第二章11話 『首飾りと王』
――ガレスが出て行ったことで、部屋の中にはエストとティアリスのみになった。エストの背中にくっついていたリウも、すでにエストの中へと戻っている。
「厄介なことになる前に王城に行こうと思います。お嬢様、私事で大変申し訳ございませんが、一緒に来てはくれませんか?」
エストは改めてティアリスに言葉で確認をとる。エストがティアリスを誘うのは、この館や宿に一人で残していくことに不安を感じたからだった。
「はい、構いませんよ。私のつたない伝言もちゃんと伝わっていたようでなによりです。……どうしてか、声を出して言葉で意志を伝えるより緊張しましたが」
ティアリスの声は段々とか細くなっていく。
「――っと、そのようなことは置いておいて。エスト君はいつ頃、父を救ったのですか?」
「昨日の話では省いてしまいましたが、薬草が群生している森からガナウに帰る際に襲われていた馬車というのが、アークフェリア伯爵家の白塗りの馬車だったのです」
「その際に、アークフェリアとの関係を持ったのですね」
ティアリスは僅かに視線を落とす。
「はい。後日、この部屋に呼ばれる機会があり、その際にレストリア様からお嬢様に仕えるように頼まれました」
「不思議な縁ですね。その過程が少しでも異なっていれば、今とは全く別の今になっていたというのに」
ティアリスの声は段々と小さくなる。
「……? そう、かもしれませんね」
エストとティアリスは可笑しなところがないか、お互いの服装を確認し始めた。二人とも現在の恰好よりも、王城という国王がいる場に相応しい服を持っていないため、着替えることはない。
またエストとティアリスは、自分たちの荷物をアークフェリアの屋敷に置いていくことを嫌ったため、馬車に持っていくことにした。
◇◇◇
「着きました」
御者によって馬車の扉が開かれる。まずはエストが馬車の外に出た。そして、ティアリスが馬車から降りるのに合わせてエストが手を差し出した。二人が今まで乗っていた馬車は、エストがあの日に見た白塗りのものよりも簡素な造りとなっている。
二人の荷物は馬車の中に置いたままだ。そういった荷物を持ち込もうとすると、王城の警備をしている者や、中で働いている者が良い顔をしないためだ。
「ありがとう、エスト」
エストとティアリスはさりげなく周囲に視線をやり、自分たちが降ろされたこの場所の情報を少しでも集めようとする。二人がそのような行動をしたのは、乗ってきた馬車が、レストリアが乗っていた白塗りの馬車と同じく、中から外の景色が見えない造りになっているためであった。
二人は周囲を見て、とりあえず自分たちがいる場所が、王城の城壁内であることを確認した。
「どうぞこれを。国王への献上品として持って行ってください。当家が登城する際には、これを持って行くことが慣例になっていますので」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
エストは御者の横に座っていたメイドから、伸ばした指先から肘まで位の高さがある細長い木箱を受け取る。幅も拳二つから三つ分ぐらいあって、軽くはない。
「これで以上になります。私たちはこの場に残ると思いますので、帰る際には声をかけて下さい」
エストはメイドの言葉に違和感を覚えたが、そのことを指摘する前に、メイドは馬車へ乗り込んでいた。はじめから、エストの返事を聞く気はなかったようであった。
「それでは行きましょうか」
「はい」
行くべきところがわからないエストとティアリスは、城の正面の入り口からではなく、この場所――馬車置き場の近くにある裏口へ向かう。
本来なら、御者が気を利かせて正面の入り口近くにある一時停車所に馬車をつける。そして、馬車に乗っている者は正面の入り口から王城内に入るため、この裏口を利用する者は使用人やここを警備している兵士・魔術師のみだが、二人はそのようなことは知らない。
「止まってください」
王城の裏口に近づいたエストとティアリスに、その警備を任されていた兵士が声をかける。
「ここに来た目的を教えて下さい。それと身分を証明できるものを」
「目的は国――」
兵士に「国王陛下からの褒賞授与がある」と言いそうになったエストは、途中で言葉を切る。自分の今の状況が頭をよぎったからだ。
「(執事服を着て、木箱を持っている状態で、国王に褒賞を授与してもらいに、といって信じてもらえるのかな。……いや無理そうだ。手紙をこの兵士に見せたところで、封を切ってしまった以上、書いた本人ぐらいしか真贋の見極めがつかないだろうし)」
エストは早々に正攻法でこの入り口を通ることを諦めた。
「私はアークフェリア伯爵家の執事です。本日は国王陛下への献上品をお持ちしました」
「アークフェリア伯爵? ああ、そういえばついさっきこの前を馬車が通ったのを見ました。献上品というのも……そのいつもの木箱から察するに、嘘ではないみたいですね」
エストは自分が持っている木箱をまじまじと見る。だが、この木箱には特に特色といったものはない。どこにでもありそうなモノだ。それにも関わらず、この兵士が「いつもの木箱」と言うからには、メイドの「慣例」という言葉に間違いはないのだろう。
「そういうことなら、この場所での内容物の確認はいらないでしょう。いいですよ、所持している武器を預け次第、入っても大丈夫です。……あ、そのような初心者用の小杖は預けなくても構いませんよ。どうせ、魔法が発動する前に見張りの兵士に取り押さえられますし、使用できる魔法も制限されるでしょうから」
兵士はエストとティアリスを順に見ながら言う。エストは兵士の言葉に従い、腰に差していたナイフと服の内側に隠していた数本の投げナイフを取り出して預ける。エストが執事服の内側から投げナイフをジャラジャラと出した時に、兵士が苦笑いをしていたことは言うまでもない。
「それと、陛下への献上品はいつもの部屋、……と言っても新顔みたいだからわからないですよね。まっすぐ行って、最初の曲がり角を曲がり、二つ目の部屋――右手にある部屋に預けてください。そこで献上品の検査をおこないますので」
兵士は自分の背後にある扉を開ける。エストとティアリスの二人はすんなりと王城の中へと入ることが出来た。
「王都よりも簡単に入ることができましたね」
「私もエストと共に入れてしまいましたが、よかったのでしょうか」
二人はそんな話をしながら、兵士の言葉に従って廊下を歩く。二人の前に伸びている廊下は、普段使いする者が少ないためか人気は少ない。エストとティアリス以外には、警備役として途中途中に立っている兵士しかいない。
エストとティアリスは裏口に立っていた兵士の指示通り、一つ目の曲がり角を曲がる。そこも、やはり見張りの兵士しかいなかったが、一つ目の部屋の前を通過したところで、
「気をつけてください!」
エストは隣を歩いていたティアリスを背中に庇い、反転――自分たちが歩いてきた方向を向く。エストはゆっくりと木箱を床に置いて戦闘態勢をとる。しかし、
「エスト?」
ティアリスはとりあえずエストの指示に従い、後ろへと下がったが、今の状況が呑み込めていない。
というのもエストが見据える先には、エストの声に驚いてこちらの様子を見ている見張りの兵士しかいないからだ。彼が敵意を持っているようにも見えず、また見張りの兵士は槍を持っているものの、エストとティアリスから見て相当の距離が空いたところに立っている。
とても、エストがティアリスに注意の喚起をするような状況にあるとは思えなかった。
「あの人では、ない?」
エストの身体はたしかに自分たちが歩いて来た方向に向いているが、その視線は壁際に立っている見張りの兵士ではなく、廊下の中央、誰もいない空間であることにティアリスは気がついた。
ティアリスは「もしかしたら、魔法や魔導具が関係しているのかも」と思い、周囲の大魔源に意識を集中してみたが、何も感じない。それに、エストが注意を促す直前に起こりを感じることもなかった。しかし、
「ハッハッハ、これはたまげたな。まさかこれに勘づくとは」
突然、男性の声が廊下に響く。大きな声ではないが、重圧感のある声音だ。その発信源は、エストの視線の先、誰もいない空間だ。
不意にその誰もいないはずの空間が揺らめく。
「――!」
そして、エストたちが見つめる誰もいない空間、そこから白髪の男性が突然現れた。男性はこの国のどこでも見たことがないほど豪勢な衣服を着ており、それだけでこの人物の身分を正確に表していた。
「――陛下!?」
まず初めに驚いて声を上げたのは、見張りをしていた兵士だった。セミファリアの当代国王を一度も見たことがないエストとティアリスの二人は、その兵士の反応と白髪の髪、身に纏った豪勢な衣服で自分たちの目の前に現れた人物が、この国の国王であることを理解した。
セミファリア王国の国王は白髪で中肉中背の男性であり、見た目から想定できる年齢はレストリアと変わらないぐらいだ。また、ガレスが言っていた二人は幼馴染だ、という話から見た目だけではなく、実際の年齢もレストリアと変わらないぐらいであろう、とエストは思う。
エストは戦闘態勢を解く。
「邪魔をしてしまって悪かったな。今からそれを預けに行くところだったのだろう?」
「はい、そうなのですが。……私の方こそ申し訳ございません。陛下だということに気がつかずに……」
「ははっ、そのような些事はどうともない。それに悪かったのは私だ。――ああ、それはそのままでよい」
セミファリア王国の国王――レオノール・セミファリアは、エストと自分の会話を遠巻きに眺めている兵士の内の一人を手招きすると、エストが運んできた木箱を検品所として使っている部屋に運ぶように指示し、この場にいる兵士たちに見聞きしたことの全てに対して口外の禁止を命じたのだった。
◇◇◇
「さて、ここは私が個人的に使用できる私室の一つだ。他の者の目もないから、もう私の服から手を離してもよいぞ」
国王の私室であると考えると、この部屋はそれほど広くなく、せいぜいエストとティアリスが昨日宿泊した宿屋の二から三部屋分ぐらいしかない。ただ、窓がない部屋の壁という壁は、人や自然などといった絵画で埋め尽くされており、元の壁面は見えなくなっている。
「はい」
エストは指示に従って、摘まんでいたレオノールの服から手を離す。そのことによって、エストとその服を掴んでいたティアリスの姿が、部屋に置かれている鏡に映る。少しして、レオノールの姿も鏡に映った。
部屋の中にレオノールを護衛する者の姿はない。それに特殊な魔導具が使用されている様子もみられない。国の最重要人物が人と会うにしては、安全性の確保がなされていないことから、この部屋は異常な空間であるといえた。
「自分の姿を客観的にみない限り、このオ――、魔導具の効果が切れているかどうかの確認がしづらいからな。このように、鏡の前で効果を切るようにしているのだ。以前に、この魔導具が起動し続けていることに気づかず、大臣にずっと話しかけていたなんてこともあったからな」
レオノールは苦笑いをしながら、首にかけていたネックレス型の魔導具を外した。
「姿を消すというだけでも、今まで聞いたことがない異常な性能であるというのに、加えて音と気配もですか」
この部屋に入った辺りから現れていたリウは、人から姿を見られないことをいいことに、レオノールが手に持っている魔導具を先ほどからじっくりと観察している。
一方で、ティアリスはネックレスに数多く取り付けてある魔石を見て、魔導具は自分たちの手に余る代物であるとしみじみ思っていた。
魔石は一部――水を温めるのに使う熱石など質の悪いモノを除くと、非常に高価なものだが、一生懸命に働けば、ほとんどの者の手が届く代物だ。それは、モノにもよるが魔導具そのものにも、同じことがいえる。
しかし、いざ購入した魔導具に魔石を取り付け、使用するとなると話は変わってくる。
魔石は消耗品だ。内包した魔力が空になれば、新しいものと取り換えなくてはならない。つまり、魔導具を普段使いするためには、決して安価ではない魔石を継続的に購入しなくてはいけないのだ。そのため、魔導具は貴族ぐらいしか使用する者がいない。
誰も一ヵ月、汗水流して得た金銭を数回の会話や掃除などのために使いたくはないのだ。
レオノールはネックレスを服の内ポケットへとしまった。
「さあ、二人ともそこに座ってくれ。礼儀などは気にせずともよい。面倒だからな。まあ、かのアークフェリア伯爵家の使用人であるのならば、その点に心配はないと思うがな」
レオノールはそう口にしながら、部屋の中央にあるテーブルに近づくと席についた。彼の言葉に嫌味っぽさがないことから、ただ単にエストとティアリスの二人をからかっているだけだということがわかる。
「「失礼します」」
エストとティアリスは空いている座席、レオノールと向かい合っている座席に座った。
「はじめに話しておかなければならないことがある」
国の代表である王とその私室で向かい合って話をする。そんな状況になぜ陥ったのか理解できないまま、エストとティアリスは話を聞く態勢をとった。




