第一章23話 『ティアリス/ティアリス・アークフェリア』
――ティアリスが攫われた次の日、学園のない休日
この日は、エストがティアリスに見つからないよう、以前よりも強力な結界を何回かの工程に分けて張ったり、衛兵の詰所に行って一連の事件について伝えたり、王都のアークフェリア邸へ手紙を出したりしていると、瞬く間に終わった。
――そして、また次の日
昨日で休日は終わり、今日は学園に行かなければならない日だ。本来ならば。
エストは“学園を数日の間は欠席する”という旨を記したメモを、アークフェリア邸への手紙を出すついでに学園に赴き、常駐している警備員に渡していた。エストが警備員に頼んだメモの送り先は、担任のアンネロッテだ。
「エスト君、私はもう学園に行けますよ? 怪我もありませんし」
エストとティアリスは朝食を終え、談話室で紅茶を飲んでいた。紅茶を用意したのは、もちろんティアリスだ。ティアリスはソファー、エストはイスに座っている。
「お嬢様、そういう問題ではありません。命が危険に晒されたのです。それに、お嬢様が見たという三人以外にもまだ敵がいる可能性もありますから、数日の間は様子をみておく必要があります」
「……ですが、そういうことなら屋敷内にも敵が侵入していたのですから、ここも危ないのではないでしょうか?」
ティアリスはクッションを抱えている。
「……」
屋敷の周囲に新たな結界を張り巡らせていることを、エストはティアリスに伝えていない――というより、伝えられない。
「(……魔法、だからな)」
結界とは、魔術師――エストが魔獣相手に使用していた障壁の魔法などに、莫大な魔力をつぎ込むことで、展開時間を最大で一日程度に引き延ばしたものだ。つまり、結界は決して魔法が使えないはずの男性――エストが使えていいものではない。
また、結界は魔力をさらにつぎ込んだり、人によっては特殊な儀式を行うことで、結界のアレンジをすることもできる。エストが今、屋敷の周りに張っている結界は自分とティアリス以外の人の出入りを完全に遮断するというものだ。
「昨日、衛兵の詰所へ今回の件について報告をしに行った際に、『街の巡回にさく人員を大幅に増やす』という話をしていたので、大丈夫だと思いますよ」
エストの言葉に嘘はない。ただ、その巡回の範囲にこの屋敷の周囲――上級貴族が住まないこの辺りが含まれているのかは不明だが。
「……衛兵、ですか。この屋敷の立地を考えると、あまり信用は出来ませんが、エスト君がそう言うなら安心ですね。では、そろそろ私は昨日と同じく自室に」
何かが待ち遠しいのか、ティアリスはそわそわしている。昨日の朝も同じ様子だったので、エストはそのことについて彼女に尋ねてみたが、「もう少ししたら」とはぐらかされてしまったため、彼女がこんな風になっている理由はわからない。
「わかりました。私はまだここにいるので、空のカップはそのままで大丈夫ですよ」
ティアリスは、まだ紅茶が入っているエストのカップとティーポッドを見ると、「お願いします」と言い、自分の空になったカップをトレイに戻して談話室を出て行った。
「昨日からすごく楽しそうにしているな。本当に何をしているんだろう?」
エストは一人になった部屋でポツリと呟く。それは、エストにとっては特に何も考えずに自然と口から出た独り言だった。しかし、
「……ん? なんか少し寒気が」
エストは違和感を覚え、ふと後ろを振り向く。
「ふふっ、エスト様? そんなに気になるなら私が確認してきましょうか?」
エストが振り返った先にいたのは、柔らかな笑みをたたえたリウだった。彼女の周りには三羽の小鳥が飛んでいる。
室内で鳥が飛んでいる。明らかに普通のことではないが、鳥たちをエストが気にしている様子はみられない。
「いや、いいよ。確かに気になるには気になるけど、『あともう少し』って言われているし、それに勝手に覗き見るのはダメだよ」
「そうですか……残念です。年頃の娘がそわそわしながら自室に行き一人ですること……ふふっ、ほんの少しだけ楽しみにしていましたのに」
リウは艶やかに微笑み、ソファーに座る。それを確認した小鳥たちも、各々部屋の気に入ったところに止まる。
この後、昼食を作る時間になるまでエストはリウと談話室で会話をしながら過ごした。
◇◇◇
夕食を食べ終わったエストとティアリスの二人は、その片付けも終えたため、談話室の定位置でゆっくりとしている。
「……」
ただ実際のところ、本当にゆっくりしていたのは一人だけで、もう一人は少し離れたところに座る者に、どうやって声をかけるか悩んでいた。思い悩んでいた者は、ようやく話を切り出す決心がついたようであった。
「エスト君、実は見てもらいたいものが……」
「あ! それはもしかすると、昨日からの?」
少し顔を赤らめながらティアリスは頷く。
「お嬢様が何をしているのか気になっていたんです。ぜひ、見せてください」
エストの言葉にティアリスはもう一度頷くと、手のひらを上に向けて片手を前に出す。
「(授業でやった大魔源を手のひらに集めるやつ、をやるのかな? あの時はコツを掴めていないようだったけど)」
ティアリスは目を閉じ、肩の力を抜く。
「……いきます」
授業の際には、ティアリスが長時間集中して大魔源を集めようとしても、手のひらに大魔源が集まることはなかった。
しかし、今回はそうならない。変化はすぐに訪れる。
ティアリスの手の平の上には幻想的な白色の光の玉のようなものが浮かんでいた。
「……すごい、すごいです! お嬢様!!」
ティアリスの手のひらに上には、しっかりと大魔源が集まっていた。それに、アンネロッテと比べると総量こそ少ないものの、他の学生の様に見えるか見えないかというような薄いものではない。
「大魔源を集めるコツを掴んだのですね!」
「……集められる量は少ないですが」
エストの言葉にティアリスが恥ずかしそうに言う。
「(大魔源を全く動かすことが出来ない状態から、数日でここまで上達するなんて本当にすごい。何があったんだろう?)」
エストが考え込んでいると。
「あの、エスト君」
先ほどとは打って変わって気まずそうな表情で、ティアリスがエストに話しかける。
「前に一度、断っておいてあれなのですが」
ティアリスはそこで言葉を一度切り、息を整える。
「魔法の練習に付き合ってはくれませんか?」
◇◇◇
――ティアリスがエストに魔法の練習の付き添いを頼んだ翌朝
「それでは始めましょうか、お嬢様」
「はい!」
朝食を終えた二人が、魔法の練習場所として選んだのは屋敷の裏手。練習場所をココに決めたのは、屋敷内だと魔法の制御を誤った時に危険なため、また屋敷の表側だと塀の外を歩く人の目線が少なからず気にしないといけないからだ。
「第一位階光魔法を使うことを意識して大魔源を取り込む練習をした方がいいんですよね?」
「はい。その方が魔法を使う感覚を掴みやすいと私……の知り合いの魔術師から聞いたことがあります」
エストはうっかり「――私は思います」と言いそうになるが、寸前のところで言葉の着地点を変えることに成功する。エストの言い回しで、ティアリスが何かに気がついた様子はない。
「第一位階光魔法の中でも使いたい魔法を意識した方がいいのでしょうか? 光球とか光槍とか」
「はい、お嬢様のおっしゃる通りです。私が聞いたところによると、イメージがしやすく、攻撃性のない“――光よ”あたりから練習をした方がいいそうです。位階に合わせた光源をつくる魔法ですね。しかし、この一連の話も、その魔術師が考える魔法の練習方法というだけで、確実に魔法が使えるようになる、といったものではありませんので、そのことは念頭に置いておいてくださいね」
エストの言葉を聞いたティアリスは頷くと、小杖を構える。
こうして魔法の練習は本格的に始まった。
◇◇◇
ティアリスは朝からずっと、一方でエストは昼食のサンドイッチを作るとき以外は、常に屋敷の裏手に出て魔法の練習をしていた。
日が落ち始め、空が茜色に染まる。
「(最低でも二週間ほどはかかると思っていたのに、たった一日でこの段階まで習得するとは)」
エストの見つめる先には、自分の正面に小さな白色の魔法陣を展開したティアリスの姿がある。魔法の習得には最低でも一カ月はかかると言われているのを考えると、ティアリスの成長具合は異常なほどだった。
「――“光よ”」
ティアリスの声と共に展開していた魔法陣がパリンと音を立てて砕け散る。通常、魔術師が魔法を使う際に破砕音が発生することはない。つまり、今のティアリスの魔法は失敗だ。
「(惜しい。でも段々と形にはなってきている。この失敗もあと何回見られるかわからないな。……よほど、“あの方法”が合っていたのかな?)」
今まさに魔法を失敗したばかりのティアリスは、何やら考え込んだ後に再び杖を構える。しかし、ティアリスが手にしているのは杖だけではなかった。
「左手に小杖、右手に空のティーカップか。まさか午前中に言った“たとえ話”がこうして形になるとは思わなかったな」
エストは午前中のティアリスとの会話を思い返す。
「アンネロッテ先生は大魔源を手のひらに集める感覚と、魔力炉に取り込む感覚が同じ人もいると言っていましたが、どうやら私は違うみたいです。いまいち魔力炉に大魔源を取り込む感覚が掴めません」
「そうですね……。感覚は人それぞれなので参考になるかはわかりませんが、私の知り合いの魔術師は、魔法を使う際に大魔源を魔力炉に取り込むというイメージは持たないと言っていましたよ。例えば、お嬢様ならティーカップに淹れた紅茶を飲むというイメージでやってみてはどうでしょうか?」
――回想終了。
エストがこの話をした後、ティアリスはそのイメージを持って大魔源を魔力炉に集める練習をしたが、どうも上手くはいかなかったらしい。そのため、昼食を挟んでからは、ティアリス本人の「実際のモノ――ティーカップを持ってきた方がイメージをしやすいのではないか」という発想で、屋敷から空のティーカップを持ってきて練習に臨んでいた。
その結果、左手に小杖、右手にティーカップという本来なら組み合わされることのないモノたちを、ティアリスは装備している。
「(大魔源を魔力炉に取り込む感覚を覚えるまでの話だからいいのかな。流石に実戦では持たないよね。ティーカップ)」
エストがそんな不安を抱いていることなど露知らず、ティアリスは空のティーカップに口をつけ、離した。
「――“第一位階光魔法”」
声と共に白色の魔法陣が展開する。
「(今までよりも安定している)」
安定した状態で展開された魔法陣にエストは期待の眼差しを向ける。
「――“光よ”」
次の声とともに、ティアリスが展開した魔法陣の先には攻撃性のない光の球が生まれた。
「……ぁ」
ついにティアリスの魔法は成功したのだ。
ティアリスは日が落ちた屋敷の裏手で、ぼーっとその光球を眺めている。
「やりましたね! お嬢様!!」
「はい、やりました!」
近くまで駆け寄っていたエストの声で、ティアリスはようやく動きを取り戻した。しかし、
「お嬢様?」
ティアリスの頬には光るものが伝っていた。
「すみません、うれしくて。……。……そうですか。魔法を使えるようになって嬉しいのですね、私は」
ティアリスは目を赤くしながらもエストの方に向き直る。
「エスト君、魔法の練習に付き合ってくれてありがとうございました」
「少しでもお役に立てたのならよかったです」
「次は、ティーカップから卒業しないといけませんね」
ティアリスは笑って言う。
「……そう言えば、エスト君の質問で私が答えていないものがありましたね」
「質問ですか?」
エストは思い当たることがなくて首を傾げる。
「入学式の後のです。私に『自由な意志はあるのか』と」
「(ああ! あの時の。でも何で今なんだ?)」
「……その答えが、少しだけ見えたので」
エストの「なぜ今なのか」という疑問は、思いのほかはやくに解決する。
「少し長くなるかもしれないので、座りましょうか」
二人は屋敷の裏手に置かれたベンチに座る。すでに日は落ちきり、二人の頭上には夜空が広がっている。
ティアリスは空に浮かぶ星々を見ていたが、それも少しの間のことで、小さく息を吸って吐くと意を決したように口を開く。
「私は、誰かに望まれて生まれた人間ではないんです」
「――!」
エストは突然の告白に驚いたが、ティアリスの言葉を最後までしっかりと聞くために下手な質問は挟まない。
「そんな私の役割は、アークフェリア家の政敵となり得る家に嫁ぎ、その家を押さえつけることです。私が今まで生きてこられたのは、間違いなくアークフェリア家のおかげですから、自ら望んでというわけでもないですが、そのこと自体に不満はありません」
少女は膝の上で右手と左手の指を絡めたり、離したりしている。
「今回、こうしてアルトリウスに送られたのも、魔法を覚えて利用価値を高めるという狙いがあるそうです。魔法に限らず、こういったことは王都の屋敷でもありました。私は……、魔法のことを今までに学んだ歴史や法律、作法と同じく、望まない相手のために学ぶただの嫁入り道具だと考えていました」
「(それなら、なぜあれほど楽しそうに魔法の練習を。それに魔法を使えた時に『嬉しい』って)」
「ですが、魔法は教育や作法のように私が『学びたくない』と思いながらでは習得ができないものでした」
“魔法は心の底から学びたいと思わなければ習得することができない”それは、ティアリスがアルトリウス魔導学園の授業初日に習ったことだっただろうか。
「実際に、座学で先生の話を一生懸命に聴いて、実技の授業を一生懸命に取り組んでも大魔源を動かす感覚というものは、全く掴むことができませんでした」
エストは実技の授業でティアリスの周囲の大魔源が微動だにしなかったことを思い返す。
「なので、私は……“自分”を捨てようと、そう思ったんです。自分の意志を曲げて、心からアークフェリア家の道具になりたいと思えば、心から道具としての利用価値を高めたいと思えば、私という目に見えるモノだけではなく、目には見えない私の意志さえも売り渡してしまえば、魔法を使えるようになると思いました。だから――」
ティアリスはギュッと両手に力を込める。夜空を写し取ったような深い青色の瞳から涙が溢れている。しかし、少女の涙は決して、悲しみから流す涙ではなかった。
「思ってもみなかったんです。魔法を使えるようになってこんなにも、うれしいだなんて。こんなにも心が満たされて、魔術師としての道を歩み始めるなんて。……きっと、私の魔術師としての第一歩は、自分というモノを全て捨て、優れた道具になるための、失意に満たされた始まりだと思っていましたから」
ティアリスの言葉が途切れる。
「……」
「とても綺麗な魔法を見ました」
「……?」
目を赤く腫らしながらも、ティアリスは言葉を続ける。
「綺麗な魔法を見て、その魔法に憧れました。いつかは私もその魔法を使ってみたいと、そう思ったんです。そのために、魔法の練習をしたいと心の底から思えたんです。それは、私が道具になりたくないと、心の奥底で拒む気持ちをはるかに上回る想いだったんです」
「(綺麗な……。あの時の言葉もたしか――)」
エストは数日前の夜を思い出す。
「この想いは決して失意から生まれたものではありません。道具になるために生まれた想いではありません。……私がアークフェリア家の道具として生きることに、変わりはありません。ですが、その道筋にこんなにも温かい気持ちがあれば――」
ティアリスは涙を軽く拭う。
「――私は自分を捨てずに、これからもちゃんとやっていけます」
エストはこの言葉を聞いて、そう言えば目の前の少女がただの一度も「ティアリス・アークフェリア」とは名乗っていなかったことに気がついた。それは、家名を名乗ることを禁じられていない屋敷の中も含めてだ。
ティアリスは一度、エストの目をしっかりと見ると立ち上がる。
「……先に戻って、お風呂の準備をしていますね」
ティアリスはエストに一言を残して屋敷の中へと戻っていった。
冷たい風が屋敷の裏庭を吹き抜ける。ティアリスがこの場にいなくなったことで、エストはこの場所が一気に冷え込んだように感じた。
「(身体的な自由はなくとも、その意志は自由ということか。けど僕は……いや、それはきっと自分勝手なことなんだろうな。だから、せめて僕は……、それと近い境遇を知っている僕は、これからもお嬢様の力になろう)」
エストは少しだけ時間を潰すと、忘れ物がないか裏庭を見渡してから、屋敷の中へと戻った。
ご愛読ありがとうございました。




