69話 ならば、敵の正体は人間によって容易く看破される
ふわりと。レースのスカートを波のように揺らして空からヘルメリルから降りてくる。
「ハッハッハ! あんな愉快な玩具が見れるとは、長生きはしてみるものだ!」
鈴が転がすようにケラケラと。口元で半円を描いて遠方の獲物を見下すが如く顎を上げた。
「接近すれば上から土くれの雨。それをかいくぐってもプロテクトの壁がある。そして最後は操られた双腕がいる。よくできてますねぇ」
その横で茶を啜るよう呑気にリリティアは語る。
「貴様が双腕を逃したから面倒になったのだろう?」
吐き捨てるような文句を受けて、わざとらしく唇を尖らせた。
「アレは時間稼ぎですぅ。魅了されてるゼトなんて普通に楽勝ですぅ」
「ハッ、どうだか」
「やけに突っかかってきますね。お孫さんのいる近くでおじいさんを細切れにでるわけがないでしょう」
内容はともかくとして友人同士の和気あいあいとした空気である。状況を理解していないのではなく、状況を理解した上で楽しげな最強と最強。
空は夕刻。熟したトマトのような朱を背負って、黒く巨大な影が荒野を歪ませるが如く跋扈する。岩の殻を破り生み出された鋼の怪物。ときに綿雲のような水気を吐き出して我をとめられるものなしと言わんばかりに唸り声を上げた。
かなりの距離があるにも関わらず塔のような円柱の4脚が踏みしめれば、振動は遅れて僅かに伝わってくる。
「町の民は人質ですかね?」
「だろうな。久々に《グランドクエイク》でもぶつけてやろうと思っていたのだが」
「なつかしいですねぇ。あのすごいぶるぶる魔法」
丘上で開催される昼下がりの茶飲み話。のほほんとしたふたり。
突っ込んでぶっ壊すとしか言わない、語らず。
晩のレシピについて聞いてくる、剣聖。
邪魔だから追い出されたという事実を真摯に受け止めていない様子。
その後方では、車座になって敵の解析がはじまっていた。
「ふーん、私たちったらド偉いもの作り出しちゃったわねん」
雑巾のような髭を蓄えたミブリーが図面を眺めながら、くねくね揺れる。その背には柄の長い大斧を背負っており、まさに戦う男の姿だった。
それ以外にも癒やしのヴァルハラの面々だけでなくイェレスタムの住人が集結しており、老若男女問わず技術的な会話がおこなわれる。
「これ、ちょっと変、かもです」
「まー、変よねぇ……」
「大雑把な見た目なのにちっとばっかし繊細すぎるのぅ」
「あんなんに100年も掛かるわけねぇべや。ぜってぇ別の目的があっど」
「こんな非効率的なものはドワーフとして許せんのじゃ」
まさにのべつ幕なし。我が我がと、自身の持ち得る知識を惜しげもなく披露していくドワーフたち。
「す、すごいですね。パーツの図面だけでここまで盛り上がれるとは……」
「ですね……」
僅かに罵声怒声に変わりつつある会議を横目に、ユエラとカルルは感嘆の息を漏らす。
そして明人は輪の外でひとり、威風堂々と佇む重機を睨んでいた。
紅に染まる漬物石の如き。十字になった5つの丸が遠く離れた敵を静かに見つめている。
「マナって流動体……液体なのか?」
ふと、思い立ってふたりのエルフに質問する。必要なのは地球にはなかった知識。餅は餅屋とはいったもの。
すると、ふたりは長耳をひくりと上に傾けて答えた。
「環境マナでしたら光の粒に近いですね」
カルルの夕焼けを透かすような新緑の髪は、そよいで芝の如くささやいだ。
「カルルさんの言う通り、ピクシーの鱗粉みたいにそこらじゅうで漂ってるわ」
冷を運ぶ風が流れて外套をはためかせると白い肌、肉感的なふとももが露わになる。
ゼトがラキラキに宛てた手紙にも書いてあった単語。マナ機構。
環境マナを集積させるドワーフの傑作。そしてそれはマナのカスを発生させながら歩む要塞の動力とみて間違いない。
明人は、あーだこーだ議論するドワーフの輪をかいくぐって図面に目を落とす。
そわそわと。さすがに場をわきまえているのかキューティーは寂しげな胸の前で手を編んで、目を瞬かせるだけ。
「繊細……か」
「そうじゃ。奇跡的なばらんすをしておる。ひとつでも崩れたら瓦解するほどにの」
ふんすと。鼻を鳴らしたラキラキが、自慢げに薄い胸を張った。
図面に描かれている部品の内部で、およそ迷路の如く敷き詰められたパイプとパイプ。
それは、電子基板のように。
それは、入り組んだ川のように。
それは、人の血管のように。
明人は、届かぬ光に手を伸ばすが如く脳を巡らた。
いつしか円の中央で眉間を押さえ思考に耽る人間種を見守っているように周囲は静まり返る。
揺れは収まり、敵の影は小さく小さく。たださざ波の如く舞い上がる砂の音のみが残された静寂のオレンジ色。
「ああ、やっぱりそうか。リリティアー! ヘルメリルー!」
そして明人は、暇そうに膝を抱えて前後に揺れて遊んでいる白黒のふたりに手を振った。
「はーい! 待ってましたよー!」
犬の尾のように三つ編みをゆらゆらとさせながら大輪の花が咲かせて、リリティアはこちらに手を振ってくる。さすがにヘルメリルは赤い瞳でちらりとこちらを見るだけ。
明人はふたりのもとへ駆け寄って、丘の下に待機している大軍を見つめる。
「たぶんあれ、モッフェカルティーヌっていう名前の爆弾だ」
それを聞いた者たちが一斉に色めきだった。右をむいて左をむいて。ざわざわと。
「NPCよ。その理由を教えろ。私が納得できるようにだ」
ヘルメリルはヒールの踵を鳴らしながらズカズカとこちらに歩いてくる。楽しげに半円を作る唇に対して据わった目付き。先ほどまでの余裕が消し飛んだように見えなくもない。
「作られたものに無駄はない。掛けた時間のぶんだけ完成度は増すってこと」
「遠回しな妄言はいらん。さっさと話せ」
舐めるが如く下から上へ、眼前にまで顔をよせてくる。
「最強の魔法使い、語らずのヘルメリルならわかるだろ。100年も掛けてあっさりと壊されるようなものを作ると思うか?」
明人も真っ向からその威圧とむかい合う。
「確かにドワーフの技術力をもってすればあれくらいは早急に作れたかもしれん! しかし――!」
もうすでに体裁を保っていられないのだろう。明人の重圧に対して仰け反るように逃げていく。
「あれはたぶん少しでも破損したら即爆発する。ここら一帯の生命すべてを焼き尽くしてな。連中ならそれくらいするだろ。なにせ、100年も掛けたんだから」
悔しさを噛みしめる表情は、女王としての立ちふるまった結果だといえよう。
なぜなら敵はイェレスタムの街ではなく、ゆっくりと、牛歩の如き早さでエルフ領にむかっているのだから。
ヘルメリルは女王として言っていた。あのまま真っ直ぐ進んで国境を越えたら人質がいてもあの兵器を破壊する、と。
長耳が情けなくしおれたように垂れ下がり、気圧されたヘルメリルはゴツゴツした固い地面にぺたんと尻もちをついた。
「救済の導は、アンタを倒すためにだけに100年もの膨大な時間を掛けたんだ。最強の魔法使いを倒すためだけにな」
薄氷の上を歩かされているかのように全身を震わせ、悲劇の少女の如くその儚くも美しい顔を歪ませる。
倒せばこの場にいる全員が10万を超える兵とともに死に絶える。今から大扉で国に帰還して避難を開始すればあるていどのエルフは助かるだろう。しかし、町は滅ぶ。女王にとっては過酷な決断を迫られた。
そして、そこに割って入ってくる白い影がひとつ。
「でも、明人さんがいるからなんとかなりま――むぎゅっ」
決め所に入り込んできたリリティアを油で汚れた手で押しのける。おそらくこのタイミングを狙っていて今まで静かに傍観していたに違いない。
「うるさい。オレに責任を押し付けるんじゃないよ」
手に収まったもちもちの感触が、モゴモゴとくぐもった声を上げる。ドワーフ領に足を踏み入れてから一睡もしていないのに元気なものだ。
そんなフザけたふたりを無視するようにユエラは、ヘルメリル手を引いて立たせてやる。
「魔躱しの白槌を使ってマナ機構を破壊しましょう。そうすれば敵の要塞も止まって誰も犠牲にならずにすみます」
その決意に満ちた彩色異なる瞳は、ただエルフたちを救いたいという願いが篭められていた。
「すまん。私としたことがみっともないところを見せてしまった。礼を言う」
「いえ、あのバカが言葉を選ばないばっかりに驚かせてしまって、こちらこそ申し訳ありませんでした」
そう言って、ユエラは膨よかな胸を寄せるようにして深々と謝罪をする。
「いや、よい。しかし、げせないな。なせ貴様はアレが爆弾だとそんなに早く気づけた? まるではじめから知っていたかのようではないか」
怪しむとは異なる、どこか曖昧な表情でヘルメリルは小首を傾げた。
だから明人は、リリティアと戯れながら答える。最小限で一点の曇りもない瞳で、真実の答えを。
「イージス隊で、ワーカーの操縦士だからだよ」
☆☆☆☆☆