第一章2話 『アークフェリア』
エストは意識を奪った四人の男の体を縄で縛りつけると、街道の脇にある木陰に寄せる。褐色肌の男には毒を用いたが、それ以外の三人は物理的に意識を奪っていた。
「今まで通り節約すれば一週間ちょっとの間はお金に困らなそうだな」
そんなことを考えてから、まだ残っている悩みの種をエストは見る。エストの目線の先にあるのは白い馬車だ。外の様子を見ることが出来ていないのか、エストのことを怪しんでいるのか、いっこうに中から人が出てくる気配はない。
「誰かが通る気配もないし、放置するわけにもいかないよな。それにしても、この街道でこんなにも交通量が少ないなんて珍しいな」
エストは馬車にゆっくりと近づく。
「すみませーん。外にいた人たちは全員いなくなりましたよー」
エストは馬車のドアをノックしてから、自分が出来る限りの“相手に不安を与えない声”を出して相手の返事を待つ。
「……」
馬車のどこかからカチャと小さな音がする。しかし、馬車のドアが開く気配はない。
「(隠し窓で外の様子を確認しているのかな?)」
それから、少しして周囲の状況を掴めたのかゆっくりと馬車のドアが開かれる。
馬車の中から出てきたのは、細身で初老の男が一人。男は綺麗な金色の髪をしていて馬車にも負けない豪華な服を着ている。その男はどこからどう見ても貴族だった。
「――っ! ……君は?」
男はエストを見て目を見開いたが、それも僅かな間で少し呼吸を整えると落ち着いた様子でエストに話しかける。
「私はエストと言います。ガナウの冒険者です」
エストは貴族が相手だからといって物怖じせず、最低限の情報を相手に伝える。
「そうか。出てくるのが遅れて悪かったな。この馬車はドアを閉めてしまうと外の様子が分からないばかりか、音もなかなか聞こえなくてな。……君が私を助けてくれたのか?」
男はエストのことを上から下までジロジロと観察する。彼の目線はエストの首から下がっている冒険者の階級を示すプレートの箇所で一瞬だけ止まった。
「確かに周りにいた人たちは無力化させました。ですが……」
エストは血まみれの御者席をチラッと見る。その視線を追って、男もエストのプレートから御者席に目をやる。
「そうか、礼を言うよ。私はアークフェリア家当主のレストリア・アークフェリアだ。それと、彼のことは君が気にする必要はない。あれは私の責任だ」
レストリアは御者の男の元へと向かうと開いたままの瞼を閉じさせる。服が血で汚れるのをレストリアは気にしていないようだった。
「それで、賊の身柄はどこだ?」
レストリアは御者席からエストの元へと戻ってくる。
「向こうの木陰です」
エストは男たちをまとめておいたところにレストリアを案内する。レストリアは男たちの近くまで行くと彼らが生きていることを確認する。そして、左手に付けたブレスレットに向かって何やら喋りかけ始める。
「(通信用の魔導具かな? 流石は貴族、そんなお金のかかるモノを使えるなんて)」
エストは会話を聞かないように、少し距離を取った。それから少しして、
「もう少しで私の家の者が来るだろう。彼らは責任をもってギルドの方に犯罪奴隷として送っておく。もちろん、その際にギルドから受け取った金額は全額君に渡すことを約束しよう」
木陰から戻って来たレストリアは、淡々とした口調でエストに告げる。
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきます。実を言うと、彼らをどうやって移送しようかが悩みの種だったんです」
「それなら言い出したかいがあるってものだ。君は明日もガナウの冒険者ギルドには顔を出すつもりかい?」
「はい」
エストの言葉を聞いてレストリアはにっこりと笑う。
「(何でこんなに嬉しそうなんだ?)」
エストは顔には出さないようにそんなことを考える。
「そうか、では明日にでもガナウの冒険者ギルドに使者を送ろう」
そう言うと、レストリアは空を見上げる。
「そろそろ帰らないと明るいうちにガナウに着かないだろう。君は先に帰るといい」
エストは最後にもう一度レストリアにお礼を言い、忘れずにバッグを回収するとその場から離れた。
◇◇◇
エストはいつも通りガナウに到着してすぐに冒険者ギルドに顔を出す。しかし、薄暗いギルドの中には、朝と同じく誰の姿も見えない。
「(今日はガナウの冒険者を誰も見ていないな。こんな珍しいこともあるのか)」
エストは閑散としたギルドの中を進み、カウンターの向こうを覗きこむ。
「(……いた)」
カウンターの物陰に座っていたギルドマスターと目が合う。
「依頼でとってきた薬草の納品手続きをお願いします」
「……」
今日採ってきた薬草と木製のプレートを、エストはカウンターの上に出す。ギルドマスターは無言でそれらをカウンターの奥に持っていく。少し時間が経ち、
「……」
プレートと報酬を持って帰ってきてギルドマスターが、無言でそれらをカウンターに置く。エストはプレートを首にかけてお金を小袋の中にしまうと、
「ありがとうございました。また、明日来ます」
「……」
エストはギルドから出ると、今朝会った女将の食堂へ向かう。
「あら、思っていたより遅かったわね」
食堂の中に入ると、女将がエストに声をかけてくる。ガナウには飲食店が少ないため、女将は朝から働きづめのはずなのだが、その顔に疲れのようなものはみられない。
「薬草の収集で疲れが溜って、歩くのが知らず知らずのうちに遅くなっていたみたいです」
エストは「ちょっとひと悶着あって」とは決して言わなかった。そのことについて、根掘り葉掘り聞かれることがこれまでの経験からわかっているからだ。
エストは野菜炒めとパンを一つ注文して女将にお金を渡すと席に着く。店の中にはエストの他にこの街の住民が何人か酒を飲んでいるのが見える。長い間、酒を飲み続けているのかどの客も顔を真っ赤にしている。
ほとんどの客が酒を飲む場であるこの食堂だが、エストはここで大きな揉め事というのを見たことがない。酒を飲む者が問題を起こすというのはいささか偏見が強いかもしれないが、客を選ばない――いわゆる大衆向けの、酒を提供する飲食店ではその手の揉め事が多いというのが現状だ。
「些細な揉め事が死に直結する生活……か」
この食堂で揉め事が少ないのは、利用客が全員ガナウの住民であるからだ。さほど大きくないガナウの町では共同体内で孤立することは死に直結する。
それは例えば、農作物が不作に陥った場合。
共同体内で孤立していなければ、比較的豊作だった家から食べ物や税として徴収される作物を提供してもらうことが出来るが、何かしら問題を起こして共同体内で敵視されてしまえば話は別だ。自分の食料を削り周囲の不興を買ってまで、そういった不届きものを助ける者はいない。それが共同体内での暗黙の了解だ。
こういった理由で、ガナウのような小さな町や村という集団では、人付き合いが生きるためにとても重要なものとして捉えられていた。そこで共同体の結束を強める集会の場として使われるのが、こうした飲食店なのだ。
エストがまわりにいる人たちを観察していると、頼んだ料理が運ばれてくるのが見えた。
「はい、お待たせ」
女将がエストの前に料理を置く。
野菜炒めはいつも通り一種類の野菜しか入っておらず、お世辞にも美味しそうには見えない。それに、パンは麦の質が悪いのか異様に黒々としている。しかし、エストはそんなことを気にもせず「いただきます」と手を合わせると黙々とそれらを食べ始める。
「(相手が先にいたら気まずいし、明日はいつもより早めに冒険者ギルドに顔を出しておこう。……ああ、そういえば“アンエレミア鉱”をまた迷宮に取りに行かないとか。あれ、結構貴重だからなるべく使いたくなかったんだよな。使うと割れるし)」
油で怪しく光った野菜を完食して、パンを力強くちぎって食べながら、エストはそんなことを考えていた。
エストは自分が食べる食べ物の味というものをあまり気にしないタイプだ。食べ物を食べて、それが美味しいのか不味いのかということはわかるが、だからと言って美味しいものを食べたいという欲も、不味いものは食べたくないという忌避もなかった。
“食べ物は食べられればいいんじゃないか”というのがエストの持論だ。それに加えて栄養が豊富なら文句など何も出ようが無かった。
「ごちそうさまでした」
小さくちぎって食べていたパンを食べ終えたエストは手を合わせてそう言うと、女将にお礼を告げ、店の外に出る。
「明日は早そうだし、もう帰るか」
まるで自宅に帰るかのように、エストは一日大銅貨三十枚で泊まれる格安宿へと戻る。宿に戻ったエストは宿の中庭で軽く水浴びをすると、すぐに眠りにつくのだった。
◇◇◇
エストは豪華な白い馬車についている紋章を見ても家名が分からず、後に相手から名乗られたため、“アークフェリア”という家名を知ったが、それはセミファリア王国で暮らす者なら本来はあり得ないことだ。
なぜなら、アークフェリア――アークフェリア伯爵家は、多くの伯爵家の中でも別格の存在、公爵を除けば最も王に近い貴族であるからだ。
巷では“アークフェリア家がセミファリア王国を支配している”という噂が流れているが、それも否定できないほどの力をアークフェリア家は持っている。
加えて、噂の中には近いうちに現国王の長女とアークフェリア家の長男が結婚するのではないか、というものまである。だからこそ、アークフェリア家のことを知らないエストのような者はごく少数の部類に入るのだ。
そんなアークフェリア家の屋敷は王都の中でも、王城から非常に近い場所に建てられていた。
「レストリア様、こちらが冒険者ギルドに賊の身柄を引き渡した際に受け取った報奨金です。それと各種の証明書でございます」
「そうか、ご苦労だった。そこに置いたままでいい。……もう下がっていいぞ」
レストリア・アークフェリアは羊皮紙に目を落とし、ペンを動かしながら老齢白髪の執事に告げる。執事の目は獲物を狙う猛禽類のようで、その身体は歴戦の兵士のように分厚い。
「はっ」
老執事は返事をして一礼すると、音もたてず部屋から出ていった。
「――こんなものだろうな」
レストリアは自分で書いた手紙にもう一度目を通す。そして、間違えがないことを確認するとインクを乾かすために広げたまま机の端に寄せておく。
手紙の内容は、今日のお礼と“とある勧誘”について。
「(“彼女”以外に私の目的に完璧に合致した人間なんて……そういないだろう)」
レストリアは、閉じこもっていた馬車から出た時の衝撃を思い出す。
「(相手が“スキルを使えなかった”とはいえ、大人の男を倒せるほどの卓越した格闘術の技量。プレートを見る限り魔法は使えないのだろう。魔法が使えるのなら、最低でも銀から冒険者ランクがスタートしているだろうからな)」
馬車の付近や賊の体に魔法の痕跡が見られなかったことから、レストリアは四人の賊がスキルを使えない者たちであったと確信していた。
スキルを使える者に対抗するには、同じくスキルを使える男性か、女性が使える神秘――魔法を使わないと勝機など存在しない。ましてや、一対四ともなれば言うに及ばず。これが大半の人間の考え方だ。レストリアも同様の考えを持っている。
それに今回レストリアを襲った賊は、交通量の多い王都へと続く街道で襲ってきたのだ。まともな思考能力を持っているとはレストリアは考えなかった。
「(よほど金に困っていたのだろうな。……私にしてみれば偶々、交通量が少なかったのが災難だった)」
手紙を入れる封筒に封をするための蠟を用意すると、レストリアは指からアークフェリア家の紋章が彫られた指輪印章を外す。
「(それにしても彼女のあの容姿……。あれなら本人に全身全霊を持って男装をさせれば、かろうじて男にも見えるだろう)」
レストリアはインクが乾いているのを確認すると、丁寧にたたんで封筒の中にしまう。そして、封筒の口を閉め溶かした蠟を落とすと、蠟が固まらないうちに素早く指輪印章で封をする。
「(“あれ”は今まで家族以外の男と喋ったことも近づいたこともないからな。男慣れというものをさせておかなければならなかった。その相手が“男装をした女”であれば何の間違いもおこるまい。……何かと“初めて”の方が使い勝手がいいからな)」
綺麗に紋章が施されたのを確認したレストリアは「よし」と言葉を零す。レストリアは窓に近づいて開けると、風を感じながら外の景色を眺める。
「(男装をしているものが魔法を使ったら女だとばれてしまう、それでは男慣れの意味がない)」
すでに日が落ちているため、レストリアが眺める窓の外は暗い。
「(規則で、学園には使用人を随行させなければならない。その使用人は三人までの随行が許されている。だが、人数が多いとその分いざという時の処理に時間がかかる。……当事者のみ、とはいかないからな)」
レストリアは空を見上げて、ため息をつく。
「(最低限、“あれ”を期限まで守れるぐらいの格闘技術を持ち、抵抗されてもすぐに処分できるように魔法が使えない者。そんな条件を満たす者が最も都合が良かった。……屋敷にいる使用人が、名だけはある家の血縁者ばかりだとこういう時に困る。下手に変なところで働かせると、その家との信頼関係が崩れかねないからな)」
レストリアの顔に冷たい風が吹きつける。
「やはり、まだ風は冷たいな」
開けたばかりの窓を再び閉めたレストリアは、手紙を入れた封筒を持つと部屋を出る。
「(我が大望への足掛かりができるまであと少し。それまでに“あれ”が役立てば、あいつとの契約にも意味があったと言えるが……。まあ、このまま契約期間が終わるまでに使い道が無ければ廃棄するだけだな。それが契約だ)」
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