82話 やっぱり、労働は体力とひらめき
己の信念を貫き
血を滲ませて稼いだ金
追い込まれ
満喫し
タイムリミットまであと2日
工房に高い金音がリズムを刻む。ここ数日は毎日が工房暮らしとなっていた。
昼は烈火の如くむせかえるような暑さで肌を濡らし、しんしんとした夜中までそれは鳴りつづけた。
明人の手はすでにボロも同然。薄汚れた包帯に滲む赤い染みこそが、文字通りに血の滲む努力の軌跡だった。
死力を尽くす思いで真っ赤な鉄へと鎚を振り下ろす。1発1発、魂と向上の精神を込めて。
――もっと稼ぐんだァ! もっともっともっとォ!
与えられた時間は僅か14日間しかない。精霊祭が刻一刻と迫っている。
技量を伸ばすにはあまりに短い時間だった。素人が客への納品するには、雑になるかもしれない。
だから明人は考えた。ならば技術だけではなく知能を活用しよう、と。
まずはじめに、工房産の農具に等級をつけた。
最上級、上級、中級、下級、最下級。5つに等級に分類することで購入者に選択の権利と購入の責任を与えることに成功した。つまり安かろう悪かろうを意識させるというもの。
最上級と上級はゼトの手によって仕立てられた武器や防具を差す。中級は名匠の一番弟子のラキラキが、明人は下級と最下級を担当するというもの。
しかし、これだけではまだ足りぬ。短期間で稼ぐための企ては終わらない。
ルスラウス世界で許容範囲内、通常とされている品物はおおよそ中級品質多いと見た明人は、下級未満の値段を冗談かと思うほどに安く設定した。そして、宣伝広告の内容に予備や中継ぎをはじめとした謙虚な謳い文句を添えた。
ここで問題になるのは工房の主であり、双腕の2つ名を得る名匠ゼトの承諾だ。
「ガッハッハ! しょせん仕事なんぞは金を稼ぐもんじゃ! キサンが考えたもんも金稼ぎのためのもんじゃろ? ならやってみぃ!」
師匠の快諾を得た明人は、弾かれた銃弾の如くエルフたちに触れ回った。
長きに渡る戦争。金物の流通が途絶えていたエルフたちにとって技術力の高いドワーフの作るものは高品質なものばかり。
そして、仕入れのエルフたちが見たであろう目が飛び出るほどに安い農具。ついでとはいえ仕入れぬはずもなく、明人の形だけにはなっている商品ですら飛ぶように売れた。
しかし、これでは偽っただけ。購入者の期待を裏切る行為であり、工房の信用が落ちかねない。
そうならぬよう、すでに次の手をすでにうっていた。
すべての完成品に小さく削り彫られた地球の文字がある。百里基地内で操縦士として名づけられた認識番号、840人目の犠牲者の文字だ。
そう、これはルスラウス世界初となるブランドの立ち上げだった。
名匠ゼトを含むチームブランド。その名も840ブランド。
これによってブランドのチームメンバーにヒュームという種族名が混じっていても製作者個人ではなくブランドへと目がむくという算段。
日本で身につけた、合法卑怯というずる賢さ。これによって購入者は木ではなく森全体を見るようになる。
そして、この等級システムは新しい商売として日の目に当たりることとなった。生き残ったドワーフたちが少数であるがゆえ、商品はダマになって売れに売れた。
「よしッ! あとはこれでッ!」
そして、陰と陽は12回に渡って世界を巡る。
世界を改革した明人の手には、相当額の金貨が納められていた。
……………
「ヘルメリル。約束通り、これでリリティアに似合う装飾品を見繕ってほしい」
ドサリ。カウンターの上に置かれたのは貨幣が詰まりに詰まった革袋が置かれた。
その手はもう職人とは言えぬ。皮は剥がれきっており包帯にまでどす黒い血が滲んでいる。
「――ちょぉ!? なによそのありえないほどの傷はッ!? 治すから早くその手を見せなさい!?」
裁縫に勤しんでいたユエラは、明人の手を見た途端に跳ね上がった。
そして、その隣に座って酒を舐めていたヘルメリルも目を丸くする。
「ほぉ……最近見ないと思えば……これはこれは。……久方ぶりの衝撃だ」
革袋の中身は金額にしておよそ40万ラウスほど。
しかし、ルビーのような赤い瞳の見つめる先ははちきれそうな革袋ではなく、持ってきた人間にむいていた。
「クッ、クククッ、化けたものだな……。フフッ、そっちが本性か? 上っ面よりよほど良いぞ」
見開かれた目を細め、ヘルメリルは嫣然と微笑む。
それもそのはず現在の明人の顔はあまりに酷いもの。
夜も寝ず貼り付けられた分厚いクマ、鋭い眼光が鈍く光る。
肉が剥き出しになった傷の加減を見て苦い顔をするユエラをよそに、明人は追い込まれていた。
「いつつっ……総額40万ラウスだ。これでどれくらいのものが買える?」
約束。それは異性への贈り物を、対象と同性であるものに選んでもらうこと。
任せる相手が高貴で意外と愛らしいものが好きな女王であれば十二分に頼れる。
しかし、装飾品の類は予想を遥かに上回る貴重品となることも予想のうち。この戦争が絶えない世界においては着飾るということ自体が少ない。そのため需要がなければ数は少なく、供給は止まり、やがて芸は劣化していく。そうなれば装飾の値は青天井となって貴重になる。
つまり、ルスラウス大陸で贅沢品の価格は目が飛び出るほどに高騰していた。
ヘルメリルは頬杖をつき、白細い指で革袋の金貨を1枚摘みあげ、退屈そうに眺める。
「ふむ、よく貯めたと褒めてやりたいところだが、40万ラウス如きの金ではとうてい一級品には届かん。せいぜい買えたとして贋作か粗末なもの程度だろうよ」
「そうか……そうだよな……」
肩を落として悔しがる明人に見かねてか。ヘルメリルは、ほっそりとした顎で自身の横の空いた席に座るよううながす。
そして、勇み足でよってきたミブリーは手早く酒を注ぐ。
「努力は買おう。ここ数日で840ブランドという名をエルフ領でもよく耳にするようになった。……しかし、40万ラウスとは少ないな」
当たり前の疑問。名匠と名高いがゆえに双腕と名づけられた魔法鍛冶師のゼトは、840ブランドによる集客によって桁違いに稼いでいる。
それほどこの12日間はは目が回るほどに濃密で、840ブランドは流行の兆しを見せていた。
「……親方とラキラキの利益は貰ってない。それはあくまで自分の商品だけを売った金だ」
明人にはプライドがある。
謝罪とは相手に許しを乞う行為であり自身をかえりみること。
だからこそすべて自分の努力で成し得なければならぬという戒め。
それを聞いたヘルメリルは一瞬僅かに眉をよせたが、やがてくつくつと喉を鳴らして笑いはじめる。
「ぷッ、クククッ――ハァーハッハッハッ!」
微笑は爆笑へ。目に涙を浮かべ、腹を抱え、ヒールで床をガツガツと踏み鳴らす。
鈴を壊すような高笑いに、店内にいた客たちのギョッとした視線が集まった。
「楽しそうだなぁ……。しかも、今までで一番笑ってるし……」
「くはははははッ、当然だろう!? ひたむきさもそこまでいけば天を超えるほどのアホウだ! ひいっひいっ、これが笑わずにいられるかっ!」
ヘルメリルは、椅子から立ち上がり天を仰ぐようにくるくると回りだす。
レースの入ったスカートは花開くように。その下で生白い足が交互に交差する。
「フフフッ、愉快だ! こんなに愉快な者に出会ったのははじめてと言っても良いッ!」
まるで黒い蝶が羽ばたくが如く。
なにがそれほどツボに入ったのやら。明人は置いてきぼりを食らってしまう。
と、ようやくユエラが治療を終える。
「ふぅ、治療はすんだわ。でも、まなちるのせいでアンタに《ヒール》は効かないから、本当にただの治療をしただけだからね」
「ん、ありがとう。というか、ユエラもリリティア派でまなちるって言うんだな……」
笑みを浮かべて狂い踊る変人をバックに、明人とユエラはカウンターで隣り合う。
ラキラキの情報によれば、この数日の間にユエラは扉を使って1度帰宅しているのだとか。
しかし、そこは家主の帰った形跡も生活の跡すらなく寂しいほどにもぬけの殻だったという。
それからというもの魔草の精製は休憩として、ここイェレスタムの癒やしのヴァルハラで寝泊まりしていた。
夜になればヘルメリルがやってきて魔法についての教えを請い、一緒にやってくるエリーゼに裁縫のコツを教わる。充実したであろう生活。
そして、今もユエラの隣には黒髪のエーテルが座っている。
「……うん、この子可愛くなりそう……うふふふっ……」
なにやら前開きのスカートから伸びるふとももの上でちくちくと縫い物をしているようだ。
陰った生白い笑顔が異様な気配をまとっている。
『あるていどは。アイツが短い人生を終えるまで寄り添えるくらいにはね』
久しぶりに会った友だちのおすまし顔を見ることで、理解できぬ心臓の高鳴りを感じた。
明人の中でいつだったか遠くない過去にユエラが言っていた言葉が脳裏に蘇る。
「で、どうするの?」
「……ん? なにが?」
惚けていたところへ凛とした声が響いてきた。
明人は、同様を悟られぬよう平然を装った。
「残り2日でしょ? 私としてはアンタの頑張りは認めてるわよ? でもその傷を見たら薬師的にストップかけたいんだけど?」
そう言って、ユエラはちびりと甘くない酒を口に含む。
染みひとつない頬は等に白桃のような淡くぼんやり桜色をしている。
「そうなだぁ……そろそろ覚悟を決めなくちゃだな」
おーいミブリ-さん! 明人は自身の頬に喝をを入れて、横目に移る汚物へ呼びかけた。
「んはぁあぁんぁい! どうしたのかしらぁん?」
待つ間もなく屈強なオカマが床を振動させながらよってくる。
芝の生えたような胸板を存分に晒してくねくねと歩く酒場のマスター、源氏名ミブリー・キュート・プリチー。別に隠してすらいなかった実名は、ドギナ・ロガーというらしい。
「ご注文はあたしにするぅ? それともぉ、あ・た・しぃぃん?」
「なら、どっちも注文するから増えられるものなら増えてみろ。増えたあとで両方とも焼却炉に放り込むけどさ」
鼻につくビブラートのきいた声が、明人に鼓膜を破り捨ててしまいたい錯覚をよこしてくるのだ。
大柄にも関わらずピチッとした黒い革パンに黒い革のベスト。とってつけたような首のリボン。本人曰く、ワンポイントのおませなオシャンティとか。
そしてなにを隠そうミブリーはイェレスタムの長でもあり、この酒場と兼業している斡旋所の所長でもあった。
多才とひとくくりにはできぬほどに民からの信頼と胸板の厚い男女がいる。なお、次期ドワーフ王候補という噂もでていた。
明人はやってきた大男を見上げながら淡々と問う。
「なんかいい仕事ない? いちおう……まぁ、討伐とかでもいいんだけどさ?」
ガタッ。ユエラがカウンターを叩いて立ち上がった。
青竹色の艶めく髪が、そぞろ舞い上がる。
「アンタなにいってんのよ!? 討伐依頼とか明人に出来るわけないでしょ!?」
超失礼だな、と。明人は思った。
ドワーフは仕事と再建に忙しく魔物の討伐にまで手が回らない。そのため斡旋所の壁には依頼が山ほど貼りつけられている。
危険は伴うが確実に稼ぐことができる。依頼仕事は歩合制で稼ぐにはもってこいなのだ。
しかも今の臆病者はなりふり構っていられない。そこで絞り出したのがこの苦肉の策である。
そして、横で彩色異なる瞳を剥きだしにするほどに意外な行動だった。
「あら! 明人ちゃんが依頼を受けるなんて珍しいわ! 1個だけ簡単なゴブリン討伐関連なのに破格のおいちぃ依頼があるわよん!」
「ゴブリンかぁ……。アイツら群れるし下処理しないと食えないしでマズ肉なんだよなぁ……」
ゴブリン。それは生殖と食欲のためだけに動き、知能は皆無とされる。
しかも明人が自身で狩ったことのある初めての魔物だった。なお、2匹目はキングローパー。どちらもキチンと完食済み。
「……ミブリーさん、とりあえずマズ肉討伐のおいちぃ詳細見せて」
「かっしこしこまりぃ~ん♪ ちょぉっとお待ちになってねぇ~ん♪」
散弾銃の弾は節制したおかげで未だに6と2ほど残っていた。
丸くてデカイほうの重機は、遠く離れた黄金色の平原で日中に浴びた熱を夜風で冷ましている頃合いか。
肉薄戦に挑む覚悟を決めなければならないほどに、明人は追い込まれている。
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