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君に傅く魔術師の備忘録  作者: 星月夜 真紅
第一章
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第一章17話 『追走開始』

 


「うっ――」



 その者は、軽い痛みをこらえて目を開ける。うつ伏せに倒れたはずだったが、一番初めに目に入ったのは地面ではなかった。



「――ふふっ、もう大丈夫なのですか? エスト様」



 目を開けて、一番最初に見えたのは、自分の頭を撫でながら穏やかな笑みを浮かべている少女の真紅の瞳。



「……大丈夫だよ、リウ」



 エストは「ありがとう」と言って、黄金色の髪を持つ少女――リウの膝の上から頭をどけ、上半身を起こす。リウの首には赤色の石や真珠がはめ込まれた赤金のトルクがついている。



「……どれくらい意識を失ってた?」


「エスト様を傷つけた……、がここを離れてから、それほど時間は経過していませんよ」


「……」



 リウの口調が悪くなった箇所があったが、エストは気にしない。



「私が追えるところまでは、追ってみましたが……。どうやら、あいつらは街の北側に広がる森の方へと向かったようでした。うふふっ、屋根の上を、ピョンピョンとノミのように跳ねてくれたので、私がエスト様から離れられる距離からでも、十分に方向がわかりましたよ。ふふっ……ふふふふふっ」



 リウは穏やかに笑っているが、彼女が本当はかなり怒っているということを、長年の付き合いからエストは察知する。



「すぐに後を追おう。お嬢様が心配だ。……詳細な行先を調べるのは、森に入ってからじゃないと無理か」



 エストは起き上がると、膝を崩して座っているリウに手を差し出す。



「ふふっ……ありがとうございます、エスト様」



 リウはエストの手を取って立ち上がる。地面に座っていたにも関わらず、不思議と彼女が身に纏う真っ白のワンピースは汚れていない。



「……エスト様。本当にあなたが、あいつらの後を追って、戦わなければいけないのですか? 試しに……この街の冒険者ギルドでも頼ってみては?」


「あのレベルが相手となると、一般的な冒険者たちには手が余るよ。それに、彼女が攫われた責任は僕にあるし」


「……そうですか。私はエスト様の考えを無理やり変えようなどとは思っていませんが……。あなたが使用人をしていることには、まだ納得していません。……それだけは、忘れないで下さいね? ……それと」



 ――彼女にかけた時間以上に、私も構ってくださいね?



 エストの耳元でそう言い残すと、リウの姿がその場から掻き消えた。



「(……リウに何も聞かずに、この仕事を受けることを決めたからか、なかなか機嫌を直してはくれなさそうだ)」



 エストは彼女が自分の中に戻ってきたのが分かると、アルトリウスの北側に広がる森を目指して駆けた。




 ◇◇◇




 それから少しして、エストはアルトリウスの北側に広がっている森にたどり着いた。



「ここら辺までくれば」



 エストは目を閉じる。



「――“ルト”」



 ポツリとエストが声を漏らすと、その足元に薄っすらと出ていた影が濃く染まり、歪む。


 そして、その影からはエストの背丈ほどもある一匹の巨大な犬が出てきた。犬は影絵のように真っ黒で、目や口の位置が全くわからない。というより、それらが存在しているかも怪しい。犬より魔犬と呼ぶのが正確だと思われる生き物だった。



「お願い」



 エストの言葉を聞くと、魔犬は一度頷く。そして、次の瞬間には何匹もの小さな子犬に分裂し、森の奥に広がりながら走り去っていった。



「ルトが見つけるまでは、待ち……かな」



 エストは木に寄りかかって腰を下ろし、服をまくって胸に受けた傷を見てみる。先ほどまでは、反対側を見通せそうなほどの風穴があいていたが、今は完全に塞がっている。



「大丈夫そうだ」



 エストが傷を受けた証拠は、今は真っ赤に染まった衣服にしか見られない。



「あとは……」



 エストは服を元に戻すと、寄りかかっている木の根もとに落ちていた一本の枝を拾い上げた。




 ◇◇◇




「今日は以前から言っていた通り、レグナントにあるクシュナー伯爵家の屋敷で行われる宴会に行ってくるよ」



 レストリア・アークフェリアは、朝食を食べ終わると妻と娘に今日の予定を告げる。



「はい、わかりました。帰ってくるのは、明日になるのでしたよね?」


「ああ、どうやら部屋を用意してくれているらしいからな。今後も付き合っていきたい家だし、無下にもできない」


「いつ頃、出発するのですか?」


「余裕をもって、昼前には屋敷を出るつもりだ」



 その言葉を聞いて、今まで両親の会話を、目を擦りながら眠たそうに聞いていたセレナが顔をあげる。



「では、お父様! それまでは、私の魔法の練習を見てください!」


「セレナ、お父さんは出発するまでに、身支度もしなくてはいけないのだから、無理を言っては駄目よ」


「……はい」



 セレナは目に見えて、落ち込んでいた。



「なに、準備は使用人たちに任せるさ。それじゃあ、早速この後にでも練習場へ行こうか」


「いいのですか! ありがとうございます、お父様!」



 落ち込んでいた彼女の姿は、もうそこにはない。レストリアとシャーリーの二人は、喜ぶ娘を見て笑う。



「あなたは、本当に娘には甘いですね。その甘さが少しでも、カイリの方にも向けば、いいのですが」


「あいつは長男で、家の跡継ぎなんだ。厳しいぐらいがちょうどいいだろう。それに、セレナは……いや」



 レストリアは、呆れた様子の妻に微笑みながら答えた。




 ◇◇◇




 使用人の「目的地に到着しました」という言葉を聞き、レストリアは馬車から外に出る。すでに辺りは薄暗く、空にはうっすらと星が見え始めている。



「これは、これはアークフェリア殿ではないですか!」



 空を見上げていたレストリアに声をかけたのは、ブヨブヨに太った男だった。どうしてか、非常に機嫌がよさそうだ。



「ワシャルス殿もいらしていたのですね。ん? いつもの使用人はどうされたのですか?」



 目の前の男と話したいことが何もなかったので、レストリアは適当な話をふってみた。



「――! あ、ああ、あれなら今は屋敷で謹慎中なのですよ」


「謹慎中ですか……すみません、余計なことを訊ねてしまって」



 レストリアは、ガレスがこちらに近づいて来ていることに気がついたので、話を切り上げようとする。



「いえ、アークフェリア殿は、どうかお気になさらないでください」


「ありがとうございます」



 レストリアは、「それでは、また中で」と言うと、使用人であるガレスとともにクシュナ―邸の中に入っていく。



「……」



 その後ろ姿をガストン・ワシャルスは気味の悪い笑みを浮かべて、見つめていた。



「おお、来た来た。一度失敗したから心配していたが、タイミングは指定通り、バッチリじゃないか」



 ガストンは、手元にある通信用の魔道具が点滅しているのに気がつき、案内人たちの目を盗んで、人気のない方へと向かう。



「どうなった?」



 ガストンは、周囲に自分が連れてきた配下以外に人がいないことを確認すると、通信に出る。



「……。おお! そうか、やったか! ……ああ、そのことは任せておけ。……ああ、……ああ。いいか、その状態からの失敗は決して許さないからな、……ではそちらのことは、頼むぞ」



 ガストンは、笑いを堪えるのに必至そうな様子だった。



「これで、やつを王の側から引きはがせるな。それで今度は私が……ぐふっ、あいつがどんな顔をするのか、今から楽しみだ」



 ガストンも使用人と共に、クシュナ―邸の中に入った。




 ◇◇◇




 レストリアは、会場に入ってすぐに今日の集まりの主催者であるクシュナ―伯爵夫妻の元へ挨拶に行った。



「あとは、適当に時間を潰すとするか……」



 挨拶を終えたレストリアは、クシュナ―夫妻の元を離れ、適当に料理を皿に取ると人混みから抜け出し、風通しのよいテラスに移動する。テラスには人気が全くない。



「……」



 主催者の、“交流を深めてほしい”という願いに完全に反した行動だが、レストリアは気にしていない。


 レストリアがガレスと共に時間を潰していると、



「おや、こんなところにいらっしゃったのですか」



 レストリアに話しかけてきたのは、またしてもワシャルス伯爵だった。館内を長い間、歩き回っていたのか大量の汗を額に浮かべている。



「……その様子ですと、どうやら私を探していたようですが、如何しました?」



 内心とは異なり、レストリアは嫌な顔などを一切見せない。



「いえね……アークフェリア殿に伝えておきたいことがありまして」


「私に? ……それは、使用人が共にいても大丈夫な話でしょうか?」


「ええ、構いません」



 レストリアの後ろに控えているのは、老執事が一人のみ。一方で、ワシャルス伯爵の後ろには、三人の使用人が控えている。



「……」



 三人という宴会に参加するにしては、多すぎる使用人の人数にレストリアは疑問をおぼえる。



「それで、話というのは?」


「実はね、この度……あなたの大切な娘さんを……拉致、させていただきました」


「ガレス、動くな!」



 レストリアは、目の前の男を睨み付けながら、後ろに控える老執事――ガレスに命令する。


 ガレスは先ほどから動く気配を微塵も見せていないが、主人であるレストリアには彼が、今にもワシャルス伯爵に襲い掛かりそうに感じられたのだ。



「……」



 実際にレストリアの判断は正しく、ガレスはもう少しでワシャルス伯爵に飛び掛かるところだった。



「おっと、大声は出さないで貰いたい。それに実力行使もね。……うっかり、このボタンを押してしまうと、恐い人たちに連絡がいって、人一人の儚くも尊い命が失われてしまうからね」



 ワシャルス伯爵はニタニタと笑いながら、懐から出した杖をレストリアに見せつける。その杖にはボタンが付いており、ワシャルス伯爵はそこに指を置いている。



「それで……、そんなことにまで手を染めて、私に何を要求するつもりだ?」



 レストリアは冷静さを装っているが、その心臓はうるさいほどに早鐘を打っていた。



「……チッ。なに、要求は単純だ。今すぐに、伯爵家筆頭の地位から降りろ。そして、そこに私を推薦するんだ。私を子爵から伯爵に引き上げた王のことだ。お前の推薦があれば、私を伯爵家筆頭に据えるだろうさ」



 レストリアが、あまり同様しなかったように見えたワシャルス伯爵は、今までの芝居がかった口調を止める。



「なるほど、そういうことか。それは別に構わないが、……そのようなことを私に頼み込む時点で、お前は自分の実力で伯爵家筆頭の地位に就くのを諦めたのだな」


「……口には気をつけろよ?」



 ワシャルス伯爵はボタンがついた杖をレストリアに見せつける。



「それで、娘はいつ解放してくれるんだ?」


「そんなの、私が伯爵家筆頭に就いてからに決まっているだろう」



 ワシャルス伯爵はニヤリとしてレストリアに告げる。



「(どうするべきか……。が無事の保証もないが、シャーリーに至っては何の情報もない。下手にシャーリーの話を出して、人質が増えるのも下策……)」



 レストリアは、目の前にいる男に有効な手を持っていない。


 唯一あるとすれば、杖を奪うことだが、同じ効果を持つ魔導具が複数存在していたら、レストリアには、どうしようもない。下手に突っ込んだところで、相手に警戒心を与えるだけだろう。



「(せめて、もう少し情報があれば……今のところは、本当にセレナが拉致されたのかも、確認できていないしな)」



「深く考え込んでいるが、どうした? ぐふっ……娘を切り捨てる算段でもつけているのか? ……ああ! そうだ。良いことを思いついた。今、お前の愛する娘と話してみるか? 名案でも思い浮かぶかもしれんぞ」


「――!」



 ワシャルス伯爵は、ボタンにかけた指を離さないまま、通信用の魔導具を取り出す。



「愛しい愛しい、お嬢様も、お前の声を聞きたがっているぞ……ぐふふっ、がふ」



 ワシャルス伯爵は通信用の魔導具を起動させながら、芝居がかった口調でレストリアに告げるが、笑い声を抑えられてはいない。



 ワシャルス伯爵の言葉を聞いたレストリア・アークフェリアは、



「ふふ、ふふっ、ふははははははは」



 その笑い声は、テラスに響き渡った。





ご愛読ありがとうございました。

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