第一章19話 『あなたにとっては最強の――』
「ここは……。古い教会の中?」
ティアリスが目を覚ますと、そこは薄暗い室内だった。そして、建物のアーチが連なった特徴的な内部構造と、腐りかけた木製の長椅子から、彼女は廃れた教会ではないかと考えたのだ。
ティアリスは、すぐに起き上がろうとしたが、手足を土塊で拘束されており、ろくに身動きが取れなかった。
「お! もう起きたか……」
「こんなに早く起きるということは、やっぱり配合を間違えているのよ。……私はあの豚に連絡を入れてくるわ。ここ、任せたわよ。あと次の見回りは私の番だったわね? それもついでに行ってくるわ」
ティアリスを魔法で拘束したであろう女は、どこかへと歩いて行った。室内には女の他に、先ほど屋敷でみた細身の男と大男がいる。
「やることもないし暇だ。……ってなわけで、お嬢様。実験で使いたいから、少しばかり血を貰うぞ」
細身の男は、剣を持ちティアリスに近づいてくる。ティアリスに怯えているような様子は、一切見られない。
「……屋敷内に侵入したとき、入り口から遠ざかるように逃げるあんたを見て、屋敷の裏手に何かしら奥の手があるのかと思ったぜ」
細身の男は何の脈絡もなく話を始めた。
「けど、屋敷の裏手には何もなく、ただ背の高い塀に行先を阻まれるだけ。よほど、屋敷の表側、比較的人通りが多い方へと逃げて、あの執事に助けを求めたほうが俺たちに捕まる確率は低かっただろう。あのときには、何て頭の回らない人間なんだと思ったが……、どうやら俺は間違えていたようだ」
細身の男はティアリスの近くまで来ると、横たわっている彼女を見下ろす。
「あんたは頭が回らないのではなく、価値基準が壊れているだけだったようだ。自分の命より他人の安全――というよりはあの執事の安全か? ……とりあえず、自分よりも他人の方が大切なんだろう? だからこそ、こうして剣を向けられている今も、怯えや焦りといった感情が見られない。屋敷で俺たちから逃げるときに焦っていたのは、あの執事に危険が及ぶ可能性があったから……だろうな」
細身の男は、己の答えに満足がいったような顔をしている。
「私は逃げようとしませんから、あの執事には手を出さないでください」
ティアリスの言葉を遠くで聞いていた大男が、鼻で嗤う。
「もう手を出さねぇよ。というより、出しようがねぇ」
答えるのは細身の男。
「――っ!? それはどういう――」
ティアリスの脳裏に嫌な予感が浮かぶ。
「言葉通りの意味だ。あんたは察しのいい方だろう? ……あいつはもう殺したよ」
細身の男が吐き捨てるように言う。
「――!? ――、――どうしてエスト君が……なんで」
ティアリスの瞳から涙が流れ落ちる。
「……ごめんなさい、エスト君。私が、巻き込んで……」
細身の男はやれやれと首を横に振ると、剣でティアリスの手の甲に狙いを定める。
「……こんなことになるなら、もっと早くに」
男が剣を突き下ろそうとした次の瞬間、どこからか針状の光の塊が、細身の男を目掛けて飛んできた。その数は数十本。
「――!」
最初に飛来した何本かの針が男に当たる。しかし、針が直撃しても男は傷を負っていない。ただ、男に当たった光の針が霧散していくだけだ。
「ちっ……、そんな弱い魔法なんて効きやしないが煩わしい。それに、どうしてこの近くまでたどり着けたんだ?」
細身の男は大男の方へと視線を向けるが、彼も何も知らない様子だった。
「スキル保持者とは違って、魔術師には毒物などに対する耐性が無い。だから、この場所に保管しておいた麻痺薬を使えばこの相手には楽に勝てそうだが、念には念をだ。……おいっ、二人で片付けるぞ!」
細身の男はティアリスの側から離れる。一方でティアリスはというと、未だに自分が置かれている状況についていけていないようだった。
二人の男は武器――細身の男は剣、大男は槌を魔法が飛んできた方向に向かって構えた。魔法を放った魔術師の姿はまだ見えない。
◇◇◇
「――! ……ルトが拠点を見つけたみたいだ。こっちの準備もちょうど終わったし、タイミングはばっちりだな。戻っておいで、――ルト」
漆黒のローブを着て、フードを被っている者の足元、影の中から黒い魔犬が出てくる。
魔犬に礼を言って、頭を撫でている者が着ているローブには、金糸で派手な幾何学文様の刺繍が施されているが、不思議と目立たない。加えて、何かの特殊な効果なのか、そのフードの中は黒く塗りつぶされており、決して顔は見えないようになっていた。
「じゃあ、お願いね」
そう言うと、巨大な魔犬に乗る。
魔犬は主人が背中に乗ったのを確認すると、深い森の中を、風を切って走り出した。
しばらく森の中を走ると、魔犬は立ち止まり主人を背中から降ろす。魔犬が立ち止まった場所――そこは、木が生えていない開けた場所だった。
「ありがとうね、ルト。……あの奥に見える廃れた教会が敵の本拠地か。急いでお嬢様を助け出さないとな」
◇◇◇
「誰も突っ込んでくる気配がないな。それに感じる気配は未だに一人分。……敵は本当に魔術師が一人だけか? であれば、まだ近くにいるはずのレリエルさんが“起こり”に気がついてこっちに戻ってくるだろうから、何の心配もいらないが」
「向こうから来ないなら、こっちから行くだけだ」
大男はそう言ってスキルを発動させようとした。しかしその前に、
「――“第五位階光魔法”」
魔法の詠唱が聞こえた瞬間、教会の床のほとんどを埋め尽くす巨大な魔法陣が現れた。
「――っ!? 第五位階っ!? 一つの魔法系統の頂点、それを使えるのか!?」
「これは面白い。だが、このタイミングで発動時間が極めて長い第五位階の魔法を使うのは不自然だろう」
大男は展開された魔法陣の末路を見てみたいと思い、スキルを使用するのをやめた。
二人の男の反応は真逆だ。細身の男は顔色を変えて、一目散に魔法陣の範囲外を目指して走っている。大男には、動こうとしている様子が未だに見られない。
「おいっ馬鹿! スキルでも使って早く逃げろ!! 嫌な予感がする!!」
細身の男は走りながら、大男に警告する。しかし、大男は惨めに逃げる細身の男を見てニヤリと笑うだけで、逃げる素振りはない。
「馬鹿なのはお前だ。これはただのハッタリだろう。第五位階など、宮廷魔導士たちや神鉄の冒険者が、長時間の魔法陣構築・安定化を行い、やっとのことで発動させる実戦魔法とは名ばかりの儀式魔法だぞ? 一人で、それも短時間で発動できるわけが――」
「――“拘束”」
その声は、けして大きくはなかったが、不思議と建物内に響き渡った。僅かな間、建物内は静けさに包まれる。そして、変化が起きた。
「――っ!?」
魔法陣から出てきたのは、半透明の光の帯――光帯だ。
数本の光帯ならば、第一位階光魔法や第二位階光魔法の拘束で見たことがある二人だったが、今回は規模が違った。
数百にも及ぶ、大量の光帯が効果範囲内にいる大男を捉えようと宙をはしる。
「これは不味い。【瞬――】、ぐっ――」
魔法陣の中心近くにいた大男は、あっという間に光帯に絡めとられる。大男は槌を振り回しているが、一向に光帯が解ける様子はない。
「ほんと、どうしようもねぇな!」
すでに魔法陣の外に出ている細身の男が、光帯に襲われることはなかったが、大男を助けようと魔法陣の中に引き返す。
「【上位腕力強化】 行くぞっ【連斬】! ――【飛連斬】っ!!」
細身の男は、魔法陣の中心から近づいてくる光帯を直接斬ったり、剣圧を飛ばしたり、ひたすらに斬り刻んでいた。しかし、光帯の総数が変わる様子はなく、
「……くそっ、なんだってんだ。こいつら、一本一本が頑丈すぎるだろ!! 俺でも、これ以上は前に進めないぞ」
また、大男を捕まえ終わったからか、魔法陣の中心から追加で自分の元へと大量の光帯が近づいてくるのを男は見た。
「こんなの相手にしていたら、共倒れだ」
男は光帯を斬るのを諦め、全速力で魔法陣の外を目指して走る。
「くそっ、不味い。すぐ後ろに――届け!!」
男は魔法陣の外に向かって、思いっきり飛び込む。そして、すぐに後ろを振り返った。
「……危なかった」
魔法陣の際にはたくさんの光帯が、魔法陣の外へと逃げた男を追うことが出来ず、悔しそうに宙をふらふらと漂っている。
男は間一髪のところで光帯から逃げきることに成功した。
「今度は何が起きているんだ?」
男が気づいた変化、それは魔法陣が段々と中央に向かって縮小していく様だった。魔法陣が小さくなるにしたがって、行き場を失っていく光帯も魔法陣の中央へと引いていく。
それからすぐに、魔法陣は消滅した。魔法陣の中心地であった場所には、大男が光帯に縛られ転がされている。大男は気絶しているのか、それとも既に死んでいるのかピクリとも動いていない。
「魔鉄級を拘束できる魔法なんて見たことがねぇ。これが第五位階の魔法……。正直こんな魔法のことはさっぱりわからないが、こんな強力な魔法を使ってすぐの今なら、疲労しているは――っ!!」
男がティアリスを急いで確保しようと彼女がいる方向を向くと、そこには足元まで隠れる黒いローブを着た人物がいた。
◇◇◇
「……一体何が?」
ティアリスは、必至の形相で魔法陣の中から外に向かって走っている細身の男を、茫然と見ながら呟く。
「今、その魔法を解きますね」
「――!」
ティアリスは突如近くから聞こえた、“聞いたことがない女性”の声に驚く。
声の主は漆黒のローブを着た人物であったが、その素顔はローブについたフードを深く被っているためか全く見えない。
その者がティアリスを拘束している土塊に手を触れる。すると、土塊はすぐに粉々に崩れ、ティアリスは身動きが取れるようになった。
「(……さっきの、たくさんの光の針が飛んでいく魔法を使った人)」
ティアリスはローブを着た者が、自分を拘束している第一位階土魔法を解除したのを見て、目の前の人物が魔術師であると確信する。
「少しの間、待っていて下さいね」
「ぁ……」
ティアリスがお礼を言う前に、その背中は足早に遠ざかっていく。
「……声が全然違うのに、あの人をエスト君と勘違いしたのは何でなんだろう」
ティアリスは起き上がり、自分を助けてくれた魔術師を目で追った。生まれて初めての買い物に行った際に、自分を二人の冒険者から助けてくれた、あの背中にも似た頼もしい後ろ姿を目で追った。
◇◇◇
「お前は何者だ? お前のような魔術師がいるという話は聞いたことが無い」
「……」
男に向かって魔術師は走り始める。
「――! 【飛連斬】」
魔術師が敵対しているスキル保持者に自ら近づくという、愚策を打ってきても、男は油断せずに剣を構え、スキルを発動させた。すでに、男は目の前の魔術師に対する警戒度を最大にまで引き上げている。
走って近づいてくる魔術師に、高速の剣圧が幾つも飛んでいく。
「これで、おしまいだぜ。剣圧が届くまでという短時間の間に、そいつを防げるだけの防壁魔法なんて、発動できるわけがねぇ」
男のその言葉は決して慢心から出たものではなく、魔術師が取ることが出来る全ての対処法を頭の中でシミュレートした上で、「対処不可能」という結論を出し、発した言葉だった。
「(あの人の言う通り、あれだと魔法を使う余裕がない!)」
目線だけはそらさないようにしながらも、数秒後の魔術師の凄惨な姿が脳裏に浮かんだティアリスは両手をギュッと握る。
一方で当の本人、細身の男の剣技を見た魔術師は、
「……」
魔法を発動させることを諦めたのか、魔法を使うような気配は一切見られない。それに、魔術師は魔法を使うために必要な道具さえも手にしていなかった。そして、魔術師と剣圧の距離はゼロになり、
「――っ」
魔術師は、走っているスピードをできるだけ落とさないまま、飛んでくる幾つもの剣圧を跳んで、屈んで、また跳んで、と曲芸師さながらの機敏な動きで躱す。
魔術師に当たらなかった剣圧は、そのまま魔術師の後方、誰もいない空間へと飛んでいき、教会の壁に大きな傷跡を残す。また、魔術師が激しく動いているにも関わらず、なぜか被ったフードが外れる様子はなかった。
「なぜ、スキルを使えない魔術師が躱せるんだ!?」
細身の男は、スキルも使わずに全ての剣圧を躱しきった魔術師を見て戦慄する。
「――“第四位階光魔法”」
「……第四位階」
魔術師が走りながら自分の前方に魔法陣を展開したのを見て、男は警戒心を強める。
「――“光槍”」
魔術師は、男の剣の間合いの外で、魔法を発動させる。
「発動までの時間が短すぎる!? 躱せねぇ!」
魔法陣から飛び出したのは一本の光の槍。光の槍はそのまま男の体に当たり――霧散した。
「第四位階の魔法が通用しないなんて、……あれが高位のスキル保持者」
ティアリスは改めて高位のスキル保持者がどういう者たちなのか、実感する。
「……ははっ。まさか、俺にも第四位階の魔法を無効化できるようになっているとはねぇ。死ね!! ――【連斬】!」
魔法陣を一つ展開させて、使える魔法は一つまでというのは常識だ。
男は魔法を無効化したことで生まれた明確な隙を逃さなかった。男の剣の一振りで、二つの斬撃が生まれる。
あと少しで、二つの斬撃が魔術師を切り刻む、そのはずだった。しかし、男は霧散した槍の残滓の先に、あり得ない光景を目にする。それは、
「魔法陣が展開されているだと!?」
その言葉を最後まで待たずして、魔法陣から先ほどよりも太い光の槍が飛び出す。
「くっ!?」
光の槍は男の胸に当るが、その勢いは衰えることなく、男を後方の壁まで吹き飛ばした。
大きな破壊音が鳴り響く。
「くそっ、今のは、……どういうことだ。詠唱なしに、魔法を、発動させただと?」
土煙が晴れると、そこには地面に倒れた男の姿があった。胸からは大量の鮮血が流れ出ている。
「今の魔法はいったい……。私に詠唱が聞こえなかっただけ? それとも……。それにあの人、杖も魔導書も持っていないようにみえる」
ティアリスの呟きは誰にも届くことは無い。
「……」
魔術師は男の元へと歩み寄る。
「――“第四位階光魔法”、――“武器創造”」
魔術師は第四位階の魔法で光の刃を作ると、素早く細身の男の命に終止符を打つ。
「……」
続いて意識を失っている大男の命も同じように奪った。
「――“ルクス”」
今度は魔術師を中心に白い魔法陣が広がる。
「(ルクス? ……どの位階の魔法なんだろう。魔法陣の色から属性が光ということはわかるけど)」
ティアリスはかろうじて聞こえた声に首を傾げる。
「――“贖罪を”」
魔術師が魔法を発動させると、二人の男の死体が幾つもの光の球となって霧散した。
魔術師はティアリスの元へと戻る。
「私に力が無いばかりに、あなたにあのような役目を押し付けてしまい申し訳ありませんでした」
「いえ、そのことはお気になさらないでください。……もう一人の魔術師が戻ってくる前にここから逃げましょう。歩くことはできますか? 無理そうでしたら私が背負いますが」
「お気遣いありがとうございます、けれど大丈夫ですよ。一人でも歩けそうです」
「では、私の後に着いてきてくださいね」
魔術師はゆっくりと歩き始める。
「……」
魔術師は瓦礫が積もった教会の中を、歩きやすい道を選びながら歩く。
「あの、あなたはなぜ私を助けてくれたのですか?」
沈黙を破ってティアリスが、前を歩いている魔術師に声をかける。
「……。アルトリウスの街で“エスト”という名の使用人に頼まれたのですよ」
「――! エスト君が!? エスト君は無事なのですか!?」
「はい、無事ですよ。彼にはアルトリウスの街に残ってもらっているので、ここには来ていませんが」
「よかった……本当によかった」
魔術師がチラリと後ろを見ると、ティアリスが目元を手で拭っていた。
「……?」
魔術師は首を傾げる。
「すみません。もう大丈夫です。言うのが遅れてしまいましたが、助けていただきありがとうございました」
「元はと言えば……いえ。まだアルトリウスの街に着いていないのですから、その言葉を受け取ることは出来ませんよ」
二人は教会の外に出た。
「この建物は本当に教会だったのでしょうか? それにしては大きすぎるように感じましたが」
ティアリスは振り返り、改めて自分たちが出てきた建物を眺める。
「教会で間違いないと思いますよ。――おそらく、創世教の」
「創世教?」
「はい、創世教というのは――」
魔術師が創世教についての説明をしようとした。しかし、
「“世界が滅びる前に世界を創りなおそう”と考える者たちの集まりよ。まあ、今では幾つもの派閥に分裂してしまっているけれど」
魔術師の言葉を遮り、その説明をしたのは妖艶な女だった。
ご愛読ありがとうございました。