80話 やっぱり、頼れる存在を召喚する
飛び立った鳥は何処へ
自身は無力と知り助けを求める
頼れる仲間は
あの女
明人は半日かけてリリティアを捜索するも成果は得られずじまいだった。
丸い椅子に腰掛けるとどっという疲労感が全身を苛む。転がるようにして駆けずり回り、足はもはや棒のよう。
そして、恐らくリリティアはもうこの街はいないという結論に至ったのだった。
「あんらぁん? 今日のあきとちゃん、ちょっとブルーさんなのかしら?」
明人が傷心して肩を落としていると耳に染み込む下水のようなカマ声が鼓膜を舐めた。
「お久しぶりです。ミブリーさん」
「あらやだわぁユエラちゃんじゃなーい! お・ひ・さ!」
皮のベストから惜しげもなく厚い胸板が張られて客を迎える。
ミブリーは、たらこのような塗られた唇に指を添えてユエラを歓迎した。
ここは労働によって溜まった汚れと鬱憤を吐き出す場、癒やしのヴァルハラ。
西部劇にでてきそうなアンティーク調の作りはおよそウェスタンバーのような渋み。たちこめるのは仕事で清い汗を流した男たちの厳つい臭いとオーク樽のように蒸した酒の香りだ。それらに混ざって注文を受けるのは、面積20パーセントほどを薄布で包んだドワーフの女性店員。そのミニマムな色気と甘さが店内を満たす。
「今日も、ってアンタいつもきてるの?」
ユエラは、ゆるりと外套を脱いで汗ばんだ肌を露出させた。
体のラインなぞる貼り付くような肌着を着た長耳の登場に周囲の男の目がむく。
「そうよーん。あきとちゃんったら毎日会いにきてくれるのっ」
ぐねぐね、と。ミブリ-は腰をぶん回しながら近況を伝えた。
対して明人にはいつもの琥珀色をした酒をだしてくる。度数の低い酒に浮いた氷がカランと音をたてた。
「ちがうちがう。オマエに会いにきてるんじゃない。キューティーが置いていった金をここに返上してるだけだから」
「ほんとにぃ? 疲労とともに溜まりに溜まった男の欲望を発散させるくらい隠すことないわよぉん? こういう俗っぽいところが好きなんしょぉ?」
ユエラは、むっちりとしたふとももを重ねて切れ長の目を細める。
妖艶な風貌は店中の血気盛んな男たちの視線を集めてやまない。しかし、高嶺の花は素知らぬ顔で長耳をぴこぴこと上下させながらミルクの入った甘い酒を注文する。
「オレは決してロリコンじゃない!」
「んふふー。どうだか」
明人の弁明は届いただろうか。
ユエラはいたずらに含み笑いをするばかり。
明人は女性経験皆無の足らぬ頭で今回の騒動の解決策を考えた。それはまるで知恵熱を引き起こしそうなほどに。
打っては消え、打っては消え。思いつく限りの答えはどれも腑に落ちず、至らない。まるで樹海を彷徨っているかのような徒労に似た努力。
「やっぱりリリティアの目的がわからないんだよなぁ……。なんでいちいちオレ如き無力な人間なんかの回りをうろうろするんだろう……」
リリティアはどこの馬の骨かもわからぬ男にはじめから優しかった。
よくよく思い返せば、今回の騒動は疑り深いすさみきった明人自身が生んでしまった。表面上で他人を演じていたのは自分自身だったという取り返しのつかない罪。
「結構こたえてるみたいだし教えてあげてもいいわよ?」
頬をほんのりと色づかせているユエラから光明の糸が垂らされた。
しかし、明人はその罠に手を伸ばさない。
「んー……いや、いいよ」
「あら、そう? てっきり食いついてくるかと思ったんだけどな」
およそ半年も同居生活を送っていれば嫌でも見えてくる、雑さ。
明人は、ユエラに乙女心がわかるはずがないと真っ向から断ってしまう。
「それにユエラの思考って限りなくオレよりっていうか、男よりだから今回はちょっと頼りづらい」
「はっ!? なによそれっ!?」
「そのままのユエラでいてくれってことだよ」
ユエラはズボラである。
皿は下げない、脱いだ靴下は裏返しのまま、棚を作ってやったにも関わらず数日で部屋は散らかる。
いつも着ている煽情的な服も、その下で確実に履いているであろう面積の少ない下着も、すべては楽だから。そんな雑な理由だ。さきほどから向けられている男たちの突き刺さるような視線にすら関心すらもたない。
つまり、明人にとって彼女は愚直で努力家でひたむきな性格だからこそ心が許せた相手ということ。
「うん? そのまま? どゆこと?」
「どうもこうもないよ。それにこっちだって算段ありきで提案を断ってるんだ」
微妙な表情で小首を傾げるユエラをよそに、明人は腰のポーチへ手を伸ばす。
このまま管を巻いていてはしょうもない。合成皮革製のポーチからとある物を取りだした。
「と、いうわけでこっちに頼ることにする」
取りだしたのは、美しい工芸品、ではない。
とある筋から奮戦の礼として渡された指に摘めるサイズの小さなベルだった。
一輪の薔薇を模したデザインの透明なベルを見て、ユエラは身を乗り出して文字通り胸を弾ませる。
「なにそれっ! そのベルすごいかわいいっ!」
振れば、その上品な見た目負けず劣らずの美しい音色が酒場の喧騒に溶け込んでいく。
そして、背後のなにもない空間に突如現れる。光をさえも吸い込んでしまいそうな黒曜色の扉が異質に存在した。
するとユエラは打って変わっての動揺を見せた。
「んんっ!? こ、これって……うそでしょ……?」
あまりの衝撃に桜色の頬が僅かに白ばんだ。
明人は立ち上がり、近頃肥大化しつつある胸筋を張ってみせる。
「これぞ緊急事態に使えと渡された新装備! 名づけてメリベル! これを鳴らせばヘルメリルがどこにでもきてくれる画期的なアイテムだ!」
「アンタバカじゃないのッ!? あの方はエルフの女王よ!? しかも緊急事態に使えって釘刺されてるじゃないッ!」
「大丈夫だッ! イェレスタムにくるときも道中がめんどくさくて使った!」
「どっ、ドアホーーッ!! 怖いもの知らずにもほどがあるでしょおッ!!」
ユエラの悲痛な叫びに同調するように威圧感のある扉が、ぎぎぎ。ゆっくりと開いていく。
この街にやってくるにはワーカーを走らせてもエルフ領を跨いで2日は掛かってしまう。ゼトに弟子入りして修行をはじめて14日、リリティアと別れて14日。そんな不可能を可能にする魔法こそ、語らずのヘルメリルの《レガシーマジック》である瞬間移動の大扉だった。
明人は真剣な面持ちで開ききった扉の前に立ち、おおよその高さを調節して両手を前へ突き出す。
「あ、ああ、あんた……なにやってんのよ?」
ユエラは完全に萎縮してしまっていた。
長耳をふにゃふにゃに垂らして、か細い声で明人の不審な行動を問い詰めた。
しかし明人はニヤリを笑うばかりで答えやしない。
「大丈夫だッ! 昨日もやった! その前もだ! ――さぁこい!」
もはや目の前にいる真顔のバカに突っ込む気力もないのだろう。ユエラは、へなへなと崩れ落ちて肉厚の尻を床板に預け、へたりこむ。
それもそのはず。ユエラはハーフエルフであり、ヘリメリルはエルフの女王である。そして、世界的に認められている語らずの2つ名をもった世界最強の魔法使いだった。
ルスラウス世界で見れば明人の行動は異端もいいところであり、この世界の民からすれば己の命を捨てるような行為に近しい。
そして、粘つくような闇のむこうからぼんやりと現れる影がひとつ。
「……んん?」
むにゅり、と。柔らかな感触が明人の両手のなかにおさまった。
触れただけで形が変わってしまうふたつの柔肌の感触に、明人は勝利ではなく疑心を覚える。
「昨日よりも……小さい……だと?」
したり顔を曇らせ見上げてみれば、扉からでてきたのは期待の女王ではないことに気づく。
ざっくりと肩の部分を切り取ったデザインに胸元を晒したモノクロ柄のドレス。
「これ……どういうこと?」
大扉からでてきたのは、ひと月ほど前に死闘を繰り広げたエリーゼ・コレット・ティールだった。
大きすぎず小さすぎず。ツンと張りのある胸を鷲掴みにされながら呆然と立ち尽くす。
その背後からもうひとり。ぬるりと闇を潜って現れた影が屈託なく高笑う。
「ハーッハッハ! やはりそうくると思ったぞNPC! 今日は私の勝利のようだなぁ!」
エルフの女王ヘルメリルは誇らしげにたわわに実った胸を揺らして玉を転がすように笑う。
明人は期待していたものとは違う膨らみから手を離し、膝をついて悔しさを噛みしめた。
「くっ……! まさか囮を用意するとは……!」
騙し騙され。
この数日間、互いに頭脳の限りに知能の低い闘いを繰り広げている。
ことのはじまりは、明人が投石機でワーカーごと投げられたことについての不満を漏らしたこと。そこからはやれ臆病だ傲慢だなんだかんだと言い争いになり、ミブリーの提案によって甲乙をつけることになった。
ルールは単純。魔法とマナレジスターの禁止。節度をもって、互いに相手に敗北を味合わせるということだけ。
じゃんけんにはじまり、ときにはこうして小競り合いを繰り返す日々。
客観的に見ればくだらない勝負ではある。しかし明人にとってはくだらない時間が楽しく、ヘルメリルは児戯と称しつつもなんだかんだこうして呼ばれれば毎回顔をだした。
その結果、今ではそこそこ気兼ねなく相談話をできるくらいの飲み友達となっていた。
「おっしゃあ! 今日は女王様が勝ったぞ!」
「いやでも、明人もアレはアレでラッキーじゃねーか!?」
そして、癒やしのヴァルハラでは変なヤツとエルフの女王が愉快に闘う光景を酒の肴とするものも多くいた。
誇らしげに顎をあげて勝利の余韻に浸るヘルメリルの足元で、明人は拳を床に押しつけて歯噛みする。
「あわ、わわわわ!?」
一方でユエラは状況を呑み込めないらしく顔面蒼白で小刻みに震えていた。
それともうひとり。
「……小さい?」
エリーゼは呆然と自身のほどほどの胸を手で掬うようにして持ち上げる。
発された小さな苛立ちは、夜の賑わいに負け、誰の耳にも届かなかった。
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