第二章16話 『リスタート・リスタート』
――別館が崩壊する直前のこと。
「――うっ」
王城内にある庭園内に設置された東屋の柱から、一人の男が胸を押さえながら立ち上がる。
「(この、全身を絶え間なく刺されているかのような痛みは呪いのせいか? 本当はもう少し休んでいたいところだが……。移動して、ガレスに連絡を入れなくてはいけないな)」
男は東屋がある庭園から、王城の建物に向かって歩き始める。そう見えるように装っているのだろう、男の足取りは痛みを感じていることなど、一切感じ取れないほどに自然だ。
男は手首にはめた通信用の魔導具を起動させる。
「ガレス、緊急事態だ――」
男はガレスという人物と、しばらく話をしていた。そこに、
「カイリ君!」
王城の建物から男の姿を見かけたのか、一人の女性がこちらに向かって走ってくる。二人の距離はある程度離れており、男とガレスとの会話は決して届いてはいないだろう。
「――それでは切るぞ」
カイリはそう告げると、返事を待たずに通信を切った。女性がカイリの近くにたどり着く。
「……カルサンスさん? そのように慌てて、何かあったのですか?」
カイリの名前を呼んだのは、国に仕えている宮廷魔導士――マリベル・カルサンスであった。
マリベルはカイリより幾つか年齢が上で、長く茶色い髪をした宮廷魔導士であった。背丈ほどの大きな杖を持っているマリベルは、長い間走っていたのか肩で息をしており、顔色も悪い。
「レストリア様が倒れたと連絡が入ったの!」
マリベルは叫ぶようにその事実を伝える。
「それは本当ですか!?」
「私も今から向かうところだから詳しい状況はわからないけど、ソニアが先に向かっているわ」
「ソニアさん、ですか」
カイリはマリベルと共に、庭園から王城の建物内に移動する。
「ソニアはカイリ君がいない時に来た新人の宮廷魔導士よ。未成年の魔術師だけど、“白姫”でもあるから……カイリ君?」
「……」
話の途中から、反応が無くなったカイリに違和感を覚えたマリベルは後ろを向く。マリベルの視線の先には、立ち止まって何もないただの壁、進行方向右手の壁を凝視しているカイリの姿があった。近くには窓もなく、外の景色を見ていたというわけでもなさそうだ。
「あぁ、すみません。父が倒れたと聞いて気が動転してしまったので、落ち着こうと」
壁から目を離したカイリは正面を向く。
「まさか、光属性の補助魔法において一番の使い手であることを示す、白姫の英雄称号を持つ方がいるとは思わなかったので驚きました。――私もカルサンスさんに着いて行っても構いませんか? 私に出来ることは何もないかもしれませんが、父の側にいたいのです」
「ええ、私も偶然カイリ君を見かけて、案内するつもりで声をかけたんだから問題ないわ。……行きましょう!」
その場から走り出して数歩、二人は地鳴りのような音と地面の揺れを感じた。先を走っていたマリベルが思わず立ち止まる。
「今の揺れは!? ……別館の方からの揺れに感じたけど」
「私にもさっぱり。ですが、ここで考えていても原因はわかりません。考えてもわからないことを考える前に、先に進みましょう。……今、王城にいる宮廷魔導士はカルサンスさんと“デュランさん”の二人だけです。先に向かっているデュランさんに手を貸すことが出来るのは、カルサンスさんしかいないのですから」
「そ、そうよね。レストリア様の治療の手助けに入ることが最優先よね。ごめんなさい、無駄な時間を取ったわ」
そう言うと、マリベルは再び走り始めた。
「……」
走って行くマリベルの背中を少し見つめていた後に、カイリはその背中を追いかけた。
――しばらく走った後、マリベルとカイリの視線の先に、レストリアが倒れたという現場が見えてくる。
現場となったレオノールの私室の扉は開かれたままになっており、中からはすすり泣くような声と男の大きな声が聞こえる。その二人が何を言っているのかは、部屋へと向かっているマリベルとカイリでは聞き取れなかった。
「そんな……」
先にたどり着いたマリベルは部屋の中を見て、開け放たれた扉の前で立ち尽くす。カイリもすぐにマリベルに追いつき、部屋の中の光景を見ることとなった。
壁際に立つ数人の使用人以外に部屋の中にいたのは、魔導書らしき本を抱えて床に座り込んでいる宮廷魔導士の“ソニア・デュラン”、窓の外と室内を交互に見ながら、通信用の魔導具に慌ただしく指令を送っている国王の側近“ルーカス・グランデ”、床に仰向けの状態で並んで寝かされているレオノールとレストリアの姿だった。
レオノールとレストリアの二人は寝かされたまま、ピクリとも動いていない。誰が見ても、こと切れているのは明白だった。
「お父様っ!!」
立ち尽くしているマリベルの横を抜けて部屋の中に入ると、カイリは寝かされているレストリアのもとまで一直線に向かう。
「お父様! お父様! しっかりしてください!! デュランさん、早く回復魔法を! このままでは父が――」
カイリが続けようとしている言葉を聞きたくないとばかりに、少し離れたところに座り込んでいるソニアはブンブンと首を横に振った。彼女の長い薄緑色の髪が首を振る度に乱れる。
この時に初めて、カイリは彼女が目を真っ赤に腫らしていることに気がついた。
「――っ。ダメ、なんです。レストリア様と陛下は、もう……。命が尽きてしまった人に、回復魔法は……」
「そんな! それなら、父は……」
カイリはレストリアのすぐそばで“顔を伏せてうずくまった”。カイリの周囲には、レストリアとレオノールの遺体しかない。
「なに、別館にいた者たちの誰とも連絡がつかないだと!? 陛下だけではなく、まさか王子たちも……。 ――。――。いや、それはダメだ! わからぬのか? 今、城内にいる者たち全員が疑わしいのだ! 決して、どの家の使用人にも単独行動はさせるな! 別館への“救援”は現在、王城内にいる兵士たちのみで行うのだ!」
部屋の中に一瞬だけ生まれた静寂も、窓際で通信用の魔導具に向かって怒鳴っているルーカスのしわがれた声で吹き飛んだ。
「城内の守りを固める部隊とは別に、スキル保持者を中心として、別館へと向かう部隊を急ぎ再編成しろ! だが、わかっているな? 決して、兵士たちにも単独行動を許すな! 加えて、どんな人間であれ、城内への侵入を許すではないぞ! 全ての門を複数の兵士で固めるのだ!!――わかったな?」
ルーカスは強く念を押すと、魔導具を切る。
「……」
ルーカスは寝かされているレオノールのもとへゆっくりと向かう。レオノールの顔を少しの間、見つめていたルーカスはその手をそっと握った。
「……っ。なぜ、神は陛下のご加護を。 神はこの国をお見捨てになったのか?」
レオノールより幾つも年齢が上であるルーカスは、普段以上に顔をしわくちゃにして涙を流していた。
「……ありがとうございました、陛下。私もこの難局を乗り越える覚悟を決めようと思います。――カイリ殿、着いて来ていただけますか?」
「はい」
ルーカスは涙を拭うと、うずくまっていたカイリに声をかけて、共にソニアが座り込んでいるところまで移動をした。
「……次席殿もこちらへ」
「は、はい」
次席殿とルーカスに呼ばれるまで放心していたマリベルであったが、彼に呼びかけられたことで現実に引き戻される。
「……?」
マリベルは重い足取りで部屋の中に入り、ソニアの近くに腰を下ろそうとしたが、その直前に“ありえないもの”を見たような気がして、日が落ち暗くなっている窓の外の風景をジッと見る。
「――!!」
マリベルが見た“ありえないもの”、それは本来なら見えなくてはいけないものが、見えないという光景だ。日が落ちてしまい見えないのではない、完全に姿かたちがないのだ。
マリベルの動きを見て、何を見ているのか疑問に思ったのか、カイリも窓の外へ初めて視線を向けた。
「グランデさん! 窓の外、別館が……」
「……やはり、アークフェリア殿の件で動揺しておるようですな。今まで、私は魔導具でその対策を指揮していたのですが、一切耳に入っていなかったとみえる」
ルーカスは先ほどより落ち着いていた。
「今すぐ救助に行かないと! 別館の食事会には、王子や王女の他にも多くの貴族たちが――」
「なりません。兵士の編成が済んでからです」
ルーカスは淡々と、動揺している様子のカイリに告げる。
「それなら、それまでは私が手の空いている者と行って――」
「……カイリ殿」
ルーカスの声はそれほど大きくなかったが、部屋に響き渡った。
「陛下がお隠れになられたのと時を同じくして、別館が倒壊しました。現状では、どちらも人為的に引き起こされた可能性が濃厚です。目的がどちらであれ、この二つの信じがたい出来事を、結びつけて考えるのは当然でしょう。……この状況下で自ら進んで単独、もしくは少数での行動をするようであれば、証拠隠蔽・逃亡の疑いであなたを拘束しなくてはなりません」
諭すような口調で、ルーカスはカイリに告げる。彼の言葉はカイリだけではなく、近くの二人――マリベルとソニア、それと部屋にいる使用人たちにも向けられているようであった。
「……ですが、それでも!」
「……」
ルーカスはそれ以上の言葉を発しない。カイリの一挙一動をただ見つめるだけだ。
「……っっ。……、……」
「ご納得いただけましたね? それでは、次の話に移ります――」
カイリはもうルーカスの言葉に反抗はしなかった。
「――これから私たちは全員で大食堂まで向かいます」
「……大食堂、ですか?」
涙を堪えながら、か細い声でソニアは尋ねる。
「現在、城内にいる者たちを大食堂に集めています。まずは、そこに陛下とレストリア殿、それとカイリ殿をお連れします。……わかりましたね?」
ルーカスの言葉に三人はゆっくりと頷いた。
「次に私と次席殿、七席殿はそれぞれの現場へ向かいます。詳細は兵士や魔術師たちを集めている場にて説明しますが、次席殿には王城の周辺警備・不審者の捜索を、七席殿には別館にて負傷者の治療をしていただくことになるかと思います。私は冒険者ギルドに連絡を入れた後に、残りの兵士を連れて城内の警備・不審者の捜索をおこないます」
言葉が終わったところで、三人は再び頷いた。
「では、私は彼女たちにも指示を出してきますので、少しお待ちください」
ルーカスは立ち上がると、部屋にいる使用人たちを見て、一人一人に「あなたはグラスを、あなたは大皿を……」と言ってテーブルの上にある食器を割り振り始めた。そして、誰が何を持ったのかという覚書を懐から出した羊皮紙に記す。
「今、私が言った通りのモノを持って、あなた達も食堂まで着いて来て下さい。……毒物の反応が出たのはグラスとその中身だけですが、念のために可能性があるものは持っていきます。後で調査班が回収に行くまで、責任を持ってあなたたちの一人一人が管理をしてください」
ルーカスの言葉に使用人たちは「はい」と了承の意を示し、頭を下げた。ルーカスが使用人たちに指示を出し終わったことを確認したカイリは、立ち上がって彼の近くに行く。
「グランデさん、……私が父を連れて行っても構いませんか?」
「ええ、もちろん最初からそのつもりです。私は陛下をお連れします」
「ああ、あと少しだけ廊下に出てもよいですか? 家にいる使用人に父の訃報を伝えたいのです」
「それはできません。現状、通信用の魔導具の使用は、原則として禁止していますので。兵士たちにも魔導具を使用している者には、注意や捕縛をするように命令しています」
部屋の中にいるほとんどの者たちが行動を始めた一方で、未だに座り込んだままで動けない者たちもいた。一人は自責の念に駆られている者。もう一人はそんな同僚を慰めている者だ。
「……っ、……っ」
「ソニア、私にも聞かせてくれるかしら?」
マリベルは柔らかな口調で、再び涙を堪え切れなくなった同僚の少女に語り掛ける。しかし、マリベルはソニアから“聞く”内容は言わなかった。
「……。……部屋に入ったとき、レストリア様はすでに……でしたが、陛下は、……意識を失っているものの、まだ微かに息があったんです」
たどたどしい口調で、ソニアは自分が体験した出来事をマリベルに話し始めた。ソニアの声は今にも途切れてしまいそうだ。それに、ソニアの中で今日の出来事が上手く整理できていないのか、話は不明瞭だ。
マリベルはすすり泣きながらも、懸命に話を続けようとしているソニアの近くに座り、その背中を優しく撫でている。
「……わたし、今日に限って王城にいなくて……っ。わたしが魔法陣を展開している最中に、陛下は……っ。……最期は、とても苦しそうで……。もし、わたしがもっと早くここに来れていれば、陛下とレストリア様はって、……考えてしまって」
ソニアの声は段々と消えるようにか細くなっていく。
「そうだったのね。王城の外にはどうして? ソニアのことだから、ちゃんとした理由があったんでしょう?」
「……城下町で火災があって、第四位階の魔法でしか治せない負傷者がいるから来てほしいって言われて」
「その人は助けることが出来たの?」
その問いかけにソニアは頷いて答える。
「ならよかったじゃない」
予想していなかった言葉が聞こえ、ソニアが顔を上げると、マリベルは柔らかに微笑んでいた。
「でも――」
“――陛下とレストリア様は救えなかった”
そう言おうとしたソニアの頬をマリベルは軽く引っ張る。
「魔法で傷を癒すためには、負傷者の近くにいなくてはいけない。それは最高位の回復魔法の腕を持つ魔術師でも同じよ。わかっているでしょう? それとも――火災の被害者は見過ごして、陛下たちを救えたらよかったと思っているのかしら?」
「……」
「あなたは王城を離れる必要があったから、離れた。そして、その結果として人の命を救った。それは誇るべきことであって、あなたが自分を責めることではないわ。あなたは、するべきことはちゃんとしたのだから。陛下たちのことはただ――タイミングが悪かったのよ」
「……そんな、簡単には割り切れない……ですよ」
「そうよね。時には、するべきことをしても後悔はするでしょうね。でも、今のあなたは後悔ばかりして、これからのことを考えてないように見えるわ。――ソニア」
あくまで怒り口調ではなく、やわらかに。マリベルは目の前にいる少女の名前を呼んだ。
「――別館へ向かう際、あなたが率いる救護班に最低限必要な魔術師の数は考えた? 持っていく魔法薬の量や種類は、兵士が準備したもので万全なのかしら?」
「……」
ソニアは俯いたまま小さく首を振る。
「これらの他にも、いま考えなくてはいけないことは、たくさんあるはずでしょう? あなたも経験した通り、するべきことをしても後悔をする時はあるの。でも、“するべきことをしなければいけない時に、何もしなかった”というのは後悔だけに留まらないわよ。――きっと、あなたをずっと、ずっと縛り続ける鎖になる」
「……」
ソニアはゆっくりと顔を上げた。
「だから、困難な状況であっても、私たちは私たちが出来ることをやりましょう」
「……マリベルさん」
ソニアは涙を拭う。手をどけたその瞳に、少し前までの不安げな陰りは、ほとんどみられない。
「わかったなら、もう大丈夫よね。――さあ、向こうも移動の準備が終わったみたいですし、私たちも行きましょう」
「はい!」
差し出された手を取ったソニアは立ち上がる。
「別館の崩落に巻き込まれた人を一人でも多く救います!」
ソニアはそう意気込んで部屋を出たのだった。




