第二章5話 『動き出す』
――朝焼けに染まる王都。
王都の周囲を取り囲んでいる城壁には、人や荷物が出入りをするための城門が幾つかある。その内の一つ、ある城門のすぐ近くには複数の馬車が停まっていた。近くに見える人影は二つ。
「もうそろそろ他の方たちが検査を終えて帰ってくる頃ですから、出発の準備をしてもらいたいのですが、……お連れの方はまだ来ていないのですか?」
「……」
黒塗りの大杖を持った女性の背に向かって、困った顔をした四十歳ほどのふくよかな男性が尋ねる。このふくよかな男性は、いまから王都を発つ予定がある商人であり、馬車のまとめ役だった。
二人の距離から考えると、女性には間違いなく男性の声が聞こえているはずなのだが、女性は突っ立ったままで微動だにしない。無視しているのではなく、まるで男性の存在に気がついていないようであった。
「――? お嬢さん、こういうことは言いたくないのですが、冒険者でもないあなた達を、私がアルトリウスまで乗せても利点はないんですよ。組合で決まっているお金を払ってもらったので、仕方なく馬車にのることを承諾しましたが、あまりにも遅れるようなら、私の予定にも大きな影響が出るので――」
「……」
男性が再度呼びかけてみても、女性が振り向いたり、返事をするわけではなかった。女性はまっすぐ前を見たまま動かない。ただ、その水色の短い髪が風でなびいているだけだ。
男性もこの状況を不自然に感じたのか、口を閉じて、女性の正面の方へ回り込もうとする。そのための一歩を踏み出した時だった。
「ごめんなさーい。おまたせしました!」
青髪の女性の顔が向いている方向から、一人の女性が声を出して走ってくる。走ってきた赤髪の女性の腰には、剣がぶら下がっていたが、青髪の女性とは異なり、杖は持っていない。
恰好を見て、いま来た女性を冒険者だと判断した商人であったが、どこにもプレートがないことを確認して自分の思い違いを認める。
それにプレート以外にも、もし彼女たちが本当に冒険者であるならば、わざわざ乗車料金が増える “一般客”枠での乗車など希望しないだろう、と商人は考えたのだった。
「あんたが、この子の連れかい?」
「ぁ、はい。イキシア、ほら起きて、もう馬車が出発するって」
そう言いながら、女性は商人にずっと話しかけられていた人物――イキシアの肩を割合に強い力で前後に揺する。
「――? すぐに身元確認所の方に行ってください。城門の外で合流でき次第、すぐに王都を出発しますので」
立ちながら寝る。
赤髪の女性の言葉を聞いて、その可能性に思い至った商人だったが、あまりにも現実的ではないことであったため、すぐに自分が聞き間違えたのだろうと納得し、積載物の検査を終えた馬車の一つに乗り込んだ。
「……ん。……アマリア、遅い」
イキシアは目を擦りながら、半分寝ぼけているような声で、赤髪の女性――アマリアに文句をいう。だが、それも直前の出来事を考えれば当然のことだった。
二人は今朝、各々必要なモノを買うために、集合場所を決めてから、一晩泊まった宿の前で別れた。王都に城門が幾つもあるとはいえ、その近くには街を出入りする人が多く集まる。それに、わかりやすい目印がある場所は、皆が待ち合わせ場所にしているので、自分の目当ての人物が見つけづらい。
そのため、アマリアとイキシアは、乗合馬車に乗る際の最終的な目的地である城門近くではなく、他の場所で待ち合わせをしていた。
しかし、馬車の出発の時間が近づいているにも関わらず、その集合場所にアマリアは一向に姿を見せなかった。そういった事情から、アマリアが先に行ってしまったのかと思ったイキシアは城門近くにまで一人で移動してきたのだ。
「ごめんごめん、サイズと変な人に捕まっちゃって」
「変な人? ……多すぎてわからない」
ガナウの冒険者ギルドに入り浸っているメンバーを思い浮かべて、イキシアは尋ねる。
「あ、つい、……全身みどり色の変な人だよ。今日も、遠目から誰だがわかるぐらい緑色だった。……あの人に話かけられるとこっちが恥ずかしくなるんだよね。イキシアから何とか抑えるように言ってくれない?」
「もう何回も言った。けど、『ひらめき力が落ちる』といって止める気配はない。……以前に一度、私とリートで、頭の上から赤い塗料をかけたことがある」
アマリアの頭には普段より生き生きとしながら、塗料を手にするリートの姿が浮かぶ。
「そしたら、しばらくの間、使い物にならなくなった。私たちは素材採集が専門で、製作の方は“あの緑”だけだから本当に困った」
「へー、その胡散臭い話ほんとだったんだ」
アマリアの言葉にイキシアが首肯する。
「それで、サイズは何の用だった?」
「ああ、これを渡されていたんだよ」
自然と一人を省いたイキシアにツッコミを入れることもなく、アマリアはバッグの中から、一対ではなく一個の耳飾りを取り出す。
「通信用の?」
「うん。イキシアは流石ね。私は最初にこれを見た時、なにか分からなかったよ。こんな形状のもの初めて見たし。私かイキシアが身に付けておくようにって。なんか、即位式? この国のことはそれほど詳しくないけど、そんなのを近々やることになる可能性があるからって」
「それなら、アマリアがつけて。私はどこに付けても、連絡に気がつかない」
なぜ耳飾りの形状をした魔導具を渡されたのか、その理由に思い至ったイキシアはムスッとしているが、アマリアにはイキシアがなぜ腹を立てているのかがわからないようであった。しかし、アマリアは特に何かを尋ねることもなく、耳飾りを自分の左耳につける。
「でも、まさか王都で待ち伏せされるなんてね。アークフェリア邸の警備があまりにも厳しすぎるんだよ。エスト君がいるかどうか確認するのに結構時間を使っちゃったし」
「レグナントに寄り道したせい。……エスト君があそこにいるはずなんてないのに」
「あっ! そんなこと言うなら、イキシアが『エスト君がいるかもしれないから寄った方がいい』って言った森にもいなかったじゃん! 薬草の群生地より奥まで行ったから、数日かかっちゃったし、野宿だったし」
「「……」」
先ほどから同じ場所に留まっている二人を他所に、商人の馬車に乗る乗客たちは、街を出るために必要な手続きをして、こちらに帰ってきていた。
◇◇◇
――長い廊下に扉をリズムよくノックする音が響く。
部屋の中からの返事はなかなか返って来ない。廊下に立ち尽くす者は、使用人伝てで、この部屋の主に呼ばれたため、長旅で疲れた身体を無理やり動かしてここまで来たのだ。相手の都合で自室に戻るのは、気分がよいものではなかった。
「ああ、なるほど」
しかし、その者は廊下を歩いている自分と血縁関係のある人物を見つけると、目の前の部屋の主が返事をしない理由に納得がいった。
「やはり、外の様子はある程度わかっているわけだ。それなのに、使用人たちの盗み聞きをわざと見逃すとは、全く……どうしようもないな」
そう愚痴をこぼすと、扉の前を離れ、こちらへと歩いてくる少女の方へと身体を向ける。
「あ!!」
少女は廊下の先にいる人物が誰だかわかると、今までのゆったりとした歩きをやめ、タッタッタと走ってくる。
「おかえりなさいませ、カイリお兄様」
少女は綺麗な姿勢でペコリと頭を下げた。顔を上げた少女の表情はとても晴れやかで、この世のすべてを愛している、とでも言いそうなぐらい純粋な瞳をしている。その様子を見たカイリは、約束の通りに少女がこの屋敷の中で平穏無事に暮らしていたことがわかり、ひとまず安心する。
「ああ、ただいま、セレナ」
カイリは自分の妹――セレナの頭を撫でる。カイリはセレナと同じく金色の髪をした青年だ。その顔立ちは非常に整っており、目元は柔らかく、柔和な感じがにじみ出ている。この王都を歩こうものなら、誰もが一度は振り返るだろう容姿だった。
「お帰りになられたのなら、教えてくださればいいのに。お母さまも心配されていましたよ」
「すでに夕食も終えていると聞いていたから、明日の朝に報告をしようと思っていたんだ」
「そうでしたか。あの……お父様に何か用事があったのですか? もし、今からなら私も……」
「いや、もう用事は済んだんだ。……セレナ、明日は俺が見てきた他の国の話をしてあげるよ」
「えっ、本当ですか!? 聞きたいです!!」
カイリの用事が済んだと聞いて、少し落ち込んでいたセレナだったが、その言葉を聞いて目を輝かせる。カイリもそんなセレナを見て、頬を緩める。
「ああ、本当だ。だから、今日はもう寝た方がいい。夜も遅いし、それに話の最中に寝てしまうのは嫌だろ?」
「……そうですね。 おやすみなさい、お兄様」
セレナはそう言うと、カイリの横を通って、自室へと戻っていく。カイリはその後ろ姿を黙って見送る。
「さて、と……それで? もう入っても大丈夫なのか?」
カイリは再び、一つの部屋の前に立つ。ノックはしない。
「入れ」
その言葉を聞いて、やはり部屋には居たのかと思ったカイリはフッと鼻で嗤うと、目の前の扉を開いた。
「よく来たな、そこに座れ」
部屋の奥にある、この部屋の主専用の机に座っていたのは、レストリア・アークフェリア。カイリの父親に当たる人間だった。
「どうも、お久しぶりです、立派な立派なお父様。あなたにとっての大切な刻限が近付いてきたと知らせが届いたので、約束通りにあなただけの優秀なお人形が帰ってきましたよ」
カイリの口調は、セレナと話していた時の柔らかなものとは異なり、皮肉に満ち満ちている。動作の一つ一つが芝居じみているのも気のせいではないだろう。カイリは指定されたソファに座ると、足を組んだ。
「フッ、しばらく見ていなかったが、相変わらずだな、お前は。それが、もうじき見られなくなると思うと、私も残念に思うよ。……その日の夕食が喉を通らないぐらいにはね」
レストリアは部屋の奥から出てきて、カイリが座る正面にあるソファに腰を掛けた。カイリはレストリアの言葉を聞いて、片頬を引き上げる。
「それで、確認はできたか?」
「ああ、あなたが居留守を使ってくれたからな」
「お前自身の方は?」
「心残りは何一つないね。それより、俺からも質問していいかな?」
レストリアは言葉ではなく、顎を上げることでカイリの質問を促す。
「どうも。……で、聞きたいんだが、他の使用人はこの部屋にはいないのか?」
カイリは部屋の中を見渡しながら言った。
「いない。表側は見てわかると思うが、裏にもな。まあ、そもそもこの部屋の裏には人が入れる空間など作っていない」
「へぇ、それは面白いことを聞いた」
「面白い、だと?」
「ああ、面白いさ。なにせ、……俺に殺される可能性なんて、微塵も考えていないってわけなんだろ?」
カイリのその言葉を聞いて、レストリアはキョトンとすると――、声を上げて笑った。
「はっはは、お前本当に面白いな。……それで、お前は本当に私を殺せると思っているのか?」
「ああ、精々慢心するなよ、お父様。早々にポックリと逝ったら、この身体が可哀そうだからな」
レストリアはカイリのことをジッと見る。そして、フム、と何かに納得したかのような表情をする。
「……お前のその自信は、身体に纏っている数多の呪いからか? それとも、丹念に準備してきた魔導具のおかげか?」
カイリはレストリアの言葉に目を細める。
「昔にも言ったが、どれも許容しよう。そこまで含めて、私とお前の契約だ。私が何よりも血が通った者との契約を重視しているのは、そのことを利用したお前がよく知っているだろう? それに、今のでわかったと思うが、お前の意図を汲んで、私を殺すために用意しているであろう策は何一つ調べていない。まあ、時が来たら虱潰しにしていくつもりだが……」
レストリアはそう言って、足を組みなおして、再び口を開く。
{……どうだ、これで満足だろう?」
「ああ、お父様がお優しくて泣いてしまいそうだよ」
「なら、お前にもしっかりと約束は果たしてもらうぞ。さっそく予定だが――」
「明日はダメだ、先約が入っている」
カイリはレストリアの言葉を遮る。
「そう慌てるな、私にも予定がある。期日は――」
二人の会話は、程なくして終わった。
カイリは自室へと戻り、部屋の扉をガンッと強く閉める。明かりもつけず、カーテンすらも閉め切っているため、部屋は真っ暗だ。
「……。――っ!!」
カイリは壁を叩く。この部屋の両隣は人がいないため、その音にも、続く言葉にも、気がついた者は一人としていなかった。
“……まだ、足りない”




