第一章20話 『白き足跡の巡遊』
「後ろに下がっていてください」
魔術師の警告を聞くと、ティアリスは急いでその場から離れる。自分の力の無さを、理解しているからこその即断即決だった。
「あいつらは負けたのね。……これでまた、あいつらみたいなのと信頼関係を築くところから始めないといけないのかと思うと、……憂鬱だわ」
妖艶な女――仲間にレリエルと呼ばれていた女は、口元についていた赤い汚れを指で拭い、それを舐めるとかったるげにため息をつく。
「一応聞くけど、顔を隠しているあなた。あれを置いていくつもりはないかしら? いまさっき食事を取ったばかりでね、あまり働く気分じゃないのよ」
レリエルはそう言って、ティアリスがいる方へ目線をやる。
「……」
その視線を魔術師は自分の身体を使って遮る。
「……ないみたいね。であれば、死になさい。 ――“第三位階土魔法”」
言葉とともに、レリエルの前に紫色の魔法陣が展開する。
接近戦の出来ない彼女は、相手との距離を計算して、自分の魔法が発動する前に、万が一にでも、敵から接近されないことを確認してから魔法を使った。
「……っ」
魔術師は魔法陣が展開したのを見て、レリエルの方へと走り距離を詰めようとする。
「よほど強力な遠距離攻撃のできる魔導具を持っているのならともかく、この距離であなたの攻撃が私に届くことは無いわ。それではさようなら。“土――」
しかし、レリエルの言葉は不自然に途切れる。
「ぐっ……どうしてっ」
彼女が魔法を中断せざるを得なかったのは、投げナイフ――ではなく、飛来した光の槍に胸を貫かれたからだ。
レリエルを貫いた魔法――“光槍”を放ったのは、距離を詰めていた魔術師――のはずだが、レリエルにはその確信が持てない。というのも、魔術師が自分に手のひらを向けた瞬間に槍が現れ、それが自分の方へと射出されたからだ。
「第一位階とはいえ、どうやって……杖も、詠唱も、魔法陣も……“起こり”さえも起こさずに……」
レリエルの言葉は途切れ、そのまま前のめりに倒れた。魔術師はゆっくりとレリエルに近づく。
「それでも……あなたは、……逃がさ、ないわ……」
そう言い残して、レリエルは目を閉じる。
「……」
魔術師はレリエルに近寄り、彼女が呼吸をしていないことを確認する。そして、それが起きたのは、魔術師がレリエルの死亡を確認し終え、立ち上がった時だった。
「――!?」
レリエルが右手にはめていた指輪が怪しく光を放ち、粉々に砕ける。指輪から放たれた光は波となり、周囲に向かって一瞬で広がっていった。
魔術師は急いで、ティアリスの元まで戻る。
「嫌な感じがします、急いでここから離れましょう」
「はい」
異常事態が起きたことはティアリスも気がついていたため、すぐに頷く。
ある方向を目指して、二人は平原を走る。未だにここが何処だか正確にはわからなかったティアリスは、魔術師を信じてその後ろをついて行く。
しかし、少し進んだところで、
「……あれは」
「――っ!」
進行方向に発生した異変に最初に気がついたのは、前を走る魔術師だった。
二人の視線の先にあったのは、暗く奥が見えない森の中から、こちらの開けている場所--平原へと姿を見せたゴブリンやオーク、それに人の背丈の二倍ほどの巨体を持つオーガなどといった亜人系の魔獣。
それらの魔獣は、アルトリウス近郊でよく発見報告がなされているため、目の前に現れたところでおかしくはない。アルトリウス近郊に亜人系の魔獣が多いことは、二人も知っている。
二人が驚いたのは、その数に問題があったからだ。魔獣たちは湯水のように--途絶えることなく森から平原へと出てくる。
「きゃっ。……すみません。ご迷惑をお掛けします」
魔術師は何も言わずにティアリスを抱えると、反対側に向かって、すぐに走り出していた。
「(周囲の魔獣を近くに転移させる指輪、かな。魔法が使えるゴブリンメイジやオークメイジまでいるし、厄介だ)」
背後から迫る無数の足音を聞きながら、魔術師はティアリスを抱えて走る。
「このまま教会の前まで戻った後、大きく迂回をして、あの集団を躱します」
しかし、ティアリスがその言葉に頷いたのと同じくして、二人が目指している方向で空間が歪む。
「「――!」」
歪んだ空間から出てきたのは、後ろから迫っている魔獣たちと同じ類のもの。数もそれと変わらないか、それ以上。
「まだこんなに!? この規模で効力を発揮するなんて……」
魔術師は無意識にレリエルの遺体を目で探すが、彼女が倒れていた場所はすでに魔獣によって埋め尽くされているため、確認できない。別のことに意識を取られている内に、
「……っ!」
魔術師は再びの魔獣の出現を確認する。何とかこの形成されつつある包囲網を突破しようと左右を見たが、そこでも空間が歪み始め、今まさに魔獣が出てくるところだった。
「(……囲まれた。それに距離が近すぎる。これでは、この状況を打開できるほどの魔法を発動させられない)」
魔術師は、なるべくどの方向から見ても魔獣から遠いところ――平原の中心辺りで、ティアリスを下ろす。そしてすぐに、
「――“第四位階光魔法”」
二人のすぐ近くに、魔獣が放った矢や魔法が飛んでくる。
「――“光壁”」
魔術師は、敵が迫ってくるまでの間で作れる最も強固な障壁をドーム状に張る。魔術師が攻撃系の魔法を使わなかったのは、それ一発でこの状況を変えることが出来ないからだ。
「(あの程度の魔法や矢だけなら、いくらでも耐えられるけど。数で押しつぶされるとあっという間に破壊される。相手が接近してくる前までに打開策を考えないと)」
魔術師は顎に手を当てて、この状況に最も適した対処方法を考える。
「……、……、……」
自分のローブの袖を引く者がいることに、魔術師は気がつく。そちらを向くと、真剣な顔をしたティアリスがいた。
「お願いします。私を……ここに置いて行ってください」
ティアリスは顔が全く見えないフードの中を見て、はっきりとその言葉を魔術師に告げた。
「……なぜ、そのようなことを?」
「あなたが一人であれば、この状況を切り抜けられるはずです」
「……」
ティアリスの言っていることは正しい。魔術師が一人でこの状況に遭遇したのなら、包囲されても楽に切り抜けることは出来ていただろう。そして、それは今からでも変わらない。
「おそらく、ここはアルトリウス北部の森。ということは、あの魔獣たちがこの後にアルトリウスを襲撃する可能性は高いでしょう。……ここまで助けて頂いたのに、これ以上を望むのは、厚かましいというのは承知の上です。ですが、お願いします……あなたの力を、アルトリウスにいる人々に――あなたが会った使用人、エストに危険が迫っていることを伝えるために貸してはくれませんか?」
「……」
本心からそう願っているのか、少女の瞳は全く揺らいでいない。
「報酬は私の屋敷にある金貨を。金庫の場所はエストに聞けばわかるはずです。そこに入っている金貨は全て持って行ってもらって構いません。ですが、その場合は“エスト君”を国外に連れ出してあげてください。……彼はセミファリアに残り続けると命が危険にさらされるかもしれないのです」
ティアリスは「お願いします」と頭を深く下げる。
「……。あなたは、……死ぬことが怖くはないのですか?」
数千体をゆうに越しているであろう大量の魔獣に、魔術師が張った障壁の四方は囲まれている。すでに平原は、中央に存在する不自然な空間――魔術師が張った障壁内とその周囲の僅かな空間を除いて、魔獣たち一色に染まっている。
だが、最前線にいる魔獣たちは障壁に仕掛けがあることを疑っているようで、障壁から一定の距離を空けたまま、魔法や矢を放つばかりで、障壁に直接攻撃を仕掛ける様子は今のところ見られない。
「あなたがここを離れたからといって、私が必ずしも殺されるとは限りませんよ? これでも私は、アルトリウス魔導学園の学生なのです。事態が収まるまで耐えられるかもしれません」
少女は、柔らかに微笑みながら答える。
「なので、あなたは何も気にせずにここを離れてください」
少女は年齢にそぐわない、強い意志のこもった瞳をしていた。
「……決めた。いえ、元から考えは変わっていないので、強く決意したと言った方が正しいのでしょうか。……どちらにせよ、私はここに残ります」
「――っ!? ……どうして、ですか。あなたがここに残る理由は――」
少女が初めて魔術師との会話において動揺をみせる。
「ありますよ、理由」
魔術師はティアリスの言葉を遮る。
「――あなたを助けたいと思ったからです」
「……わたし、を?」
その言葉の意味がわからないとばかりに、ティアリスは難しい顔をする。
「それに、あなたは一つ勘違いをしていますよ」
「……勘違い、ですか?」
「ええ、私が先ほどから考えているのは、包囲網を抜けるための作戦ではなく、……包囲している魔獣たちをどうやって、一匹残らず殲滅するか、です」
「――?」
“突破口を開く”でもなく、“自分が囮になるから逃げろ”でもない。魔術師が口にした言葉をティアリスは理解できなかった。
「……」
魔術師は自分のローブの中から、手のひらに隠れるサイズの何かをチョンと摘まんで取り出すと、それを摘まんでいた指と指をパッと離した。
「……ガラス製の竪琴?」
竪琴は空中に留まることなく落ちていき、地面へと触れる。しかし、竪琴が地面に当たった衝撃で割れる、なんてことはなかった。
「――っ!」
地面に触れた竪琴は、まるで水の中にでも落ちたかのようにピチャンという音をたてて、地面の下へと沈んでいく。そして、すぐに竪琴の演奏が始まった。その音色は、聞くもの全てを落ち着かせるような柔らかなものだ。
また、竪琴の音色が響き始めるのと同時に、魔術師の足元に銀色の魔方陣が展開する。魔方陣の大きさは、先ほどの第五位階のものと比べると非常に小さく、また大人二人が横になったほどしかなく、到底この規模の魔獣を倒せる魔法が発動しそうにない。
けれど、展開した魔方陣は一般的な魔方陣との決定的な違いがあった。
「……銀色、この属性は何だろう? それに紋様が絶えず変化している……」
魔方陣の色は、火であれば赤、水は青、風は緑、土は紫、光は白で、闇は黒。銀色を冠している属性は存在しない。加えて、一般的な魔方陣を構成している紋様は変化することがない。
魔術師の足元に、魔方陣が展開したことに気がついたリーダー格の魔獣――背の高いオーガが、ゴブリンやオーク達に突撃命令を出す。彼らは、四方から一斉に障壁へと迫った。
ついに障壁への直接攻撃が始まる。
――ピキリッ
物量をもっておこなわれた第一波の攻撃で、障壁に小さな亀裂が入る。
そして、ちょうどその時にそれはティアリスの耳に聞こえ始めた。
“――私を想って、私をおもって、約束しましょう?”
聞いたこともない少女の声に、ティアリスは思わず辺りを見渡すが、見えたのは魔術師と魔獣だけだ。少女の姿はどこにも見えない。ティアリスは知らないことだが、この声は金髪赤眼の少女のものだった。
“――あなたの幸運は私の幸運、私の幸運はあなたの幸運”
その声は、歌うように。
“――あなたの敵は私の敵よ?”
その声は、やさしく語りかけるように。
“――ねぇ教えて、……復讐相手は誰かしら?”
その声は、ねっとりと絡みつくように。
ついに、障壁を破れないことに痺れを切らした一体のオーガが、前にいたゴブリン達を押し退け、踏み潰しながら障壁の近くまで進み、手に持っていた両手斧を大きく振りかぶって、障壁へと叩きつける。
――パリンッ
ガラスが砕けるような音とともに、魔術師が張った障壁は粉々に砕け散る。
“――これよりは、楽しい悪夢の始まりはじまり”
まるで物語の始まりを告げるかのような、少女の言葉が途切れるのと同時に、魔術師とティアリスを中心にして、周囲へと暴風が吹きだす。
“――【白き足跡の巡遊】”
耳元で囁くような声が聞こえたかと思うと、目を開けていられない程の強い光が辺りを包み込んだ。
「――っ!」
あまりに強い暴風と発光に、ティアリスは思わず目を閉じる。それらが治まるのを待ったティアリスはゆっくりと目を開けるが、
「…………」
目を開けたはいいものの、ティアリスは茫然として固まってしまう。直前まで、目の前にいた魔獣の姿は無くなっている。変わりに目に入ってきたのは、
「……白い花」
無意識にポツリと言葉を零す。ティアリスの目の前に広がっていたのは、月夜の下、白い花弁をつけたクローバーが見渡す限りに広がっている光景だった。少女の声はもう聞こえないが、竪琴の音色はいまだに響いている。
「ここは?」
ティアリスが横を向くと少し離れたところに、見覚えのある教会が見えた。
「同じ場所、なの? 確かにあの教会には見覚えがあるけど、……まるで、おとぎ話に出てくる妖精の世界にでも迷い込んだかのような――」
「先ほどまでと同じ場所ですよ。まだ魔獣たちもいますしね」
「――!」
ティアリスは突然かけられた声に驚き、少しビクリとする。ティアリスは状況の変化についていけず、隣に魔術師がいたことをすっかり忘れていたのだ。
ティアリスは魔術師が指を指した方をみる。
「ぁ……」
そこにいたのは、今まさに起き上がった魔獣たち。ただ風で吹き飛ばされただけで、怪我をしているものも少ないのか、闘志を剥き出しにした叫び声が、周囲の至るところから聞こえてくる。
「でも、もう大丈夫ですよ」
「……?」
何が大丈夫なのかわからず、ティアリスは戸惑っている。
そこへ、一陣の風が吹いた。
風はクローバーの白い花びらを伴い、また巻き上げながら、二人を囲んでいる魔獣たちへと迫っていく。
そして、その風はついに魔獣たちの元へと届いた。
「――! 魔獣たちが……」
風に当たった魔獣たちが声もなく、次々と白い花びらに変わっていく。仲間の惨状を見て、逃げ出すものもいるが、それは叶わない。
月明りの下、竪琴の音が鳴り響き、クローバーの白い花びらが舞う。白い花びらは月光に照らされることで透き通り、また青白く光る。その光景は、まるでこの世のものではないようだった。
「……」
少しして、辺りにいた魔獣たちは完全に姿を消した。月夜に照らされた平原にいるのは、もう魔術師とティアリスの二人だけだ。
魔術師の魔法は、ここにいた全ての魔獣の命を奪い尽くした。後に残るのは、平原に点々と残る白い花びら。まるで足跡のように残された、魔獣たちが存在した唯一の証のみ。
「……あなたは一体……」
「……」
ティアリスは両手を強く握りしめ、少しうつむく。その姿は、恐怖で震えているように魔術師にはみえた。
「今の魔法――」
ティアリスの言葉に魔術師が返答をしようとしたが、彼女の言葉には続きがあった。
「――とても綺麗でした」
「……え?」
自分に憧憬の眼差しを向けるティアリスの言葉は、魔術師にとって意外なものだった。
「それは……相手が、魔獣だからそう見えただけですよ」
魔術師の言葉にティアリスは少し考える素振りを見せて、
「実際に見たわけではないから断言はできませんが、私は相手が魔獣でなくても同じように感じたと思います。……ぁ。 もちろん、罪の無い人が相手の場合は例外ですよ?」
「……そうですか。なぜ今の魔法が綺麗だと?」
ティアリスの答えを聞いても、魔術師は納得が出来なかった。
「ただ単純に綺麗だったということもありますけど……言葉にはしにくいですね。けれど……たぶん、さっきの魔法が綺麗に見えた一番大きな理由は、私が救われたから……かもしれませんね」
「救われた?」
それはきっと、魔獣から救われたことを指してはいないのだろう、というぐらいは想像がつくが、魔術師にはその言葉が指している事柄がわからない。ティアリスもその言葉の意味の詳細を話す気はないようであった。
「はい。……遅れてしまいましたが、助けてくれてありがとうございました」
ティアリスは深く頭を下げた。
ご愛読ありがとうございました。




