第二章7話 『月夜の邂逅』
――ぱふんっ
そんな軽い音を立てて、ベッドに倒れこんだのは綺麗な亜麻色の髪をした少女。部屋には少女が一人だ。二階の角部屋であるこの部屋の隣は、少女が最も信頼している執事が部屋をとっている。
「どうしよう。ここまで来ちゃったのに何も思い浮かばない。誰かに頼るとしても、アークフェリアの息がかかっているかどうかもわからないし」
ティアリスはうつ伏せの状態から反転し、仰向けになる。窓から月明りが差し込んでおり、柔らかい光が室内に注がれている。
ティアリスはすでに水浴びも終え、寝るための服に着替えていた。夕飯は先ほど、エストと共に宿屋に隣接している飲食店でとっている。宿の宿泊客には値引きをしているらしく、格安で食事をすることができたのだ。
「あの日からずっと待っていても、“エスト君の知り合いかもしれない魔術師さん”は報酬を受け取りに来ないし……。やっぱり、屋敷には私が一人で」
ティアリスがここまで一人で屋敷に行こうとしているのは、エストを連れて行くと、自分が何かしらの処罰を受けた際に、エストを巻き込んでしまうのを恐れているからだった。
ティアリスは、自分の部屋でおこなわれるメイドたちの会話で、そういったことが珍しくないことを知っていた。
「でも、それは難しそうだし」
“お嬢様が一人で行こうというのなら、私はお嬢様を追い抜かして、王都のお屋敷にまで行って、一人で先に話を進めておきます”
ティアリスは自分が一人で屋敷に行く、といった時のエストの返事を思い浮かべて、むむむ、と眉をひそめる。
「エスト君なら、本当にそれが出来ちゃいそうだからな」
ティアリスは自分が必至な思いをして、王都の屋敷に着いた時に、涼しげな顔をしてその場にいるエストの姿を幻視する。
ティアリスは何度も自分の中で、王都の屋敷に一人で行くことをシミュレーションしてみたが、なぜかエストを出し抜ける自信がなかった。
それは、今から計画を実行する場合もそうだ。自分が宿を出る前に、エストに見つかる気がしてならない。
「はぁ」
なぜか自己評価が低めの執事を想って、ティアリスはため息をつく。
「エスト君は何で、執事として私に仕えてくれるんだろう」
その疑問はエストがアルトリウスの屋敷に来てからというもの、毎日ティアリスの頭の隅にあったものだ。しかし、未だ答えは出ていない。
エストに聞いてしまえば話が早いのだが、もし原因が自分自身にあったときに、その原因から「何で」と聞かれるのは嫌悪感があるのではないか、とティアリスはエストに聞くことを恐れていた。
「十中八九、原因は私」
ティアリスはアルトリウスに行く前、王都にある屋敷の廊下で偶々聞いてしまったメイドたちの会話を思う。このまま寝てしまおうと思っていたティアリスだが、なかなか寝付けず、ついには身体を起こした。
「少しでも、練習しておこう。私が少しでもエスト君の役に立てる可能性があるのは、これぐらいしかないんだから」
ティアリスは自分のバッグの中から、ティーカップを取り出して、ベッドに腰掛ける。この部屋はそれほど広くなく、ベッドの他には椅子とテーブルが一つずつしかない。
ティアリスが取り出したティーカップは磁器――つまりは、割れ物だ。馬車に揺られることや、バッグに入れて持ち運ぶことを考えると、木製のカップでも良さそうな気がするが、ティアリスはそうしなかった。というのも、
「木製のカップで試してみたけど、ダメだったんだよね。陶器や磁器のカップなら、あんなに大魔源が効率よく取り込めるのに……。どうしてだろう?」
ティアリスは手元のティーカップを眺めながら、普段から木製のカップを使って紅茶を飲めばいいのかな、と熟考する。
「木製に慣れる前に、ティーカップを使わなくても大魔源を早く、たくさん取り込めるようになるのが、一番いいんだけど……」
ティーカップは膝に乗せたままで、ティアリスはベッドに座ると手のひらを広げる。そこからしばらくの間、じっと意識を集中させてティアリスは周囲の大魔源を集める。
「……」
目を閉じて意識を集中させているティアリスの手のひらの上には、ゆっくりと白っぽい光が集まり始めた。しかし、アンネロッテが授業で見せたような量はなく、明らかに少ない。また、上手い具合に魔力炉に取り込むことが出来ていないようで、段々と集めた大魔源は霧散していく。
「はぁ」
ティアリスは一旦、手のひらに大魔源を集めるのをやめると、小杖を取り出す。
「――“第一位階光魔法」
発声と同時に、白い魔法陣が展開する。ただ、その色は薄く、今にも掻き消えてしまいそうだ。あとちょっと、と唇をギュッと結び、ティアリスは自分の周りに満ちているはずの大魔源を、自分の中へと取り込もうとする。
取り込む場所、それは存在していない器官、才能がなければ魔法は使えない、と言われる要因となった仮想の器官――魔力炉だ。
ティアリスは取り込んだ大魔源を魔力炉の中で、自分の小魔源と混ぜ合わせて魔力を生成する。しかし、
「あ……っ」
ティアリスの間の抜けた声と共に、魔法陣が掻き消える。魔法が失敗したのだ。その原因は、魔法を使うために必要最低限な大魔源を、集めきれなかったためだった。
「まだ出来ないみたい」
ティアリスは落ち込んでいるが、学園で初めて大魔源を集める授業を受けた際の、大魔源が全く動かなったのと比べると、かなりの進歩であることは明白だった。
ティアリスは集めた大魔源を取り込む感覚を思い出すため、今度はティーカップを使おうと、膝の上に置いていたカップを持つ。
「――?」
それは何となくだった。
「――っ!!」
何かを感じたわけでもなく、何か物音がしたわけでもない。ティアリスはただ何となく、部屋に置いてある木製の椅子に目をやって、息を飲む。
おそらく、それは今しがた現れたのではないのだろう。というのも、現れたばかりにしては、この部屋に馴染みすぎていたからだ。
それは“いつも”と同じように、ボヤけたり、掠れたりして見えなくなったかと思えば、再び見えるようになったりと、そんなことを不規則に繰り返している。ティアリスが安定した状態で、それを見ることができたのは初めて見た時のみだ。
「……」
いつもとの違いといえば、少しばかり、いや、かなり機嫌が悪そうに見えることだ、とティアリスは最後に見た時――アルトリウスの談話室でエストに勉強を教わっていた時を思い返しながら考える。
焦るティアリスのことなど全く気にかけず、金髪赤眼の少女は椅子に座って、ボンヤリと窓の外を眺めていた。しかし、
「――!」
突然、少女はティアリスへと視線を向けた。
ティアリスはその視線を受けて、自然と天敵に睨まれた小動物のように息を殺す。
「……、……」
「(なにを言っているんだろう?)」
少女はこちらを見て口を動かすが、その声はティアリスには全く聞こえなかった。
少女とティアリスの視線が交錯していたのも一時のことで、少女の方が先にティアリスの目から視線を外して、何事もなかったかのように、再び窓の外へと目を向けた。
不機嫌そうな表情を全く隠そうとはしない少女だったが、まるで神話からでも抜け出して来たかのような、その神々しさをもってしては、そんな表情すら一流の絵師が描いた絵画のように、見る者の心を震わせる。
「(……本に出てきた女神様みたい)」
それは同性のティアリスにおいても例外ではなかった。少しの間、少女の横顔を見て固まっていたティアリスだったが、段々と目の前に座っている実態が分からない少女のことが気になってくる。
「(でも、女神様がこんなところにいるわけがないよね。……となると、精霊? でも、精霊は住処である裏側から出てこないと言われているし、そもそも、見た人はいないから本当にいるのかもわからないっていう話だったような……。――今回の件が落ち着いたら、エスト君に相談してみよう)」
今すぐエストに相談しないのは、いま以上の負担をエストにかけたくないという想いからだった。
「(もし、私に着いてきちゃったのだとしても、今まで何ともなかったし大丈夫だよね)」
他人の目があることに気がついた以上、魔法の練習を再開する気にはなれず、ティアリスはカップをしまってからベッドに横になる。
少しして、ティアリスの小さな寝息が聞こえてきた。
正体不明の他人がいる寝室で眠る。ほとんどの者が忌避するであろうその行為を、ティアリスが気にしている様子はなかった。




