第一章18話 『幼女ティアリス』
《道徳観に反する》描写があります.
「ここは……王都の屋敷? なんでここに。……それになんだか」
亜麻色の髪をした少女は、自分の両手を見つめた後、部屋の窓に近づき、自分の姿を確認する。
「――っ! 小さくなってる……これは、夢なの?」
亜麻色の髪の少女――ティアリスは、夢から覚めようと自分の頬をつねってみる。しかし、力を込めた分の痛みが自分に返ってきただけで、夢から覚めることはない。
「……エスト君。エスト君は、どうしたんだろう。あれが見間違いであればいいのだけれど」
エストがあの場にいない。もしくは、あの場から逃げ切って無事であることを願っていると、いきなり部屋の扉が開かれた。
部屋に入ってきたのは、皿を持った二人のメイドだ。
「(どこかで、見たことある人たちだな。当時、屋敷で働いていた人たちなのかな?)」
ティアリスは、二人を見つめる。
「お食事です」
そう言うと、皿をテーブルにおいて、二人のメイドは壁際に下がった。
「(――! 体が勝手に!!)」
ティアリスは、自分の意志に反して勝手に動く体に動揺する。
「ありがとうございます」
口も勝手に動き、ティアリスの意思とは関係なしに言葉を発する。
「(これは……、夢というより追体験?)」
ティアリスは自分の口から「いただきます」という言葉が紡がれている裏で、そんなことを考えていた。
メイドたちが持ってきた料理はシチューだ。作ってからだいぶ時間が経過しているのか湯気は出ていない。
幼いティアリスは、スプーンを手に取ってシチューに口をつける。
「(冷たい。……当時は、料理は何でも冷たいのが普通だと思っていたんだっけ? ……いや、けっこう最近までか。それに……この感じは……)」
ティアリスは、次に自分が体験するであろう出来事に、思い当たることがあったので、シチューをすくう自分の手を止めようとする。
しかし、やはりというか。少女のシチューをすくう手は止まらない。
それは、三口目を食べた時だった。
「――! ううっ……うっ……はぁ、はぁ――」
ティアリスの視界はぼやけ、頭は中を直接手でかき混ぜられているかのように、ガンガンと痛む。そして、全身に寒気が走るが、胸の辺りだけは激痛により焼けるように熱い。
「(やっぱり、毒が入っていたみたい……)」
苦しみ、口から血を吐く少女と同じ痛みを味わっているはずのティアリスは、なぜか少女とは反対に平然としている。
「ねぇちょっと、あれは入れすぎたんじゃないかしら。口から血を吐いているわよ」
クスクスと笑いながら、ティアリスを見ているのは二人のメイドだ。彼女らにティアリスを助けようとする素振りは見られない。
「この前も、あんな感じだったから大丈夫よ。まあ……、今日のはまだ使ったことがないやつだから、死んじゃうかもしれないけど」
二人のメイドの笑い声が部屋に響く。
――ドタンッ
胸を押さえていたティアリスは、座っていた椅子から落ちて、床に倒れる。
「ほんと……、何でこんなやつの面倒をみないといけないのかしら」
「せっかく、アークフェリア家に仕えることができたのに、これの世話なんてハズレよねぇ」
メイドの内の一人が倒れているティアリスを蹴り飛ばす。
「……お嬢様には私たちが丹念に作ったシチューはお気に召さなかったようですから、さっさと片付けてしまいましょうか」
「そうね。それで、これはどうします」
メイドは倒れている少女を踏みつける。
「そのままでいいんじゃないかしら。旦那様も死ななければ、何も言わないでしょうし」
「そうね。……旦那様はいつまで、これを屋敷においておくつもりなのかしら。いつか、うっかり殺してしまいそうですから、すぐにでも売り払ってもらいたいものですね」
メイド二人は部屋から出ていく。
二人が部屋から出て行った後、幼いティアリスが気を失ったのを同じくして、ティアリスの視界も暗転した。
――突然、目の前が明るくなる。
「(ここは……また王都の屋敷みたい)」
ティアリスは辺りを見渡して、自分の部屋であることを確認する。窓に写っているのは、先程より大きくなった自分の姿だ。
ティアリスは、誰かが部屋に入ってきた音を聞いて、そちらを振り向く。入ってきたのは一人のメイド。先ほどの二人とは別のメイドだ。
「これ、縫っておきなさい。もう七つになるのですから、これぐらいできるでしょう?」
メイドは、籠に入った大量の衣服をテーブルに置く。
「夕方までに終らせなさいよ」
メイドはそういい残すと、部屋を出ていく。
幼いティアリスは、テーブルに近づいてメイドが持ってきた衣服の状態を確認する。どの衣服も派手に破れていた。
「本で読んだことのある、あのやり方で、いいのかな?」
幼いティアリスは、ポツリと呟くとメイドが置いていった裁縫ケースを開く。
「えーっと、これが針だよね? それで、これが……」
幼いティアリスは首を傾げながら、一つ一つの道具を確認している。
「……」
ティアリスは、いよいよ衣服を縫い始める。しかし、その手つきは危なっかしい。
「……。……っ!」
ティアリスの小さな指からは、血が出ていた。ティアリスは指を舐めると、再び衣服を縫い始めた。
ティアリスが縫物を始めてから、時間が経過し、窓から差し込む光は橙色になった。
「これで、さいご」
ティアリスは大量にあった全ての衣服を縫い直し終わっていた。
それから少しして、朝に衣服を持ってきたメイドが部屋に入ってきた。
「終わったかしら?」
ティアリスはコクりと頷く。メイドは、それを見て鼻で嗤うと衣服の確認を始める。
「……」
しばらくの間、ティアリスの縫った服を確認していたメイドは、
「これでは、私が怒られるじゃない!!」
「――っ!?」
メイドが突然、怒鳴ったのでティアリスはビクッと驚く。
「はぁ、……まさか、こんなこともできないとは思わなかったわ。縫い直したところ、違和感しかないじゃない」
メイドはティアリスを睨み付けると、彼女が縫い直した衣服を目の前に突き出し見せつける。
ティアリスが縫い直した衣服に「違和感がある」と言ってメイドは怒鳴ったが、パッと見た限りでは、とても初めて針を持ったと思えないほど、綺麗に直されていて違和感はない。
これを七歳になったばかりの少女が縫ったとなれば、周囲の人間が将来の進路を服飾に据えることに間違いがない、と言えるほどの出来映えだ。
「……明日も同じくらい縫い直す服を持ってきてあげるから、それで練習しなさい」
メイドは衣服が入った籠を持つと、部屋から出ていく。
部屋から出ていく時に、メイドはニヤリとした笑みを浮かべていた。
――目の前の光景が移り変わる。
幼いティアリスが歩いていたのは、屋敷の廊下だった。歩いている方向から考えて、教師が来る部屋から、自室に戻る途中だろうとティアリスは予想する。
「ねぇ、あなたも誰かから衣服の縫い直しを頼まれたりしていない?」
廊下の途中にあった部屋から聞こえてきた声は、衣服の縫い直しをティアリスに頼んだメイドのものだった。
「ああ、そういえば、あなた最近縫い直しの仕事を、少しのお金で引き受けて回っているのでしたっけ?」
「ええ、実は服を縫い直すのは得意なのよ」
「……」
ティアリスは、立ち止まらずに自室へと戻る。その小さな手には、少なくない針による傷痕ができていた。
――視界が暗転する。
「(今度のここは……、先生が来る部屋みたい)」
ティアリスは、目の前が明るくなると椅子に座っていた。
近くに自分の姿を映すことができるものがないため、今が何歳ぐらいの時なのか、ティアリスはわからない。ただ、ティアリスは背丈から、先ほどの服を縫い直していた時とあまり変わらない年齢だろうと予想した。
「……」
ふと、人の気配を感じる。
「――約五百年前に起きた大きな内戦の末、ある大国が崩壊。その結果、大国を構成していた国民たちは思想の違いごとに分裂して、それぞれ別々の地域に流れることとなった。そして、分裂した中の大きな集団、それが現在の帝国・聖国・王国の原形になるわ」
幼いティアリスの前で話しているのは、眼鏡をかけた女性。この女性は一時期ティアリスの家庭教師をしていた人物で、貴族だ。
「そういう時代背景もあってか、現在も王国とその二国の間には正式な国交がなく、小競り合いを繰り返しているわね。その中で、最終的には引き分けたものの、比較的規模が大きいものが二百年ほど前に王国と帝国の間で起きたけれど、その戦いは何という戦いだったかしら?」
ティアリスが、後にメイドたちの会話を聞いて知った話だが、彼女は自主的に教師の仕事に就いたわけではないらしい。
何でも、彼女の実家がアークフェリア家との関係を持ちたくて、無理矢理に娘を教師に仕立てあげた結果、彼女はこうしてティアリスの教師をやっているのだという。
「……ワダンの戦いです」
ティアリスの答えを聞いて、女性教師は目を細める。彼女が不機嫌そうなのは、いつものことだ。そして、彼女は不機嫌そうな顔をすると決まって、ある行動にでる。
「正解よ。では、引き分けた理由は?」
ある行動、それはティアリスが絶対にわからない、わかるわけがない、知っていないと答えられない問題を出題するということ。
そして、問題に間違えたティアリスを見て、内心で嘲笑うことで女性教師はストレスを発散していた。女性教師のストレスは、見下している相手の教師をやらねばならない、という状況から生まれている。
彼女は「これは、わからないだろう」という表情で、ティアリスに問題を出す。
実際に教師は授業において、この問題について説明をしたことがなかったので、幼いティアリスが、正答を答えられるわけがなかった。
――本来ならば。
そのためこの日は、出題した教師にとっては運が悪く、また自分の機嫌が悪い時に、この質問をティアリスにしてしまったのは、間が悪かったとしかいえない。
幼いティアリスの答えは、
「……戦いの中心地であったワダンの村の近くで、突如大魔源が枯渇し、魔法やスキルが使えなくなったタイミングで大嵐に襲われたから、です」
文句の言いようがない、完璧な解答だった。
「(……この問題は、偶然私と相性がよかっただけなんだよね。私が好きなおとぎ話のモチーフになっているから)」
この後にどうなるか覚えているティアリスは、正答を口にしないように努力したが、やはり今回もそれは叶わなかった。
「……正解よ」
教師は、問題の答えを当てられたことがよほど悔しかったのか、拳を握りしめ歯を食い縛っている。
彼女にとって、見下している相手に自分が難しいと思った問題の解答を答えられることは、不快に思うものだったらしい。
――目の前の光景が移り変わる。
そこはまたしても、同じ部屋だ。しかし、
「(いきなり、ここから始まるんだ……いてて)」
幼いティアリスは決してテーブルに座ってなどいなかった。少女は自分の血でできた血だまりの中に、かろうじて意識を保った状態で倒れていた。
「はぁ……はぁ……」
少女が見上げた先にいるのは、
「実際に魔法で貫かれた感触はどうだったかしら? いい勉強になったわよね?」
あの女性教師だった。彼女は手に小杖を持っている。
幼いティアリスが正答を答えてしまったあの授業の次の授業は、掠るぐらいのものだった。しかし、それは何回もの授業を経る内に、段々とエスカレートしていき、
「それじゃあ、四本目ね。“第一位階水魔法”」
教師の手元に青色の魔法陣が展開する。
彼女の凶行を止める者は誰もいない。普段はティアリスの勉強中には、部屋の中にメイドが控えているのが常だが、ここ最近に限っては姿が見えず、ティアリスと教師の二人しか室内にいないのだ。
幼いティアリスは魔法陣が展開されたのを見ると、ほとんど動かなくなった四肢に力を込めて、血だまりの中を這い、少しでも彼女との距離をとろうとする。
「“水槍”」
「……!」
展開されていた魔法陣から、槍状の小さな水塊が射出される。幼いティアリスは、四度目の痛みが訪れるのを察知して身を縮こめ、目をギュッとつぶった。
「……、……?」
しかし、いつまで待っても体を貫く痛みは襲ってこない。
「――あなたは!?」
女性教師が驚きの声を上げる。ティアリスは、その声に反応して恐々と目を開けるが、視界がぼやけていて周りの景色がよく見えない。
ティアリスと女性教師の間に、割り込んでいたのは執事服を着た誰かの後ろ姿だった。
少しすると、その者は倒れているティアリスの元に駆け寄ってくる。この者が何かしらの対応をしたのか、女性教師の声はもう聞こえない。
「ご無事ですか、お嬢様!?」
ティアリスはその声を最後に、意識を手放すのだった。
――視界が暗転する。
――視界が暗転する。
――視界が暗転する。
そして、最後に目覚めた場所は王都の屋敷などではなく、真っ暗な建物の中だった。
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