゃならないっていうのに」
結局、青年は自分の後方――自分が守るべきものを直視することで冷静さを取り戻そうとする。青年の後方にあるもの、それは青年の生まれ育った故郷であった。
青年の故郷で暮らす人々は、森に生息する魔獣などの狩りや、堅果類などの採集、西に広がる“シャルティ大森林”、“一の森”での魔物の討伐、及びその“副産物である魔石”を売り払うことで、平穏無事な生活をおくっていた。
だが、今日ばかりはそうもいかない。
青年が自分の故郷に目を向けると見えるのは、慌てふためく女性や何が起きているのか理解できていない小さな子どもの姿だった。そこに普段の穏やかな故郷の姿はない。
「やっと広場に集まり始めたみたいだ。あの様子だと、もう少し時間が掛かりそうだな」
いつもとは違う姿であっても故郷は故郷。青年は先ほどまでの、苛立ちを幾らか押さえつけることができたため、再び正面を見据える。
青年の正面、そこに見えるのは村を囲うように広がっている森の一部だ。ただ、一部とは言っても青年の目では先が見通せないほど深い森が広がっている。一方で、そこには青年が短槍を持って警戒するような脅威はないようにも見えた。
しかし、青年はそれがまやかしであることを知っている。
問題があるのは目の前の、村の“北側”に広がる森ではなく、それを真っすぐに抜けた先の平原にあった。
「黒煙は上がってない。まだ始まってはいなさそうだけど、それも時間の問題だろうな。それに、始まってしまえば、ここら辺も一瞬で飲みこまれてしまうかもしれない」
正面に広がる森をジッと睨みつけていると、背後から走り寄ってくる足音が聞こえたため、青年は振り返る。そこにいたのは、老齢の女性――村長の妻であった。
「遅くなってしまってごめんなさい。“動ける者は”全員広場に集まったわ」
「わかりました。それならここはオレに任せて早く行ってください。守る人数が多過ぎると、オレ一人じゃあ手がたりなくなってしまいますから」
青年がここに残るのは、彼女たちについて行けない者たちを守るためであった。
「ええ、村のことは任せたわ。……ごめんなさいね。残った者の中で一番強い、“一番血が濃い”というだけで、未成年のあなたに全てを押し付けてしまって」
「いえ」
村長の妻は去り際に、青年に向かって謝ると足早に村の広場へと戻る。そして、そこに集まっている女性や小さな子どもを引き連れて、南にある村の出口へと向かって行く。
青年は彼女らの後ろ姿が見えなくなるのを確認すると、「はぁ」と溜め込んでいた息を吐きだす。
「“戦場”に連れていかれた大人たち、あの人、いろんな人に託されてんだ。今すぐにも逃げ出したいけど――気合、入れないと」
今まさに北の平原に布陣している自国と攻め入ってきている敵国との争い、その余波がこの村には届かないであろう。そんな期待をするほど、そんな希望を持つほど、青年は幼くはなかった。
「……」
その音は普段であれば、けっして気がつかないような小さな音であった。おそらく、小動物がたてた音だと思い、見逃していただろう。
だが、今は背後の村に動ける者はいない。加えて、信じられないほど鋭敏に神経も研ぎ澄まされている。今の自分であれば、些細な違和感であっても見逃さないであろうという自負が、この時の青年にはあった。
――ポキッ
青年が来る戦闘のために、身体を伸ばしていると森の木陰から小枝の折れる音が聞こえた。
「誰だ!! 今すぐ姿を見せろ!!」
青年は地面に突き刺していた短槍を引き抜いて、音がした方に向けて構える。
「(誰だ!? 音からして人であることは間違いない。だけど、父さんたちが戦闘も始めてないのに間者の侵入を許すだろうか? いや、……ってことは――)」
――自分より強い大人たちが、捕捉できないほどの強者が自分の目の前にいる。
青年は一つの可能性に思い至る。
――カタカタ
青年は短槍を構える自分の手が震えていることに気がつくと、苛立たしげに舌打ちをした。
「(くそっ一か八かだ!!)」
青年は決心をすると、音がした木陰に向けて一歩踏み込みながら発声する。
「――瞬動!」
青年はスキルを発動させると、何者かが身を潜めている木にまで、瞬間的に接近する。
「そこだぁ!!」
そして、木の裏側に入るや否や、移動の勢いを殺さずに自慢の短槍を無我夢中に突き出した。相手が潜んでいる位置などは全く把握していない、本当に一か八かの攻撃だ。
「うわっ!? ……って、まず――」
突き出した短槍に手ごたえはない。
「(当たっていない!! 運の良いやつだ。だが)」
偶然だろうか、青年の短槍は不審者に首一つの動きで避けられていた。しかし、その“高い声”を聞いて相手の無力化には成功しただろうと青年は確信していた。
魔術師が自分を傷つけられるほどの魔法を使うためには、ある程度の時間が掛かるということを、青年はよく理解しているのだ。しかし、
「っ――!」
相手と同じ木陰に入って一拍もおかない内に、突如として背筋を怒涛の勢いで這いあがってくる悪寒を感じ、青年は自分でもわけもわからないまま大きく飛びのく。
後に思い返しても、この行動の直後にどういった原理であのようなことが起きたのか、青年にはわからないままであった。彼が唯一理解できたのは、その“結果を見て”自分が誰かから攻撃されたということだけ。
――ザクッ
その異音は、青年が直前まで立っていた場所のすぐ近くにあった大樹から届いていた。大樹には、ある高さのところに深々と切り込みが入っていた。
そんな大樹を棒立ちで眺めていた青年は、あることに気がついて自身の背筋が一層と冷たくなったのを感じる。
「(あの幹、ちょうどオレの首があった高さのところで……。あの威力、おそらく第三位階の魔法だ。俺では無効化できない位階の魔法……)」
身震いする青年の視界に、ふとこの場から逃げようとしている人影が映った。
「動くな!! 杖や魔導書に触ろうとしてみろ! 詠唱をせずとも殺すぞ!」
青年はスキルを使用して、すぐに間合いを詰めると茶色のローブを着た不審者に向かって短槍を突き出した。青年は目の前の相手に1割、周囲に9割の意識を向けている。目の前の人物ではなく、周囲に多く意識を割いたのは、先ほどの攻撃がこの場に姿が見えない第三者からの攻撃と認識しているためであった。
青年が槍を向けた相手はフードで顔を隠しており、その顔は口元までしか見えない。その口元までしか見えない顔を見た青年は、目の前の人物が女性であるという自分の考えに確信を持った。
「向こうに向かって足早に、しばらく進め」
さきほどの攻撃を仕掛けてきた者から遠ざかるため、青年はすぐにこの場から逃げ出したい気持ちを抑えながら指示を出す。安全と思われる場所まで移動すると、青年は目の前を歩く人物に向かって立ち止まるように命令を下した。
「あの、私は怪しい者じゃ――」
「次、オレの質問に答えるとき以外に口を開いたら詠唱とみなす!」
「えぇ」
理不尽とも思える指示に思わず、声が漏れたため、青年が短槍をカタッと首元に向かって僅かに動かす。
「……」
短槍の動きを察知した怪しげな人物は黙る。
「まず、フードを外して顔を見せろ。……。……。――っ!」
フードを外した怪しげな人物を見た青年は、自分の全身に力が入るのを感じた。周囲に向けていた意識は、その全てが一瞬のうちに目の前の相手へと向けられた。
「“精霊人”……なのか?」
青年が口にしたのは、自分なんかとは比べものにならないほど、圧倒的な力を持つとされる者たちの呼び名だった。
「……ああ、髪のせいでたまに勘違いされるのですが、違いますよ。私は精霊人ではありません」
「(……たしかに、あの独特な雰囲気は感じない。それにこの女性が精霊人なら、オレなんかの指示にただ従うこともなく、この状況から逃げ出したり、反撃したりできそうだよな。でも、なんなんだ? この、肌が騒めくような不気味な気配は。限りなく、とても限りなく可能性は低いが、もしかするとさっきの攻撃は……)」
腰にまで届きそうな長い黒髪を携えた要注意人物に対して、青年は警戒心をさらに強めた。青年が目の前の人物が、さきほどの攻撃を仕掛けてきたことに対して、可能性が低いことだと断定したのには、大きく2つの理由がある。1つ目は、あれほどの効力を持つ魔法を発動させる暇がなかったこと。2つ目は、魔法の発動に必要不可欠な動作が何一つとして確認できなかったことだ。
「お前は帝国から来た間者か?」
目の前の怪しい人物が、何かを誤魔化すそぶりを見せたら、迷わずに殺してしまおうと決意を固めてから青年は質問をした。
「かんじゃ? ……いえ、どこも病気は――ぁ、そっちのことか。……違うと思いますけど」
「……?」
まるで、自分ではない誰かに向けたかのような言葉が挟まったことも気になったが、何でそんなことを聞いて来るんだと言わんばかりの回答をされた青年は、眉根を寄せる。というのも、目の前の怪しげな人物の回答はまるで、
「(まるで、これから戦争が始まることを知らないみたいだ。どういうことだ? 誤魔化すにしても、本当に間者ではないにしても、もう少し言い様がありそうなものだが)」
「……では、何でこんなところにいるんだ?」
「王都に用事がある、から?」
「……」
なぜか首を傾げながら答える不審者をみて、真剣に質問をするのがバカバカしくなってきた青年は、思い切って自分が懸念していることをストレートに聞いてみることにした。青年も目の前の人物ばかりに気を取られているわけにはいかないのだ。
「これから、北の平野でセミファリア王国とイクスティンツォ帝国の大規模な戦争が始まる。村に立ち寄った兵士によれば、相手は魔術師とスキル保持者を中心とした部隊で、その数は三千人を超えているそうだ。帝国には届かないが、王国も各地から魔術師やスキル保持者を集めて軍に編成している」
「――!」
青年の言葉が意味すること、これから大規模な戦争が起こる、という話を聞いた黒髪の人物は、驚いて目を見開く。
「お前はこの村に危害を加える者か?」
黒髪の不審者は視線を落として口元でボソボソと何かを呟いた後に顔を上げて、
「……村にもあなたにも、危害を加える気はありません。ここに立ち寄ったのは偶然で、村を見ていたのは全体的に異様な雰囲気に包まれていたからです。……そうですか、戦争が始まるところだったのですね。その、私からも質問をしてよいですか?」
ゆっくりと頷いた青年に対して、黒い髪を携えた人物は「ありがとうございます」と礼を言う。
「それほど大人数の魔術師やスキル保持者を動員した戦争となれば、戦地の目と鼻の先にあるこの村が被害を免れるのは恐らく難しいでしょう。どうして、子どものあなたがココに残っているのですか?」
青年に質問をした後、人気のない静かな村の方へと視線を向ける。
「……村には怪我や歳のせいで遠くまで移動できない人たちが残っている。戦争に連れていかれた大人を除けば、まともに神秘の力を使えるのはオレだけだ。だから、残っている。守りたいから残っているんだ」
「守りたい……。一人で、守るのですか?」
それは至極当然な質問であった。
「それは――」
青年は言葉を詰まらせてから、意志のこもった瞳で「はい」と力強く答えた。
だが答えてすぐに、青年は少し前の「守りたい」という発言と、今の回答が矛盾していることに気がつき、また目の前の人物もそれに気がついていることに思い至り、向けていた短槍をゆっくりと下ろした。虚勢を張っていることすら、見透かされていそうで、これ以上対峙するのが気まずかったからだ。
「あなたの『この村に危害を加えない』という言葉を信じることにします。早くこの場から立ち去ってください」
「……いいのですか?」
その言葉が「一人で村を守ること」、「短槍を下ろしたこと」のどちらに向けられたものなのかは、発した本人にしかわからない。
「オレには、あなたが嘘をついているようには見えませんでしたから。……この村の大部分の人は、南東の平野を超えた先にある、“仮設の村へ一時的に非難”しています。もし、避難先がないのなら足を運んでみてください。オレの名前を出せば、誰かが指揮を取っている人のもとへと連れて行ってくれるはずです」
「……」
青年は自分の装備品の一つをベルトから取り外すと、
「オレは“カッシン”といいます。……それと、接近戦用の武器を持っていないみたいなので、よろしければこれを」
青年――カッシンが突き出したのは、鞘に収まったナイフだった。ナイフの柄には小さな三つの石がはまっている。
「魔導具なので、スキルが使えなくてもある程度のスキル保持者には傷をつけることが可能です。魔術師が持つ“魔法付与専用の魔器”のように……とはいかないと思いますが、第二位階までであれば、一瞬ですが魔法の付与も出来ると思います」
「魔法……やはり勘違いされていたんですね」
「――? 勘違い、ですか?」
カッシンには自分が何を勘違いしているか、まるで見当がついていなかった。
「私は男ですよ。もちろん、魔術師でもないので魔法も使えません。……なので、そのナイフを、あなたの身を守る道具を受け取るわけにはいきません。それに、私にもこれがありますから」
「……」
そう言ってローブの中、腰の辺りから取り出したのは一本のナイフだ。カッシンのものとは異なり、鞘への装飾などは施されていない。
自分のことを男だといった不審者は、カッシンが反応を見せないのを見て何を思ったのか、「見せかけじゃなくて、ちゃんと戦えますよ」と言って何度かナイフを振ってみせる。その動きはとても滑らかで、たしかにその言葉通り、ナイフを使って戦闘ができるということを示せていた。
「……」
一方で、カッシンはと言うと、目の前の自称男性の顔をジーッと見たまま固まっている。
「えーっと、大丈夫ですか?」
「……あ、はい」
気遣われる言葉で我に返ったようで、カッシンは差し出していたナイフを引っ込めて、元しまっていた場所へと戻す。
「(この人が男? よく見ても、全くそうは見えない。……だけどそんなことで嘘をつく必要もないし、本当に男の人、なのか? いや、嘘をつく理由が一つ――)」
カッシンが自称男性の全身を下から上まで順に見ていた時だった。
――ダァーン
唐突に辺りに響いた爆発音は、北にある平野からのものだ。そうとう大きな力がぶつかったのか、衝撃は森にまで伝わり、木々が騒めいている。
「――始まったみたいです!! 時間がありません! あなたはもう行ってください!」
その言葉を受けた自称男性は、外したフードを被りなおす。
「……。避難先の情報などを教えて下さり、ありがとうございました。……すでに承知しているかもしれませんが、もし誰かと戦うようなことがあったら『ここで、全てが決まる』という瞬間には、スキルだけに頼らないでくださいね」
「――?」
「大気中にある大魔源の枯渇です。戦争の規模が大きくなればなるほど、一定領域内で神秘の力が使用されればされるほど、それが起きる可能性は高くなりますよね。当たり前のことですが、必死になるほど忘れやすくもありますから」
「――ぁ、はい」
返事をしたものの、カッシンには目の前の相手が言っている言葉が、よく理解できていなかった。フードを被った彼は常識だとばかりに言葉を続けていたが、カッシンはそのようなことを一度も聞いたことがない。
「あの、最後に、もしよかったらなのですが……あなたの名前を教えてはくれませんか?」
人生で最後に出会った者、会話をした者の名前ぐらいは知っておきたいと思い、カッシンは尋ねる。
「ああ、そうでした。私はまだ自分の名前を言ってはいませんでしたね。私の名前は――“エスト”といいます」
黒髪の不審者――エストは最後に「では」と言うと、南東に向かって走り出した。みるみるうちにその背中は遠ざかっていき、すぐに木々に隠れて見えなくなる。
カッシンはその後ろ姿を最後まで見送った。




