第一章16話 『三人組』
ティアリスは屋敷の裏口から外にとびだす。相手が複数人なら、待ち伏せをされている可能性もあったが、幸いにも裏口近くには誰もいない。
「……っ」
ティアリスは振り返らずに少し離れたところに見える屋敷の塀を目指して全力で走る。
「(向こう側なら)」
ティアリスはその塀をよじ登って、敷地の外に出ようと考えていた。
「――追いついたぞ」
その言葉と共に上から降ってきて、前方に降り立ったのは、小柄なティアリスからすると山のように大きな男だった。ティアリスはすぐに別のルートから逃げようと、振り返るが――
「何が『玄関から出ていきますから、そこで待っていてください』よ。逃げられているじゃない。バカみたいに強力な結界の解除をするために、大魔源を大量に取り込んだから、今でも頭がガンガンしているっていうのに」
「そこんところは、本当にすみません」
「あんな強力なの、私以外で単独で破ることができるのは、結界が専門の宮廷魔導士ぐらいなのだから。あなたたちは本当に幸運よね」
そこにいたのは、先ほどの細身の男と、小声で嫌味を言う妖艶な雰囲気を纏った女。
「(挟まれた。……なるべく屋敷の門からは離れないと)」
ティアリスは門の反対側、屋敷の裏側の塀から――大男がいる方向からの脱出を図り、走り出そうとするが、
「“第一位階土魔法”――、“拘束”」
「――っ!」
ティアリスは何かに足を取られ、その場に転んでしまう。
「……魔法」
ティアリスは自分の足に巻き付いている土塊を見て呟く。足を思いっ切り引っ張ってみるが、すぐには抜けそうにない。
「たかが第一位階といっても、魔法もスキルも使えないあなたでは短時間でほどけないわよ。それに抜け出してもこの状況は何も変わらないのだし、諦めた方が賢明よ?」
そんな女の言葉を聞いても、ティアリスは諦めずに足を抜こうとしていた。女は細身の男に目配せをすると、ティアリスと男から距離を取る。細身の男は女が十分に離れたのを確認すると、懐から小袋を取り出し、ティアリスの近くに投げつけた。
「――っ!」
ティアリスの近くで袋が炸裂し、中に入っていた正体不明の粉が辺りに蔓延する。ティアリスはそれを僅かに吸ってしまったが、それ以上は吸い込まないように急いで口をふさぐ。
「それは、あんたの執事を簡単に無力化するために持ってきたものだ。あの執事には最低でも銀級に効く毒物は効かないらしいから、それより強力なものを、だ。わかっていると思うが、あんたじゃ耐えられないぞ」
細身の男は、意地が悪そうにニヤリと笑う。彼は粉が蔓延している中にいるにも関わらず、口をふさいだりといった行動をとっていない。
「(……この人は銀以上の力を持っている)」
スキル保持者はその素養に応じ、毒などに対して抵抗を持つようになるという話をティアリスは思い返しながら、この後にとるべき行動を考える。
「あら? その子、まだ耐えているわよ」
「これ以外の種類は用意していないので、投げ間違えたなんてことはないはずですが。……たしかに効き目が弱いみたいですね。これは改良が必要みたいだ」
ティアリスは、そんな会話を聞きながら必死に頭を回転させようとするが、段々とボーっとしてきて思考が定まらない。
「……それじゃあ回収してパパッと撤収しますか」
「――!! ………こちらに、来ては」
ティアリスは落ちていく意識の中、そんな会話を聞きながら、この場にいてはいけない人影を見た気がした。ティアリスの言葉は誰の耳にも届かず、また最後まで紡がれることもなかった。
ティアリスの意識は、深く深く落ちていく。
◇◇◇
「これで買い物は終わりかな」
屋敷から持ってきた皮袋に購入した食材を詰めて、エストはこれから屋敷に帰るところだった。
「(そろそろ、料理のレパートリーが尽きるな。こんなことなら、もう少しそっち方面を覚えておくんだった。……覚える時間だけはあったんだし)」
今日の夕食は野菜スープにパンとサラダ。とうてい伯爵家のご令嬢に出すような料理?ではない。ただ、エストが作る料理を、当の伯爵家のお嬢様は毎日美味しそうに食べている。
そのことは嬉しいことにはうれしいが、エストは作れる料理の種類を増やすことと、料理の格をあげることを目的に、ティアリスに王都の屋敷ではどんな料理を食べていたのか聞いたことがあった。
「私が王都で食べていたものですか? そうですね。……それほど大したものは食べていませんよ。それに、私はエスト君が作る料理なら何でも美味しく食べることができるので、毎日同じ料理でも全く気にならないですよ?」
と、はぐらかされ、またエストが心配していたことも見破られてしまったのだった。
「(けど、気を使ってそう言ってくれたんだろうし、その言葉には甘えられない)」
休日をつかって今までに食べたことがある料理を再現してみようとエストは決意する。
アルトリウスの中央市場は、普段より多くの人で賑わっている。しかし、エストが人の間を縫って歩く必要はなかった。まっすぐ歩けば人垣が割れるのだ。
「(隣を女性が歩いているかどうかで、だいぶ印象が変わるみたいだ。この街の冒険者もやりづらそうだ)」
冒険者時代の軽装に、足元まで隠れる丈のマントを羽織り、さらにフードを被るという怪しげな恰好をエストはしている。しかし普段、同じ格好をするティアリスと一緒に買い物をする時は、今日のように露骨に避けられることは無いのだ。
エストは中央市場の端から、屋敷へとつながる道に入る曲がり角まで戻って来た。そしてそれは、その角をちょうど曲がろうとした時に起こった。
「――!(結界が解除された!?)」
エストの顔に緊張がはしる。
「お嬢様が危ないかもしれない!」
エストは屋敷を目指し、全速力で暗い裏道を駆けた。
◇◇◇
「やっぱり、結界が解除されている」
エストはすぐに屋敷の前に到着した。走るのに邪魔だったため、マントと食料が入った皮袋は途中で捨ててきている。
「……」
屋敷の敷地内に入ると、エストは玄関前まで慎重に進む。
「……裏手か!」
扉に手をかける直前に感じた人の気配を頼りに、エストは急いで屋敷の裏手にまわる。そして、エストが屋敷の裏手で見たのは、横たわっているティアリスと三人の男女。
「……」
エストはそれを確認したと同時に、結界を解除した魔術師と思われる妖艶な雰囲気をまとった女に向かって投げナイフを投げる。女を最初に狙ったのは、二人の男の相手をしているときに魔法で支援をされては、勝てるものも勝てなくなるからだ。
「――! “第一位階土魔法”――、“土壁”」
エストが投げたナイフは簡易的な土壁に刺さり、女には届かない。
「(第一位階の魔法をあんなに速く……。宮廷魔導士級か!?)」
エストは情報をなるべく集めるべく、丹念に相手を観察する。
「はぁはぁ、もう無理、魔法の使い過ぎで頭が割れそう。……あの執事の相手はあなたたちに任せるわ」
女はこめかみを押さえてそう言うと後退し、エストから距離をとる。
「(万が一にでも魔法を使われないように、魔術師を先に片付ける!)」
男二人との戦闘中に、支援魔法を使う恐れのある女を無力化するために、エストは距離を詰めようと走る。
「お前さんの相手は俺だ」
しかし、エストと女の間を細身の男が割り込んだ。そんなこと関係なしと、エストは素早く男の脇を抜けようとしたが、
「【旋風脚】」
「(――くっ!)」
ゴウッという音とともに物凄い速さで繰り出された蹴りを、エストはしゃがむことでギリギリ回避することに成功する。しかし、その後も連続して繰り出される蹴りを避けるためにエストは後ろに下がらざるを得ない。
「(これだから、スキル保持者は! あの細い身体のどこに、こんな異音を発する蹴りを放つ力があるんだよ!)」
エストは心の中で文句を言いながら、必死に細身の男の攻撃を避けつづける。一方で、男は手加減をしているのか、その顔には疲れの色が一切見えない。とても涼しげだ。それに、細身の男は剣を装備しているが、それを使う素振りもない。
エストが目の前に男の攻撃を必死に避けているときだった。
エストは、これまで以上に嫌な気配を感じた。
「(――上か!!)」
エストが上を見上げると、そこには上空から降ってくる大男の姿が見えた。
「死ね」
「――!」
エストがとっさにその場から真横に転がると、今まで自分がいたところから轟音とともに土煙があがる。
「今のは何だったんだ?」
エストは急いで態勢を立て直す。
「でかした。よくかわしたな、執事!!」
同じく転がってその場から逃げていた細身の男が、なぜかエストに声をかける。
「それに対して、……てめぇは、なにやってんだ! 俺を殺す気か? あの執事をスクラップにする気か? スクラップじゃあ、どうやっても“人さらい”の仕業に仕立てあげられないだろうが!!」
「人間を縦からスクラップにする人さらいもいるだろうさ」
大男はエストに向き直る。後ろから聞こえてくる「この穴はどうすんだよ!」という仲間の声は完璧に無視だ。
「いくぞ。――【瞬動】」
その声とともに大男の姿が消え、エストの背後に現れる。
「……っ!?」
エストは一撃必殺の拳を何回か紙一重でかわして、大男との距離を取る。
「(この前の盗賊たちと、比べものにならないぐらい強い。こうなったら使うことを迷ってはいられない。この間合いだとすぐに全員を、とはいかないから、何をしているのかバレないように一人一人を確実に無力化しないと)」
エストは大男以外の二人の動きにも気を配る。幸いにも、まだ二人とも行動を起こす様子はない。
「【瞬動】」
再び大男の姿が消え、今度はエストの正面に現れた。
「――っ!」
エストは、またもや大男の攻撃を紙一重でかわす。大男は攻撃をかわされて不機嫌そうに顔を歪めている。
エストは、大男の攻撃が一瞬途切れたタイミングで懐に入り込み、大男の体に手を伸ばす。
「(ここで確実に戦闘不能に追い込む)」
しかし、エストの手がもう少しで大男に触れるというときに、
「――悪いな」
エストは自分の背後から聞こえた声に反応して、すぐにその場から離れようとするが――
「――っ」
金属製の何かが肉を突き刺す音に続いて、それが折れる音が響く。
「(……仲間ごと)」
自分の胸を背中側から貫き、そのまま大男に当たった剣の先端が折れる。その光景を最後にエストの意識は沈んだ。
「よいせっと」
細身の男は、エストから先端の欠けた剣を引き抜く。それと同時にエストの体もその場に倒れた。
「……次やったら、殺すぞ?」
大男はそう言い残すと、女――レリエルがいる方へと向かった。
「何が『殺すぞ?』だ。てめぇの方が俺のことを殺そうとしていただろうに。第一こんな、魔法の付与もしてねぇ、かといって魔力も持たねぇ、普通の剣じゃあ、高位のスキル保持者に致命的なダメージなんて与えられないだろ」
細身の男はポンッと剣を投げ捨てると、広がる血だまりを避けて、レリエルの元へと向かった。
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