第一章9話 『街には付き物』
「エスト君、エスト君! 次はあのお店! あのお店に行ってみよう!」
ティアリスはエストの服の袖を掴んで軽く引っ張る。彼女は屋敷を出てからというもの、自分たちの買い物のことなど忘れてずっとこの調子だ。ティアリスの恰好は、貴族らしさというものを全く感じさせない普通の服だ。エストも今は執事服を着ていない。
そのためか、先ほどから近くを歩く貴族やその従者たちからは、良い目を向けられない。しかし、ティアリスはそんな目線には全く気がついていないようだった。
「そろそろ昼食の時間が近くなってきたし、買いたいモノが売り切れてしまうとあれだから。あそこを最後にして、先に自分たちの用事を済ませよう」
いつもの合っているのかよくわからない敬語ではなく、エストは普通の口調でティアリスに喋りかける。
「……ごめんなさい。少し、はしゃぎ過ぎちゃったみたい」
ティアリスはエストの言葉を聞いて、自分の先ほどまでのテンションが高めの言動を思い出したのだろう。ティアリスは顔をほんのりと赤く染める。
「あそこで最後にすれば大丈夫だよ」
エストは下を向いたティアリスの手を取って、ティアリスが指を指していた建物の中に入った。
◇◇◇
冒険者ギルド――それは、どこの国にも所属していない独立した組織だ。基本的には人口が規定数以上いる大きな街に作られ、所属する者は住民の悩みを解決し、その報酬をもらうことで生計を立てている。
住民の悩みのほとんどは、住民たち自身では解決できないものだ。冒険者は仕事を貰う、住民は自分たちでは解決できない悩みを解決してもらう。
冒険者ギルドとその街の住民、どちらが欠けても残った一方は満足な生活は出来ない。両者は、そういった持ちつ持たれつの関係を築いていた。
それは、ここ――貴族都市アルトリウスでも同じだ。
「(よく確認しないで店内に入っちゃったけど、ここは何のお店なんだろう)」
最初、ここが何の店なのかエストはわからなかった。しかし、付設している酒場で飲み食いしている男たちがつけている見慣れたプレートを見て、自分たちが入った建物が決して店なんてものではなかったことに気がつく。
「おー、おー、なんかガキが手つないで入ってきたぞ」
エストとティアリスが建物に入ってきたことに気がついた中年の男が、室内に響き渡るほど大きな声をあげる。
「ちょ、ダメですよ。“どこかの貴族に雇われた冒険者”だったらどうするんですか」
大声を上げた男と、一緒に食事をしていた男は慌てている。慌てた男が、エスト達を貴族やその従者である可能性を完全に排除していたのは、二人の恰好があまりにも貴族やその従者の服装からかけ離れていたからだ。
「俺だってそこら辺はちゃんと見ているさ。ほら、お前もちゃんと見ろよ。あいつらプレートを付けてないぜ」
「あ……」
エストとティアリスが、冒険者の証であるプレートを付けていないことに気がつくと、慌てていた男はニヤリと笑う。
「お嬢様、申し訳ありません。入る建物を間違えてしまったようです」
エストは、ティアリスの手を引いて店――もとい、アルトリウス冒険者ギルドの建物の外に出る。
ギルドの建物自体は、この街の街並みに溶けたもので特徴はないが、扉の上にはちゃんと盾の中央で剣と杖が交わったシンボルが彫られた看板がぶら下がっていた。
「エスト君、さっきの建物は何だったの? 普通のお店ではないことはわかったけれど」
ティアリスは自分の手を引き、立ち止まらずに歩き続けるエストへ疑問を投げかける。
「あそこは冒険者ギルドだよ。あと……ごめん、面倒ごとは避けられないかもしれない」
エストの言葉を聞いて、ティアリスは立ち止まらずにチラッと後ろを見る。
「ぁ……」
ティアリスの目に映ったのは、自分たちと一定の距離を保って、付いてくる男が二人。先ほどギルドの中で大声を上げた男とその男を止めようとした男だ。
「(屋敷まで着いてこられるのは面倒だな。それに、屋敷に入るのを見て貴族とその従者だと気がついたとしても、何もしてこないとは限らない。店に入るのは迷惑がかかるから論外……。これ以上、付きまとわれて時間をとられるのもあれだし、相手の望み通り人目が無い路地に入るしかないかな。巡回している衛兵も見つからないし)」
主人を守る役目を持つ者として、エストのこの考えは相応しくないが、この街に後ろ盾が何もなく、知り合いが誰もいない二人がとれる手段は、これぐらいしかなかいのも事実だ。
エストはティアリスの手を握ったまま、人通りが多い通りから外れて一本の細い小道に入る。
「……っ」
エストが薄暗い路地に入った理由に、ティアリスも気がついたようで、握られている手をキュッと今までよりもほんの少しだけ強く握った。
エストは何回か似たような路地を曲がる。そして行き着いたのは、
「運が悪いなぁ、ガキ共。行きついた先は袋小路でしたってか」
「とっさに貴族とその従者の振りをしたのは褒めたいところですが、そんな平民にしか見えない恰好をしていたら嘘だとバレバレですよ」
ティアリスとエストに声をかけたのは、予想通り先ほどの二人だ。
「壁際に」
ティアリスと目が合ったエストは「大丈夫」という意を込めて頷く。ティアリスはそれを見ると小走りで壁際に寄った。
「(やけに肝が据わっているな)」
エストはティアリスを見てそんなことを思ったあと、二人と向かい合う。
「そんな風に後ろに庇っても何の意味がないだろうに。この距離なら、もし魔法が使えても魔法陣を展開して魔法を発動する暇なんて与えないぜ」
男はやれやれと演技がかった仕草をする。もう一人の男は何かを考えこんでいるようで黙りこくっている。
「今日、ちょうどクソ貴族に契約を切られてな。これからのアテが一切ないんだわ。お前らを身ぐるみ剥いで売り飛ばせば当分の間の活動資金にはなりそうだろ?」
前に進みでていた男はエストのことをジロジロと嘗め回すように見る。
「(……最近はこういうのが流行っているのかな? それにしても、王都もここも危険人物を街中に入れすぎ)」
エストはここ最近の魔獣よりも高い、人さらい遭遇率に辟易する。
「(スキルや魔法を使えない者は銀にはなれない)」
エストに向かって徐々に詰めてくる男と後ろで立ち止まる男、二人のプレートは銀色だ。つまり、二人がスキルを使用できるということを表している。
「(銀の冒険者か。……一対一ならギリギリ勝てるかな。けど、二対一だとちょっときついな。相手が油断している状態で不意打ちが出来れば、金の下位ぐらいまでならいけると思うけど……)」
男二人に対して、エストが持っているのはただのナイフが一本のみ。今は毒も投げナイフも持っていない。
「さあ、俺たちと一緒に来てもらうぞ」
男はスキルも使わず、エストの腕に手を伸ばす。
「……ッ!」
しかし、男の手はエストの腕を捉えることは出来ず、宙を切った。
半身を切って、男の手を避けたエストは、そのまま男の手首を掴むと捻って男を投げる。エストに投げられた男は、空中で一回転して地面に叩きつけられた。
「なっ!!」
その驚きの声は、もう一人の静観に徹していた男のものだ。エストが投げた男は打ちどころが悪かったのか、すでに意識を手放しており、声を出せるような状態にない。
男が驚いたのは、明らかに自分より体の大きい男のことを、エストがいともたやすく投げ飛ばしたからだった。
「今のには驚きました。どうやったのですか?」
「……」
男は冷静を装いエストに尋ねるが、エストは言葉を返さない。
エストが無言なのは、男が時間稼ぎをして呼吸を整えると同時に、策を練っているのが明確だったためだ。エストは、口を開かず警戒心を解かないままに男の方へと一歩一歩と距離を詰めている。
「くそっ」
男は吐き捨てるように言うと、剣を抜いた。
「【腕力強化】、【反応速度上昇】……俺はそいつとは違って一切の油断をしないぞ!」
男はエストに向かって全力で走り、剣を振るう。
「はあぁぁぁ――っ」
しかし、その刃はエストが素早く抜いたナイフによって防がれた――いや、流された。
「おぉぉ――っ」
二回目も同じ。三回目も、四回目も、五回目も。男の斬撃はそれ以降も同じように流される。
エストは相手の剣を受けると同時に、ナイフの角度を変えて、男の斬撃を丁寧に無力化していた。しかし、エストには攻勢に出ようとしている雰囲気が一切なく、また表情は真剣そのもので決して余裕そうではない。
「(スキル保持者が相手だと、そろそろ限界だな)」
男の攻撃は止まることなく繰り返される。
しかし、いくらスキルで強化しているとはいえ剣を振るい続けている男には、ただ受け流しているエスト以上に疲労がたまっていた。
「はぁ、はぁ……くそっ!」
声を出すと共に男の斬撃が一瞬だけ鈍る。
男のその“鈍り”は、相手のことを注視していなければ気がつかない隙。本来なら気づきようのない隙だ。それに、もし偶然その隙に気がついたとしても、長年の豊富な戦闘経験が無くては体が動かないほどの僅かな隙だった。
「(ここだ!)」
しかし、それをエストは見逃さなかった。瞬発的に体が動かず、反撃の機会を無駄にすることもない。
エストは僅かにあった男との間合いを詰めると半身を切り、右足を抱え込むように自分に引き寄せ、相手に向けて放つ。
「ぐはぁ」
エストが放ったのは強力な横蹴りだ。エストの蹴りは男が息を吸った瞬間に、その鳩尾を寸分の狂いもなく正確に射抜いた。
エストに蹴られた男はたまらず剣を手放し、声もなくうずくまる。
エストはその男に近づくと、ダメ押しとばかりに後ろ首をナイフの柄で強打して男の意識を奪う。それは、以前に賊の意識を奪ったのと同じ方法だった。
「(危なかった……ほんとギリギリだ。やっぱり正面切っての戦いは向いていないな)」
エストは「はぁ」とため息をついて、ティアリスの元へと向かった。
◇◇◇
「エスト君、さっきは助けてくれてありがとう。それと、ごめんなさい。私があの建物に入ろうと言ったばかりに」
「いや、ティアリスは悪くないよ。さっきのは、あの建物の看板を見落とした僕が悪かったんだから」
エストとティアリスは表の通りを歩いていた衛兵に事情を話し、気を失っている二人を託すと、自分たちの買い物を始めるために街の中央まで戻って来ていた。
その後、二人でまわったのは魔法薬の店、生活用品全般を売っている店、本屋、魔導具屋、中央市場の食材を売っている店だ。
「これで終わりだね。それじゃあ帰ろう、エスト君」
自分の分の荷物をちゃんと持ち、エストの横をティアリスは歩いている。今朝、屋敷を出てからのティアリスの口調や所作はそれ以前の少し固いものとは違い、十六歳という年相応のものだった。
“執事の作法に慣れるまで、私用で外出するときは友人同士という設定でいきましょう”
ティアリスがエストにそのことを告げたのは、朝食を食べ終えてこれから外出しようとした時だった。まだ執事としての作法を身に付けていないエストにとって、ティアリスのこの申し出はありがたいものであった。
「はい、承知しました。ありがとうございます、お嬢様」
ティアリスの提案を即座に受け入れたエストは執事服ではなく、外出用の私服に着替えて屋敷の外に出たのだった。
「(たぶん、こっちが本来のお嬢様なんだろうな)」
ティアリスの今日一日の口調や所作。彼女はそういう設定だと言っていたが、こちらが彼女の本来の口調や所作に近いのだろうとエストは思っていた。
というのも、初対面のとき――エストにつまみ食いをしたと疑われている、と勘違いした時の雰囲気は、今の雰囲気とよく似ていたからだ。
エストとティアリスの二人は、今日一日の出来事を話ながら歩く。しばらく歩いて薄暗い路地を抜け、二人は屋敷に到着した。
今日、エストが買ったのは数種類の薬草に数日分の食材。ティアリスが買ったのは学園で使用する教科書数冊にインクやペンなどの筆記用具、それに一本の小杖 だ。
魔術師は、魔法を使用する際にそれを補助するためのアイテムを用いる。種類としては、初心者向けの小杖、汎用性の高い大杖、一つの類型の魔法に特化した魔術書がある。
これらを用いない場合、魔術師は魔法を発動させる際にいちいち魔方陣を書かないと魔法を発動させることが出来ない。また、魔法が安定せず不発に終わることがほとんどなため、これらのアイテムは魔術師の必需品とされている。
魔法に関係する品物を扱っている魔導具屋でティアリスが選んだ小杖は、一本一本丁寧に陳列されている装飾過多な――いわゆる貴族が好きそうなデザインのものではなく、何の装飾もないただの棒きれに見える小杖だった。
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