650話 【人類VS.】日と月の狭間で人の謳う歌 ―― 840 明人AKITO ―― 10
在り方はあまりに美しく、あまりに鮮烈だった。
決死隊たちは目が覚めたかのような驚愕に染め上げられる。
「なんて優しい色なの……。あんなに力強い光を放っているのに全然眩しくない。それどころかずっと見ていたいと思わされるほど、優しい」
フィナセスは心あらずと言った様子で銀眼の中央に蒼を映す。
強大な敵を前にしてなお種族たちが軒並み目を奪われてしまう。
無理はない。彼がまとう蒼には心に染み入るような安らぎが伝わってきていた。
「言葉じゃない感情に直接訴えかけてくるような、そんな不思議な色をしてる」
「まるで頭を撫でられているときみたい。とってもとっても優しいお日様みたいな暖かい光」
ムルルが小さな手を伸ばす。
半分ほど閉じかけた眠そうな瞳は蒼を見つめつづけている。
最後の瞬間まで隣にいてくれたフィナセスの手をぎゅう、と握った。
「な、なんという破壊力……! その才、龍にすら届きうる……!」
レィガリアもまた蒼から決して目を逸らさなかった。
歴戦の横顔に影を深めながら口元では鋭角に笑う。口角を僅かに痙攣させながら英雄の誕生に感嘆の吐息を刻む。
エーテル族である彼らでさえ愕然を飛び越えて愛慕してしまうほど。ゆえに惑うはずだった種族たちは彼の姿に目を見開いたまま固まった。
まるで両翼を振るような所作だった。その1度きりで瞳の奥から脱したのだ。
なにより攻撃によって開いた瞳の穴が強烈だった。甲ごとばっくりと開いた穴は龍の隧道かと錯覚するほどに巨大。とてもではないがイチ種族が出来る芸当ではない。
いつしか種族たちを滅さんと収束していた朱の光輝でさえ蒼の光来によって打ち消されている。
「――――――――――――――――――――――――!!!」
シックスティーンアイズの瞳がぎょとりと明人の背を捉えた。
捕縛し仕上げにかかっていたというのに傷を負ったのはそちらの側。当然もう1度己の内部へとり込もうと企てる。
「――――――――――――――――――――――――!!」
幾百の血みどろ色をした野太い触手が彼を掴もうと伸ばされた。
一同が騒然としながら息を呑む。
「危ないッ!? 後ろからまたッ!?」
「――避けて!」
ユエラとリリティアが救いだそうと身構えた。
しかし彼は慌ただしく動きだす種族たちを差し置いてただ1つの動作のみを行うのみ。
非常に流麗な――最強と良く似た――身のこなしで、手にした白光の剣をひょうと振るう。
「もう斬った。ここにある」
ぽつり、と。剣風に遅れてひとこと。
次の瞬間。シックスティーンアイズの瞳が十の太刀を浴びて裂けていく。
さながらカマイタチよろしく。だが現れる剣筋はそれ以上に鋭く、蒼い。
遠距離近距離という理屈すら超越する不可視の斬撃だった。至るところが裂けて赤い蒸気が吹きだす。
「――――――――――――――――」
しかしシックスティーンアイズもさるもの。その程度がなんだとばかりに瞳の側を腕に変えて捕らえにかかる。
数はどれほどだろうか数えることすら馬鹿らしい。大小様々な赤黒い腕が人を捕らえるという手段のみを行う。
それを明人は払うという行動のみで拒絶する。
「予告した証明は現実となって顕現する。もうオマエはオレに触れるこそさえ出来ない」
どころか捕らえんと伸ばした触手ですら細切れにしながらさらなる傷を瞳へ負わせた。
当然、剣が届くような範囲ではない。なのに撫で斬られる。
まるで魔法、否。それ以上に不可思議な夢のような現実が体現されていった。
「――――――――!!」
それでもなお敵はもう1度同じ方法で捕らえにかかる。
人の捕縛こそが目的。シックスティーンアイズがこの地に降り立った理由はただ1つきり。種族の壊滅は二の次。
攻撃の出だしに意地が乗る。あるはずのない感情が垣間見えるかのよう。
「無駄だ。だからオレはオマエのことが大嫌いだって言っただろう」
今度は剣を振るう素振りすらなかった。
明人はその場で佇みながら背後にそびえる瞳を鋭く睨む。
すると遠慮なしにおびただしい量の触腕が彼に向かって放たれる。
「――――――――!!」
なのに、当てども。
「――――――――!!?」
当てども。
「――――――――――――――――!!?」
赤黒い腕が、彼に届くことはなかった。
都度、触腕の数の桁を変えて試みているが、どれも無駄。
攻撃のすべてが彼という標的に触れる直前で消滅している。肌に届く直前、あるいは彼を覆う蒼に触れた直後に触れた先から失わていく。
こんなもの攻防ではない。かたや佇み、かたや全力。小さき存在が巨大な異生物を翻弄する。
種族たちはわけも分からぬと言った表情でただ愕然とするばかり。
「あれは……防御魔法の類か? それとも……攻撃魔法なのか?」
「は、ははは……僕に聞かないでよ。わかるわけないじゃんあんなの」
ディナヴィアが震える声で問うと、スードラは肩を透かしてただ笑うしかない。
種族たちは軒並み清らかな肌はとうに総毛立って粟立ってている。誰もが驚愕の事態に見舞われ戦慄きながら目を丸く見開いている。
どうやってあの隙間に潜り込めるものか。もはや彼と敵のやりとりを傍観するしかない。
顕現したのは神なるモノではない、しかし聖なるモノ。
説明できるものはいないのだ。ゆえに奇跡の類と位置づける。
彼のやっているのは己に触れる全を無とする超過能力。
しかし言葉を失うなかに、ただひとりだけが真実を読みとる。
「ッ!? 敵と見定めたもののみを拒絶しているのか……!」
ヘルメリルが長耳だけではなく全身をはっ、と跳ねさせた。
唇を戦慄かせながら喉を裏返す。
「なんてやつだ……! あの聖都で翻した蒼を模倣しているのだ……! 世界ではなく敵という個に対して否定の意志を敷いている……!」
次いでリリティアがハッしながら振り返った。
手には剣を。だがそれを振るうことはなく、傍観せざるを得ない事態に見舞われていた。
「つまり明人さんは翻る道理――神を模倣しているということですか!?」
「そうではない人間如きに世界へ影響を及ぼすだけの力はないッ! しかし世界へ影響を及ぼせぬ代わりに己のなかで限定的な能力を展開をさせているのだッ!」
一方的な攻撃が行われ、その全てが蒼によって無へ収束する。
弱き者であるはずだったにも関わらず、1度の敗北を知って喰らうことで人は獅子へと至った。
それつまり身体能力上昇という素となる枠組みから逸脱したということ。
明人は次の段階へと至ったということ。これこそが覚醒、あるいは発露。
「己のみの世界でシックスティーンアイズという邪悪そのものを拒絶するか! とうとう世界を構築していた己の鉄の殻を破たったな!」
ヘルメリルは「このキワモノが!」蒼き光を浴びて口元を歪曲に吊り上げた。
追い込まれた種族たちは死に際に諦めて閉ざされるはずの眼で奇跡と出会う。
あれだけ千軍万馬をもってしても敵わないとさえ覚悟したはず。その宿敵が、いまや逆に追い詰められていく。
誰もが口々に「行けェ!!」と声を張る。最後の力を振り絞ってでも勝利を勝ちとらんという心を秘めて咆えた。
♪
蒼き力が行けと言う。コトを成して先へ進めと教えてくれている。
「足りなかったのは信じる心。敬い救う気持ち」
「――――――――――――――――!?」
ひと振りで数千をひと薙ぎに押し返す。
触腕が微細という形へ散り散りに刻まれた。紅の蒸気がぶわあ、と立ち込め、風が攫う。
仲間たちの鼓舞する声が背を叩く。やかましいが不思議と嫌な音ではない。
「出来る出来ないで計算するんじゃない。先を歩く自分の背中に追いつくために無我夢中で走るだけ」
なおも襲いくる追撃に対しても同様の結果を返すだけ。
やっているのは心を諌め、怒りを定かにすることのみ。剣に入力するのは思いと蒼。
そう、これは拒絶の力。拒絶という強烈な理念を構築して蒼に乗せる。
「生まれ持った力をなんとなくで理解しろ。なんとなくで構わない、むしろそれが人間の在り方なんだ」
「――――――――――――――――!!」
使えてみてわかった。剣を振るい触腕を切り落とすたびより深まっていく気さえした。
この力の詳細を用意する必要すらなかったのだ。
「ここに在るということだけを意識するのが重要だったんだ。気づいていなかったのはオレのほう。この力は人類が生まれてからずっと人とともに寄り添いつづけていたんだ」
固定観念を剥奪する。なかったものをあるとする。
単純だった。己のために奮うためにある力なのだとわかるだけで良かったから。
実直で、わがままで、生きる力。小難しく考えるより、ただの生命力とでも言ったほうが良いのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
だが少なくとも蒼はこう言っている――征け、と。
「とにかくオマエが嫌いでオレは生きたい。その意志さえ揺らがなければそれで十分だ」
「――――――――――――――――!!!」
遂には亜空線までもが撃ち放たれる。
も、それらすべて生きたいというありのままの欲望が阻止した。
あれだけ打ち尽くした薬の着火剤効果すら肉体が感じなくなっていた。どころか薬効以上の高揚感すら芽生えつつあった。
蒼を意識すれば全神経が浮かんでくる気さえする。脳が高速で回り、毛細血管1つ1つに血が巡る。
感覚器官が手にした剣くらいに研ぎ澄まされていく。風の柔らかさ、気温の揺らぎ、日の昇る音、美しき大地の鼓動。指先から毛先までのすべてが知覚可能となっていった。
しかしもう長くはないことも明人は理解している。
なぜなら彼は目の前にいるコイツのことを虫酸が走るほど嫌いだ。
「ふぅぅ……すぅぅ……」
白磁色の剣を頬横に構える。
自信はあった。宙間移民船と比べればわけない相手だとさえ思えた。
「――――――――――――――――!!!」
なおも敵は乱射を繰り返す。
どころか折れた前脚と15の瞳を再生させようと全身を戦慄かせた。
ぶくぶくとした泡を立てながら破壊された瞳が形成されつつある。甲殻の部位も繊維を重ねるように組み上がっていく。
「――――――――――――――――!!!!」
なにがそこまでこの異性物を駆り立てるのか。
なにゆえ彼の生物は人体を欲し弄ぶのか。
蒼の光に目を眩ませ、欲を滾らせるかのよう。シックスティーンアイズは懲りず腕を生みだしつづけた。
――どうでもいい、そんなこと。
操縦士に知る権利はない。
そう、言い訳をして明人は剣を頬横へと構える。
「……ふぅぅ」
明人は、シックスティーンアイズの攻撃の一切を拒絶しながら、籠めていく。
戦友を、友を、仲間を、妹を、いたかもしれない血縁を。失ったという弔いの心を前人未到の領域へと籠めていく。
1つの心がここにある。打たれつづけて精錬された清浄なる人1人の強き意志。
「蒼い……龍」
知覚鋭敏となった耳に誰かの胡乱げな声が響いた。
人の信じるべきは最強。人の世界ですら伝説と詠われる龍の意志。
みるみるうちに揺らぐ蒼が猛々しくも雄々しい両翼をもった龍へと変化していく。
そして生まれた青き世界の龍は、もう奪わせまいと、大翼を明けの空へ目一杯に広げる。
「《次世代級》」
明人は数打ちの切っ先を狙い定めた。
想像するのは先の未来。次に繋がる向こう側。
ただ貫くのでは足りない。宙間移民船のときみたいなものでは物足りない。
憎きを倒すのであればもっと振る舞わねば気がすまぬ。ゆえにここは人らしい憎悪と忌むべきものを使用すべきであろう。
次の瞬間。光沢の剣と共に蒼き龍が飛び立つ。そして――千受けたぶんを1の突きで返す。
「《明ケノ明星》」
スニーカーが地をえぐる。浮いた身体を前に進める翼で大気を押す。腰を捻り腕をぶつける。
これが全身全霊を籠めきったただ1度きりの突き。
「――――――――――――――――――――――――!!??」
蒼き龍が硝子体を破った。大顎を開いてシックスティーンアイズの核の奥へと侵入する。
しかしここまでなら宙間移民船ヴィシュヌのときと変わらない。
「ッッッ!!」
明人は貫く感触を察知して怒涛の勢いを唐突に足で相殺した。
踏みとどまった生え草が大地とともにごっそり沈む。切られた風が豪となって襟足を暴れさせる。
意識するのは留めるということ。貫きの初速すべてが核の内部で突如に止まるイメージ。そうすることでよりエゲツない結果を生む。
自信はあった。その身は弾丸である。1発きりを約束された操縦士だったから。
「――《被覆停止効果》ォォッ!!」
導きだしたのは、HP弾だった。
HP弾。すなわち鉛の弾丸の先端をわざとすり鉢状の窪みを作った弾。
柔らかく形状変化しやすい鉛が人体内部に食い込む。そのさい肉の壁により先端が傘のように広がる。
そうすることで肉の内部で面となり筋繊維は愚か臓物すらを修復不可となるまで潰す。
つまるところこれは人の得意とする技術。神ではない人が創造した技術。
「――――――――――――――――――――――――」
蒼によって貫かれた瞳がぐるん、と裏返る。
内側から膨張を開始した。さながらぶくぶくに膨れた風船のよう。
みちみちと膨れ上がる赤き瞳。目端からは濁流のような紅の粘液をしどとあふれさす。
そして後悔を刻む間すらなく、シックスティーンアイズの膨張しきった最後の核が、爆裂した。
「……………………………………」
沈黙の漣が流れた。
夜に冷えた風が朝の日の光を洗い流していく。
弾けた生臭い血色の瞳が霧となって消滅していった。甲虫の如き黒き鋼の鎧も爛れるように溶け、やがて蒸気となって攫われていった。
あとに残ったのはなにか巨大なものがそこにあったという傷跡だけ。戦場だった一帯でさえ過去とさえ思えるくらい涼やかな風の遊び場となっていた。
日が差し込む。とうとう今日という日々とイージス決死隊たちは対面する。
「や、やった……! やったあああ! 倒した、倒したあああ!」
「うーっ! すごいよねがんばったよねぇ!」
たまらずフィナセスとセリナが手と手をとり合う。
それを皮切りにして他の面々も勝利という美酒を噛みしめていく。
「オオオオオオオオン!! 完膚なきまでに我々の勝利だアアア!!」
「ついに倒したぞッ!! 来たりし闇の権化に集いしルスラウス大陸種族が打ち勝ったのだッ!!」
尾がある種族は千切れんばかり。長耳の種族は上下に振って歓喜に咽ぶ。
手にした武器はもう必要ないと、それぞれにおさめて拳を空へ掲げた。
敵の野望は潰えた。イージス決死隊による決死の策により救われたのだ。
種族たちは立つのもやっとだった傷だらけの肢体で可能な限り喜びを顕にする。
「さて、と……仕上げが残ってるな」
いっぽうで最後の1撃を入れた剣がひょう、と朝を斬った。
感涙に溺れる仲間たちをよそに、ただ1人。
明人は軽い残心をくれてから手慣れぬ剣を草原へと横たえる。
「聞こえたかい。ここまでのすべてがみんなの奏でた歌なんだよ。だからオレはそれを守りたいって思う」
勝利の余韻を感じる暇すらなく、蒼き瞳が明けの空を仰いだ。
丸い耳へと手を添えて耳裏に貼りつけてある魔札へと呼びかける。
「なあ、聞いてくれるかい? たった1つだけ元いた世界からもってきた夢の話をさ」
すると大空に浮いた点がゆっくりと降下を開始した。
はじめは小さな小さな点でしかなかった。だが、地上との距離が近づくにつれてその影の巨大さが明らかになっていく。
降下してきているのは大陸最大の龍――巨龍ネラグァ・マキスハルクレート。その龍だった。
「ああッ! あんのやろうッ! クソやばかったってのに今の今までなにやってやがったんだ!」
発覚した直後タグマフがばたばたと近づいていく。
「やめておけ」
「ハァァ!? なんで焔龍が庇うんだよ!? オレっちらが死にそうだったってのにあのやろう空からずっと見てたってことじゃねぇか!?」
ディナヴィアが手で道を塞ぐも、納得いくもんか。
命懸けで戦ったのだからそれもそのはず。戦闘が終わってのこのことでてきたとなれば怒りはおさまらぬ。
それでもディナヴィアは静かに「やめておけ」と繰り返した。
女帝の命令である。他の龍たちも不満げに日和見をきめていたが「……チッ。なんなんだよクソが」タグマフが引いたことで尾を垂らすしかない。
地上へと降り立ったネラグァは巨体を種族の形態へと以降させた。
「………………」
なのにいつまでたっても口を真一文字に閉ざしたまま。
胸元を大いに浮かすポンチョ生地をぎゅうと握りしめ、つぶらな瞳があちらへこちらへと逃げ回る。
と、そこへ明人が散歩するような足どりで接近していく。
「頼むよ。これはネラグァさんにしか頼めないことなんだ」
「………………」
次第に沈黙を貫く彼女の瞳が、うるうると水気を帯びていった。
浮いた涙が頬を撫でようかというところで、ネラグァは勢いよく顔を上げた。
「みんなだけじゃなくて、アナタの歌も、ちゃんと聴こえたから! だから、ねらぐぁもお願いされたことをちゃんとやりきってあげる!
約束守る! どんっ、と。景気よく叩かれた大毬が地震のようにたわんだ。
ここまでが中途。ここからまで最終楽章への布石。
「……。ありがとう、これでようやく、夢を叶えることができるよ」
そう微笑んで明人は、かなり高い位置にある彼女の頭をそっと撫でてやった。
巨龍が、集結した戦場へ抱えて持ち込んだのは、1体の機械だった。
手腕も足脚すらも失い、地上に転がる、1つきりの丸い丸い球状。
宙間移民船造船用4脚型重機、彼の愛機。
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