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暖かな氷を

作者: 凛之助

君が来たのはいつからだっただろうか。私はもう覚えていないよ。ただ暖かい春の日差しには合わないなと感じたことは思い出せる。最初は君の冷たさに驚き、困惑し、用もないのに君に話しかけたような気がするんだ。夏になると君の涼しさを恋しく思うのはこの時からだったのかもしれないな。

幼い頃の私は本当にたくさんのイタズラを君にした。けれど君は何食わぬ顔でなんですかなんて聞くものだから、私は逆上してまた悪さをして。ずっと繰り返して、そんなことをしていたらある日母に見つかって庭の木に括り付けられたんだよ。おまけに母は本人に助けてもらうまではこの状態たなんて言うから、ゾッとしたね。君はそういうのに疎いだろ。だから、カラカラのミイラになっても君は私を助けないだろうし、私も君に助けてと言えるほど素直でもなかったし、すごく恐怖を感じたんだ。でも違った。すぐにではなかったけど君は私の縄を外してくれた。周りの人がかなり言ったんではないかって、いまだに疑ってはいるんだけどね。冗談だよ、あの時は言えなかったけどありがとう。

他にも君に伝えたいことがたくさんある。私の友人だったジムを覚えているかい。彼と私はよく君と隠れんぼを挑んでいた。全部、私たちの完敗だったけどね。一時間の制限があったのに君とやるとワンレッスンできるくらい時間が余っていたかな。懐かしいよ。そんなジムも子どもを四人持ち、孫の顔までしっかり見て亡くなった。なにもやり残したものなんてないって顔をしていた。君に一人で隠れんぼを挑むとか私宛ての手紙に書いてあったから、賑やかになるだろうね。あとは、妹のベスは綺麗になったよ。昔のちんちくりんで、泣き虫で、目も鼻の頭も赤く染め上げていたようには思えない。スクールの同級で、よく家に来ていたアベルも綺麗な顔のまま大人になってたよ。一つ残念だったのは髪の方もきれいに消えていったことくらいかな。後、印象に強いのは妻のアンドラ。大概の人は君を見て驚くのに彼女だけは目を輝かせながら話しかけてた。私の恋人ながら変な人だと思ったね。彼女は私を追い出してガールズトークだのなんだのと楽しそうにしていたし、昔は思わなかったけど、あの時の君も楽しかったのかもしれない。誰もいない広いリビングは少々こたえたけど。当時も聞けなかったんだが、どんな話か気になるよ。君は彼女に私はどんな人だと言ったのかだとか、彼女は君にどんな私の印象を言ったのか、その印象はあっているか、あっていないのか。それとも私の悪いところだっただろうか、とこの歳になっても君と彼女からの評価には一喜一憂するだろう。そのくらい私は君のことが好きだった。こんなことをアンドラが知ったら怒るかな、ずるいと言って同じような文を書くかもしれないな。私より熱烈な文を。彼女は君の大ファンだから。

君は覚えているかな。君にとって最後の私たちの結婚記念日。数カ月前から君は最後まで同じように動いていたいと言って聞かなかった。正直やめて欲しかったよ。最後の糸がキリキリと鳴く声が耳に届いてくる幻聴を聞くほどに。君はいつも通り、冷たい表情で変わりなく動いた。それが余計にプツンと糸が切れたような死を連想させて、一番辛い記念日だった。残念だけど、選んでくれた花の香りも食事もなにも感じることができなかった。あの日は私がいくら歳をとっても楽しめないだろうね。そして、その次の日、君は一人で私の部屋に訪ねてきた。いよいよかと若い私でも悟れるほど露骨に。

私はあの言葉を忘れることなどできないよ。

「今までありがとうございました。そろそろのようなのでこの程度ですが私の思いを伝えにまいりました。私は主人に使えるためだけに造られ、その使命以外はいらないものと思っておりました。しかし、旦那様や父上様母上様、奥様、ましてや館の方々も私を人として扱ってくださいました。このようなモノである私をそのように扱ってくれる人々はそうそういないということを私は理解しております。本当に皆様の、旦那様の使いとして終われることをありがたく思います。」

君はこの長い文章を表情一つ変えず私に投げかけてきた。私は君からの初めての言葉に嬉しくて、モノであることがありありとわかる表情が苦しくて、他にもたくさんの感情が入り混じって、涙で視界が真っ白になった。最後なにかを言わなくてはと思い、必死に目をこすったから、赤く腫れぼったい目になったのも覚えている。私は一生懸命普通の声で「最後に笑顔を見せてくれないだろうか。やはり思い出に笑顔はつきものなのだから。」なんてことを言ったはずだ。君には泣きじゃくる子どもの声に聞こえたかもしれないが。それでも命令ならばと初めて笑みを見せてくれたね。どきりとしたよ。妻に対しての恋心が初めてのものだと思っていたのに、君の笑顔がどことなく似ていたのだから。私はその時ね、少しだけと言っておくけれど、君が初恋だったのではないだろうか。今でも思う時があるほどには。

静かな部屋ほど響いていた君の音がか細くなっていく。涙が止まらなかった。触れた肌はいつものように冷たく、何か頼めばすぐに動きそうなのに動かなくて、どうしようもない無常観が私を潰した。

そのあとは君を業者に渡して終わりだった。

人の死もあっけないものだが、君の死ほどではないだろう。死というものではないと言われるだろうがね。なにも残していないからこそ、今の今まで君に手紙すら書けなかった。だからと言って、こんな遅い手紙を受け取ってくれないかもしれない。でも、やっと書けたんだ。最初で最後の君への手紙が。受け取ってくれますように。

ここまで読んでくれたなら私の願いをもう一度叶えてくれないかな。今度、君と会うときに笑って感想を教えて欲しい。よろしく頼むよ。



私は何枚にもわたった手紙を薄氷色の封筒に詰め、暖炉の火に投げた。火の糧するわけではなく、遠くにいるだろう人に届けるために。パチパチと鳴る暖炉の中で、薄氷は桃へと変わり私の想いを咲かせにいった。

暖かい気持ちになっていただけたでしょうか。

少しでも冗談を含めながら彼女を語り、淡いなんとも言えない感情を秘めた主人公に心を傾けていただけたらと思います。また、様々な感情を抱いていただけたら幸いです。

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