第一章1話 『木の冒険者』
森の中にポツンと空いた穴――木々に囲われた平原の中心に私はいた。
「……」
右隣を見ると、命の恩人である魔術師の姿がすぐに目に入る。しかし、深くフードを被っているためか、月明りに照らされていようとも彼女の顔を窺い知ることはできなかった。
そんな命の恩人である彼女を、“こんな最悪の状況”に巻き込んでしまったことに申し訳なさを覚えながら、この状況を作っているモノたち――オークやオーガなどといった魔獣たちへと視線を戻す。
私たち二人の周囲を“数万”という途方もない数で囲う彼らは、先ほどまでと変わらず憎たらし気な様子で、こちらの様子を窺っている。彼らは魔術師がドーム状に展開した障壁を警戒して攻めあぐねているのだ。
先に動いたのは私の隣にいる魔術師だった。彼女は羽織ったローブの内側から、手のひらに隠れるサイズの何かをチョンと摘まんで取り出すと、それを摘まんでいた指と指をパッと離した。
「……ガラス製の竪琴?」
竪琴は空中に留まることなく落ちていき、地面へと触れる。しかし、竪琴が地面に当たった衝撃で割れる、なんてことはなかった。地面に触れた竪琴は、まるで水の中にでも落ちたかのようにピチャンという音をたてて、地面の下へと沈んでいく。
そして、すぐに竪琴の演奏が始まった。その音色は、聞くもの全てを落ち着かせるような柔らかなものだ。また、竪琴の音色が響き始めるのと同時に、魔術師の足元に銀色の魔方陣が展開した。
指揮を取っている魔獣でもいるのか、今まで目立った動きを見せていなかった魔獣たちは、こちらへと向かって一斉に押し寄せ、ついに私たちの周囲を囲う障壁への直接攻撃が始まった。
「……」
物量をもっておこなわれた第一波の攻撃で、障壁に小さな亀裂が入ったのと時を同じくして、
“――私を想って、私をおもって、約束しましょう?”
どこからか聞いたことのない少女の声が聞こえてくる。続く少女の声は歌うようでもあり、やさしく語りかけるようでもあり、ねっとりと絡みつくようでもあった。
――パリンッ
ついに魔術師が張った障壁が魔獣の猛攻に耐え切れなくなり、粉々に砕け散る。
「――っ!」
続いて訪れた暴風と、あたりを包む発光に私は思わず目を閉じる。すでに少女の声は聞こえなくなっている。暴風と発光も次第に治まってきた。だから、私はゆっくり、ゆっくりと目を――。
◇◇◇
――窓一つなく薄暗い室内。
「この依頼の登録、お願いします」
少しボロッとしたマントを着た人物が、首にかけていたペンダントと一枚の羊皮紙を無人のカウンターに置く。カウンターに置いたペンダントには文字が書かれた木製のプレートが一枚ついている。
「……」
マントを着た者の声を聞いて、カウンターの奥から小柄で老齢の男が出てくる。男の目つきは鋭い。その鋭さは目があったものを射殺しそうなほどだ。
「おはようございます、ギルドマスター。今日は――」
「……」
マントを着た者に“ギルドマスター”と呼ばれた老人はカウンターの上に置かれたペンダントと羊皮紙を回収すると、無言のままカウンターの奥に戻ってしまう。
「……今日もギルマスとは話せず、か。一度も話せていないどこらか、最近はジッと見られ
る頻度が増えた気がするなぁ。これって全然距離感が縮んでいないんじゃ……」
マントを着た人物は、腰にまで届く長い黒髪を後ろ――肩甲骨の辺りで一本にまとめている。顔は中性的だが、男女どちらかと聞かれれば女性だと答える者が多そうな顔だ。
それから少し待っていると、老人がカウンターの奥から戻ってきて無言でカウンターにペンダントを置いた。
「ありがとうございます」
「……」
やはり老人の反応はなく、唯一返ってきたのは鋭い目つきだけ。老人は顔を下に向けるとUターンしてカウンターの奥へと戻ってしまった。
マントを着た者は薄暗い建物の外に出る。
「町の冒険者が増えないのは、ちゃんとした依頼が少ない以前にギルマスが怖いということも関係がありそうだよな。あ、……これも原因なのかな」
建物の外に置かれた木製の看板を見る。それには盾の中心で剣と杖が交差したシンボルが彫られている。しかし、そんな立派なシンボルも、看板が長い間風雨に晒されて掠れているにも関わらず、修繕をしていないため見づらくなっている。
「外から来た人はまさかこの建物が冒険者ギルドだって思わないだろうな。特徴もないし、どう見ても普通の建物にしか見えない。……まあ、持ち込まれる依頼が少ないからバランスが取れているって言ったら取れているのか」
再び前を向き、町にある唯一の門を目指して歩き始める。この町は周囲を簡単な柵でグルりと一周囲まれているのだ。人の背丈より少し高いぐらいの簡単な柵であるため気楽に乗り越えることもできるが、町を警備している者に見つかると多額の罰金が課せられるため実際に乗り越えることは気楽にとはいかない。
ギルドを出ていくらか歩き、もう少しで門が見えてくるという時であった。
「あら、エスト君じゃない。今日も冒険者のお仕事かしら?」
マントを着た人物――エストに話しかけてきたのは、この町にある食堂の女将だ。彼女は土が付いたままの野菜をいくつか抱えている。
「はい」
エストという少年の声は、その顔と同じく男女の区別がつかないほど中性的なものであった。
「毎日大変ねぇ、街道は安全だと思うけど万が一のこともあるし、暗くなる前には町に帰ってくるようにしなさいよ」
「はい、寄り道はしないでなるべく早く帰ってきます」
エストは女将に見送られ、門へと向かった。門は夜中以外の時間は基本的に開いていて常に二人の槍を持った衛兵が見張っている。エストはいつもと同じように二人の衛兵に会釈をして町の外に出るのだった。
◇◇◇
エストが先ほど冒険者ギルドで受けたのは「薬草採取」の依頼だ。薬草はそこら辺に生えているわけではなく、町から少しばかり歩いたところにある森に行かないと採取ができない。その森は、今歩いているこの国――【セミファリア王国】の【王都】へとつながる街道をしばらく歩き、途中で道を外れ、また同じくらい歩いたところに広がっている。
「今日の依頼の達成報酬は大銅貨五十枚……宿泊費と夕食分にしかならないから、食べられる野草でも採って帰った方がよさそうだ」
財布の中身を思い浮かべながら支出と収入の概算をしたエストはため息をつく。エストは先ほどの町――【ガナウ】でほとんどその日暮らしの生活をしている。
冒険者ギルドにおける依頼の中で比較的報酬が多いとされる魔獣の素材採集などの依頼は、一カ月に一つ出ればマシだという少なさ。さらに朝一番にギルドに行き、壮絶な依頼争奪戦をしないとそれを受注することも出来ない。
加えて、自主的に薬草や魔獣の素材をギルドに持ち込んでも、ガナウの小さなギルドでは依頼以外の素材や薬草の買い取りすらやっていない。これらの依頼以外にも、冒険者ギルドのメインとなる依頼には護衛依頼というものがあるが、ガナウでそれが出たのをエストは見たことがない。
ガナウの町の冒険者ギルドがこんなことになっているのにはいくつか理由があった。そのうちの一つは、ガナウは王都から見て西にあるが、二つの距離が近すぎることだ。徒歩であったとしても、ガナウを朝に出発すれば昼までには必ず王都に到着する。さらに、ガナウの近くを通る街道は国の心臓部である王都に続いている。
もちろん、街道近辺の魔獣の間引きは国が定期的に行っており、この街道の安全は保障されていた。そして、最大の理由。ガナウに行くには街道から少し脇道に逸れなければいけないが、ガナウから少し西側に行った方には街道と直接繋がる【レグナント】という大きな街があるのだ。ガナウより少し王都から遠いが冒険者ギルドも立派なものがある。
「つまり、ガナウの住民が王都に向かう際に護衛を雇うことはないし、もし護衛を雇うことになっても大きなギルドがあり、旅の準備が満足に出来るレグナントに向かう。地方から来る旅人や王都からこちらに来る者も似たような理由でガナウではなくレグナントに立ち寄る……っていうわけか」
エストは歩きながらガナウの冒険者ギルドの現状を思い返して肩を落とす。
「ここら辺でやらなきゃいけなかったことも無事に終わったし、そろそろ新しい街か国にでも行こうかな。このままだと餓死する……ような気がする」
エストが次はどこに行こうか考えながら街道を歩いていると、王都方面から白を基調とした豪華な馬車がやってきてエストの横を通り過ぎて行った。豪華な馬車の前後と側面についていた紋章は王都で何度か見たことがあるものだ。
「たしか、結構力のある貴族だったはずだけど家名までは覚えていないな。あんな豪華な馬車に乗っているんだし、万が一雇ってもらえれば食べ物に困らなそうだ」
エストは走り去っていく馬車の後ろ姿を見送ると街道を逸れ、薬草が群生している森へと向かう小道を進む。この小道は森にしか続いていないため、森に用事がある者ぐらいしか利用しない。そのため、通行人は少ない。エストはよくこの道を使うが、会った者といえばレグナントの冒険者ギルドに所属している少女四人の初心者パーティーぐらいだ。
「――!」
そんな道で、エストは初めて見る者たちが自分の方に向かって歩いて来ていることに気がついた。
「珍しい……というより初めてかな? ここであの子たち以外の人とすれ違うのは」
森の方から来たのは四人の男。冒険者なのか全員が剣や弓といった武器を持っている。
「何か用か?」
エストがジロジロと見過ぎていたからか、お互いの距離が近づくと一番前を歩いていた顔に傷があり肌が浅黒い男がエストに話しかけてきた。
「いえ、この道で人に会うのが珍しかったものですから……つい」
「そうか」
それだけ言い残すと男たちは再び街道の方へ向かって歩いていった。
「プレートを付けていないってことは冒険者ではないのかな? それにしても、ギルドマスターと良い勝負が出来そうな目つきだった」
◇◇◇
それから少しして、エストは森に到着した。森の中でも薬草が多く生えている水辺に移動したエストは、捜索を開始する。エストが受けた依頼における薬草の納入数は四十本だ。薬草の根に傷がつかないよう丁寧に、慎重に、エストは薬草を集める。
そしてちょうど昼頃、エストは規定数の薬草を集め終えた。
「あとは、明日の朝食用か……」
エストは昼食を食べずに明日の朝食探しを始めた。エストは長い間、昼食を食べていない。それは「昼食を食べるのだったら宿で寝たい」という究極の選択の結果だ。
エストの懐事情はそんな選択を迫られるほど寒かった。
◇◇◇
「ボス、さっきのガキ……殺らなくてよかったんですかい? といっても俺は殺るよりもヤりたかったんですがね」
四人の内一番後ろを歩いていたスキンヘッドの男が「ガハハッ」と下品に笑いながら先頭を歩く男に話しかける。
「ああ、あれほど“若くて美しい少女”ならこの辺りの村でも有名だろう。わざわざ森の中を抜けてきたんだ。作戦の実行がすぐとはいえ、変なところで気づかれるのは避けたい」
先頭を歩く男は全く振り返る素振りを見せない。
「それもそうですね。それに冒険者といっても最低ランクの木でしたもんね。まともな魔法も使えないだろうし、俺たち元銀と元金のボスにとっては敵にもなりえない。だから、無理に排除する必要もないと」
男の言う通り、冒険者のランクで最も低いのが木だ。
その上に銅・銀・金・魔鉄と続き、最上位が国内に数パーティーしかいないと言われている神鉄となる。
冒険者のランクは“ある一つの絶対的な基準”を除けばパーティーの総合力で決められるため、一概にランクで個人の実力が分かるわけではないが、ランクを個人の力量の目安にすることは暗黙の了解となっていた。
人数的には木から銅までのランクの層が厚く、金以上には特異な才能がある人間でないと上がることが出来ないと言われている。
スキンヘッドの男は、事前に依頼主の方から言われた「なるべく隠密に」という言葉を心の中で面白くないと思いながら思い返す。
「そういうことだ。だが……それでは面白くない。お前の要望は依頼をこなして余裕があったら聞いてやる」
自分と同じことを考えていた“ボス”の言葉に、スキンヘッドの男は顔を醜悪に歪める。
「ハッ――それはいい。やる気が出てきましたぜ」
「街道が見えてきましたねぇ……くくっ、まさか対象も“国内で最も安全な街道”で襲われるとは思いますまい」
また別の男が声を上げる。前に見えてきたのは王都とレグナントを結ぶ街道だ。
「さあ、ようやくの仕事だ、お前ら気を引き締めろ!」
「「「了解!」」」
◇◇◇
「よしっ、結構集まったし、そろそろ帰るか」
日がそろそろ傾いてきそうだというぐらいの時間にエストは朝食用の食材収集を終えた。
斜め掛けの革製のバッグには“食べられそう?な野草”に“食べられそう?なキノコ”そして、“食べられそう?な果実”がギュウギュウに詰められている。どの食材も色鮮やかでどこか禍々しい気配を纏っている。
エストはバッグの中を見て満足げに頷くと、森を出て街道へとつながる小道を進む。帰り道は来るときのように誰かとすれ違うこともない。
「なんだか小腹が空いてきたような気がするな。昼食抜きっていうのには慣れたと思ったんだけど。……いや、食べるということに慣れ過ぎたのか」
バックの中からみずみずしくて赤い果実を取り出し、それを食べながらエストは来た道を戻る。
「なんか、舌がピリピリするけど……味は悪くないし、それに栄養がありそうだ。初めて食べる果実だったけど、また見かけたら集めておこうかな」
◇◇◇
エストの耳にその声が聞こえてきたのは、ちょうど街道に出てガナウの方を向いた時だった。
「おい! 何をしてる!! 早く引きずり出して殺さないと他の馬車が来るぞ!! 街で足止めをしているやつらにも限界がある」
小道を出た目と鼻の先で、豪華な白い馬車が四人の男に取り囲まれていた。すでに馬がどこかに逃げ出している。また、御者席は赤く染まっており、そこからは力なくぶら下がった足が見えている。
「(あれは朝見かけた馬車と同じ家のものか。馬車についている紋章が同じだ。王都に帰るところを待ち伏せされて襲われたみたいだな)」
エストの顔色は変わらない。今の状況を少しでも掴むために、黙って色々なところに目を向ける。
「ボス、この馬車、魔導具ですぜ。扉の鍵を解除するには少し時間がかかりそうな……ハハッ」
馬車のドアを開けようとしていたスキンヘッドの男がエストに気がついた。その男の笑い声で他の三人もエストに気がつく。
「(……なんか見たことがあると思ったら、行きにすれ違った人たちか)」
エストはスキンヘッドの男ではなく、顔に傷がある浅黒い肌の男がいるのを確認して、そう判断する。
「ボス、これは魔法に詳しいエンゲルに任せて、俺はあの子のところにいってきても?」
「ああ、もうお前がそこにいてもしょうがないからな。ただ――」
「わかってますってボス、ちゃんと落としておきますよ。そこら辺は、何でも適当な俺でもしっかりやりますって」
そんな会話が聞こえ一人の男が近づいてきた。スキンヘッドの男だ。エストはバックを足元に下ろす。
「(……どうしよう。どう見てもこの人たちが悪いように見えるけど、そうじゃない可能性も一応あるし。……何かされてからか)」
エストは自分の中で一つの結論を出す。スキンヘッドの男はすでにエストの数歩前まで近づいてきていた。
「ねぇ君、右手と左手……どっち効き?」
「……? 右ですが、そ――」
「右、だね!!」
エストの言葉を遮った男が素早く懐の剣を抜き、頭上に振り上げる。
「【腕力強化】!」
男は声高に“スキル”を発動し、振り上げた腕をエストの右腕に向かって高速で振り下ろす。
エストが痛みで転げまわる未来を確信し、男はニヤリと笑う。しかし、
「ぎゃあぁぁぁ!!」
響いたのはエストではなく男の悲鳴だった。男は目を抑え、その場にしゃがみ込む。目を抑えた指の隙間からは鮮血が滴り落ちている。
男の悲鳴を聞いて、馬車を囲んでいた男の仲間たちはエストに目を向ける。そして目にしたのは、うずくまる仲間と血が滴るナイフを持ったエストの姿。それを見て、馬車を囲んでいた男たちはエストを敵だと認識する。
「よくも、カ――ぐぁああぁぁ」
馬車の近くにいた男は大声を上げ、エストに向かって弓を構えたが、その男の声は途中から苦悶に満ちたものへと変わる。
男の右目には投げナイフが刺さっていた。投げナイフを投げた者は考えるまでもない――エストだ。
エストはスキンヘッドの男の両目を一線したナイフについた血をヒュッと払い、空いている方の手で太ももについているホルダーから投げナイフを引き抜くと同時に、敵意を示した相手へと投げていたのだ。
二人目の男がうずくまるのを確認する前にエストは次のターゲット、馬車のドアの前でナイフを構えた男にホルダーから引き抜いた投げナイフを投げつける。
狙いはまたしても目だ。相手の男もエストの狙いが分かったようでとっさに目をかばい、投げナイフを腕で受けた。そして、反撃をしようと腕を下ろす。
「……っ!?」
男の目の前にはすでにエストが詰めてきており、彼が持つナイフが文字通り目の前に迫って来ていた。
「があぁぁぁっ」
三人目の男が目を抑え背中から地面に転がる。
ここまできて、ようやくエストの動きは止まった。エスト以外に立っているのは顔に傷がある褐色肌の男、仲間内で“ボス”と呼ばれていた男だけだ。男は素早く後ろに跳び、エストから十分な距離を取る。
「お前……男なのか?」
「……?」
エストは首を傾げる。
「フハハハハッ、この質問の意図が分からないことが何よりの証拠か。……まんまとやられたよ」
男が笑って一人で何かを納得している様子を見て、エストは眉をひそめる。
「気にするな。それで、俺とも戦うのか?」
「僕の敵であるなら」
その答えを聞いて、褐色肌の男は笑う。
「なるほど、あのハゲは藪をつついてとんでもないものを引きずり出しちまったってわけか。……あの男がお前に手を出さなければ、お前はただ傍観しているだけだったってことなんだろ?」
「……」
男の質問にエストは答えない。ただまっすぐに相手の瞳を見つめている。
「さて、それで俺がお前と敵対するかどうかだが、もちろんお前は殺す。あれぐらいなら魔法か魔法薬ですぐに治せるが、部下がやられているっていうのに“ボス”である俺が黙っているわけにはいかねぇからな」
男は言葉の中でエストが部下につけた傷を“あの程度”と言っていたが、彼のその表現は正しい。先ほどからのエストの攻撃は目ばかりを狙う、えげつないもののように思えるが実はそうでもない。
魔法や魔法薬学が発達した現代では、“あの程度”の傷であれば多少の時間が必要となるものの完全に治せるのだ。勿論、傷の深さなどの状態に伴った対価――大金が必要になるのは言うまでもないが。
エストは腰から新しいナイフを引き抜く。そのナイフは柄だけを見れば一般的なナイフと変わらないが、肝心な刃の部分が一般的なそれとは異なっていた。
「あんな“魔導具”は見たことがないな。……おいおい、っていうことは何かの儀式で使うお飾りの武器か!? ……あらかた俺が魔導具と勘違いして逃げることを期待しているっていうわけか」
男は刃が透き通った水色をした――氷のようであるが冷気は感じさせないナイフを見て呟き、唇を吊り上げる。
「俺はお前を殺す。それは決定事項だ。だが、俺は慈悲深くもある。お前じゃあ俺には勝てない。投降しろ。そうすれば楽に殺してやる」
男は傲慢な態度でエストに告げる。男の言葉に対してエストは何の反応も示さない。ただひたすらに相手を観察し、無駄になるかもしれない情報を集め続ける。
「お前がさっきから使っているスキル、“特定の武器を持った際に身体能力が強化される”類のものだな? ……ん? でもなら何でお前、木の冒険者なんだ? いや、今はそんなことどうでもいいか」
――体格から歩幅を予想する。
「その若さで上位スキルを行使する……立派なものだ。だが、いやだからこそ、それ以外のスキルをお前は使えない。一般的な習得年数から考えてな……お前、十五歳ぐらいだろ?」
――得物と腕の長さなどから間合いを予想する。
「そんぐらいで上位スキルを複数使えるのは“裏側の向こうから来る者”――“精霊人”ぐらいだ。お前は、あいつらと同じ黒い髪をしているが、纏っている雰囲気が全く違う。間違いなくこの世界の者だ」
男は何の反応も示さないエストを殺すことに決めたのか、剣を引き抜く。
「俺はお前のような何か一つのものに特化したやつに強いんだよ。俺が持つスキルは【腕力強化】【上位脚力強化】――」
男は声に出してスキルを発動させていく。
実際には声に出さずともスキルを発動させることは出来る。しかし、声に出して発動させた時と出さずに発動した時では、その効力は何十倍と異なってくる。
もちろん、発声してスキルを発動させた方が効力は良くなり、このことは同じ神秘である“魔法”にも言えることだ。
「そして――」
男が剣を振るうには遠い所で、力強く一歩を踏み込む。その動きに合わせて、エストは足早にきっちりと三歩、前に進んだ。
すでにスキルを発動していた男は、目にも留まらない速さでエストとの距離を詰め、剣を振り上げた。
「相手のスキル一つを無効化する【簡易スキル無効化】だぁぁ!」
男は勝利の確信と共に全力で剣を振り下ろす。男が勝利の確信を持ったのは、スキルを一つしか持たない相手にとって、それを無効化する【簡易スキル無効化】のスキルは“初見必殺”であるからだ。
スキルを持つ男性と持たない男性の間には、努力や才能、一時の幸運では決して埋められないほどの格差が存在する。
それ故の初見必殺――のハズだった。
「なにっ!?」
エストは振り下ろされる剣を風に吹かれて舞う落ち葉のようにヒラッと避ける。
エストの回避に焦ったのは褐色肌の男だ。焦ったのはスキルの加護がないはずのエストが超人じみた回避を見せたこと。そして自分のミスに気がついたからだ。
「くそっ、近すぎてすぐに追撃ができねぇ(このまま押すか? それとも離れるか?)」
エストが進んだ三歩分の距離、それによって男はエストとの距離間を見誤ったのだ。
エストは剣を避けた時の体重移動を利用して男の横をすり抜けると同時にその脇腹をナイフで切り裂いた。
「……っ」
男の顔が一瞬歪む。
しかし、エストが男につけることができた傷は浅く、けっして致命傷には見えない。それに、エストが持つナイフの刃は男に傷をつけると破砕音と共に砕け散り、跡形もなくなってしまった。今、エストの手元に残っているのはナイフの柄の部分のみだ。
男は傷など全く気にせずに素早く振り返り、エストに向かって剣を構える。
「やってくれたな。そんな武器で傷つけられるとは思わなかったが、浅すぎだ。お前は一撃でおれ、をしとめ……るべきだ――」
男は突然その場に倒れこむ。
「体が思うように動かねぇ。まさか即効性の毒、か? 耐性のあるスキル所有者、それも俺に効くとは……おまえ、は……」
男の声にエストは答えない。ただ、閉じていく瞳を見ているだけだ。
「なぜ……回避のスキル……を?」
男はエストの先ほどの回避が、そういった系統のスキルを使った結果であると考えた。
掠れた声を振り絞って男はエストに尋ねる。自分のいつまで続くかわからない命のことでも、後悔や恨みでもなく、ただ自分の力が破られたのはなぜか、と。
エストは閉じかける男の目をしっかりと見る。
「……僕はただの一つもスキルを使うことができないんです。もし、あなたがそのことに気がついて慎重に動いていたら、あなたには勝てなかった」
その答えを聞いて、男は何を思ったのか口元に笑みを浮かべる。毒が完全にまわってきたのかもう喋ることは出来ないようであった。
「それと、安心してください。あなたに使った毒は確かにスキル保有者でない人にとっては致死性のものですが、そうでないなら話は別です。金相当のあなたなら、丸一日体が動かないだけで済むでしょう。他の三人もこれから意識を奪いに行きますが殺しはしません。ただ、犯罪奴隷として冒険者ギルドに引き渡しはしますが」
エストのその言葉を聞き、男は完全に意識を失うのだった。
◇◇◇
“男性と女性の能力的な違いはどこにあるのだろうか?”
様々な議論を重ねた最終的な答えは千差万別になるだろう。けれど、誰しもが“最初に”頭の中に思い浮かぶ答えはこれに違いなかった。
“男性は【スキル】を、女性は【魔法】を使うことができる”
決して男性が魔法を使えず、女性がスキルを使えないわけではない。特上の才能を賦与された者が果てしない努力をした場合、男性であれば一瞬にも満たない間しか持続しない灯火を出すことができるだろう。女性であれば瞬間的に小指一本分にも満たない力を自らの拳にのせることもできるだろう。
つまりはそういうことだ。使えないわけではないが、それぞれ使う必要が無いのだ。それにまさる神秘――男性であれば【スキル】、女性であれば【魔法】を行使することが出来るのだから。
ご愛読ありがとうございました。