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君に傅く魔術師の備忘録  作者: 星月夜 真紅
第二章
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第二章3話 『最後の来客』

 


 エストとティアリスの二人は、薄暗い道を並んで歩いている。薄暗いといっても、この道が建物の影に入っているというだけで、アルトリウスの空はまだまだ明るい。また、アルトリウスの街中には様々な家や店から料理の匂いが漏れ出し、漂っている。


 現在はちょうど昼時。エストたちがアンネロッテ・アニスと出会ってからは、少しばかり時間がたっている。本来なら、顔を隠した三人組は今頃どこかの喫茶店に入ってゆっくりとしていたはずだが、



「次の角を右に曲がりますね」



 ティアリスは後ろを振り返って、もう一人に声をかける。


 エストとティアリスの後ろを歩くもう一つの人影。現状を作り上げた張本人はティアリスの言葉に頷き、二人の後について歩く。



「……はぁ」



 現状を作り上げた張本人――アンネロッテは、少し先を歩いている二人の耳に届かないよう、小さくため息をついた。



 アンネロッテがこのようにため息をついているのは、今から少し前、これから喫茶店に向かおうとした時に起きた事件が原因であった。




 ◇◇◇




「どうされたのですか?」



 ティアリスは喫茶店に向かおうとした矢先に動きを止めたアンネロッテに尋ねる。



「お金を入れた袋……落としちゃったみたい」



 ポツリと独り言のように呟いた言葉は、何事かと注意を向けていたエストとティアリスの耳にも届いた。アンネロッテの口調は二人が普段、聞いている彼女のものとは違ったが、そこに気がついて指摘するものはいない。



「えっ!? アニス先生はどの道を通ってここまで来られたのですか? もしよろしければ、探すのを手伝います」



 お金の重要性を実感しているティアリスは、落ち着いているようにアンネロッテに反して、あわあわとしている。といっても、アンネロッテは落ち着いているように見えるだけで、実際のところは止ん事無き事情で魂が抜けかかっているだけなのだが。



「ありがとうね、ティアリスさん。……でも、魔導具などではない、ただの袋だもの。私の所有物であると証明できるものも入っていないし、きっともう誰かに拾われてしまっているはずよ」



 アンネロッテの肩は落ちきっている。



「それでも、念のために探してみてはどうでしょうか? 許して頂けるのならば私も手伝います」



 ティアリスに続き、エストも名乗りを挙げて、この場所からアンネロッテが最後に袋を確認した貴族の居住区へと続く一本の小道にかけて、落とし物探しが始まったのだった。


 だが、捜索の結果は彼女の予想通りで、



「……探すのはこれぐらいにしておきましょう」



 最後に自分が袋を確認した場所まで戻ってきたことを確認したアンネロッテは、エストとティアリスの二人に声をかける。



「すみません、見つけることが出来ませんでした……」



 ティアリスが肩を落とす。



「ティアリスさんが謝る必要はないのよ。お金が入った袋を落とした私が悪いのですから。二人とも袋を探すのを手伝ってくれて本当にありがとうございます」



 三人の間に、何となく次の行動を起こしづらい空気が漂う。しかし、そこに再び、


 ――きゅぅ


 そんな小さな音が響いた。音がしたのは前回と同じく、エストとティアリスの前にいる女性の腹部から。



「…………すみません」


「……」



 誤魔化せない状況であると悟ったアンネロッテは、そう言いながら自らの腹部を無意識に両手で抑える。一方で、エストたちは顔を見合わせていたが、



「――っ、いえ! 普段なら、もうお昼ご飯を食べている時間だと思いますし、お気になさらないでください」



 ティアリスがフォローを入れるのとほぼ同時、三人がいる小道に突如として風が吹いた。


 エストとティアリスの二人はとっさに自らのフードを押さえる。しかし、自らの腹部を両手で抑えていた彼女は、そうもいかなかった。


 アンネロッテの被っていたフードが風により、脱げる。


 フードの中から現れたのは、学園で何度も見ている担任教師の顔だ。しかし、羞恥により頬や耳を赤く染めた彼女の姿は、いつもより幼く見えた。



「〜〜〜っ」



 アンネロッテは、赤くなった顔を見られていることに気がつくと、慌ててフードを被りなおした。



「エスト君、ちょっといいかな」



 アンネロッテには聞こえないよう小声で、ティアリスはエストに、ある提案をした。




 ◇◇◇




 ティアリスの「アニス先生を屋敷に招待できないか」という提案に、エストは首を縦に振った。


 それは、ティアリスと同じく、不幸が重なったアンネロッテを見ていて、居たたまれない気持ちになったという理由が一つ。もう一つは、明日にはアルトリウスを離れるため、しばらくはアンネロッテとは会えなくなるので、今までの報告をしておこうと考えたからだ。


 おそらく、先ほどリウが「捕まっておいた方が……」と言っていたのは、王都から帰ってきた後だと、期間が空いてしまい、説明がしづらくなると思ったからだろう。



 現在、エストとティアリス、その後ろを歩くアンネロッテは、人気のない路地を歩いている。その路地は、もちろんエストとティアリスが暮らしている屋敷へと続いている路地だ。



「……」



 エストは屋敷への帰り道を歩きながら、アンネロッテを屋敷に招待する上で発生した問題の解決策を考えていた。


 エストが頭をフル回転させて解決策を考えている問題、それは――



「(……結界のこと、忘れてたな。このまま、三人で屋敷に入ろうとすると、先生だけが結界に阻まれて屋敷に入れないぞ。今から『やっぱり無理です』なんて言えないし、結界の効果を書き換えるためには、結界に入っているか接触していないといけないし、……どうしようかな)」



 エストは三等分となって軽くなった買い物袋を抱えながら、その解決策を考えていたが、ものは全くと言っていいほど思い浮かばない。そして、エストが頭を悩ましているうちに元凶たる結界が段々と見えてきた。


 三人は屋敷の外壁を通過する。屋敷の周囲に張ってある結界はすでに目と鼻の先だ。



「アニス先生、着きましたよ」


「ええ、ここまで案内ありがとうね、ティアリスさん。これで、これからは迷わずに、ここまで来ることが出来ます」



 そんな二人の会話を聞きながら、エストは自分が意気揚々と張った結界を憎たらし気に見つめる。ティアリスとアンネロッテが結界に反応を示さないのは、エストが付与した効果によって、この結界がエストとリウ以外には見えていないからだった。



「(……失敗するかもしれないけど、ここまで来たらやるしかないか)」



 無意識にエストの歩調が早まる。エストの歩くスピードが速くなったのは、心のどこかでアンネロッテとの距離を少しでも取りたいと思ったためだ。



「(僕が結界に接触してから、先生が結界に接触するまでの間に、結界の効果を少しだけ書き換える)」



 それが、エストが考えた堅実ではない方法だった。


 この他に、自分が二人に先行して屋敷に戻ったり、二人に寄り道をしてもらったりという真っ当な作戦も考えはしたが、“あのような事件”があった手前、エストはティアリスと離れることに抵抗があったのだ。



「(……よしっ)」



 まず、エストが結界に接触する。


 ――もちろん、何事も起こらない。


 次に、エストにつられて少しだけ歩くのが早くなったティアリス。


 ――いつも通り、結界に阻まれることも、違和感を覚えた様子もない。



 結界を張るには、短くない時間を要する。その時間は、張る結界が複雑になればなるほど比例するものだ。結界を張る時間と比べれば、一度張った結界の効果を書き換える時間は短くて済む。



「(……間に合わないか)」



 しかし書き換える効果が、たとえ今回のように『人、一人を新たに認証させる』という簡単なものであったとしても、僅かな時の間でおこなうのは困難を極める。



「(くっ……)」



 そして、ついにアンネロッテが結界に接触する。


 アンネロッテは結界に、



「……?」



 アンネロッテは首を少し傾げたが――阻まれることなく、エストが書き換えた結界を通過した。



「……はぁ」



 後ろを振り返らずに、エストは身体に詰まっていた空気を吐きだした。




 ◇◇◇




 屋敷の中に入った三人は、各々被っていたフードを脱ぐ。


 すでに、お互いの素性を知っている三人だが、実際に顔を見ることで、言葉では言い表せない安心感を覚える。しかし、示し合わせたようにお互いがフードを被っていた理由は尋ねない。



「急にお邪魔してしまってすみません。……ここの管理を任されている方に、直接ご挨拶をしたいのですが」


「それなら一応、私ということになります」



 エストではなく、ティアリスが答える。



「あ、そうだったのですか」



 アンネロッテは僅かに驚いて、ティアリスを見る。アンネロッテが驚いた理由の一つは、ティアリスぐらいの年齢であれば、屋敷の管理は両親などの大人がやっているであろうと思っていたからだ。


 そして、もう一つの理由は、ある偶然の一致からだった。


 アンネロッテはティアリスに向き直ると、「では改めて、お邪魔します」と言い、ティアリスが気にかけないように軽く頭を下げた。



「はい。ですが、私とエスト以外の人間はちょうど出払っていますので、不便に思うところがあるかもしれません」


「いえ、そういったことは気にしなくていいですよ。私も気にしませんから。ですが、……そうですか。誰もいないのですか」



 アンネロッテは「うんうん」と一人で頷いているが、エストとティアリスにはその理由がわからない。



「では、アニス先生。こちらにどうぞ。マントなどはよろしければ、エストに預けてください」


「ええ、あのようなことを言った矢先に申し訳ありませんが、お願いします」



 エストはアンネロッテのマントを預かる際に、持っていた革袋を肩から下ろす。すると、ティアリスは自然にそれを持って、アンネロッテをダイニンルームや厨房、談話室がある方へと案内していく。



「ふふっ、口調だけは、主人と使用人といった感じですが、行動は全くといった感じですね。……というか、あの娘。自分が抜けていることを理解しているのでしょうか。……していないでしょうね。私が出来ることは何もありませんが、エスト様が食事を用意している間は私が二人を見ておきましょうか?」


「うん、ありがとう」



 エストは二人の様子を確認するのをリウに任せ、アンネロッテのマントを来客用のクローゼットへと仕舞うと、厨房へ向かい、食事の用意を始める。



「作るのは、もちろん食材に依存したもの……だよな。どうしてか『美味しい』と言ってくれるお嬢様を相手に作るのならともかく、高級料理ばかりを食べている相手に、僕が作った料理を出すわけにはいかないし」




 ◇◇◇




「どうぞ」



 専用のカートでダイニングルームへと運んできたティーカップを、ティアリスとアンネロッテの前に置くと、エストはティーポッドから紅茶を注ぐ。



 先ほどの様子からわかる通り、この紅茶をここまで運んできたのはエストだが、それを裏で用意したのはティアリスだった。いつもとの違いはティーカップに注ぐのがティアリスではなく、エストであるということだけだ。



「ありがとうございます」



 アンネロッテはエストに礼を言うと、ティーカップに口をつける。



「――! とても美味しいですね」



 エストは何も言わず、静かに頭を軽く下げる。



「さきほどのサンドイッチも美味しかったですし、エストさんは良い執事ですね。うらやましいです」



 アンネロッテは静かにカップを置くと、「話を聞かせてもらいたいのですが、その前に」と言いながら、ティアリスの背後に立ったまま控えているエストに視線を移す。



「……エストは下がらせた方がよろしいですか?」


「いえ、そういうわけではありませんよ。私はお二人から話を聞きたいですし」



 アンネロッテが言いたいことがわからず、ティアリスが難しい顔をしていると、その様子を見ていたアンネロッテはにっこりと笑った。



「あなた達のお屋敷で、私がこのようなことを言うのはおかしいかもしれませんが――“エストさんも座ってはどうですか?”」


「「……」」



 アンネロッテのその言葉に、二人は黙り込む。しかし、それも致し方の無いことだ。


 通常、下級であっても貴族は使用人を自分たちと同じ、テーブルには絶対につかせない。いくら、アンネロッテが「顔を隠し、一人で街中を歩いてみたり」、率先して「食べ物が入った袋を持ちたいと言い出す」ような、貴族という括りの中において変わった人物であってもまさかここまでとは、エストとティアリスの二人は思ってもみなかったのだ。



「よろしいのですか?」



 貴族の所謂、選民的な思想が強い傾向にあるセミファリア王国において、このようなことを言う貴族は、ティアリスを除いてほぼいないだろうと思っていたエストは未だ半信半疑だ。



「はい、だってここにはあなた達以外には私しかいないのでしょう? であれば、何の問題もありません」


「……そういうことであれば」



 エストは「失礼します」と一言、言ってから座る。



「はい、それではお話を始めましょうか」



 アンネロッテがそう切り出し、三人の話し合いが始まった。




 ◇◇◇




「……そういうことでしたか」



 アンネロッテはエストとティアリスに一連の事件の大まかな流れを聞いて、難しい顔をする。それは、この事件の細かい内容が学園に知らされていないことを疑問に思うのと同時に、アンネロッテが自身の力の無さを呪ったことの表れでもあった。



「この内容は、衛兵の詰所にも持って行ったのですよね?」


「はい、翌日に私が」


「それなのに、衛兵たちが慌ただしく動いていないということは、……すでにこの事件は解決している?」



 アンネロッテのその言葉は二人に向けたものではなく、自分の考えをまとめるために発したものだ。



「……。やはり、現在の状況がよくわかりませんね。ティアリスさんの実家へと報告に行くというのは、そのためですか?」



 エストとティアリスは、アンネロッテに「アークフェリア」という家名を伝えていない。



「はい。私とエストの二人で明日から行く予定ですので、学園の方はもう少しの間、お休みすることになってしまうと思います」


「わかりました。では、私の方でティアリスさんとエストさんの休学届は継続して出しておくので、アルトリウスに帰って来たら、自分たちの好きな時期に学園に来てください。……あ、とは言ってもなるべく早めでお願いしますね」


「ありがとうございます。アニス先生」


「とりあえず事件が収まった今にあって、私があなた達に出来ることといったら、これぐらいしかありませんからね。……ですが、」



 “――本当に無事でよかった”



 その言葉は正面に座る二人には届かないほど小さな声で呟かれた。


 アンネロッテがそれを本人たちに直接伝えられなかったのは、担任教師でありながら、二人を守ることが出来なかった自分が、それを伝える資格はないと感じていたためであった。




 ◇◇◇




「それでは、今日は本当にお世話になりました」



 空が赤く染まる中、アンネロッテが最初に屋敷に入った時と同じく、軽く頭を下げる。



「まだ、大魔源マナを集める際に補助具が必要だという話でしたが、ティアリスさんが魔法を使えるようになったと聞いて、安心しました。今度会う時にはティアリスさんの魔法をちゃんと見せてくださいね。楽しみにしています」


「はい」



 ティアリスがアンネロッテに魔法を見せることを躊躇ったのは、補助具としてティーカップを用いているということを知られるのが恥ずかしかったためだ。



「……最後になりますが、今度何か困ったことがあった時は、私にも手伝わせてください。武器を使った戦闘はてんでダメですが、魔法のみを使った戦闘であれば自信がありますから」



 アンネロッテはそう言うと、屋敷の外壁の方へ歩いていく。その様子をエストとティアリスの二人は彼女の姿が見えなくなるまで見送ったのだった。




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