第一章10話 『毒の行方は』
――ある貴族の屋敷にて
「……」
一人のでっぷりとした中年の男が、部屋の中をグルグルと歩き回っていた。男は決して浮かれているから、そのような行動をしているのではない。その逆だ。その証拠に、いまの男の顔は怒りに満ちている。
「何の音沙汰もないと思えば、暗殺に失敗しただけでなく!! 全員が冒険者ギルドで奴隷になっただと!!!」
男の大声に、入口の近くで地面に頭をつけている男の肩がビクッと震える。
「申し訳……ございません」
目の前で土下座する男を見て、それを見下ろす男はチッと舌打ちをする。
「おまえは何度も謝っているが、それで何が変わる? それであいつが死ぬのか? なぁ?」
そう言いながら土下座する男の頭を踏みつけ、グリグリと踏みにじった。
「……申し訳ございません」
土下座する男は、自分の頭を踏みつけるこの貴族には、こうやって謝り続けるしかないことをよく知っていた。というのも、踏みつけられている男はこの貴族家に仕えている古参の執事だからだ。
男は執事が再び謝ったのを聞いて舌打ちすると、最後に一踏み力強く頭を踏みつけ、ようやく頭から足をどけた。
「……もうよい。それで、捕まった奴等から私まで辿られたか?」
男はゆっくりと豪華な椅子に座った。男は常人より横幅が広いため、椅子に座るというより、椅子にはまっているように見えるが、男や使用人が気にしている様子はない。
「いえ、ギルドに捕まった四人の男は、その仲間の手で速やかに殺されました。その時までに聞き取り調査が行われていないことは確認済です」
「最悪は最悪だが、最も危ない状況になるのは避けられたか」
男がフムと体を動かすと、高級椅子がギシギシと悲鳴をあげる。
「……良いことを思いついた。今すぐに雇った奴等をここに呼べ」
「はい、畏まりました。屋敷の外で待たせておりますので、すぐに連れて参ります」
執事は一礼すると、部屋を出ていく。
「ワシャルス家が今以上の力を得るためには、上級貴族たちをまとめるあいつが邪魔なのだ」
男は自らに言い聞かせるように、奮い立たせるように呟いた。
そして、それから少し時間が経ち、
「連れて参りました」
走ったためか、顔を真っ赤にした執事が三人の人物をつれてきた。男が二人に女が一人だ。
男のうちの一人はまさしく、筋肉ダルマという言葉がピッタリの大男。もう一人の男は反対に病的なほど細身で、顔が青白い。そして、最後の一人。女はとても妖艶だった。その容姿は手を出してはいけない魔的な美しさを持っている。
貴族の男は女を見て、喉をならす。
「そ、それで……お前たちが私からの命令――こいつの依頼を受けた傭兵で間違いないか?」
男は執事を指差す。
「はい、間違いありません。この度の失態、まことに申し訳ありませんでした。捕らえられた者共は、私どもの手で速やかに処分しておいたので、あなた方の情報が漏れることはないでしょう」
代表して答えたのは女だ。このことから、三人の中で中心的な役割を担っているのであろうことがわかる。女は言葉では申し訳なさそうにしているものの、その口調からは全くそんな様子は感じられない。
「あ、ああ。それはありがたい」
先ほどの執事の時とは違い、男が三人の頭を踏みつけに行くことはなかった。男は自分を裏切る可能性がある、力を持った者にはああいった態度を取らないのだ。
彼のこういった態度はとても醜いものだったが、貴族の中ではその醜悪な性格も、家の権力を増すのに役立っていた。男の家は彼が当主になってからというもの子爵から伯爵へと爵位を上げているのだ。
「私がお前たちを呼んだのは、聞きたいことがあったからだ。お前たちはまだ依頼を続ける気があるか?」
「はい、もちろんです」
「そうかそうか、ならよい。では、次は私が考えた案を使え。お前たちの作戦は一度失敗している。信用できんのだ」
貴族の男の物言いに、大男がピクリッと反応するが、それを女が抑える。
「はい、私どもを信用できないということなら、そういうことで構いません。今回の失敗は業界からの信用にも関わりますからね。どんなに不利な条件があったとしても目的は達成させますよ」
女は妖艶に微笑みながら嫌味を言う。
「ふんっ、そうか。……まあよい、では私の作戦を説明するぞ。私の作戦は――」
◇◇◇
「あれが、ワシャルス伯爵ねぇ。……あれは人間なのかしら、私には椅子にはまった豚にしか見えなかったわ」
女は先ほどまでいた屋敷を見てクツクツと笑う。
「良かったのですか? その豚の言いなりで」
細身の男の言葉に女は肩をすくめる。
「まあ、失敗したのは事実だしねぇ。それに私たちが知らない情報も持っていたし、あれでも私たちの雇用主よ」
「今回は従うのか?」
聞いたのは大男。
「ええ、教団からの評価が落ちるのを避けたいのは事実だし、契約を切られなかっただけでもよしとしましょう。まあ、いざとなったら――」
女は嗤う。評価が落ちる相手が先ほどの話と変わっていたが、それを訂正するものはいない。
「豚の配下が、いくつかに“毒を混入させた焼き菓子”を対象の家に仕えるメイドに買わせるという話もありましたし、それが失敗したときのために私たちも先回りをしましょうか――アルトリウスに」
◇◇◇
アルトリウス市街地、その一軒の家の屋上には二つの人影があった。
「案の定というかなんというか、毒は失敗だろうな。ピンピンしてるよ。――昨日来た執事と共に。これは捨てられた可能性が高いだろうな。……まあ、そりゃそうか。国内で力を最も力を持つ伯爵様ともなれば、毒物を検知する魔導具ぐらい持っていて当然だろうからな」
男は使うのに一切の魔力を必要としない普通の双眼鏡を覗いて、隣にいる大男に言う。
「最初から期待していないのだから何も変わらんだろう」
「まあ、そうだが……仕事は楽な方がいいだろ? あの男装執事、何も使わずにあいつら四人を倒してるんだぜ?」
それを聞いた大男が鼻で嗤う。
「……あいつら四人より俺一人の方が強い」
「そういうことが言いたいんじゃなくて。あー、もういいや」
細身の男は、自分が言いたいことを大男に説明するのを諦めた。それは、アルトリウスに来るまでの間に、何度も繰り返し同じ説明をしているからでもある。
「俺の言いたいことは理解しなくていいから、とりあえず油断だけはするなよ?」
「ああ、もちろん。そんなことはよくわかっている。……いつも通りと言うことだろう」
男は大男の言葉に内心でため息をつく。
「(本当にわかってんのかねぇ。あいつらがやられた現場に“起こり”の影響が残っていなかったっていうのがどういう意味なのか。あの執事が実は男だっていうなら、そのことにも説明がつくが……。まあ、そこら辺はレリエルさんの調査結果待ちか。時間が無くてあいつらを殺す前に話を聞きだせなかったのが、かなりの痛手だな)」
男はもう一度双眼鏡を覗く。
「ってあれ、あいつらどこ行った?」
「知らんよ」
「……」
◇◇◇
「レリエルさん、そいつは本当なんですか!?」
「ほら、やはり何の心配もいらなかった」
「――あくまでも、その可能性が高いといったところよ」
男二人が仲良く目標を観察していた日の夜。ある高級宿屋の一室にて、二人が所属するチームのリーダーにして紅一点、レリエルによる重大な発表がされた。
その内容とは、
「いや、しかし“あの執事が男”だという情報が本当なら、色々と辻褄が合いますよ!!」
細身の男は日中の悩み事がすべて解消され、興奮気味だ。
「まあ、そうね。四人がやられた状況――魔法が使われていなかった状況から考えるに、あの執事がスキルを使用できる男だというこの情報は、おそらくは正しいのでしょう」
一方で、二人からレリエルは冷静だ。
「何をそんなに心配している?」
レリエルが落ち着いているのは、何か心配事があってのことだと考えた大男が尋ねる。
「そうね……。ただ少しばかり、可能性が限りなく低い最悪な状況が思い浮かんだだけよ」
「その最悪な状況っていうのは?」
細身の男は顔を引き締める。
「それは――」
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