86話 やっぱり、都はカーニバる
彩られた都で祭りが始まる
精霊祭
戦士の羽休め
瞼の裏に残る面影は
奇跡とは
ようやく彼は心の殻を破る
祭りの当日。長耳は弦楽器などを手にして優雅に舞い踊り、それを肴として頑強な男たちは豪気に笑う。
自然を間借りするかのように木々の隙間に立てられた木造建築は、エルフ特有の精霊信仰の賜物だろう。
その前には点々と出店が並び、食べ物をはじめとした様々な出し物が所狭しと台の上に敷き詰められている。
緑の都の中央にそびえ立つ1本の巨木は、およそこの世のものとは思えないほどに壮大。
その巨木こそエルフ女王によって管理される魔都の神より賜りし宝物。
ここは精霊の都――ユグドラシル。
天を衝くように生えた樹木のてっぺんは空へ伸び先は見えず。神々の住むという神界まで繋がっていると信じられている。
そんな浮かれた様相の都に似つかわしくない異彩を放つ1人の影が通り過ぎる。
「はっ、はっ、はっ、はっ!」
黒い髪に黒いジャケット、首元まで覆うインナーはルスラウスに住まう民たちにとって見慣れぬであろう佇まい。
エルフとドワーフたちは通り過ぎる青年を見て、不思議そうに眉を上げていた。
「ハァ、ハァ……くそっ! どこにいるんだッ!」
明人は、汗だくになって駆けずり回っていた。
もはや水分は体中から吹き出し、足はまるで棒のようになっている。
「ユエラたちが言うにはここにいるはずなんだ! だったらまだ探していないところを探すしかない!」
手に握られた指輪は、今朝方受けとった100万ラウスの一品物だ。
銀を基調とし鬱陶しくないようデザインが施されたされた僅かな装飾が美しい。しかも小さな小さな宝石が申し訳程度に仕付けられている。そして、円内で丁寧彫られた文字は840と打刻印が打たれていた。
人間の明人が依頼し、語らずのヘルメリルによってデザインされ、双腕のゼトに作られた世界でたったひとつの指輪である。
そしてそれこそが剣聖リリティアに贈るための贈り物だった。
「くそっ!? 考えろ!? あのリリティアならこういうときどうする、どこにむかう!?」
すでに太陽は傾き、夜の色が迫っている。
都いっぱいに広がった祭りの会場はあまりに広すぎた。
明人は膝に手を当てて熱くなった肺を冷ますようにして呼吸を整える。
滴り落ちる汗が苔生した通りの石畳を濡らす。
と、数多くの露店が開かれて賑わう木陰の下道。そのむこうからカルルが長耳を揺らしながら走ってくるのが見えた。
「明人さん! むこうで剣聖様を見た人がいるらしいですよ!」
そして、スタッと明人のすぐ隣に着地したもうひとり。外套がひらりと揺らぐ。
「ふぅ……こっちでも目撃情報があったわ」
ユエラも汗を浮かべながら息を切らしていた。
支援魔法の力を借りたのだろう。体をなぞるように赤い光の膜、《ストレングスエンチャント》が張られている。
「つまりすれ違いになってるってことか! まったくこういうときこそ魔法が使いたくなるな!」
数多くの目撃情報が集まっているためリリティアは、いる。
エルフとドワーフが集うこの瞬間、人間の明人と剣聖のリリティアはよく目立つ。
情報を頼りに馳せ参じれば、すでにそこにはいない。まるでイタチごっこのように追っては消え、決して尻尾を掴ませない。
「はぁ、はぁ……もしかして……リリティアのやつオレから逃げてるのか?」
「んー……たぶん普通に楽しんでるだけだと思うわよ?」
明人の心が不安に彩られるのを察してか、ユエラがぽんっと上下する肩をたたいて慰めた。
雲を掴むような追いかけっこは昼から通して行われつづけている。ゆえに明人には祭りを楽しむ余裕などはない。
しかも祭りの終わる時間が刻一刻と迫っていた。
「せっかくの終戦祝いみたいな祭りなのにカルルまで付き合わせて、本当にごめん」
呼吸を整え終えた明人は、頭を下げて謝罪した。
「いいんですよ。微力ながら恩返しができるんですからいくらでもお付き合いします」
対して、カルルは傷跡だらけ顔をくしゃりと歪めて微笑む。前線で闘ってきた歴戦の勇姿の尊顔。
「それにアナタと剣聖様は、剣と鞘のような関係であるべきだとヘリメリル様もおっしゃっております」
「……剣と鞘?」
明人は、脱いだジャケットを小脇に抱えて腕を組む。
ここ数日のデスマーチによって意図せず鍛えられた肩がコブのように盛り上がった。
「むき身の剣では力を持て余し、鞘だけでは意味をなさない。ふたりでいることが重要なんです」
それこそ雑魚と最強だった。
雑魚は誰よりも小心者で死に怯えて平穏を望むが、唯一聖剣を抜くことができるもの。
最強は誰よりも強くて世界を変えるだけの力を持つが、選ばれた者の手に身を委ねなければ腕を振るうことすらできぬ。
静を望むものと動を望むもの。決して交わることのない世界と世界が生んだ奇跡の産物は、きっと神ですら予測できなかっただろう。
「そうね。カルルさんのいうとおり、明人がきてからリリティアは確かに変わったわ」
周囲で屋台物を幸せそうに頬張るエルフたちと比べて、独特なシルエット。
居丈高を装うように。ユエラは自身の熟れた葉のような髪をすくい上げた。
混血特有の竹色をした深緑色が深い川のようにはらはらと流れる。
「アンタがきてからリリティアは私の前で2回も泣いた。別れた後と、この間の2回ね」
急にキッ、と切れ長の眼が鋭くなった。
彩色異なる瞳が威圧感を満々にして明人を睨みつける。
つまり、リリティアは明人と出会うことで3回泣かされている。
1度目は明人と別れた直後。2度目はサラサララの群生地で再会を果たしたとき。3度目はイェレスタムでの勘違い。
「でもね、泣いた回数と比べ物にならないくらいいっぱい笑ったわ。いっぱいいっぱい、ね」
表情のスイッチを切り替えるように、ユエラはその場でくるりと回って歯を見せるよう悪戯に微笑む。
明人はあまりに眩しい笑顔にあてられつつも、考えた。自身にとってリリティアの存在とはなんなのだろう、と。
はじめは女性として魅力的だと思っていた。しかしともに生活するなかで少しずつ、性別すらも、なにもかもを疑いはじめた。むこうからの歩みよりを企みと無粋な読みをして。
「………………」
ただひたすらに考える。
おもちゃ箱をひっくり返したような種たち楽しげな音と音さえ遠のくほどに没入した。
利益を忘れ。
疑を捨て、信頼し。
利己的ではなく。
赴くままに告げる。
「――よしッ!! 今決めた!! 謝るのはもうやめだッ!!」
晴れやかに、そして高らかにに宣言した。
祭りを楽しんでいた者たちが振り返るほどの声量で。
「えぇ!? なに言ってんのよアンタ!!」
「ちょっと明人さん!? 話聞いてたんですか!?」
正気とは思えぬ発言に、ユエラとカルルは総毛立つようにして食いついた。
しかし、明人は構わない。思い立ったが吉日がモットウ。
露店に吊るされるように売られているアクセサリーをひとつ手にとって、支払いを済ませる。そして、あ然と鯉のように口をぱくぱくさせているふたりに握りしめたアクセサリーごと拳を突きつけた。
「ずっと疑問だったんだ! なんでリリティアを女だと思えないのかってな!」
それは決心であり心を決めるための前振りでもある。
「だってさぁ……グッツグツの熱湯に浸かるし、オレのこと数十メートルは投げ飛ばすし、風呂で裸を覗かれても動じないし、滅茶苦茶怪力だし。そんなのを女として見れるわけがないよなッ!」
内側で燻っていたものはよく滑る口を動かすたびに失せていった。
「それはアンタがリリティアのことを知らないからで――」
「だから、これからもっと知っていこうと思う」
はた、と。柳眉同様に逆だった長耳が、しゅんと垂れ下がった。
周囲を行き交うざわめきの洪水が遠く離れていくような。時が照り返され、新しく道ができていくような。
「オレの世界のことも、オレの力のことも、オレたちが戦ってきた敵のことも、全部。一切合切を正直に話すよ」
言い切って、明人は右手の指輪を腰のポーチに押し込む。
代わりに先ほど出店で購入した安物の青いリボンを大切に畳む。
その表情はイージス隊と撮った写真のなかの笑顔のよう。嘘のない本当の微笑だった。
「明人……!」
ユエラは、惚けるように名を口ずさむ。
そしてへにゃりとなさけなく下がった長耳に芯でも入ったかのように上下に震わせ、目を輝かせる。
「ほんとっ!? リリティアだけじゃなくて私にも教えてくれるわよねっ! ねっ!」
明人の包帯に巻かれた手を掴んで、催促するかの如くぶんぶん振り回す。
「いーてててっ!? 話す、話すから離せぇ! それにそんな楽しい話じゃないからな!」
「やったあ! 私だって前からずっと気になってたんだから!」
余程気になっていたのだろう。ユエラは両手を突き上げてぴょんぴょんと蛙のように飛び跳ねた。
それに合わせて豊満な胸が自由自在にたゆんで周囲の視線が釘付けとなってしまう。
そんな年不相応なスタイルではしゃぐ少女を横目に、カルルもまた満更ではなさそうにやや頬を赤らめた。
「し、しかしですね……剣聖様を見つけないことには話が進みませんよ?」
「大丈夫。そのためにこの間ユエラを街に残して討伐依頼を受けたんだ。日が落ちて花火が上がる前頃に勝負の舞台を絞る」
強力かつ治療役の自然魔法使いを手放してまで依頼をこなした理由がある。
それは、精霊祭の終幕。そこで花火がとりおこなわれる予定となっていた。
つまりユエラは明人が依頼をこなしている隙にユグドラシルの都で奔走していたということ。よく花火が見えるスポットを調査していたのだ。
決してロマンチックさを演出するわけではない。これはリリティアが見つからないということを危惧したうえでの保険だった。
絶景の場所に種族たちは群がるだろう。そうなれば都を上げての祭りでは捜索範囲が広すぎる。ならば、一箇所に集めてから目立つ金髪をさがしてやれというプランニングだった。
「それに、指輪はやめだ」
明人は手のひらの上に乗せた青いリボンを見つめる。
サイズも選んでいないおおよそ2メートルはあるであろう長い長い露店の安物だった。宝石と装飾を施した指輪と比べれば月とスッポンほども価値に差がある。
「? なぜです? あんなに苦労して手に入れたものじゃないですか」
明人は、不思議そうに顔を傾けたカルルに左手を突き出して、見せてやる。
薬指に光る銀色にブルーラインの入った指輪。リリティアによって無理やり装備させられた呪いの指輪。
「よく考えたらこれ貰ったし、つけてる指的に変な意味がでる」
「ああ……なるほど。ふふっ、確かにそれではプロポーズになってしまいますね」
指輪の交換なんて冷静になれば顔から火がでかけない。
そういうのは愛し合ったものがおこなう申請な儀式であり、こちらはただの仲違い。
しかし明人とて離れてリリティアの大切さに気づかされた。それはおよそ臆病だからなのか。わからないが。
それでも見慣れたあの柔らかい笑顔がほんの少しだけ愛おしかった。
「あとこれは個人的なことなんだけど、リリティアももうちょっとおめかししたほうがいいと思っただけ……かな?」
そして一品物の指輪を仕舞ったポーチから、この国の女王を呼び出すために手のひらサイズのベルをとりだした。
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次回か次次回、色々なことが明らかになります。(予定)
お読みになっていただいているみなさんにとって申し訳ない展開になったらと、非常に緊張しています。