653話 BRAVE NEW WORLD 【ZERO】
『投射シーケンスを開始するよ! 全員詠唱の呼吸を合わせて!』
子供らしいハキハキとした声がスピーカー越しに操縦室へ反響した。
明人は内側から上部ハッチが固定されていることをくまなく確認する。
「よし問題はないな。上部ハッチは昔1回ディアナを乗せたときにエラーを起こしたから注意しないと……」
タッチパネルでしっかりロックが掛かっていることを入念に調べていく。
どうやら今回は不調はないらしい。モニターに映しだしたワーカーの自己診断プログラムもオールグリーンを示していた。
いざ楽しい旅行というタイミングで車が壊れたらゲンナリの度が過ぎるというもの。重機起動時に入念なチェックをすることは操縦士試験を受ける前提でもある。
明人は、コントロールパネル横に設置された黒いフィルムへ、右手の親指を押し込む。
「ワーカー通常起動――ふっ!」
合わせて手動起動用のリコイルスターターのアルミ棒を体全体で引く。
「芝刈り機じゃないんだからセル起動だけにしておけよなぁ……。まあ、電気系統の断線で逝っちゃってるんだけどさぁ……」
気だるい腕をぷらぷらと振りながら重機製作元への愚痴もこぼす。
もう幾100回口にしただろうか。操縦士ならば必ず1回は言う文句だった。
ともあれこれでワーカーの起動は成功させた。
前回の起動から結構時間が開いてるからかアイドリングがぐずっている。とりあえず暖気さえすめばすぐいつものように滑らかになるだろう。
諸々を終えた明人は、操縦席にとっぷり体重を預けて瞳を閉ざす。
「すぅぅ……はぁぁ……」
慣れたようにルーティンである深呼吸を幾度か繰り返す。
背もたれ越しに伝わってくる微振動が酷く懐かしいとさえ思えた。
尻に優しくない汎用重機用シートの固さも、すえた油と鉄錆の臭いも、ピストンの振動も。なにもかもが懐かしい。
「まるで空想をまとって駆ける夢でも見ていたかのようだ」
瞼の裏は常に同じ景色を映しだす。
とくに閉鎖空間の重機に乗り込んでいると顕著。地球と大陸の世界が一緒くたになってしまう。
「目が覚めたらすべてが消えてなくなってそうな……明日になったらすべてが夢だったで終わってしまいそうな……」
脚のない重機に不要なクラッチレバーを感覚で探し当てる。
足を置く位置だっていつもと同じ。左はクラッチ、右はアクセルブレーキとなにも変わりっこないのだ。
光源であるモニターに移されているのは、遥か彼方の地平線。あふれる今日の光が薄い瞼を透過して微睡みを誘う。
と、安穏に耽る耳へ重機の鼓動を掻い潜ってディアナの声が忍び込む。
『投射シーケンスのおよそ8割が完了したよ。ということでそろそろ……』
聞き入っていた明人は「……ん?」声の詰まりを覚えて瞼を開いた。
外部スピーカーの不調かと案じるも、どうやらそうではないらしい。
『……ありがとう。僕とナコをまた引き合わせてくれて……』
僅かに動作するワーカーの目をちょいと声のする方角へ操作してみる。
すると上下左右中央という5枚モニターの左方へ、小さな少年が映り込む。
ディアナは、うつむきながら汚れた法衣をぎゅうと握りしめていた。
『……本当に感謝してる。僕の家と兄に傷つけられた子供たちを守ってくれて……』
泣いているのか一向にこちらを見ようとはしない。
ただ少女のように華奢すぎる肩が断続的にひくひく上下していることが確認できた。
「さっきもさんざん言っただろうに。あれは自分のためだけにやったことだよ」
『それでも僕らはキミに救われたんだ。……お礼のひとつくらい……言わせておくれよ』
涙ぐむ少年に明人はせせら笑いを乗せ、「もう聞き飽きた」と返す。
「どうせ礼を言う側は言ったところで満足なんてしない。だったら言ったぶんだけ損ってやつだろう」
『…………』
「……ならせめて笑顔で見送ってくれ。そうしてくれたほうが救ったかいがある……」
そう伝えると、画面向こうで小さな小さな花が開いた。
油に汚れた小さな笑顔。それでも日の光を存分に浴びた最高の贈り物。
『僕、守り抜いた子供たちと一緒に幸せになる。それで今度は兄さんのお墓の前に嫌がらせかってくらい大きな花束をいっぱい敷き詰めてやるんだ』
「それは最高のリベンジだな。ただオレの墓にはそれ絶対にやらないでくれよ。花ってもらうとすぐに痛むし置き場所に困る代表だからさ」
『あははっ! じゃあために顔を見せるくらいにしておくっ!』
それで充分。満たされるというもの。
死人は笑うことも泣くことさえも出来ないのだ。ならば生きているだけもっと笑うべきだろう。
『……。それじゃあはじめるね』
すぅ、と。ディアナの小生意気な微笑が引いて消失した。
明人は若干ほど寂しさを感じつつ、「よろしく頼む」声に誠意を籠めて返すだけ。
覚悟なんてとうとう最後まで出来なかった。注射というものは終わってからホッとするものであって終わる前には緊張しかしやしない。
一生分怯えて怖くない、なんて。そんなわけがあるものか。
今だって怖いし、指先は定かではないし、尻も腹も冷えっぱなし。虚勢を張ることくらいが限界といったところ。
「認証コード840」
それでも感覚の失せた指先を指紋認証のフィルムへと押しつける。
「ワーカー、ノンセーフティで残業モードを起動」
『かしこまりました。残業モード起動します』
機械的な返答の後に鉄臭い操縦室が蒼く淡く彩られていく。
『オーバーワーカー、フレックス残量100パーセント。使用後残量80パーセント』
相変わらずワーカーの声は抑揚がない。さながら眠くなるような機械音声だった。
明人は、緊張によるあくびを噛みながら暇潰しがてらに先だししてやる。
「ご武運を」
『ご武運を』
ワーカーの声と声が一字一句が揃ってちょっと面白かった。
人にやったら気分を害すだろう。だがこの重機はテンプレートを繰り返しているだけに過ぎないのだ。
そして唐突な浮遊感が重機全体を通して伝わってくる。
『GRRRRR………』
まるで銅鑼を連打するような喉の唸りが室内のスピーカーを賑わす。
ワーカーの目尻にあたるモニターには面長の龍の横顔がデカデカと表示されている。
『キ、ヲ……ツケテ、ね? ちゅ、ウイイっし、ヨう?』
上達のない下手くそな無声会話が脳に直接響いてきた。
明人は防ぎようのない雑音に苛まれる。どうせ見えないだろうがひらひら手を振って返すだけ。
それに生命を投擲するという罪悪感やら緊張やら。とにかく並々ならぬ心情をしているに違いない。
「こちらこそ」
これで十分だった。
彼女だって彼女なりに考えてだしてくれた結論だ。
仕向けたのは明人だったが、ネラグァも断固として受け入れてはくれなかった。
しかし彼女の胸にもきっと声が届いたはず。魔札を通して生きたいと願い生き延びた者やそうでなくなってしまった者たちを聴いている。
『あり、ガ、ト。バイバ、い』
『GRRRR……』
雄々しいのにやけに心に響く旋律だった。
そしてその剛健なる鱗の手が肩へ構えられるのがカメラ越しでも理解出来た。
どっしりとした腰回り。両脚で巨躯を固定し極太の尾を地に流して補助とする。そうして大陸一巨大で豪腕の龍は山の如き風貌を起こして投擲の体勢をとった。
間もなく始まる。一世一代の大博打。
明人はフッ、と腹に力という名の気合を込める。
指紋認証のフィルムへと親指を力いっぱい押しつけながらワーカーへと指示をだす。
「花火モード起動!! 正念場だぞ相棒!!」
明人はF.L.E.X.発動した。
そしてその瞬間。ワーカーからも同じく眩き白光が満ちあふれる。
『――――キドウ』
キィィィン、と。重機の気筒を回す豪快なエンジン音に細やかで繊細な高音が入り交じる。
人の発す蒼とワーカーの発す蒼。2つが折り重なるようにして意識と意識を重ねた。
これで重機は兵器となる。たった1度きりの兵器だ。魂魄を燃料に爆ぜるF.L.E.X.ボムと化す。
「カウントダウン開始!!」
『カウントダウン開始!!』
木霊のようにディアナが時の迫りを刻む。
『10、9、8……!』
するとどうだろう。美しきかなこの世界。
前面にある5枚モニターへと映した外界の景色に素晴らしき変化が生まれていく。
『《スレングスエンチャント》!』
『《オールエンチャント》!』
『「《ストレングスエンチャント》、《ヒストリカルアーマー》、《アイアンギミック》、《ローウェイト》、《エアリアルオペレーション》!』
『だぁぁぷりぃぃ! 《せいんどえ”んぢゃんどぉ”》!』
まるで歌だ。涙を備え光あふるる希望の唄。
種族たちの織りなす合唱のよう。ひとりひとりの生きた証が連鎖し紡いでいく。
その1枚1枚の支援魔法の切れ端が繋がり、繋がり、人の通る道と成す。
そして亀裂へ向かってまっすぐと飛行ルートを7色の光の幕が創造されていく。
『アナタという英雄が大陸に存在したことを私たちは永遠に記憶に刻み続けていくことでしょう!! 《聖・祝杯》!!』
『まぁ~短いつきあいだったしあんま言うこともねーんだけどぉ……なんってーの? とりま、感謝しかないからさ……ありがとね☆ 《冥・暴虐》!!』
仙狐ナコと聖女テレーレでさえ過労だと言うのに参加してくれていた。
そう、これが最終手段のとっておき。いまや大陸中に革命とばかりに栄光をもたらす新技術の結晶。
集ったイージス決死隊による支援魔法が彼の向かうべき1本の導となる。
ヘルメリルによって名付けられた誰でもない人の認識コードを関する超魔法。
その名は、840機構。
道を定かに見据えた明人は、決死の覚悟で告げる。
「やれえええええええええええええええええ!!!」
『GWOOOOOOOOOOOOO!!! RAAAAAAAAAAAAA!!!』
そして巨龍ネラグァは構えた明人の乗る重機を道に向かって投げ飛ばした。
投射された巨大な球状の鉄塊が轟々と風を斬る。1枚、また1枚と支援魔法の輝きを貫いて飛翔する。
「ぐっ、ううう……!」
とてつもない重力による引き寄せが明人を椅子に押しつけた。
防御能力を向上させているというのに呼吸さえ跡切れ跡切れにしか行えぬ。
「はっ、はっ、はっ、あっぐ、が……!」
目が霞む、血流が抑え込まれ後頭部に寄っていく感覚がわかった。
一瞬でも力を抜けば潰されてしまいそうだった。だからといってここで意識を飛ばせば作戦は失敗となる。
「ッッ――オオオオオオオオオオオオオオ!!!」
獣の咆哮とともに蒼が同調して燃え盛る。
自分の声が操縦室ないをうわんうわんと暴れまわった。
なおもつづく道を浴びながらワーカーは際限なく加速しつづける。
やがてアレだけ遠かった時空の亀裂がモニター越しでも手におさまらぬほど大きくなっていった。
「……?」
そして最後に明人は画面の端に映るものに気づく。
なにか、なにかが。ワーカーの横に並んで飛んでいるのだ。
『KIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!』
映っていたのは白い龍だった。
汚れなき白い鱗に身を包む1匹の龍が映っている。
国旗のように巨大な両翼2枚。バタバタと大気を刻みながら並走を試みている。
『――――――』
その頭の上にも少女がひとり。
強風によって額を丸だしにしたユエラがしがみついていた。
それだけではない。ルスラウス大陸で随一とされ称賛を受けるLクラスたちが揃っている。
この終わりなき旅の出立へ。還らぬ人間が挑む背を見送ってくれている。
「KYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!! KYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
哀叫の甲高き人ならざる旋律だった。
凛々しき龍の音は鋼鉄の壁でさえ通り抜けて明人の元へと届いていた。
幾度も幾度も大口を開き音を奏でる。
大粒の涙をほろほろと流しながら、もはやついていけぬ速度に達したワーカーを、それでも諦めることなく追いつづけた。
「は、ははは……! なにやってんだよ……!」
いつしか死に際でさえ笑っている。
笑いながら泣いていた。痛み苦しみさえ忘れさせるほどの歓喜に咽いだ。
「そんな……! 必死についてこようとしても追いつけるわけがないだろ……!」
バカだなあ……! 顔中を涙やら鼻水やらでぐしゃぐしゃにした。
なにせあちらは大空の覇者と詠われる龍。対してこちらは弾丸である。
支援魔法の効果を得てワーカーの速度はぐんぐん速度を増していく。
「KYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!! KIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!」
それでも彼女は最後の最後まで。
たとえ遅れてもなお1人ではないと教えてくれているかのよう。
明人の中にただひとつの感情が強くなっていく。
「……ありがとう、ありがとう……」
死にゆく様で最後に芽生えた感情がある。
妹の舟生夕にさえももたなかった掛け替えのないもの。
戦友たちにだってこんな尊き感情を覚えたことは1度もない。
「……気のせいじゃなかったんだ……」
ただ1人を愛していたことを自覚した。
その気持ちこそが2つの世界を体験して得た1番のとても大切な宝物だった。
そしてやがて7色の世界は1色の蒼となる。
朝も昼も夜でさえ掻き消すほどに凛然たる優しさと勇敢な蒼によって、世界は彩られた。
「リリティア」
誰かを愛した。
それだけは確かなものだった。
……………
「ワーカー……そろそろだ」
『………………』
「……ん?」
ふと、禍々しい時空の亀裂が遮られる。
モニターの中央になにやらかのウィンドウが現れたのだ。
明人は思わず眉根をしかめて画面に顔を近づける。
『のっち、のっち、のっち、のっち』
ウィンドウの外側と思しき場所から現れた。
荒いドットの球体が歩いてでてくるではないか。
『のっち、のっち、のっち、のっち』
やけに軽い音、コミカルとでも言ったほうが正しいのか。
白の背景のなかに黒いワーカーが現れる。4脚をちょこちょこさせて画面中央へ歩いてくる。
「はは。これ、プログラマーのお遊びかなにかか?」
明人は設計者の隠しネタについつい頬をほころばせてしまう。
粋な演出もあったもんだ、なんて。小さなワーカーが歩いている姿があまりに愛らしかった。
これはおそらく花火モードを終える直前のみ見ることが許された演出だろう。おまけというやつ。
そして演出が画面中央へとやってくると、おもむろにこちらへ、5つの目のついた丸顔が向く。
ワーカーは双腕の1本を背部へもっていき、ごそごそする。
『ちゃらりん♪』
これまたコミカルにとりだしたるは、板。
片椀の爪に挟まれているのは、持ち手のついた看板? らしき白板だった。
それをワーカーは画面の中央で誇らしげに掲げた。
「製作者の仕込んだ最後のメッセージってやつかい。ずいぶんと奇特なやつもいたもんだ」
白板に浮きだす文字は、G。
それから、O。つづけて同じ、O。
つまりGとOとOの英語が3文字ほど看板に現れた。
「Good bye Good night……ってところかね。つまるところさよならかおやすみの別れの言葉か」
明人は、もったいぶるように現れる文字を熟読した。
さらには安易さを先読みして予想まで立ててしまう。
「こんなの小学生にだって予想がつくだろうに。せっかくの終わり際なんだからもっと色々と凝ってくれないと」
これが人生最後の余興とはなんともチープだ。
それを呆れ笑いを顔に貼りつけて鑑賞するほうもするほうだが。
そしてワーカーの掲げた白板に最後の文字が浮かび上がる。
「――ッ!?」
と、同時に明人は虚を突かれた。
さようなら、おやすみ。表示されたのはそのどちらでもない。
ただひとこときり――『GOOD』とだけ。そう、ワーカーは伝えている。
それのみが書かれていて、それ以上の文字がつづくことはなかった。
明人は画面に表示された文字に対し戸惑う。
「よく、でき……よく、やっ……――な、なんだよこれはッ!?」
画面を見つめ前屈みになっていた身体になにかが触れた。
慌てて我に返るも、操縦室内の変貌は著しく、状況についていけない。
「手?! 蒼い手がオレの身体をつか、んでくるだと!?」
ワーカーから発される蒼い波動が次々と人に酷似した手に変化していく。
それは1本や2本で足りるものではない。もっと多くの10や20といった風にどんどん増えていく。
「――ッ! ッ、やめ、ろは、なッせェ!」
藻掻けども蒼き手は裾を、襟を、腕を、足首を掴んで離そうとしない。
とにかく伸びてきた無数の手が明人の体中のどこいらかを掴んで強引に引いた。
さらには操縦席の足元にあるハッチが自動でかぱりと口を開く。
「ど、どこに!? 下部ハッチの方角だと!?」
ハッチの自動開閉機能なんて操縦士でさえ聞いたことはない。
明人が驚嘆するにも構わず。蒼い手らはずるずるとその身体を奥へ奥へと引きずりこんでいく。
そのまま狭い下部ハッチへの梯子を無理やり降ろしていってしまう。
「やめろ! やめろォ! オレからオレの役割を奪おうとするなァ!」
遠くなった操縦室に手を伸ばして必死に叫ぶ、藻掻く、暴れる。
も、どうこうすることさえ蒼い手は許してくれない。
ここにあるのは圧倒的な理不尽。それのみが介在しているということだけ、事実だった。
なにせ操縦士とは元来から知る権利をもたぬ。世界の情勢、実情、真実。それらすべてから遠ざけられている。
すべては命じられるがまま。支配者層に操縦されるかの如く生き死にを定められる運命にあった。
なぜなら操縦士は死を決定づけられている。ゆえに有益なる情報を与えることは雑事と同義だ。
「ま、さか……そんなわけあるか!?」
ゆえに求めたのだ。支配者層の隙を縫って情報を盗んだ過去がある。
明人の内側でただ1つの真実が情景に浮かび上がっていく。
「お、まえがあの資料にのっていた……?」
『――――――』
下部ハッチへと至る穴の奥の奥にソレはいた。
ワーカーにとってデッドスペースと呼ばれる部分が存在している。操縦士にとっても下部ハッチの途中に存在していることは当然、知っていたのだ。
通常であれば必要のない無駄な空洞でしかない。しかもそこは主に格納庫として使われている部分だ。
どう考えても辻褄の合わぬ不利益的な空洞がワーカーにはある。 造船用から特攻用へと改修したとて無駄な闇が仕込まれている。
その奥にソレがいた。
「キミがあの……第零世代……フレクサーなのか……?」
『――――――』
問いかけは聴こえているのか。どころか言語さえ通じているのかわからない。
そこには顔がある。光沢の蒼を基とした人構造によく似た顔だ。
そしてその蒼き人ならざると対峙したところで明人を引きずり込む手が止まる。
「……………!」
『――――――』
蒼い目と目が合った。
しばし鼻と鼻がぶつかり合いそうな距離で見つめ合う。
揺らぐ長い髪もふわふわと水中で漂うかのように美しい。鼻も高く筋が通っており、薄く弧を描く唇まで存在している。
骨格は女性のものだろうか。顎のラインは角ばっておらずシャープで研ぎ澄まされているように見える。
さながら造形美。マネキンのように魂のない見た目であるのに彼女はじっ、とこちらの瞳を見つめつづけていた。
『――――――』
と、彼女は狭い闇のなかから手を差し伸ばす。
強ばる明人の頬に触れる。撫でるわけでもなく叩くでもない。ただ触れただけ。
それなのに明人のなかへと感情と思わしき記憶、のようなものが流入してくる。
「やく、そく? なんだよ、そのやくそくって?」
『――――――――』
「お、おい!? ちょっと待てよどういうことなんだよいった――待てって言ってんだろ!? おかしいだろそんな、そんなことがあってたまるかよッッ!?」
返答はなかった。
そしてもう答えを知ることはないのだ。
そのまま明人の身体は最奥へ引きずり込まれていく。蒼い手によって受け渡されるようにして導かれる。
そして人の身体は幾多の手と手を渡り外界へと着の身着のまま放りだされた。
横殴りの風が壁のように襲いかかる。全身が内側と外側からの寒気によって凍える。
――ああ……全部わかった。わかったよ、そういうことだったんだな。
人は空にたゆたう。
思いを乗せた蒼が尾を引いて闇へと向かっていくのをただぼう、と眺めた。
――人類は進むべき道を閉ざされたあげくにどうしようもないほど間違えたんだ。
あそこにあったのは彼女の顔だけではなかった。
感情を抜かれたような顔が幾重も存在していた。
それらには年端もいかぬ子供たちのようなあどけなさがあった。
まるで心さえ与えられぬまま詰め込まれるよう。ワーカーという爆弾のなかへ子供たちが投じられていたのだ。
――悪意に群れる魔物がワーカーを狙う理由……! それはあのなかに無数の魂を感じとっていたからなんだ……!
複数あるワーカーにどれほど多くの命が詰められていたのだろうか。
操縦士の数と比較しても100はくだらぬ。そしてその魂たちはみな自由意志すらもってすらいないのだ。
ただ1人の彼女のみを除き、虚無。
心なき表情は無であり大陸世界で言うところの心無人。
そしてその唯一感情を顕にした彼女が最後に残した言葉は、ひとつ。
『いきて』
と、だけ。
放りだされた明人だけがブルーバックを背に世界へとり残されてしまう。
「ふ、ざけるな……ざっけんな……!」
抑えきれるはずがない。
「ふざけるなあ”あ”あ”あ”あ”!!!! オレたち人間をテメェらはなんだと思ってやがるんだあ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!」
暴風を縫ってその激情が人類へ届くことはない。
それでも届かぬ思いを喉が張り裂けんばかりにぶつける。
もう、戻れぬ世界へ。
「わあああああああああああかああああああああああああああああああああああ!!!!!」
直後に白き風が彼の身体を攫う。
そしてルスラウス世界は地球世界の残酷なる蒼によって塗りつぶされた。
やがて光が明けるころ。
大地は目覚め空はいつもと変わらぬ平静をとり戻していくのだった。
ワーカーを呑み込んだ空の亀裂は、蒼き爆風によって、消滅したことが確認されている。
ただ1人を世界へ置いてきぼりにして。
……………




