第一章11話 『入学式』
――アルトリウスの街へ、エストとティアリスの二人で買い物に行ってから、約一週間後。
今日はアルトリウス魔導学園の入学式だ。
「どうですか? おかしなところとか、気になったところとかありませんか?」
エストの前でクルクルとまわってみせるのは、新品の制服に身を包んだティアリスだ。学園の制服は装飾が多く、落ち着いた服を好んで着るティアリスが、普段は絶対に着ない類の服だ。
「はい、大丈夫です。とてもよく似合っていますよ」
一方で、エストが着ているのは館にあった執事服だ。アルトリウス魔導学園は学生に付き添う者が必ず必要だが、その者の制服は用意されていない。
そうすると必然的に付き添う者たちは自分達の制服――執事服やメイド服で学園に通うことになる。そのため、貴族の大部分はそういった服に自分の家の象徴である紋章をいれたりしている。
この一週間、エストはそれらしき使用人を、買い物へ行った際などに少なからず見かけていた。しかし、エストが学園に着ていく執事服は、彼らとは異なっていた。
エストが着ている執事服にはアークフェリア家の紋章が施されていないのだ。それは、ティアリスが家名を隠して、学園に通うことになっているからであった。
「それでは行きましょうか」
「はい、お嬢様」
二人は屋敷の外に出て学園へと向かう。
アルトリウスにはいくつもの学園があるが、それらは街の中央から南部にかけては、一つも存在していない。学園は全て街の北部に造られている。
また、学園への馬車通学は許されていない。アルトリウスができた頃は、馬車通学も出来たらしいが、年々学園や生徒数が増えるにつれて馬車の渋滞も増え、街全体の機能が停滞したため、廃止されたらしい。
「エスト、入学式の会場は講堂よね?」
「はい」
学園に到着した二人は、入学式の会場である講堂へと向かう。二人が学園に到着した時刻が早いため、周りにいる生徒の数は少ない。
ティアリスの口調がいつもと違うのは、ちょうど何人かの生徒が二人の近くを通ったからだ。
講堂に入ると、すでに数人がクラス毎に分かれて前から詰めて席に座っているのが見えた。
事前に通達されたティアリスのクラスは一組だ。エストとティアリスは一組の座席を見つけると席につく。エストがティアリスの横に座ったのは先に来ていた人たちに倣ってだ。
座席は二席毎に間隔が空けられており、一人以上の使用人を連れてきている学生は、席に座れなかった使用人に、会場の後ろにある使用人席に座るよう命じている。
会場にいる人は段々と増えてくる。
「何だか緊張しますね、お嬢様」
「そうですね。……ぁ、エスト君。もしここら辺に居づらいのでしたら、後ろの使用人席に行っていてもいいですよ」
ティアリスは心配そうな顔をしてエストに促す。彼女の口調が元に戻ったのは、ほかの学生や使用人が座る席と自分たちとの間には、ある程度距離があり、小声で話せば聞こえるはずがないとの判断からだった。
「いえ、大丈夫ですよ。それにお嬢様を一人には出来ませんよ」
「……そんなに、一人では何もできなさそうに見えますか?」
ティアリスはエストを見上げる。
「いえ、そういうわけでは――」
エストが焦る様子を見て、ティアリスはクスリと笑う。
「すみません、冗談です。……緊張は解けましたか?」
「あ、私のことを……」
エストの緊張はたしかに解れていた。
「私の緊張もおかげで解れましたから、お互いさまですね。エスト君も私に気を使ってくれてありがとうございます」
ティアリスがそう言った直後、教員によるアナウンスが入る。それは入学式の開始を知らせるアナウンスであった。
◇◇◇
もうすぐで昼食時という頃に、アルトリウス魔導学園の入学式は終わった。
入学式のプログラムは開会式に始まり、学園長式辞・在学生のあいさつ・新入生宣誓……と形式通りに進み、閉会式でしめられた。
「ここが一組の教室ですね」
入学式終えた新入生たちは、既に講堂から各自の教室へと移動を始めていた。エストとティアリスの二人は、教室にかけられたプレートを確認してから教室の中に入る。
「「……」」
教室は円形闘技場の一部を切り取ったような構造をしていた。その大きさに反して学生は少なく、人波を歩くことを避けて、ゆっくりと講堂から出てきたエストとティアリスが教室に到着した今でもほとんどの座席が空いている。
「お嬢様、座席はどちらに致しますか?」
「そうね。……向こうにしましょう、エスト」
ティアリスが向かったのは、廊下側から最も遠い窓際の一番後ろから一つ前の座席。同級生たちと同じで、近くには誰もいない。
ティアリスが座席に座ると、エストもその隣の席につく。学生とその使用人という組み合わせで座っているため、教室の中は二人から四人ほどの小グループがいくつか出来ている。
エストはティアリスから話を聞いて初めて知ったが、アルトリウス魔導学園では学生と共にその使用人も授業を受けることになっているらしい。
実際に魔法を使用する授業などは付き添いだけでいいらしいが、座学の授業への参加は強制だという。
「少し居心地が悪いですね、エスト君」
「ええ、なぜあんなにもジロジロと見てくるのでしょうか?」
二人が教室に入ってからというもの聞こえてくるのは、あれはどこの家の者だという話ばかり。こちらをチラチラと見ながら話をされるというのは、あまり気分が良いものではない。
「貴族が学校に通う理由の一つとして、将来の結婚相手を見つけるというものがあるんです。私は貴族が集まる場に出たことありませんから、結婚相手にとは思わなくても、彼らとしては少しでも情報を集めておきたいのでしょう。そういう情報や伝手は他の貴族との……交渉道具になる、と聞いたこともありますし」
「そういうことだったのですね。そういえば、お嬢様がこの学園に来ることになったのはなぜなのでしょうか?」
エストの質問を聞いたティアリスは、少し困った顔をするが、それも一瞬のことですぐに普段の表情に戻る。
「私も彼らと似たような理由ですよ。魔法を使うことができれば、その血を取り込みたいと考える家には諸手を挙げて歓迎されますから」
そのことを心の底から望んでいるとばかりに、ティアリスは笑顔で答えるが、エストは少し前に見せた彼女の困ったような表情がどうしても忘れられなかった。
「(さっきの表情、気になるな。踏み込みすぎな気もするけど、このタイミングを逃したら、もう聞く機会がない気がする)」
「どうしたのですか?」
急に黙ったエストの様子をティアリスは心配する。
「先ほどの話、そこにお嬢様の自由な意志は存在するのでしょうか?」
「え? それは――」
これ以上、言葉を紡がせないとでも言わんばかりのタイミングで、定刻を知らせる魔導具のチャイム音が鳴る。
「チャイムが鳴っちゃいましたね」
チャイムが鳴ったことで教室が静まり返ってしまったため、さきほどの答えをエストが聞けるような状況ではなくなってしまう。
ティアリス自身もこれ以上この話を続ける気はないようで、エストの方ではなく、教室の前にある教卓の方へ視線を向けていた。
◇◇◇
「これで、今日の買い物は終わりです」
「そう、それじゃあ帰りましょうか」
チャイムが鳴ったあと、遅刻して教室に入って来た担任教師の簡単な挨拶と、学生の簡単な自己紹介のみで、学園が早くに終わったため、その帰り際にエストとティアリスの二人は中央市場に食材を買いに来ていた。
他のクラスも早くに解散となったようで、市場には学生服を着た者が何人かいる。そのため、ティアリスは口調や所作をいつも――エストと二人きりの時とは変えている。
ティアリスがそういったことに気を配っているのは、学生やこの街に住んでいる貴族に変に絡まれないようにするためだった。
貴族とその使用人の関係は、決して普段のエストとティアリスのような関係ではない。そのため、普段の二人の様子を貴族たちが見ると、“貴族の嗜みも知らない家”と非難され、その噂が広がればアルトリウスで暮らしにくくなるのは考えるまでもなかった。
こういった理由やこの間、冒険者に絡まれたことからティアリスはアルトリウスの街を歩くときは、冒険者が着るような服――エストが冒険者時代に着用していたモノと似た服を買い、フードをつけ“貴族に雇われた冒険者”を装っている。
ティアリスがアルトリウスの街を歩き回るのは、エストの買い出しに付き合う時のみだ。とは言っても、ほぼ毎日のことなので、身分を偽るのは多少なりとも効果はあるだろうとエストは考えている。
ティアリスだけにそんな恰好をさせていても意味がないので、エストも冒険者に絡まれてからは、彼女に合わせて冒険者時代と同じ格好をし、フードを被って出歩いている。
なので、今日のように身分がハッキリとわかる服を着て、買い物をすることは珍しい。
ティアリスはエストの数歩先を足早に進んでいく。いつもより歩くペースが速いティアリスに、エストは違和感を覚えながらも黙って彼女についていく。
というより、黙っていないと置いて行かれてしまいそうな速さで、ティアリスは歩いていた。
「……ここまで来れば大丈夫だよね」
中央市場から人気のない路地に入ったところで、ティアリスは足を止めた。
「すみません、エスト君。荷物を全て持たせてしまって。私も持ちます」
「それでは……、こちらをお願いします」
持っている二つの革袋の内、軽い方をエストはティアリスに渡す。
屋敷に着くまで荷物を持っていてもエストは大丈夫だったが、それだとティアリスがふくれっ面になることが、ここ最近の付き合いで分かっていたため、エストは素直に皮袋を渡したのだった。
二人は全く人がいない通りを歩く。ティアリスの早歩きは、どうやらエストの荷物を早く持ちたかったからのようで、現在はいつもと同じペースに戻っている。
しかし、荷物を受け取ったからといって満足そうにしているわけではなく、ティアリスは難しい顔をしていた。
「エスト君、これからも“帰り際”に起きたようなことがあるかもしれませんが、執事の仕事は続けられそうですか?」
「……。……ああ」
帰り際、と聞いたエストは、最初ティアリスが何のことを言っているのか分からなかったが、少し思案してすっかり忘れていたイベントを思い出す。
「直接手を出されたわけではないですし、あれぐらいならいくらでも大丈夫ですよ」
「そうですか。……よかった」
最後の方の言葉は聞き取れなかったが、ティアリスは心底ほっとしたという様子だ。
学園であった出来事、それは自己紹介でティアリスが家名を名乗らなかったのを、“家名を名乗るのも恥ずかしいぐらい下級の貴族”と見なした学生が、担任の教師が教室から去ったあと、ティアリスとエストの2人に「自分の家の傘下に入れ、断るようなら実力行使もいとわない」といった旨のことを言い、突っかかってきたことぐらいだ。
エストが言う通り、相手から直接手は出されていないし、相手はエストという使用人のことなど全く眼中になかっただろう。であるから、ティアリスの心配は筋違いだ。いま心配されるとしたら、それはエストではなく、
「お嬢様は大丈夫でしたか?」
「……? 私ですか? 私は大丈夫ですよ」
エストの心配はするものの、自分がなぜ心配されているかが、ティアリスは分かっていないようだった。
◇◇◇
浴槽の縁で膝をついて屈み、温度を確かめてからゆっくりとお湯の中に入る。
十数人が入れる広い浴槽、この規模のお湯を温めているのは魔導具ではない。それにアルトリウスには温泉の出る源泉も存在しない。
この広い浴槽のお湯を温めているモノの正体。それは浴槽の中心辺りに作られた人一人分も入れない、低い仕切りの中に入れられているもの――“熱石”と呼ばれる強い衝撃を与えると、熱を発する魔石だ。
「はぅ……」
広い浴槽の片隅にちょこんと浸かり、ティアリスは今日一日の疲れを癒す。ティアリスは浴槽に入るにあたって、お湯に髪が浸からないように後ろで髪をまとめていた。そのため、普段は見えない首筋がよく見える。
「スキルを使う男の人相手に魔法も使わずに勝っちゃうなんて、あの時のエスト君はすごかったな……」
ティアリスが今日の一件――学園で絡まれたことをきっかけに思い出したのは、以前エストと出かけた際に、冒険者二人組に襲われたことだ。
「もしかして宮廷魔導士だったりするのかな」
決して、宮廷魔導士はあの時のエストのような戦い方はしないのだが、ティアリスが持つ偏った知識だと強い女性=宮廷魔導士という考えが、一番に出てくるのはしょうがないことだった。
「それとも、あのおとぎ話に出てくる“正義の魔法使い”かな」
ティアリスの頭の中で再生されるのは、戦っているエストの後ろ姿。まるで物語に出てくる正義の魔法使いのように人を守るために戦う後ろ姿だ。
「……守られているのが私だと役不足、か。それにあの物語で出てくる魔法使いってなぜか男の人なんだよね。男の人は魔法が使えないはずなのに」
ティアリスは「やっぱり子どもが読むおとぎ話ってことかな」と今になって昔に憧れていた物語の魔法使いに少し幻滅する。
「あ! もしかして、エスト君みたいに男装をした女の人だったのかな」
小さい頃から、屋敷の外に出ることが滅多になかったため、ティアリスはよく絵本や本を読んでいた。そういった本は、ティアリスの面倒を直接見ることを嫌がったメイドたちが、王都にある図書館から借りてきて、ティアリスに与えていたものだった。
「……エスト君なら、アークフェリアの家から逃げることが出来るのかな?」
しかし、エストがアークフェリア家から逃げられるかどうか考えてみようにも、ティアリスにはエストが魔法を使った時の強さも、アークフェリア家が保有している戦力も正確にはわからない。
いざという時のために、小さい頃からアークフェリア伯爵家の戦力を探ってきたものの、ティアリスは未だにその実態は掴めていなかった。
「臨時で冒険者を傭兵代わりに雇うことがあるみたいだけど」
それ以外、アークフェリア家が直接動かせる戦力については、全く情報が無かった。
「もう一人、強い人がいれば……もしかしたらエスト君を」
濡れた亜麻色の髪から滴り落ちる水滴が、白磁のように透き通っていて滑らかな肌を伝う。お湯で上気した頬に、とろんとした瞳で水面を物憂げに眺めるティアリスの姿は、普段とは全く違う、煽情的な色香をまとっていた。
ティアリスは両手でお湯をすくい上げる。
「……明日から授業が始まるんだよね。頑張って魔法を使えるようにならないと――」
少女は広い浴室で一人、自分自身に言い聞かせるように呟く。
両手を離したことでお湯は手のひらから零れ落ちた。
◇◇◇
――アルトリウス魔導学園入学式直後のこと
アンネロッテ・アニスは、アルトリウス魔導学園に務めている女性教師だ。
アルトリウス魔導学園を首席で卒業してから、すぐに教師として働き始めたため、今年で勤め始めて三年になる。三年というのは、アルトリウス魔導学園の教師の中では、まだまだ新米の部類に入る。
十八歳で成人と見なされるセミファリア王国において、彼女は既に立派な成人なのだが、その顔立ちはいまだに幼さを残している。
身長は女性の平均と大体同じ位はあるため、本人は顔立ちのせいで威厳がでないと思っており、幼い顔立ちは彼女の悩みの一つとなっているのであった。
しかし、彼女は気がついていないようだが、その容姿はおっとりとした性格と相まって学園内でファンがいるほど、好意的に捉えられている。
アンネロッテは今まで何度か授業を受け持つことはあったが、クラス担任はやったことがない。そのため今年、新米脱却の指標となるクラス担任に抜擢されて、とても気合が入っていた。
しかし一方で、そのことについてアンネロッテは大きな不安も抱えていた。というのも、他の学園で働く教師たちが、五年から七年ほど勤めた後に担任になるということを考えると、三年という短期間でクラスを受け持つというのは異例のことであり、期待には応えねばならない、という気持ちがどうしても抜けないからだ。
「えーと、新入生の一組は毎年この教室だった……はずよね」
アンネロッテはそう言って、ある教室の前で立ち止まり服装を整える。
「やっぱり、第一印象が大事よね。最初さえしっかりしていれば、これから一年間ちゃんと乗り切れるはず」
アンネロッテは自分の頬が緩んでいることに気がつく。
「(学生のときにも、この教室を使っていたからかしら)」
アンネロッテは手をかけて目の前のドアを開ける。アンネロッテの目の前には、彼女がこれから一年間担任を務める学生たちが、
「……あ、あれ?」
いなかった。
教室の中には、アンネロッテが思い描いていた学生たちの姿はなく、ただ真っ暗な空間が広がっているだけ。
アンネロッテが顔を青くしてドアを閉めた直後、無情にも定刻を知らせるチャイムが学園中に響き渡った。
ご愛読ありがとうございました。