8話 どうせ彼女は笑わない
森の中央の開けた場所にひっそりと建てられた丸太製の家屋。茶にぬられた辺材部の傷みが味わいを色濃くしている。
明人は、白ばむ空の下未だ夜の音色を奏でる虫たちの声を耳に、斧を振り下ろす。
「――どっせいッ!!」
斧は立てられた薪の横をするりと抜けて台代わりの切り株に刺さった。
首に掛けてある清潔な布で額の汗を拭い、ほぅと一息を入れる。
「ふぅ……オマエなかなかやるじゃないか」
「なかなかやるじゃないか、じゃないわよ! 何発外せば気がすむのよ!」
遠巻きに様子を窺っていたのかユエラ・アンダーウッドが目の端を吊り上げた。
「ったく、薪割りが下手ってどんな環境で育ったのよ!」
手にした分厚い本へ視線を戻し、ぶつくさ。
曰く『最近になって魔物が増えたから護衛なしでの外出は禁止です』とのこと。彼女の役目は明人の護衛だ。
明人にとって魔物という聞き馴染みのない単語は解せない。が、今のところ家主であり恩人の言うことだからさからう理由は万にひとつもない。
そして護衛役であるユエラは地べたに堂々と胡座をかいていそいそとなにかをこしらえている。
「ユエラさんは先ほどからなにをしてらっしゃるんで?」
「……」
無視されるのも日常。特にショックも受けることはない。
リリティアの家に転がり込んで早3日ほどが経った。
地球と比べて技術の劣る世界で、明人は慣れぬ作業に四苦八苦していた。
朝は護衛であるユエラの帰宅とともに目覚め、近場の川で水を汲み、同居人のために風呂を沸かす。そして太陽が頂点に昇るまでに洗濯や屋内外の清掃を終え、昼食をとり、午後は家主の気分によって変わる雑事にとりかかれば気づかぬ間に日が沈んでいる。
目まぐるしい日々だった。もし家主が労働力を求めて人を救ったのならばかなりの策士だろう。今となってはあの笑顔の裏に悪しき影が潜んでいるようにみえてしまう。
「さて、そろそろ休憩でもしますかねぇ」
なんて。明人は、短いスカートから生える白い生足を拝みつつ、休憩がてらに幾度目かの会話を試みる。
ユエラの周囲には様々な色合いの草が置かれており、それ以外にも液体に満たされた小瓶やらが雑多に散らばっていた。
置かれている道具はすり鉢だろうか。他にも天秤などの計り器具まで。
「それ使ってなにしてるの? なんというかケミカルチックな雰囲気だけは伝わってくるけど?」
「下位如きが気安く話しかけないでって言ってるのよ」
それほど興味もないが他愛もなく場繋ぎの質問を振ってみたら、これである。
合間のない辛辣な返事だった。
しかもユエラは赤と青の毒々しい色をした草を引っ掴み、股に挟んだすり鉢でゴリゴリとすり潰すだけ。
こちらと目も合わせようともせずに、だ。
「あ、はい。すみません」
これほど露骨に嫌われることもそうないだろう。しかも理不尽な理由で。
長い耳、左右異なる虹彩の色をした美しい瞳。
明人の目には美しさもあいまって彼女が人形のようにしか見えずにいた。
「チッ」
淡いピンク色の唇から不満が発せられる。
人格を否定するような罵声が飛んでこないならば怒りの度合いはまだ低いか。
――顔は可愛いのにやけにヒステリーでもったいないな……。
ここしばらくずっとこんなギスギスがつづいていた。
明人と目が合えば顔をしかめ、声をかければ舌を打つ。なにがここまで彼女を苛立たせているのか、明人にはわからない。
それでも素性の知らぬ死に損ないの男を迎え入れてくれたことは事実だった。
それに絹のようになめらかな長髪をくしゃくしゃに乱して「なんでできないのよぉ……」と呟く少女のことを、明人は嫌いになれなかった。
「さーって、働かざるもの食うべからず、っと」
明人は気持ちを切り替えることにした。
ズシリと重い斧をもう1度天にむかって振り上げ、真下に振り下ろす。
刃は吸い込まれるように薪の中央を捉える。今度は乾いた音をたてて両断された。
繰り返すうちに迷いはごまかされていく。自分の置かれた状況も、この世界も、なにもかもが不鮮明。
ともかく、今はやるべきことは風呂を沸かすことだと明人は自身に言い聞かせる。一刻も早く寝ぼけて腑抜けになった家主を湯に沈めなければ昼食にありつけそうにないのだ。
明人はがむしゃらになって、まめが潰れて痛む手で斧を振り上げ、叩き割る。
「ねえ」
「ん?」
突拍子もなく投げかけられた問いだった。
せっかく興が乗ってきた薪割りの手も同時にピタリと止まった。
ブラウンとグリーンの瞳がなにかを期待するように真っ直ぐこちらを見つめている。
「おいていかないでくれって、どういう意味?」
興味本位なのだろう。きっと。
明人は、しばし透きとおるような空を仰ぎ考える。
「約束、かな」
「それでみんなで仲良く死にましょうってこと? だとしたらとんだ笑い草よね」
嘲笑するようにユエラが口角をあげる。
だが明人の心中はさも当然のように揺らぐことはない。
ユエラは自分と同じ道を歩むことはない。だからこそ、明人は理解を求めなかった。
「《汝、生涯を賭して勇猛な盾であれ。我らは盾。天上に至りて世に、個の歴史を刻む者。汝と共にあらんことを》」
「……なによそれ?」
「約束だよ。オレたちイージス決死隊のさ」
斧が振り下ろされると端材が景気よく分断された。
ともに生き、ともに逝く。信じるものは勝手に救われているということだとも彼自身理解はしていた。
それでもこの言葉は決死隊に所属させられていた仲間たちにとっての約束の印であり、大切な宝物。盾が砕けてなお繋がりつづけるという結束の証。絶望の淵にたたされたことのない人間には価値を見いだすことが難しいことも理解している。
「へぇ。目的は別としてもなかなかいいこと言うものね」
「へ?」
自らの教えを蔑ろにされると覚悟していた明人はうろたえる。
無論、膝を抱いた彼女が初めて笑顔に近しい表情を作って見せたことも驚きのひとつだった。
この少女は言動のわりに大人びた表情でいつも不機嫌感丸出しで接してくる。そんな孤高を歩むが如くの彼女がうっすらと浮かべた笑みは、胸を打つほどに輝いて見えた。
「まさか……同意が得られるとは思わなかった。てっきり馬鹿にされるものかと……」
初めて成立した会話のキャッチボール。
一体彼女にどんな心変わりがあったのだろうか、と。
明人は首を傾げ、熱くなった頬をごまかすように薪にむかって斧を振り上げる。
「ま、解釈の違いってやつよ」
だが底しれぬ浅い関係の彼女の真意までは知りようがなかった。