プロローグ
「よし、やっと着いた。……久しぶりに来たけど、やっぱり懐かしいという感じはあまりしないよな」
扉を開けて部屋に入り、そう言った人物は迷う素振りもなく、ある箇所に向けて歩を進める。ある箇所、それは部屋の中央にある台座だ。
――ピチャ、ピチャ。
歩くたびに、水の跳ねる音が部屋の中に響く。
この部屋の中も、今通ってきた扉の外も、靴底の厚み程の水位ではあるが、水に浸かっているのだ。
ピチャピチャという水音をたてながら、その者は台座まで近づいていくと、その前でピタリと止まった。
「……」
部屋の中央にある台座は、何も装飾の無いかのように思われたが、触れられるほど近くまで行くと、その上にドロリとした黒色を呈する玉が収まっていることがわかる。
玉そのものは部屋に入ってきた時から見えていたが、台座の色と一体化していてわかりづらくなっていたのだった。
「(ここのは他のと比べてだいぶ濁っているな。人間か亜人か、魔獣か、魔物か、それとも魔族か)」
この世を占める種族を思い浮かべながら、台座に取り付いている黒色の玉に手を伸ばす。
「まあ、原因はわからないし、率先して解決をする気もないけど。……それは、この世界に生きる者たちの仕事だと思うから。僕の仕事は――」
そう口にして、玉に触れる。すると――
玉そのものが持つ色であるかのように見えた黒色は音もなく霧散し、その者に吸収されるように消える。後には無色透明、ガラス質の玉のみが残っていた。
「うん、これで元通り。ここはまだ見つかっていないみたいだし、魔物に関しても大体は倒したから問題はなさそうだ。……この後はどうしようか? この近くで時間を潰すのもいいかなと思ってるんだけど」
「そうですね。ですが、次は何年ほど過ごすおつもりですか? この間のように、あまり長すぎるのも」
何もないところから、金髪赤眼の少女が音もなく現れて尋ねる。少女が身に纏っているのは真っ白のワンピースだ。
「うーん、四半世紀くらい? この国は久しぶりに来たし、隅々まで見ておきたいかな。とりあえず地上に出て、近くにある町――ここに来る途中にあった町にでも行って、また冒険者でもやってみようかな」
◇◇◇
「もう一度、お伺いしても?」
「ああ、あの時は外の様子を見てなかったんだ。じゃあもう一度説明するけど、少ししたら使用人として働くことに――」
それは、ある小さな町にあるオンボロ宿の一室での会話。会話といっても、もし隣室で聞き耳を立てている者がいたら、部屋から聞こえるのは一人の声のみではあるのだが。
「その間の、あの面倒ごとはどうされるのですか? 使用人というのは住み込みで働くものなのでは? あれは、私にとってはどうでも良いことですが……」
リウの言葉は尻すぼみになり、途切れる。
「そうだけど、職場に一人きりというわけでもないんだし、休みはあるんじゃないかな。その時に、ルトに頼んで運んでもらうよ。それに、“おとこ”としてって頼まれちゃったしね」
その「“おとこ”として」という言葉を聞いて、金色の髪に紅い眼をした少女――リウはこのような状況になった要因の一つに気がつく。
「はぁ……そういうことでしたか。そういうことなら、今この場で、私から言うことはありません。全く納得はしていませんが……。他にも理由がありそうですし」
エストを説得することをリウは諦めたようで、その場から彼女の姿は掻き消える。
「何かが引っかかったんだよね。見えない者に袖を引かれたというべきなのかな? ……具体的にそれが何かはわからないけど――」
“――僕の人生で、こんなことは初めてだ”
「だからさ、僕が感じたものの正体を確かめてみたいんだ」




