第二章18話 『舞台袖の下り階段』
王城の庭園にある隠し扉から、地下に下ったその場所で、エストとティアリスはガレスから自分たちが置かれている状況について話を聞いた。
「不死身であったはずの国王陛下の崩御、それに伴う王城の指揮系統の乱れに、城門の封鎖。加えて、献上品に関わった使用人を狙うアークフェリア伯爵家の暗殺者集団、ですか。……これは予想していた以上に」
「……」
エストはガレスから聞いた話を反芻して、眉をひそめる。それは話の中に、エストとティアリスの状況を今より好転させるものが何一つとしてなかったからだ。ティアリスはガレスから“ある話”を聞いてからというもの、ずっと目を伏せている。
「そろそろ王城の近くにまで、次の追っ手が来ていることでしょう。ここが見つかる可能性もあります。あなた方は、先ほど私が説明した道――この通路を進んだ先にある階段を下って、ひとまずは王都の外に。その後は……わかっていますね? アークフェリア伯爵家が有する情報網は非常に強固で、至る所に行き届いています。ですが、それも国内に限った話。つまり――」
ガレスから聞いたその後の行動を思い返して、エストはゆっくり、ティアリスは力なく頷いた。
「……あの、ガレスさんはこの後、どうされるのですか?」
ティアリスは顔を上げて、老執事に尋ねる。そのようなことを聞かれるとは思っていなかったのか、ガレスは驚いたように何回か瞬きをすると、
「まだ、王城での用事が残っていますから。……ああ、それと、あなた方が付けているブローチを預かってもよいですか? とても貴重なモノなので、持っていかれると困ってしまうのですよ。もののついでに、私が王城の関係者に返却しておきます」
と、いつもと変わらない平凡な口調で言う。
“アークフェリア伯爵家を裏切った”
話の中でそのようなことは一切口にしなかったガレスだが、エストとティアリスは目の前の老執事が、アークフェリア伯爵家の新しい当主であるカイリの命令に背いていることは薄々感じていた。
エストとティアリスの二人は、食事会に参加する際に、国王――レオノールから渡されたブローチをガレスに手渡した。
「……どうして、私たちを助けてくれたのですか?」
「どうして、ですか。理由は特にありませんよ」
「……」
ティアリスはガレスの返答を聞いて、困った顔をする。というのもエストに伝えた通り、ティアリスがガレスと話したのは、今日が初めてであり、なぜアークフェリア伯爵家に逆らってまで自分たちを助けてくれたのかが、皆目見当がつかなかったからだ。
「あの、私に、何かできることはありませんか?」
「……そうですね」
そう言ったガレスは、考え込むようにティアリスから視線を外した。
「――と、本当はこうして考える素振りなどする必要もなく、私があなたに望むことは決まっているのですが」
ガレスは一度、エストに視線を向けてから短く笑った。
「エストさんと共に、セミファリアの外まで無事にたどり着いてください」
「……それは」
“それはガレスさん自身の望みではないのではないか?”
そんな言葉が、口から出かかったティアリスだったが、自分のことを真っすぐに見ている老執事の真剣な目を見て、口を閉じた。
「心配せずとも、これは私の望みですよ。それに、あなたにしか出来ないことでもあります。……さあ、そろそろ本当に行かないと時間が無くなってしまいますよ」
「……はい、そういうこと、でしたら。それと改めて、色々と教えていただきありがとうございました」
「私からも……ありがとうございました。お嬢様のことは私にお任せください」
頭を下げた二人に、ガレスはゆっくりと頷いた。
ガレスから灯りの点いた松明と予備の松明を受け取ったエストとティアリスは、最後にもう一度ガレスに頭を下げた後に、入ってきた方向とは反対、さらに下へと続く階段へと向かったのだった。
◇◇◇
律儀にもう一度、こちらに向かって頭を下げた二人が、背を向けて通路の奥へと歩いて行く。
先導する若い執事が掲げている松明の小さな灯りが、すっかり見えなくなるまで、老執事は二人が歩いて行った通路を祈るように見続けていた。
「(私も急がなくては)」
二人から預かったブローチが、確かに掌に収まっていることを確認すると、老執事は地上を目指して走り始める。スキルで強化した身体能力をもってして移動を始めた老執事は、階段を上り、隠し扉にまでたどり着くと、慎重に外の様子を探る。
「(……人の気配はありませんね。どうやら、開けても大丈夫なようです)」
老執事は念入りに、外の様子を探った後にようやく隠し扉を開いて、夜更けを控えた王城の庭園へと戻った。
地下から、王城の庭園に戻った老執事は身体を休めることなく、すぐにその場から走って移動を始める。老執事は周囲に最大限の注意を払いながら、本日二度目となる道を通って目的地へと向かう。
「(よほど、指揮系統は混乱しているようですね。それとも、陛下の死を重く見過ぎた誰かの指揮により、慎重になり過ぎているのでしょうか? どちらでもよいですが、建物の外に人が出てこられないというのは、私にとっては好都合ですね。……おそらく、彼らにとっても、でしょうが)」
老執事は歩廊を渡り、ついに目的地にたどり着いた。
老執事の目的地、それは今しがた瓦礫の山となった建物――大広間を有するセミファリア王国、王城の別館であった。
老執事は瓦礫の山にまで近づくと、二人から預かったブローチに手ごろな大きさの瓦礫で傷をつける。それが済むと、老執事は今まで大切に持っていたブローチを握り潰した。
幾つかの破片に分かれたブローチを、老執事は大広間があったと思われる場所に積みあがる瓦礫の下へと、放り込んだ。瓦礫の隙間という隙間からは死臭が漂って来ている。
「(月が雲で隠れて、よく見えませんが、この辺りは赤く染まっているのでしょうね。時間があれば、救助をしたいところですが――)」
老執事は瓦礫の山を離れて、石敷きの歩道へと戻ると、こちらへと向かってくる5つの影をじっと見つめる。
「――!? ガレスさん……なんで自ら出て来たんだ? 時間の問題とはいえ、オレたちはまだあんたを見つけていなかったんだがな」
老執事が見つめる先にいたのは、男が三人に、女が二人。みな別人であるとはいえ、そのパーティー構成は、王城に入る前に倒した者たちと同じだ。
「と言っても、あんたの様子から察するに“献上品を運んだ二人の生死を確認する”というオレたちの用も済んだと言っていいのかねぇ。オレたちが結界を一時的に無力化している間に、どさくさに紛れて城壁を越えたのなら、ここに到着してからさほど時間も経過していないはずだ。であるにも関わらず、辺りに他の人間の気配が無いとなれば――」
「てっきり、私の居場所はすでに捕捉されていると思っていました。これでも観念して、あなた方の前に出て来たのですが。……どうやら、私はあなた方の力量を過剰に評価していたようです」
老執事は相手の言葉を遮って喋る。老執事のその様子は、相手からしてみれば、思い出したくもない現実――助けに来た“献上品を運んだ二人”の死という現実、から逃避しているように見えたに違いなかった。
「情けない話だが、あんたの言う通りだ。オレたち五人では、あんた一人に太刀打ちできねぇ。……だが、こんなことは知っているか? ――あんたが逃がした使用人のほとんどは既に息絶え、奴らを追っていた同朋はカイリ様の命に従って、あんたの捜索をすでに始めているということを」
「――!?」
老執事はたった今、その可能性に気がついたとでも言わんばかりの態度をとって、周囲を見渡す。老執事が周囲に目を向けると、そこには五人組のまとまりが幾つか見えた。
「(想定していたよりも多そうです。最悪でも、王城の兵士たちが、こちらに向かってくるまでは時間を稼がなくてはいけませんね。それまでの間、戦いを引き延ばすことが出来れば、表立って姿を晒せないこの者たちが、堂々と瓦礫の中を散策することは難しくなり、よりたくさんの時間を稼ぐこともできるでしょう)」
老執事は少しの間、目を閉じて集中力を高める。死の淵に望んでいる今、老執事の瞼の内に移るのは、少し前に見たばかりの光景だった。
“一つ、あなたに知っていてもらいたい話があります”
“――?”
“レストリア様はあなたのことを大切に思っていました”
“……”
“レストリア様は変わられました。あなたの記憶にあるのは、変わってしまった後のレストリア様だけかと思います。ですが、確かにレストリア様はあなたを大切に思っていました。それをどうか、心の片隅でもいいので、留めておいてはくれませんか?”
老執事は目を開けて、戦闘態勢をとる。
「(私は守ることが出来たのでしょうか? ……きっと、そうできなかった時、気がつけなかった時の方が多かったのでしょうね。つい最近も……。だから、最後こそは必ず――)」
死臭に満ちた王城の片隅で、老執事の戦いが火蓋を切ったのだった。
◇◇◇
「ガレスさんの話だと、これぐらい下りてくれば見えるという話でしたが」
自分の後ろを歩く主に意識を向けながら、エストはゆっくりと階段を下っていた。通路には、エストが手に持っている松明以外に光源がなく、数歩先は暗闇だ。また、階段は途中で何度か曲がりくねっており、その終わりが見える気配は一向になかった。
「あ、エスト君、あれではないですか?」
エストは自分の後ろについて、階段を下りてきているティアリスが指さす方を、持っていた松明で照らす。すると、見えてきたのは幅の狭い一本の脇に逸れる道だ。今まで下りてきた階段の幅は、大人二人が横に並んで両手を広げられる位の広さがあったが、ティアリスが見つけた道は、その半分ほどの幅しかないように見える。
脇道に入ることが出来る場所まで階段を下りてから、エストとティアリスは奥を覗いてみる。松明で照らした先には傾斜がなく、まっすぐに道が続いているようだった。
「ガレスさんが言っていた“レグナント郊外の森まで伸びている道”、で合っているのでしょうか?」
レグナントは王都からみて西側にある街だ。また、エストが冒険者活動の拠点としていたガナウの近くにある街でもある。
「傾斜もありませんし、おそらく合っているとは思いますが、進んでみなくてはわかりませんね。松明ももう少しで変えなくてはなりませんし、この辺りで休憩にしましょうか」
エストの提案にティアリスは頷いた。エストとティアリスの二人は階段に並んで座る。二人の現在の持ち物は数本の松明と、国王から貰った金銭、ティアリスの小杖しかない。
「(王城の地下が、こんな複雑な造りになっているなんて知らなかったな。でも、何でこんな大がかりな通路を作っているんだろう? 逃げ道を作るだけなら、他にも作り様がありそうだけど……。これから向かう脇道ではなく、この階段を降り切った先は王城の北にある森に繋がっているとガレスさんは言っていたけど、本当にそれだけなのかな? ガレスさんが知らないだけで、他にも――)」
エストは下に下に続いているであろう階段を眺めながら、思索に耽っていた。
◇◇◇
――ガナウの近くにある街レグナント、その北に広がっている森。
盗人さえ入り込まないほどボロボロな廃墟の裏手で、エストはしゃがみ込み、そこに置いてあるモノを拾い上げた。現在は真夜中であるため、周囲の様子はよくわからない。
「(あった、あった。指示を出してくれたガレスさんもそうだけど、ここまでコレを持ってきてくれた人にも、ちゃんとお礼をしたかったな。時間的にはまだ近くに……いや、流石に徒歩でここまで来てはいないか)」
エストはガレスから聞いた「献上品に関わった使用人の一人に運ぶのを頼んだ」という話を思い返す。
「(うん、中身もそのままだ。……あ、そっか。着替えもあるんだった。それに一本だけだけどナイフも)」
エストが拾ったモノ、それはエストとティアリスが王城に向かう際に馬車に積み込んでいた荷物。つまり、二人がアルトリウスから持ってきていた荷物だ。
「(よしっ、目的は達成したし、すぐ“下”に戻ろう)」
来た道を戻る形で、エストは廃墟の周囲をグルリとまわり、ボロボロな建物の中に入る。
この建物は以前、飲食店であったらしく、表側には木製の看板が斜めにぶら下がっている。随分と前から整備がされていないからか、表面に彫られた文字などは風雨なでの影響により掠れて判別がつかない。
「周囲には……たぶん、誰もいないかな」
エストは慎重に辺りの様子を探った後に、室内でかろうじて飲食店であった時の名残を残しているカウンターの内側に入り、その床を特定のリズムで叩く。すると少しして、カタッという音とともに床が持ち上がった。




