第一章12話 『授業開始』
アルトリウス魔導学園は、一クラスの学生が十人ほどであり、一学年には四つのクラスがある四年制の教育機関だ。そして、昨日エストたちが見た通り、人数に対して教室は無駄に大きく、校舎も無駄に煌びやかという貴族仕様。これらに関しては、出資している貴族たちの体面も関係していた。
貴族である自分たちが出資しているにも関わらず、主に平民が通う一般的な学園や冒険者ギルドが運営する学園と比べても、みすぼらしかったら貴族としての顔が丸つぶれというやつだ。
今から始まる授業を担当する教師が、教室にやって来るのを背筋だけは正したままでエストは、ぼぉーっとしながら待っていた。
エストとティアリスの二人が座っているのは、昨日と同じく窓際一番後ろから一つ前の座席だ。初日に座った座席に座らなければならないと決められているわけではないが、他の学生も昨日と同じ席に座っているため、やはり二人の近くには誰もいない。
「そろそろチャイムが鳴る頃でしょうか?」
「はい、そろそろだと思います」
エストがそう答えた直後、タイミングよくチャイムが鳴る。今日から数日の間は「魔法の基礎について」という座学の授業しかない。
チャイムから遅れることわずか、教室に入ってきたのは一組の――自分達のクラスの担任だ。
一組担任の教師は、栗色の髪のぽわーんとした雰囲気を持つ二十代の女性だ。自己紹介によると、この国の貴族であるらしい。昨日聞いたばかりだが、目の前の教師の名前はエストの記憶からすでに消えている。
「(あの先生の名前は何だっけ? しっかり聞いたはずなんだけどな。たしか“~ガール”だか“~イール”だか、そんな家名だった気がするけど)」
勝手に決めつけたエストは、なかなか確信を得ることが出来ず、最終的には思い出すことを諦めた。名乗ったばかりであるにも関わらず、すでに名前を忘れられていることなど露知らず、教壇に立った教師は口を開いた。
「魔法基礎の授業は一年生の全クラスで同時に行われるので、各クラスの担任が自分のクラスの授業を受け持つことになっています。そういうわけで、これから一週間は私が皆さんに魔法の基礎を教えます。どうぞよろしくお願いします」
こうして、アルトリウス魔導学園初の授業が始まった。
◇◇◇
「魔法とは――」
教師が話しているのは魔法発展の歴史――魔法史についてだ。ティアリスや他の学生は一生懸命に話を聞き、その内容を羊皮紙に記している。また、他の学生の使用人たちも、屋敷に帰ってから、自らが使える主にアドバイスが出来るよう、必死にメモを取っていた。
対して、エストは羊皮紙を一枚だけヒラリと机の上に置いているものの、全く手は動かしていない。エストが今一生懸命考えているのは、
「(……どうやったら安く肉を買うことが出来るんだろう)」
現在、屋敷の食事は野菜が中心。それも市場で一番安いものを買っているため、段々と扱う食材が片寄ってくる。これもティアリスが、実家から必要最低限を切り詰めたようなお金しか貰っていなかったからなのだが、それを言ってもしょうがないことはエストも理解している。
「(自分で魔獣を狩りにいくしかないのかな)」
現代において、人は穏やかな性格の魔獣を家畜化して食肉としている。これは肉の安定供給や品質を良くする、保つために行われているが、これはあくまでも魔獣を狩る力がない者たちが考え出したものだ。魔獣を捕まえる力さえあれば、肉を店で買うことに縛られる必要もない。
「(でも、そうすると)」
エストは腕を組み唸る。というのも、エストには狩りに行けない致命的な問題があったからだ。
まず、食べられる魔獣がアルトリウスの周辺にいるのかをエストは知らない。それに魔獣を狩りに行くとしたら長時間――一日や二日は屋敷から離れないといけなくなる。
「(その間、お嬢様を一人にするのか。そうなると、やっぱり狩りに行くのは無理だな。流石に日をまたいでお嬢様から離れるのはよくない気がする。使用人は一人しかいないのだし)」
エストは屋敷の肉問題にとりあえずの結論を出した。
「――それでは次に、魔法そのものについてです」
エストが食料事情を考えている間に、魔法史についての話は終わり、次の内容に入るところだった。エストはちらりとティアリスの方を見てみるが、どうやら彼女の集中力はまだ切れていないようであった。
「魔法を使う際に必要となる“魔力”は、“仮想器官である魔力炉”の中で“自然界に満ちる大魔源”と“個人の魔力炉内で生成される小魔源”が合わさったものです」
教師は「魔法を使えない女性にはこの魔力炉がありません。魔力炉の有無が世間一般でいう魔法の才能の有無というわけですね」と付け加える。
「また、魔法の基本属性となる火・水・風・土・光・闇の各属性の得手不得手は、一人一人が持つ“小魔源の性質”によって変わります。皆さんも入学試験の際に魔法適正を調べましたね?」
「……??」
教師の問いに対して、どうしてかティアリスは小首を傾げている。
「(……怪しい反応だ)」
いまは授業中であるため、屋敷に帰ったら魔法の適性について聞いてみようとエストは心に留めておく。
「そして、魔法を発動させる上で必要な工程はいくつかあります。わかりやすいように私が今から簡単な魔法を使ってみますね。それでは――」
教師は魔法を使うことを宣言すると、懐から小杖を取りだして体の前で構える。教師が取り出した小杖はティアリスと同じく目立った装飾がないものだ。
そして次の瞬間、
周りにあった大魔源が教師の元へ集まったのを、教室にいるほとんどの者は感じた。それは、まるで薄氷を踏んだときのような感覚だ。
「空気がピンッとなるのを感じることはできましたか? 今のは魔法を使う際に必ず起きる“魔法の起こり”という現象です。この感覚は重要ですから覚えておいて下さいね」
自然界に存在する大魔源を集めて魔法を使うと、大魔源は消費され、集めた量と同じだけ周囲から減少する。こういった大魔源の動きは、魔法を使える者であれば誰でも感知することができる。
それが“魔法の起こり”だ。
この現象が存在するため魔法には隠密性がない。相手が魔術師であれば、魔法発動の兆候を掴まれてしまうのだ。
加えて、魔法使用後一定時間内であれば、魔法発動地点では、その周辺と比べて大魔源が少なく、どうしても不自然な点が残る。そのため、ある程度の魔法の技量を持つ者なら、その場で魔法が使用されたか否かを調べることが出来るのだ。こういった点からも、魔法は隠密性というものには優れていないといえる。
「次の工程に行きますよ。――“第一位階火魔法”」
教師の声と共に、構えた杖の先に小さな赤い魔法陣が展開する。そして、その魔方陣がはっきりと空中に浮かび上がると、
「最後の工程です。――“炎よ”」
教師の声とともに魔方陣からボウッと炎が現れる。突如現れた炎に、教室にいた者たち――学生たちは目を見開き、息を飲んでいる。
「……」
ティアリスの反応が気になったエストは、再び彼女の方をチラリと見てみるが、他の学生のような「魔法を見て感動した」、「自分もああいった魔法が使えるようになるんだ」といった類いの感情は無さそうに見える。
ティアリスの反応は言うなれば、目の前で起きた事象を全て受け入れている、といった表現の方が近い。その目は魔法を見てはいるものの、実際には全く別のところに向いているようにエストには感じられた。
「(家族に魔法を使える人がいて見慣れているのかな)」
「いま見てもらっているのは威力を最低限に絞った第一位階の魔法ですが、魔法使用の工程は高位の魔法になっても変わりません」
教師は「位階が上がるほど、魔法発動までの時間はかかるんですけどね」と付け加える。そして、教師が杖を薙ぐと魔法陣と共に炎が掻き消えた。
「魔法の工程を簡単に説明すると、まず魔法の出力を決めてから周囲の大魔源を必要な分だけ体内に取り込み、魔力炉内の小魔源と混ぜて魔力を生成する。次にその魔力を使って魔法陣を展開して安定させる。そして魔法を発動という感じですね」
教師の説明を聞いた学生たちはポカンとしている。
「(具体的な方法は何も説明していないからしょうがない。……出来ないといった方が正しいけど)」
エストは学生たちの横顔や後ろ姿を見ながら思う。
教師は「簡単に説明」と言っていたが、一方で魔法に対しての詳しい説明というものがあるかと言われれば、存在しないと言うしかない。
というのも、魔法は個々人の感覚で使うもので、「こうすれば、魔法が使えるようになる」というような体系化が出来ていないのだ。
つまり、魔法は、
「大魔源をどうやって必要な分だけ取り込むのか。魔法陣をどうやって展開するのか等々。そういったものは一人一人、方法や感覚が異なります。ですので、皆さんが自分でそれらを見つけるしかありません。つまり、魔法は皆さんが心の底から使いたいと思い、学び・鍛練をしないと習得出来ないものなのです」
教師は「それに――」と言葉を続ける。
「才能や努力だけではなく、魔法の習得には精神的な問題が関係しているとも言われています。魔法を使いたくないと思っている人には、どんなに才能があっても、どんなに努力をしても、魔法が使えるようにはならないということですね」
教師の言葉が途切れた時、ちょうど授業の終わりを知らせるチャイムが鳴る。
「一時間目はここまでですね。休憩を挟んだ後、二時間目はこの続きから再開します」
そう言い残して教師は教室から出ていくのだった。
◇◇◇
「エスト君、それでは食堂にいきましょうか」
「はい」
休憩が終わった後、二時間目の授業も何事もなく終わり、今は昼休みだ。
二人は昼食を食堂でとろうとしていた。元々はエストが弁当を作る予定だったが、昨日食堂があるということを二人は知り、試しに行ってみようという話になったのだ。
二人は食堂に到着する。
食堂の天井からは豪華なシャンデリアがいくつも垂れ下がり、窓という窓には色とりどりのステンドグラスがはまっている。加えて教室と同様、利用する人数に対してとても広く造られていた。
「(全校生徒が一斉に利用してもなお席があまりそうだ)」
広すぎる食堂をエストは見渡す。すでに席につき、食事を始めている学生たちのほとんどは、自分の使用人を近くに立たせ食事をとっており、他の学生とは一定以上の距離を空けている。
「(家同士のいざこざを避けるためなのかな)」
対して少数勢力――何人かの学生が集まって食事をとっている集団は、異様な雰囲気を放っていた。
彼女たち、彼女たちの使用人の中にあるのは知人や友人といった対等な関係ではなく、純然たる上下関係のようにエストには見えた。
「エスト、昼食を買いに行きましょう」
ティアリスはちょんとエストの服の袖を引っ張る。エストはそれに応じてティアリスの後をついて歩く。
ティアリスは厨房とつながっているカウンターまで行くと、置いてあるメニューを見て、
「私は……これでお願いします」
ティアリスがシチューを指さしたのを見て、係りの者が背後――厨房に向かって「シチュー一つ」と告げる。
「(シチューが好きなのかな?)」
以前、自分が作ったシチューを食べていた時の反応と照らし合わせて、エストは考える。
「……ぁ」
ティアリスは自分の注文を聞いた目の前の人物が、エストではなく、その後ろに並ぶ学生を見ていることで、あることに気がついた。
「お嬢様、料理は持ってきてくれるようなので、座席の方へ移動しましょう」
エストはティアリスを促す。
「え、ええ」
ティアリスが選んだのは、周囲に誰もいない座席。食堂の中でいうと多数派だ。
「すみません、エスト君。ここだとエスト君が食べられないということに気がつきませんでした」
ティアリスはしゅんと落ち込んでいる。
「お嬢様が気にすることではありませんよ。私はこういったことに詳しくはありませんが、本来ならば主人と使用人はこういった関係が普通なのだと思います。お嬢様はアークフェリア家の長女なのですから、早い内にこういうことに慣れておかないと後々苦労することになりますよ」
エストの言葉を聞いて、ティアリスの動きが止まる。
「……なぜ私が長女だと?」
「え? えーと、アルトリウスに来る直前に一度王都のお屋敷に寄ったのです。その際に小さな女の子を見かけまして。ガレスさんにその子について話を聞いてみたところ、今年で十二歳になるアークフェリア家のご息女だと伺いました」
ティアリスの質問に疑問を覚えながらも、エストは正直に答える。
屋敷に寄った際に見かけたティアリスとは似ていないが、また別の種類の美しさを持つ少女と、自分の質問に答えたガレスの強い意志のこもった瞳を思い出しながら。
「なるほど、そういうことでしたか。……エスト君」
ティアリスはエストの目をじっと見る。
「私は長女ではないですよ」
「そうだったのですか!? しかしそうなると――」
「エスト君、あまり深く考えなくていいですよ。私がアークフェリア伯爵家の長女ではない、と覚えていてくれたらそれで構いません。ほら、ちょうどシチューも運ばれてきましたし」
ティアリスと同じ方向に目を向けると、確かにカートにシチューとパンの籠を載せた女性がこちらにやって来ているのが見えた。
エスト達より厨房から離れた座席に人はいないため、ティアリスの頼んだシチューで間違いないだろう。
「どうぞ」
女性がシチューの入った皿と籠をティアリスの前に置く。
「ありがとうございます」
「――!?」
なぜかティアリスを見て目を丸くすると、女性はぎこちなく会釈をして、足早に戻っていく。
「どうしたのでしょうか?」
「もしかすると、お礼を言われるのが珍しかったのかもしれませんね」
エストは他の学生たちの働いている者たちを下に見ている態度を見ながら言う。ティアリスも遠方にいる彼女らの態度に気がつくと、
「……ごめんなさい、エスト君」
「――?」
エストにはティアリスが突然謝ってきた理由がわからない。
「私には多少の言動を変えることは出来ても、彼女たちに対してあの人たちのように接することは……。もしかすると、私のそういった態度でエスト君がちょっかいを出されることがあるかもしれません」
“だから、先に謝っておきます”
ティアリスは真剣な口調でエストに告げる。
「ふふっ」
エストの口から笑いが漏れる。その様子は、幸いにもティアイリス以外の人にはバレていない。
エストが言葉を真剣に受け止めていないと感じたのか、少しムッとした顔のティアリスが再び口を開こうとする。しかし、その前に、
「すみません。決して、お嬢様の言葉が偽りであると、可笑しなことを言うなと、そのようなことを思ったわけではないのです。ただ、私が使える相手がお嬢さまのような人でよかったと、心の底から思っただけですから。……私はお嬢様の使用人になれて幸せですよ」
「〜〜〜ッ」
エストの言葉を聞いて、ティアリスは頬を赤く染める。先ほどまでのムッとした様子も霧散していた。
「も、もう知りません。エスト君は少しイジワルです」
エストから顔をそらし、手を合わせて「いただきます」というと、ティアリスはシチューをすくって口に運ぶ。
「どうですか? この学園の食堂で出される料理はどれも美味しいと評判のようですが」
「……」
ティアリスはなかなか答えない。そして、もう一口シチューを口に運ぶと、
「うん、やっぱりエスト君が作ったシチューの方が美味しいですね」
「……」
いまの一口で確信を得たようで、ティアリスは自信満々に答える。その様子から、気を使っているとかではなく、彼女の本心からの言葉であることがわかる。
一方で、自分の料理がそこまで特別ではない――普通より少し上だと思いたい(願望)というレベルであることを、エストは分かっているため、ティアリスの評価に疑いの念を持っている。
「……すごく疑わしげに私のことを見ていますね。それなら、エスト君も食べてみればいいんです。ほら、ちょうど誰もこちらを見ていません」
ティアリスはスプーンに一口分のシチューをすくって、エストの口元まで運ぶ。
「はい、あーん」
「……」
エストは無言の抗議をしてみる。
「誰かがこちらを見てしまうかもしれませんよ。早く口を開けてください。あーん」
けれど、その抵抗は無意味だった。ティアリスは全く悪意の宿っていない瞳で、エストの口元にスプーンを差し出す。
「……はぁ」
根負けしたエストは、諦めて口を開く。
「どうですか?」
「……こちらの方が断然美味しいかと」
シチューを口の中で十分に味わってから、エストは答えた。
「えっ!?」
「材料も最高級のものを使っているようですし」
エストは的確な評価を下す。けして大差で負けて悔しいから、材料のレベルに違いがあると言ったわけではない。ティアリスはエストの評価を聞いて「うーん」と唸り、もう一度シチューを食べる。そして、
「うーん?」
大きく首を傾げた。
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