90話 ところで、少女の瞳に写るものは
神より賜りし宝物の顕現したことによって
過去ヒュームの王であったミゼル・ファナマウ・ディールは、暴走した。
覇道とは、冥界の神によって錬成された邪悪と伝えられている。種族を争わせるために生みだされただけのもの。
宝物の影響を受けたミゼルは、国の中枢をになう家臣たちにさえ覇道の呪いをかけ、己の手足同然として操っていった。
そしてヒュームの特性であるひらめきの力は絶大。敵のマナを奪う魔具の開発と量産にまで成功したとされている。
そして、マナがもっとも少ないはずのヒュームの軍勢が動いた。
当時国境すら存在しなかった平穏華美たるルスラウス大陸に動乱を巻き起こすきっかけを作る。
不意打ちの如き怒涛の進軍と暗躍によって、他種族は連携をとることもできず領土を減らしていいったのだとか。
それこそが世界に戦争という文化が生まれた瞬間でもあった。
他種族の脅威が恐れるものではなくなったと確信したミゼルは、ヒュームたちに他種族を虐げるよう命じる。
討ち取られた骸は他者の目に届くような場所で悲惨に飾られた。逆らうものには残虐非道の限りを尽くし、美しいものには値段をつけて売リモノとして扱う。そしてそれは奴隷制度と名づけられ、ヒュームたちの短命の3世代に渡ってつづけられた。
生まれたばかりのヒュームは、その汚れた考えをまっとうととらえる。
生まれたばかりの他種族も支配されることを常識ととらえさせられる。
他種族たちの多くは圧政により疲弊した。徐々に反骨心を失っていく。
そして、ヒューム種にゆっくりと広がっていく覇道の呪いと下卑た事象は、種族差別に拍車をかけた。
最弱の種によって縛られ、いたぶられ、混迷するルスラウス大陸。
他種族にとっては恐怖のみを与えられる生活を強いられる。
しかもあまりに悲惨な末路に萎縮した他種族の王たちは狙い澄ましたかの如く国境という壁を作った。
しかし、それでも自由を求める者たちがいた。
自由を求める者たちは死力を尽くして首都を守り、闘い、知恵を絞る。
それでもミゼルの周到な圧政には穴がなく、戦士たちに反撃の術は与えられず。大陸内でヒュームの視線を掻い潜りながら革命を企てることは難しいと気づくのに時間はかからない。
そして自由を求める者たちは大陸東に位置する岩壁のむこうへと協力をすがったのだった。
大陸の東には永久中立種族がいる。そして、なに者よりも世界を愛してやまない最強種族が住まい生きる。
名は、龍族。戦士たちは結託して龍の元へと助力を請うた。
話を聞き届けた龍族は、戦士たちへ協力の条件として、勝負を挑んだ。
それこそが龍族の習わしである決闘。強きものこそが、力あるものこそが、正義であるという血なまぐさい道理だった。
こうして自由を求めるものたちは、条件を飲む。
飲まざるを得なかった。なぜなら道が残されていなかったから。
決闘の舞台となったのは、ドラゴンクレーター。
大陸の東を埋め尽くすほどの巨大な大穴。その中央、傍観する龍族の雄叫びのなかで果たし合いはおこなわれた。
龍1体、対多数。
あるものは間断なく膨大な威力の魔法を無限に龍へ放った。
あるものは己の犠牲を誓って全力を上限を上回った。
あるものはその小さな体を変化させ龍に組み付いた。
あるものは希少の才能で龍の灼熱を遮断した。
あるものは己の命を省みずに仲間たちを支援しつづけた。
後の世にLとして語られる勇敢な戦士たちでさえ死闘だった。
龍は果てしなく強靭だった。爪は空を裂き、拳は風の圧を呼び、炎は大地すらも焼却する。
攻撃が同胞他種族構わず奮われるたびに龍族は湧きに湧いた。自由を求める者たちが屈指そうになっても関係なく、猛り狂った。
三日三晩を超越する超常的な死闘はまるで大嵐のように景色を灰燼に変える。
神速の槌は尾に薙がれ、なおも臆することなく立ち向かい。
巨岩の雨は咆哮によって幾千に砕かれようとも、地割れ呼び起こす。
獣の顎は鱗に阻まれた。爪は折れ、体毛が血で濡れても心は折れなかった。
聖なる壁は、たとえ使用者がその身を焦がそうとも漫然と。決して後方には下がらない。
視界が朱に染まり、膝をついても、その支援魔法だけは仲間の背中から背くことはない。
辛くも勝利した者たちの目に映ったのは、大地に伏した龍の姿だった。
そして決闘を終えた1匹の龍は野に下り、英雄たちはともに解放戦争の終止符を勝ちとったのだという。
これは伝説である。遠い昔の英雄譚。
……………
ひっそりとした農村に似合わぬ怒号が響き渡った。
「ふざけるなッ! なんでテメェら犬っころどもに村を明け渡さなくちゃならねーんだ!」
ヒュームの若者は農具を片手に息巻く。
しかし、その手に握られた草刈り鎌の先はどうしようもないほどぶるぶると振るえていた。
村を囲う簡易な柵を挟んで相対するは、北から下ってきた他種族たちだった。
物量の差から見ればヒュームに勝機すらありはしない。
「黙れ敗北種ッ! でていかぬのであれば奪うまでだぞ!」
手負いの軍勢の先頭を切ったワーウルフは、尾を天高く牙をむく。
ヒュームたちにむかって文字通り己の鋭利な牙を剥き出しにして威圧した。
毛に覆われた体は血に塗れ、防具すら破損が多く、彼らもまた過酷な状況に追い込まれていることが見てとれる。
敵は、大陸最北に住まう複合種の頂点に君臨していた、ワーウルフ族だった。
しかしその栄光ももはや過去の話となろう。大陸に住まうならば誰もが内乱を知っていなければならなかった。
なぜ内乱と呼称されていたか。それはワーウルフ族が頂点であってから。
頂点を維持し鳥魚獅子などを集わせるだけの実力があったから。
獰猛で気高き気質は、仲間の信頼と尊敬を集めるに相応しい。群れのためならば命すらも惜しまない。その義侠は領地の外にすら伝わっている。
ゆえに複合種による内乱なんぞただのいざこざで終わるのだろうと予想されていた。
しかし、現実は誰もが予想だにしなかった転覆となっている。
結末、支配階級に対して不満を募らせた被支配階級の者たちによる暴動が成功した。つまり、革命が成ったということ。
そして権利を奪われ国から追い出さたワーウルフたちは、迫害の攻撃にあいながらも、命からがら国境を越える。
南東は、上位種であるエーテル領。
西は、名高き英雄、妖精王が支配するピクシー領。
ならば、むかうべき方角は真南に絞られるここヒューム領のある南へと下らざるを得なくなったのだった。
「物資と村を明け渡せ! これは我々からの慈悲である! もし出来ぬというのであれば貴様らごと晩の肉になってもらう!」
「……っ」
それでもヒュームの少女は敵の言葉に耳を貸そうとしない。
しかし成り行きに任せることしかできないでいた。そしてそれは、生を諦めることと同じ意味でもある。
慎ましやかな胸の前で結ばれた願いは、神には決して届かないと知りながら祈りを形作っていた。
「お、オレたちはこのアザムラーナの村からは出られないんだ! オマエらでも大陸の現状くらいは知っているだろう!」
青年は、及び腰でも負けじと声を張り上げた。
村からはでられない。その曇りなき眼は道理ではなく現実を見つめている。
「外にでたらエーテルたちに捕まって奴隷にされちまう! 見ろ、この刻印がオレたちを村に縛り付けているんだ!」
はだけて晒された胸元に刻印されていたのは、丸で囲われたまだらな模様だった。
因果応報の刻印。火傷の跡のようではなく、鉄後手によって押しつけられた正真正銘の呪いの傷跡である。
「我々の求めているものは反論ではなく肯定のみ! 言い訳を並べる暇があるのならばエーテル族に尾を振る準備を済ませることだ!」
「な、オレたちにエーテル族の奴隷になれっていうのか!?」
それを受けて、オスのワーウルフは尾をゆるりと上にむけて振り子のように左右に振った。
しゃんと伸びた背筋。窮屈げに革鎧に包まれた体は屈強。剥き出しになった箇所でさえ厚き体毛によって保護されている。
戦えば2、3匹と引き換えにヒュームは滅ぶのは必然か。そうでなくとも実力の差は見たままに村人対軍人という構図だった。
勇敢を振りかざしたところで弱者対強者。戦ったとして未来は暗く滾っている。
「ならば選ぶがいい! ここで狩られて我らの糧となるか! この地を捨てエーテル領の奴隷市場に並ぶか! 死生を選ぶ権利くらい貴様らにくれてやろう!」
吠えるようにして突きつけられた過酷に、少女と村に住まうヒュームたちは凍りついた。
その手は未だ固く結ばれて、それでも抜けるような青空から神は舞い降りず。
創造神ルスラウスは個に救いをもたらさない。なぜなら自身の肉を削って作った世界を 平 等 に愛しているから。
「そんなことって……! オレたちは……平和に暮らしてただけだってのにッ……!」
ぽとり、と。草刈り鎌は、これから刈られるはずだった茂る草の上に滑り落ちた。
悔しげに握られた青年の拳にむかう宛もなく。それを後ろで見守っていた村の民は力なく目を伏せた。
誰ひとりとして村からでていこうと提案するものはいない。無論、少女も青年も同様に。
「故郷を捨てぬか……。そうか……」
選択を押しつけたはずのワーウルフは僅かに憂いを帯びるように、呟く。
――誰か……弱気種族であるヒュームに光をお与えくださいませっ!
少女は、最後の縁で願う。
間もなく閉ざされるであろう世界を閉じ、頬を撫でる涼しげな風の感触を感じた。
季節の刺すような日差しに混じったみずみずしい香りがする。耳をすませば虫たちの歌声は楽しげで、飽きる暇すらない。
それらすべてが生きたいという欲望だった。少女の瞼の裏には、生きていたという実感がじんわりとこみ上げてくる。
その結ばれた清らかな手の形は、救いを求めるものではなく、徐々に徐々に命を捨てる覚悟へと変わっていくのだった。
「――ッ」
と、僅かな変化が洗練された精神へ滑り込む。
死を望んだはずの少女の目は、もう1度だけ世界を写す。
ゆっくりとだが、なにかが、近づいてくる気配がする。
「さて……我らとて故郷を追われた身だ。貴様らの里を思う気骨に免じて苦しまぬように……」
ズズズズン、ズズズズン。確かな揺れ。
音もなく足を繰り出したワーウルフの三角の形をした耳が、周囲を探るようにひらひらと動いた。
「なんだ……?」
立ち止まり、威嚇するように低く唸る。
ズズズズン、ズズズズン、ズズズズン、ズズズズン。音はどんどん大きくなる。
揺れは恐怖を覚えるほどに巨大に。もはや誰もがその異変に気づかざるを得なかった。
ワーウルフの軍も泡立つかのように首を回して動揺を見せる。
ゴゴゴゴン、ゴゴゴゴン、ゴゴゴゴン。荒波だった海上にいるかの如き地震はまるで世界を揺らすような、だ。
「っ!」
耐えきれず少女はバランスを崩してぺたりと尻もちをついた。
作業で汚れてもいい地味なスカートのなかで、健康的な足が膝からハの字に広がる。
ガガガガン、ガガガガン、ガガガガン。もはや立っていられる者のほうが少数だった。
地面に接した尻が叩かれるような錯覚を覚えるほどに、大地が隆起する。
薄汚れた粗末な家々は誇りを吐き、地は割れ、木々も切なげな音を立てて葉を騒がせる。
「や、山が……山が動いてるッ!!」
誰かが言った。
ワーウルフたちでさえ呆然とへたり込み尾を下に巻く。
少女だけではなく村の民全員が振り返り、そして全員が戦慄した。
見上げるほどの巨大な影が見下ろしていた。
轟々と雄叫びの如き音を立てて、赤褐色に鈍く輝く巨体だった。4つの円柱状の足はまるで塔のように天高く伸び、その中央にぶら下がるように城がついていた。紅く光る瞳は、禍々しくも、おぞましい。
「き、貴様らがこれを作ったのかッ!? あの巨大なものは一体何だ!?」
「ち、ちがうっ! こんなものオレたちは知らない! 本当に知らないんだ!」
青年が慌てて否定するも、飛び出したワーウルフが胸ぐらを掴む
そうして首が取れそうなほど横に振って問い詰めにかかった。
「は……っ!?」
少女は喧騒を耳にしながらもそびえ立った巨大の足元が僅かに盛り上がるのを見た。
「……?」
一部が盛り上がり、ぼこぼこと沸騰するように泥へと変わっていく。
もりもりと山なりになった泥は、その姿を変え数秒後には2本足で立ち上がった。
「く、泥巨大……?」
また誰かが言った。
泥巨大はさらに身長を伸ばすように両手を天に掲げる。湿りを帯びた赤土がねちょねちょと村の道に滴り落ちて、汚す。
「な、にがおこっている……? こいつらは……敵?」
少女の横にまでやってきたワーウルフは、ぱくぱくと口を動かした。
牙の生え揃った牙は鋭利な刃物のようで肉を食べて生きていることがよく分かる。そして、全身の毛は逆立ち頭部は2割ほどに膨れ上がっていた。
「あれはなにをしようとしている?! だいいち、この巨大な建造物は――なっ!!」
刹那。泥巨大は発破した。
泥の礫が宙を舞い、ワーウルフ含む全員の体に斑点を作った。
しかし、誰もそれを気にするものはいない。なぜなら、泥巨大がいた場所には別の巨人が立っていたからだった。
ズズズン、ズズズン、ズズズン。
先ほどと同じように丸い形をした4つ足の白い巨大が大地を揺らし迫ってくる。
後方で待機している巨大建造物と比べればまだマトモな大きさだった。それでも村の古ぼけた平屋の家々をゆうに越えるほど。
目の前で次々と様変わりする光景に、全員ただ傍観することしかできないでいるようだった。
球体の中心の辺りにある十字に並んだ6つの青を瞬かせながら、巨人は語り始める。
『ヒカエロォ……。ワタシハァ……、イダイナルゥ……カミダハァァァ……』
吐息混じりの尊厳のある声が雑音とともに村中に響き渡った。
周囲の者たちは、ほぼ同時にゴクリと喉を鳴らす。
誰ひとり異を唱えるものはいない。それほどまでに浴びせられた白い光は、ライトの魔法と比べ物にならないほどの神々しい輝きを秘めていた。
――か、かみ!? まさかルスラウス様への願いが!?」
少女は、慌てて膝立ちになり胸の前で手を結び直す。
それから恋に焦がれたような熱のこもった視線で、ほぅっと熱い吐息を吐き出した。
祈りが届いたのだという胸の高鳴りは、もう誰にも止められはしない。
『ワタシノォ、オォッホホォァァ……、ナハァァァ――』
『あなたさまわぁ! また神を偽り愚弄するつもりですのよぉ!?』
尊大なる神のお告げは、甲高い声によって遮られる。
そして球体の巨人は右へ左へ体を回しながら両端についている爪のようなものを上下に動かしはじめた。
「暴れるんじゃないこのへちゃ天使!? 今、平和的説得の途中だからじっとしてろっての!?」
『それは嘘偽りを語っているだけですのよ! あと早くワタクシの体をもとに戻してほしいんですのよ!』
男と女の声色が切り替わるかのような。それらが雑音混じりにキンキンと怒鳴り合う。
静観していた者たち全員が、なんなんだ、と。一斉に首を傾げた。
『や、やめ、やめろぉっ! ちょいちょい! オレがまだ喋ってる途中でしょうがぁ!!』
『うわぁぁぁん! 元の体にもどぢでほしいんですわよぉ”ぉ”ぉ”!』
『泣くんじゃねぇ! 男なんだろッ!』
『ぴぃぃぃん! いまは、あなたさまのせいでおんなですわよぉぉぉ! びぇぇぇん!』
言葉を話すことのできない少女は、結んだ手を緩めてゆっくりと立ち上がる。
その顔には、先ほどまでの期待に満ちた面影はなくただ現実だけを凝視していた。
これが神だとしたのならば信仰している神ではない、と。不遜なる思いをささやかな胸に秘めて。
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