第二章4話 『南西へと向かう馬車の中で』
エストとティアリスが、アルトリウスの街で乗合馬車に乗って出発してから、すでに数日がたっている。馬車は途中で何度も停車をしながら、王都を目指していた。ちょうど現在も、昼食を食べるという名目で、一時停車していた馬車が再出発をしたところだ。
馬車の中には、種々の荷物も載せられているため、人のためのスペースは狭くなっている。端に座るティアリスとその隣に座るエストを除くと、四人しか乗っていない。
人が乗るためのスペースが狭くなっているのは、この馬車の所有者が商人であり、馬車内部のほとんどを商品が占めているためだ。
馬車はエストたちが乗っているものを含めて、三台が縦に連なり、街道を進んでいる。各々の馬車の御者席には、一人から二人の護衛役の冒険者が乗り、何か問題が起きた時には率先して対処することとなっている。
とは言っても、彼ら護衛役以外の乗客は、そのほとんどが冒険者であり、自分で自分の身を守れる者ばかりだ。乗客が冒険者ばかりというのは、アルトリウス発の乗合馬車ということに起因している。
アルトリウスに住んでいるのは、貴族都市という名の通り、貴族がほとんどだ。もちろん、彼らが乗合馬車に乗ることはまずない。エストたちが乗合馬車を選んだのは、懐事情的な問題のためだ。
では、アルトリウスの住民のうち、“ほとんど”に含まれない人には、どのような事情を抱えた者がいるのか。
それは、冒険者や一部の商人、職人、料理人などになる。
貴族の居住区を除いた、居住区にはこういった者たちが、一時的に住居を借りるなどして生活をしている。
職人も料理人も、この街で働けることに名誉を感じているため、滅多なことで他の街には出て行かない。その一方で、商人や冒険者は、街から出て行かないという強い意思を持つほどの執着心を、この街に持っている者は多くない。
特に、貴族との繋がりもあまり持たず、仕入れを自分で行っている商人などは、一つの街に留まるより各地を回りながら、各々の特産品を買い集め、遠く離れた土地で売り捌く方が多大な利益に繋がるのだ。王都など大きな街であるのならともかく、貴族だけが多い街に滞在し続ける理由はない。
こういった理由で、街の出入りを頻繁にする者の多くは、冒険者と一部の商人となっている。そして、商人は買い集めた商品を運ぶための馬車を所有しているため、必然的に乗合馬車の乗客は冒険者の割合が高くなる。
「――ということなんじゃないかな」
「そういうことだったんだ。……エスト君はすごいね。アルトリウスには初めて来たという話だったのに、そんなことまで知っているなんて」
エストとティアリスは他の乗客に気を使って、小声で会話をしていた。
二人の格好はアルトリウスで買い物をするときと同じく、軽装にマントを羽織り、フードで顔を隠している。そのため、周囲の乗客からは自分たちと同じ冒険者であると認識されていた。
しかし、彼らが二人に話しかけてくることはない。
これはエストとティアリスも、その詳しい理由がよくわからないが、どうやらフードで顔を隠していることが原因であるらしかった。
「初めにも言った通り、あくまでもアルトリウスによく似た街ではそうだったというだけで、本当に同じ状況になっているとは限らないけどね」
「アルトリウスによく似た街があるの?」
アルトリウスのような貴族の子女が集まる学園都市が、セミファリア王国にあるという話を聞いたことがないティアリスは、世間では一般的である常識を自分だけが知らないのではないか、と不安になる。
「うん。……ああ、この国じゃなくて他の国にあったんだよ」
エストが「うん」と肯定したのを聞いて、またかと内心で落ち込んでいたティアリスは、エストが途中で言い直したのを聞いて、ホッと胸をなでおろす。しかし、そんなティアリスの頭の中には、また別の疑問が浮かんでいた。
「エスト君はこの国の出身じゃなかったの?」
エストはティアリスの言葉に頷いた。
「(……そっか、こういった事も話せていなかったんだね。エスト君に自分の話を聞いてもらうまで、よほど余裕がなかったんだな、私。……あれっ、エスト君はこの国の出身じゃない? ということは、もしかして――!?)」
再び落ち込み始めていたティアリスは、エストの出身を聞いて、一つの可能性を思い浮かべる。その可能性は、もしかするとティアリスがエストの身と共に心配していた、ある問題を解消するかもしれないモノであった。
「もしかして、エスト君の家族はセミファリアにいなかったりする?」
「……。住んではいないよ」
少しの間を開けた後に、エストは独特な言い回しで返答した。
◇◇◇
「そう言えば、エスト君がアルトリウスに来るまでの話とかって、あまり聞いたことがなかったよね。……もし、差支えがなかったら聞いてもいい、かな?」
ティアリスの言葉は段々と小さくなっていく。フードが揺れた際に見えたのは不安げな表情だ。
「――? 構わないよ。……でも、そんなに面白い話はないと思うけど、大丈夫?」
「うん!」
ティアリスは堅いイスの上で座りなおした。
「じゃあ――」
そして、エストの話は始まった。
話の中心となったのは、主に王都の西にある小さな町で冒険者をしていた頃の話だ。エストは話の合間でティアリスの質問に答えながら、小さな町で冒険者登録をした日から、アルトリウスに着くまでの話を掻い摘んで話した。
「――っと、なるべく手短に話していたつもりだけど、思っていたより時間が経っていたみたいだ」
空は夕焼けで赤く染まっていた。日が暮れると、馬車を走らせることが難しく、また御者も休まなくてはならないため、テントが張れるところを見つけ次第、馬車は停車する。
「うん。……エスト君、お話を聞かせてくれて、本当にありがとね」
「どういたしまして。でも、特に変わったこともないし、ありきたりな話で面白くなかったでしょ?」
身の回りの私物を少しずつ整えながら、エストはティアリスに尋ねる。
「ううん、とっても面白いお話だった。私は王都とアルトリウス以外のマチには行ったことが無いから、薬草が群生している森とか、ガナウとか、知らないことがたくさんあって、とっても、とっても、面白かったよ!」
「そっか、それならよかった」
ティアリスが嬉しそうにしている様子を見て、エストはフードの中で微笑む。
「(そっか、他の国に行ったことがないのか)」
それなら、とティアリスに一つの提案をするために、エストは口を開く。
「ティアリス」
「――っ!? ど、どうしたの、エスト君っ!?」
ティアリスはワタワタとしたかと思うと、次の瞬間にはピタッと止まり、改まって自分の名前を呼んだエストのことを見る。それは、エストに会話の流れの中以外で、名前をなかなか呼ばれることのないティアリスが、意図せずに起こした反応だった。
フードから覗くティアリスは、嬉しそうにしている。
「少し先のことになっちゃうけど、王都からアルトリウスに帰る時は寄り道をしない?」
「寄り道? ……ぁ、もしかして――」
ティアリスの頭の中に、直前までしていたエストの話が浮かび上がる。
「うん、さっきも話した通り、ガナウとか、薬草が群生している森っていうのは、王都から近いところにあるんだ」
エストの声を聞いて、ティアリスのフードが大きく揺れる。それは決して、馬車の揺れで生まれたものではなかった。
「行ってみたい!」
思わず、少しだけ大きな声を出してしまったティアリスは、慌てて口元を押さえる。幸いにも、エストとティアリスの二人に何かしらの苦情を入れてくる者はいなかった。
「じゃあ、そうしようか。アニス先生には、もう少し迷惑をかけることになっちゃうかもしれないね」
ティアリスの勉強が遅れることを心配していたアンネロッテの顔を、エストは思い浮かべる。
「ふふっ、アニス先生には色々と気を使ってもらっているし、それに迷惑もかけちゃっているから、お土産を買って帰るのを忘れないようにしないと」
エストがティアリスの言葉に「そうだね」と答えてまもなく、馬車の速度が段々と落ちてきた。テントを張る予定の場所が、いよいよ近くなってきたのだろう。
馬車が停車したら、全員でテントを張る作業が始まる。馬車に乗客全員分のテントを積み込んでいるわけではないため、乗客たちはテントか馬車の中、どちらかに分かれて夜を過ごすこととなる。
テントで寝る場合は、多少なりとも魔獣などに襲われる可能性が高いため、基本的には女性が馬車の中で夜を過ごすというのが、乗合馬車での暗黙の了解となっている。基本的にというのは、男女混合のグループである場合は、諸事情により馬車を使わずにテントを使うことが多いからだ。
そういった決まりを全く知らないエストは、ここ数日の間、馬車の中で平然と寝ている。エストが誰にも咎められないのは、フードを被っているため顔が見えないエストを、その声から女性だと勘違いした冒険者がいたためだ。
むろん、フードを外したところで、その結果が変わったとは限らない。
「……ねぇ、エスト君」
今度は先ほどの反対、ティアリスがエストの名前を呼ぶ。
「――?」
「……その、今すぐっていうわけではないんだけど、ね。学園には長い休みがあるでしょ?」
ティアリスが言う「長い休み」とは、今から約一年後に控えている新年から新学期にかけての休暇のことだ。
いくら貴族しか通っていないアルトリウス魔導学園といえども、その所領や階級は様々だ。国の辺境にほど近いところに所領を持つ貴族の娘や、一代限定で家名を名乗ることを認められた貴族の娘なども在籍している。
そのため、それぞれの学生がアルトリウスから実家に帰るとなると、距離も移動手段も異なり、移動に必要な時間が異なってくる。そういった理由で、学園では新年から新学期にかけて、三ヵ月もの長期休暇を用意しているのだ。
「ぁぁ、学年の変わり目にある」
そんな説明を何処かで聞いたなと、エストは自分の記憶を遡って答える。
「うん。……それでね、その時になったら、どこか近くでもいいから、他の国に旅行をしに行かない?」
「(確か、休みは三ヵ月ぐらいあるんだっけ。安全な道はどうしても遠回りになるけど、……ここから最も近い、“帝国”には行って帰って来れるのかな?)」
エストは頭の中で、その道のりを考えて、ティアリスへの提案に結論を出す。
「うん、いいよ」
「よかった。アルトリウスの街を出て、“エスト君と自由に色々なところに行ってみたかったんだ”」
ティアリスはエストに断られなかったことで、ほっとする。しかし、ティアリスが安心したのも束の間、それは何の予兆もなく、突然起こった。
「うっ――っ」
まるで頭を射抜かれたかのような、超絶的な痛みを感じ、エストはこめかみを押さえる。
「エスト君っ!?」
『エスト様っ!?』
前に向かって態勢を崩したエストの身体を、ティアリスが支えるのと全く同じタイミングで、リウもエストの身体を支える。その結果、エストの左右からティアリスとリウの二人がエストの身体を支えることとなった。
「……ん、もう大丈夫。支えてくれてありがとう」
エストはそう言うと、座席に座りなおす。
「エスト様、頭痛の方も、もう大丈夫なのですか?」
「エスト君、頭が痛かったのも、もう大丈夫なの?」
またしても、二人の声が重なる。ティアリスの声が聞こえているリウは、ムッとした表情でティアリスのことを見た。
「ふふ、もう大丈夫だよ。心配してくれてありがとうね」
ティリスとリウの関係性を見て少し笑うと、エストは二人に向かって礼を言った。
「よかった。エスト君、王都に着いたら、まず魔法薬を買いに行こう。たしか、王都にはそういうのを売っているお店があったはずだから」
「……」
今度は二人の言葉が被ることが無かった。というのも、ティアリスと声が被ることを嫌がったリウが、ほとんど拗ねるような感じでエストにくっつき、喋ることを放棄したからだ。
「いや、そこまでする必要はないかな。何処も彼処も、今は全く痛くないし」
「ほんと?」
エストのことを心の底から心配しているのだろう。エストが強がりで大丈夫だ、と言っていないか見極めようとしているティアリスの瞳は、まっすぐエストの瞳に向けられている。それは、強いが柔らかさも持った眼差しだった。
「本当に大丈夫だよ。それに……いざとなったら、持ってきている魔法薬を飲むから」
「魔法薬?」
「怪我をしたときのために、街から出る時には持っておくようにしているんだ」
エストはマントの内側から、一本の瓶を取り出してティアリスに見せる。その魔法薬を見たティアリスは、ひとまず安心したのか、エストにこれ以上、体調のことを言うのを止めた。
時を同じくして、少しだけ見える外の景色も動きを止めた。
「今日のキャンプ地に着いたみたいだ」
「テントを張りに行くのを手伝いに行かないとね」
二人は各々馬車を降りる準備を再開する。先にその準備が終わったのはティアリスだった。
「じゃあ、先に行って私たちが何を手伝えばいいか、聞いて来るね」
ティアリスが先に馬車の外へと出た。
「エスト様、本当にお体の方は大丈夫なのですか?」
ティアリスがいなくなったことでリウは、ようやく口を開いた。
『さっきも言った通りだよ。それに僕が病気とかとは無縁なのは、リウが一番よく知っているでしょ』
エストは念話を使って、リウと会話をする。
「もちろんです。病魔であれ、毒であれ、いつかの魅了の魔法であれ、エスト様に干渉することを私が許すわけないじゃないですか。ですが、だからこそ、先ほどのような原因不明の頭痛を心配しているのです」
『と言われても、本当に今は何ともないし』
「……。であれば、これから何か気がつくことがあれば、私に教えて下さい。私も何かしらの干渉がなかったのか、調べてみたいと思います」
「うん、ありがとう。リウ」
リウはエストに向かって一礼すると、宙に溶けるように、その場から消えた。
「迷惑をかけるわけにもいかないし、早く準備にいかないとな」
エストは荷物を整え終えると、馬車の外に出た。