81話 やっぱり、飲んでも飲まれるなっ!
魅了を知るのは
ふたりだけ
助力によって
償いの道標を得る
そして酔っぱらい
黒々とした頭のふたりと人間が1人。そして、青竹が1本。
やかましいほどにわいわいの宴を背にし、異色の面々が集う。
「クククッ、白銀の舞踊は基本的に寛容なヤツだ。それが怒れるとなれば余程のことだろうな」
顛末の頭から尻を聞き終えたヘルメリルは、グラスに口づけをするようにちびりと傾けた。
置かれたグラスのフチにまるで桜の花びらの如きルージュがくっきりと残る。
リリティアの勝手知ったるであろう者からの念押し。改めて明人は自身のしたことを悔やまされる。
と、柑橘系の甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「ねぇ……アイツのこと本当に放置してていいの?」
ユエラはそわそわと落ち着きなくブーツの踵を鳴らす。
その対象は、ヘルメリル越しに座る上位種のエーテルの存在らしい。
豪雨のなかで死闘を繰り広げた敵が相席する。危惧するには十二分な手合いだろう。
「ねぇ明人ってばあ! あれがここにいるって絶対にろくなことにならないわよ!」
彩色異なる瞳が眼前に迫ってなおもぐぐ、と距離を縮めた。
明人の心臓がどきりと跳ねる。仰け反るようにして距離を離す。
「だ、大丈夫大丈夫。エリーゼはオレの掛けた魅了が解けない限りは安全だから」
「本当にぃ? 私もうエーテル族なんかとどんぱちやりたくないわよ?」
「それにここならドワーフたちもいるから変なこともできないって」
説得するもユエラはいまいち芯を喰わぬと言った感じだった。
イェレスタムの民から抽出し濃縮された魅了で命じられたエリーゼは、もはやただの一般女性といえる。
救済の導に染められた思考は明人の巧妙な策によって数百年単位の記憶とともに消し飛ばされていた。今や彼女はヘルメリルの機転によりエルフ領にて平和な暮らしを送っている。
「…………」
一方でエリーゼはなにやらおとなしい。
先ほどからちくちくと縫い物に勤しんでいた。
手元には見覚えのありすぎるぬいぐるみである。明人は魅了が解けていないか念のために確認する。
「なに作ってんの?」
「見てわかる。ぬいぐるみ。お気に入りがなくなってた」
銀食器のような色をした瞳だけをむけて、エリーゼは短く簡潔に答えた。
華麗な手捌きによって猫にもしたぬいぐるみが仕立てられていく。
その形は、所持者に千切られ、白槌で弾かれ、悲惨な運命を辿ったぬいぐるみと酷似していた。
「いかんせんこれは出不精でな。無理やりに引っ張りだした」
「無詠唱の《バインド》はさすがに避けようがない」
両端で結った二房を揺らして子供のように唇を尖らせるエリーゼを見つめ、ヘルメリルは僅かに頬を緩める。
彼女にはもう救済の導との関わりあった期間の記憶はない。魅了によってその期間の記憶は抹消されている。
つまり、浦島太郎の昔話を地でいくのと同義だった。そしてエリーゼの精神は、およそ子供に戻っている。
それほどに長く救済の導として大陸で暗躍していたのだ。そう考えればこのていどの処置で済ませてやるのも甘すぎかもしれない。
とにかくエリーゼはもう誰も襲わない。泣きわめいて命乞いをして恨み、見下していた種族に敗北したことをは遠い記憶の彼方へ去っている。
「とりあえず、大扉の魔法でリリティアのところに連れていって欲しいんだ」
「大扉の魔法は縁によって繋がる魔法だ。それくらいならば容易いが……断る」
「ちょっとやってちょっと話し合うだけだぞ? 意地悪するのは別の機会にしてくれないか?」
ヘルメリルの大扉は出会いと交友によって移動範囲が広がる。
そしてそれによって扉が現れるということはエルフの女王に認められたという証でもあった。そして、その縁はリリティアと繋がっていることはすでに確認済み。そもそも出合い頭に身をもって体感していた。
「はぁぁぁ……拍手を送りたくなるくらいに呆れたぞ」
深いため息とともにヘルメリルは度数の高い酒を煽り、細白い喉を鳴らした。
みるみるうちにグラスのなかが透けていく。
明人は、その粗暴な態度に少しだけムッとする。
「どういうことだよ?」
「フンッ、私は付き合いが長いからわかる。その状態とやらでアレがまともに貴様へ応じるはずがない。だいたい逃げられるのが関の山だろうさ」
正拳突きのような正論だった。
相手の性質を理解しているものだからこそ言える説得力。
しかし明人もひくわけにはいかなかった。
喧嘩別れというものは長引けば長引くほどに底が深くなっていくもの。別れ際に見せたあの涙は、あまりにも残酷な未来を提示するが如く。こちらから動かねば2度と再会は敵わないという不安と予感に突かれ、まくしたてられている。
「で、でもさッ! 話を聞いてくれるかもしれ――」
「黙れ。償い方にも順路がある。誰かの力を借りて謝罪なんぞ言語道断だ」
そんな焦る心を見透かすよう、ヘルメリルの血色をした眼がみるみる怒りへ染まっていく。
威厳を孕みんだ真紅の瞳に見下されて、明人はもう二の句が継げない。
「祖、そりゃあ確かに……そうなんだけどさ……」
ただただうなだれるだけとなった。
利用され裏切られ。操縦士の適正能力に目覚めてしまったばかりに疎まれた過去があった。
そんな人生だったからこそ心が荒みんでリリティアと距離を置いてしまっていた。
しかしそれでもバカが、バカなりに頭をこねて、ようやく辿り着いた方法。これまで否定されてしまってはもうどうすることも出来なくなってしまう。
明人は冷え切った指にぼんやりとランプの光を写し輝く銀の指輪を見つめた。
「……うん……そうだな。それじゃあ……誠意がないよな……」
意気消沈。テーブルの上に突っ伏してしまう。
女性どころか人として不器用なものにとっては、これで精一杯の歩み寄りなのだ。
だからもう出がらしとなって為す術がなくなってしまった。
「むっ、張り合わんのか? クククッ、ずいぶんと反省の色が伺える」
手のひらを返すように険しい表情は、気品のある笑みへ早変わり。
とろりと垂れた目尻と紅潮した顔は、酒好きだがそれほど強くないことを物語っている。
そして、ヘルメリルはぐいっと明人の方へと大きく身を寄せて囁いた。
「近く、エルフ領をあげての精霊祭という催しが開催されることを知っているか?」
「……祭り? このご時世でそんなことしてる余裕があるのか?」
現在、エルフはドワーフ北方のヒューム領より襲撃してくるであろうワーウルフに厳戒態勢を敷いている。
つまるところもう間もなくもせぬうちに戦火の狼煙が上がるだろう。
「こちらは百年以上もも戦争していたのだ。民をいたわるのも女王の務めよ」
人によっては恐怖を感じるであろう白のキャンパスに描かれた赤い月の如き笑み。
愉悦を味わうようにもうひと口ほど朱色の酒をコクリと飲み下す。
明人はジリジリとすり寄ってくる酔っぱらいから距離を保ちつつ、耳を傾けた。
「で、なにがいいたいんだ? 出店の手伝いでもしろっていうのか?」
「アレの本質がなんだかわかるか?」
鼻につくアルコールと淫靡な香水の匂いから逃げながらも、思考を巡らせる。
「……料理好き?」
「アホウ」
「筋肉フェチ?」
「もっと広く考えてから捻りだせ。一点を見るな。全体を見て語れ。貴様はアホだが無能ではないだろう?」
近寄ってくるオマエのせいだ、とは言えず。明人は視界を閉じることで雑念を振り払う。
リリティアとのおよそ半年にもおよぶ疑心暗鬼の一方的な闘だった。
たくらみを疑い、性別を疑い、種族を疑い。そんな生活で得られた家主の情報は決して少なくない。
「――ッ、そうか! だから祭りなんだな?」
そして、行き着いた答えこそが自身の命を救ったものでもあった。
「クククッ、さぁ……答え合わせをしてやろう」
時間はないぞと言わんばかりに、ヘルメリルがずいずい下からせり上がってくる。
その小さく華奢な肩を押さえつけて明人は答えを、提示する。
「楽しいことだろ? リリティアは楽しいことが好きだから祭りにくるっていいたいんだな?」
「よくやったせいかいだぞ――ひっく!」
横隔膜の痙攣。ヘルメリルは可愛らしくしゃっくりをした。
明人は、締りの悪い喜びと恥辱で心臓が汗ばむような錯覚を覚える。
エルフ特有の長耳が大きく揺れ、そのつど衣装に仕付けられたファンシーなフリルが波を打つ。
この事態は席をともに飲むものとして日常に近い現象だった。
絡み酒からはじまり、段階を経て、安らかな眠りに落ちる。そして次の日は必ず険しい顔でやってきて、昨夜のことは忘れろと頬を赤らめ怒鳴り散らす。
酒場でのヘルメリルは普段の気品あふれる風体を脱ぎ捨てるように、好き勝手飲んで、好き勝手に寝る。こればかりは相手が女王ということもあって誰にも止められない。
周囲の男性客は次第に乱れていく着衣に歓声を上げて調子に乗るため、普段明人は女王の尊厳を守る役目を買っている。
「お、おいちょっと今日に限って飲みすぎじゃないのか?」
「なにを言う……愚痴という肴を与えたのは貴様のほうらろうり」
「ら行が多いな! もう呂律が回らなくなってるだろうが! 相談とかもういいからそろそろ帰れ!」
酔っぱらいにジリジリ詰められていく。
しかし、明人がのけぞるようにして逃げるにもまた、酔っぱらいがいる。
「うぃっく……あにみてんのよぉ?」
「ゆ、ゆえらさぁん!? めっちゃ酔っ払ってってんじゃん!?」
だらしない口元から控えめなしゃくりをあげ、アーモンドの如く鋭利な目つきでユエラは寄ってきた明人を睨む。
その上気した肌色の手には、ミルク色の甘い酒がもたれていた。
甘い酒は酔いが早い。飲みやすいため飲み慣れていない者は、酒に飲まれやすい。それ故に、飲んでいる本人も、その隣にいる連れも、どちらにも被害におよぶ。
結果、長耳は赤いインクこぼしたように紅葉し、瞼は貝殻のように分厚く腫れていた。
「あんかぁもんくれもあんのぉ? もっろわらしをあいてひならいよれぇ?」
「いえ、なにも……――じゃなくって! ああもう面倒くさいのが増えたなあ!?」
両側から壁の如く迫るめんどくさいを手で押し留めながら、明人は話題の本線に戻る努力をした。
最後に見せられたリリティアの涙は、頭で思っている以上に返しのついた銛の如く深く深く心に突き刺さって抜けない。
本題は、いかにして話し合いの場をセッティングできるか。その際に詫びの印として贈り物を渡し、ふたりと1人で円満に我が家へ帰ること。
兎にも角にも明人にはもう思考している猶予は残されていない。
贈り物の吟味、そして渡すタイミング。
これらすべてが整ってはじめてリリティアとの対面が叶う。ようやく辿り着いた償いの順路が完成つつある。
「かといって本当にリリティアが祭りに顔をだすとは決まってないしなぁ……」
「絶対くるさ」
「必ずくるわ」
異口同音。工程の声がステレオで耳に入ってくる。
ユエラとリリティア。付き合いの長い両者だからこそ正面を切って断言できるのだろう。
そして、その酔っぱらいたちの後追いは、なによりも心強く頼りになる。信頼そのものだった。
「じゃあまずは金稼ぎか……――ちょ、なんでお前らこっちによってくるんだよ!? わるかったって!? リリティアを傷つけたのは反省してるから!?」
盛り上がりを見せた今宵のヴァルハラは、やがて宴も酣といった情景へと移り変わっていく。
灯された火はしだいに落ちていく。
○○○○○
今回は語るかわからない設定のSSコーナー
…………
「ユエラ大丈夫か?」
「うん、薬飲んだら落ち着いた」
「そっか。じゃあ、ヘルメリル会計よろしく」
「フーハッハッハ! 当然だ! 下々のものに恵みを授けるのも女王の務めよ!」
「毎日ありがとうなっ!」
「あんたやっぱりヒモじゃない。っていうか本当にお店に返上してただけなのね……」
「当たり前だろ。あんな金を使うようになったら人としておしまいだ」
「いや、酔っぱらいに奢らせるのもどうかと思うわ」