7話 ともかく、もう過ぎ去った日々は戻らない
明人は赤く腫れ上がった瞼を袖で拭う。
そのまま草をひきちぎると、積み上げた石の前に添えた。
「……成仏しろよ」
簡易的な墓にはお似合いの供え物だった。
せめてもの遺留品でもあれば墓の体を成せただろう。しかし遺体の破片すら発見することは叶わなかった。
操縦席ごと炸裂したのだから当然といえば当然か。
「こっちよりはそっちのほうが居心地良いと思う……たとえ向かった先が地獄だったとしてもさ」
手を合わせ、せめて安らかにと願い、祈りを捧ぐ。
誰にでも例外なくおとずれるであろう死。それは有が無になるだけで、対象の終わりに救いは存在しない。
ならばなぜ墓を建てるか。数々の死と対面してきた青年は理由を知っている。
それは残された側の人間が救われるためなのだ、と。
「ごめんなさい……。努力はしたのですがここまで原型を留めていないと私の鼻では捉えきれませんでした」
とと、と。小走りでリリティアが駆け寄ってきた。
細長い指と純白のドレスは土によって無残に汚されており、隣ではユエラの羽織ったマントもいたるところに胞子がくっついていた。
捜索対象が彼女たちにとって見ず知らずの人間の形見かその死肉だというのだから逆に見つからなくて正解だったのかもしれない。
「ありがとう。でも、もう良いよ。もうこれ以上は……辛くなる」
なぜ他人のために彼女たちはここまでしてくれるのだろう。
明人は考え、さも当然のように答えに辿り着く。
人死に涙を流す人々の背中。ユエラとリリティアもきっとあのときの自分と同じものを見たのだろう。つまるところ同情というやつだ。
「いいんです。この程度のこと気にしないでください」
対して慰めるか、視線を背けるか。第三者に与えられた選択はそれほど多くない。
それでも前者を選んでくれた彼女たちに明人はもう1度「……ありがとう」感謝をした。
「私もそっち側に立っていたこと、ありますから」
当事者になったのははじめてですけど、と付け加えて墓の前で力なく微笑む。
空を見れば日はすでに頂点に達し、まもなく沈む準備を始める頃合い。
季節はもう11月だというのに、草原に吹き抜ける風は暖かみを帯びている。不思議な事もあるものだ。
ともかく混濁していた記憶が戻った今、明人にとって今後立ち回りを考えることが最優先事項だった。
戦友は作戦を成功させた。生き残った自分は高官の愛人たちと食事とはふざけた話だ。
そしていつ彼女たちの飼い主が現れるかもわからぬ状況。よってこれいじょうここにとどまることは許されない。
だからといって、むざむざとワーカーに乗って生存者キャンプに帰還したとあっては作戦行動中の逃亡罪で射殺されるのは想像に易い。
――前門の虎、後門の狼か。結果だけみればどちらに転んでも碌でもないな。
ならば、と。明人は前もってワーカーからとりだしておいた非常用の武器を手にとった。
それを両手で支えるようにして持ち上げれば、ずしりと弾薬の重さが腕に伝わってくる。
この黒鉄の長身の名は、ストライカー12という。
暴徒鎮圧用の散弾銃である。威力は銃弾を履くのだから折り紙付きといったところか。
本来の使用用途とかけ離れているが身を守るにはうってつけの道具だろう。頭部に銃口をむけて指に力を篭めれば1撃で確実な死を与えてくれる代物。
「自分は大丈夫なんで2人はもう戻って下さい。本当に、食事まで、ありがとうございました」
精一杯の笑みを顔に貼り付けて明人は恩人たちに別れを告げる。
「って、どうするのアンタ? 下位がどうなろうと知ったこっちゃないけど……うぅん、リリティアにまかせるわ」
髪やマントについた胞子をはたきながらユエラが素っ気のない問いかけだった。
それを受けたリリティアは意外そうに目をぱちくりと瞬かせる。
「驚きです。まさかユエラの方から提案を持ちかけてくるとは思いませんでした」
「……っさい」
頬を赤らめて目を背けるユエラにリリティアはとろけるような笑みをむける。
深いつながり、もしくは交友か信頼。明人は目の前でおこなわれている、自身が失ってしまったものを見るかの如き光景に、ストライカーのグリップを握りしめる。目覚めたならすべてが夢ならばどれほどよかったかと。
「では、ひとりぼっちの明人さんにひとつだけの提案があります」
一変してこちらにむけられたリリティアの真剣な眼差しを前に、明人は思わず意表を突かれてしまう。
「て、提案?」という拍子抜けた声に「提案です」はつらつとした音が返ってくる。
「これからは死ぬ理由ではなく私たちと一緒に生きる理由を探してみる、というのは如何でしょう?」
凛とした、静かな問いかけだった。
明人は銃を片手にぶら下げ二の句が告げなくなっていた。
燐光を帯びるブロンドの髪の少女に目が釘付けになる。
彼女のたたずまいは金色の草原に栄える気高き花のよう。およそ娼婦のそれではない。
「この新しい世界で一緒に生きましょう」
自死を決意した青年の元へ優雅に手が差し伸べられる。
明人は、あのときのように、躊躇した。
生きたいと強く願う反面この手をとってしまえば戦場で散った友への裏切りではないのかと。
出口のない迷宮へと迷いこむ。
「お、おれは……! おれはっ……アイツらと……っ!」
銃を胸に抱え、震える手を伸ばしては引っ込め、また伸ばしては引っ込める。
脳が過熱してしまったかの如く意識が朦朧とした。自身の願望と共に散ろうと誓った仲間との約束がせめぎ合う。心と体が剥離してしまったかのような錯覚に囚われる。
「お、おれ……――っ!」
突然首筋が暖かく甘い香りに包まれるのがわかった。
香水のように刺激のある臭いではなく、自然で淡く心地よい香り。
回された腕と頬になめらかな肌の感触が触れる。
「……時は貴方の選択を待つはずです。それでも迷うのならば私が貴方のお手伝いをします」
耳元で吐息を吐くように囁くリリティアの声だった。
すると力みきっていた明人の身体からしだいにが抜けていく。
ストライカーは手からするりと滑り落ち、足元でドサリと音をたて横たわる。
仲間との誓いに背いた自身の弱さを悔んだ。
それでも、と心が叫ぶ。
「お、れはっ……れは生きたい!! どんな残酷な世界でもオレは生きていたいんだッ!!」
静かにリリティアという少女の腕のなかで鎮魂の涙を落としつづけたのだった。