623話 【VS.】UN.Resident ヒト【巣食う】トコヤミ
「……きれい……」
まずユエラが部屋のなかへ吸い寄せられていく。
まるで心を置き忘れてしまったかののような覚束ない足どり。
彩色異なる視線を周囲へと巡らす。
「なのにどうしてこんなに胸がざわめくの?」
葉で隠れた胸の膨らみをなぞるみたいに手を添えた。
一党らはみな同様の景色を共有している。そしておそらくは感情も。
辿り着いた船の最奥は、脳から言葉の発しかた抜かれてしまうくらいの荘厳さに満ちていた。
部屋中を埋め尽くすそれらは、キラキラとした光りを乱反射させる大量の水晶の如き美麗を誇る。命の煌めきにも似た光を内包しながら美を撹拌させて群れをなす。
地上に巻いた種から伸び生えた硝子のようでもあった。床から伸びる無数の円柱が大小様々な形を形成して鎮座している。
ヘルメリルも、この世の理とは外れた景色に目を奪われ、心を失った。
「これはいったい……保管用のガラス器具のようなものか……?」
たどたどしい歩調で部屋の内部へ踏み入る。
あまりの埒外。目撃させられ脳の処理が追いつかなくなった。
いっぽうで肌の感覚が鋭敏にブツブツと泡立つ。
「……美しい」
この場にて安易な発言は憚れた。白痴を晒すことになりかねぬ。
口ひとつ動かすことさえ躊躇う。なにせなにひとつの根拠もなければ自信すら微塵もありはしない。
一室に敷き詰められたモノ。それらが飾りなのか、なにに使用するのか、知りようがないのだ。
閉ざされた世界には水晶の如き建造物が幾らもあるのみ。一室は時が止まめられてしまったかのようにしてこの場に存在していた。
「わぁ! 地下なのにずいぶんと広い部屋になってるんだね! しかも――っ、なんなんだいこれはぁ!」
ディアナの瞳が爛々とした少年の如き好奇心に満ち満ちていく。
他の面々は緊迫感すら忘却し、佇むのみ。あまりの非現実を前にして大陸種族たちは驚愕を隠せなかった。
ヘルメリルは光景によって凄みというより恐怖の感覚を募らせつつある。
「人種族はどこを目指してこれらを作ったというのだ? 神にでもなろうとしたのか……あ、あるいは……神のおらぬ世界で己の神を偽ろうとでもいうのか?」
次いで襲ってきのは寒波の如き寒気だった。
ぞくぞく、と。背筋に沿って舌を這わすような電流が悪寒となって脳へ上り詰めていく。
鋭敏になった肌は呼吸を刻むだけで身を竦ます。竦んだ膝は笑い、乾いた唇がわなわなと震える。豊毬の先端が根を張って触れていないのに意識できるほど硬く尖りけを帯びた。
一同が足を止めるなか、勇敢な少年だけはいち早く開放される。
「すごいすごいすごいや! 墜落してダメージを受けたのにひとつたりとも壊れていないなんて! もしかして硝子のように見えるけど硝子とは異なる別の物質で構築されているのかな!」
ディアナは目を輝かせながら臆さずに進む。
まるでここが宝物庫であると言わんばかりに冒険を開始してしまう。
「これ、まさかなかになにか入っているのかな!? エルフ女王の言う通り保存容器かなにかかも!?」
少年らしい無垢な瞳で周囲の物質を眺めながら水晶の窟を練り歩く。
「しかもどうやら磨りガラスのような白い曇りの奥で……え? な、なにかが脈を打っ――うわぁッ!?」
ディアナの伸ばしかけた手が突風によって阻まれた。
燐光の翼が舞う。銀の細工によって制されてしまう。
遮ったのは弓のこだった。よくよく意識を向ければ部屋の入り口から彼の元まで純白の羽が道を作って散っている。
「……ダメです。それ以上近づくのはオススメしねーです……」
ディアナは急遽目の前に現れたタストニアに目を剥いた。
勢いよく尻もちまでついてしまう。
「なになになになんですか!? 僕なんかやっちゃいけないことしましたっけ!? えっ、とぉ、ひどいことしないでくださいッ!?」
天使が勢いよく動いたのだ。碌でもないことしか起こらない前兆。
なのにタストニアはディアナのほうを見ようともせず。なぜか弓のこで制した姿勢のままこちらへ振り返ろうともしないのだ。
「……クソッ、上司め……」
自らが生んだ風の音のなか、ひらめいたスカートがふわりと落ちきる直前で、そう言った。
もしかしたらヘルメリルの聞き間違いだったのかもしれない。ただの気の所為、勘違い。
少なくとも3等級天使である彼女が、そんな下卑た言葉を口にするとは思えない。
「……え? 今、天使様なんておっしゃったんですか……」
呆然と見上げるディアナへタストニアが振り返る。
なんでもねーです。声だって平素と変わった様子はなかった。
「キレイなもんは壊れやすいって昔っから決まってんです。だから安易に触れねーことを強く強くオススメするです」
「は……はぁ? そういうものですか?」
そういうもんです。タストニアは――良くも悪くも――普段通りのまま。
少女らしい耽美な顔立ちでいて固まった仮面の如き微笑だということ。
そのまま自然な動作でへたり込んでしまっている少年へと手を差し伸べる。
「ついうっかりで壊したくねーからこっちも勢い余っちまったです。ごめんです、手を貸してやるです。立てるです?」
「あ……ありがとうございます……?」
細腕1本でひょい、と軽々引っ張り上げてしまう。
ついでとばかりにディアナの尻をほろって頭を撫でて肩にぽんと手を添えた。
「どうやらここにお望みのもんはなにもねーみてーです。だったらさっさと先に進んだほうが建設的です。そっちのほうが有意義な時間の過ごしかたです、かしこです」
言い放つみたいに早口でそう言ってから返事も待たず。とことこ奥へと歩いていってしまう。
監視役である天使が途端にやる気をだして先頭を仕切る。
そうなるとこちらはたとえ絶句していても従うほかない。
ミルマとユエラは隣り合って一緒に歩きだす。
「天使さんになにかあったのかな? 少し様子がオカシカったように見えたけど?」
「アタクシたち如きでは計り知れぬ思惑をおもちかもしれませんわね。ああ見えて種族と一線を画する上位存在なのですから」
「聞くだけ無駄。それにどうせ話してくれないでしょうね」
考察もほどほどにしておかないと置いていかれてしまう。
一党らは、神妙な面持ちで翼の生えた少女の背につづいた。
一難去ってまた一難。しかしおかげで部屋に立ち入ったときの愕然とした空気は些か和らいだように思える。
まさに天使の言う通りだった。景色に目を奪われている場合ではない。鍾乳洞を逆さにしたような突起の隙間を――触れぬよう、壊さぬよう――掻い潜っていく。
――……まさか、な。
少なくともヘルメリルだけは思考を放棄していない。
これらがなんであるか、なんて。そんなことはどうでもいい。
これらがどのような使用用途で人種族に創られたか、なんて。興味をもってはならないのだ。
――もしそうであるとするなら……先に希望どころか道徳すら存在しないことになる。
例えるならば、思い至ったところで口にしてはならないということ。
天使自身がそうやって仕向けたのだ。蠢きながら蒼く発光する硝子の中身を知らぬままでいてほしい、と。
天使は、この船が主動力を失ってなお稼働しているという点を、 気 に し て は な ら な い と言っているのだ。
ヘルメリルがへの字口に不満を顕にしていると、前を進む天使がぽつりと呟いた。
「……これはきっとさてつとかそういう類のもんです……」
それのみでこの胸中にくすぶる舐りのような憎悪にケリがつくものか。
ヘルメリルは長耳をぷるりと振りながら「さてつ?」オウムを返す。
「鉄の砂のほうじゃない蹉跌です。あくまで憶測ですが……進化を歩むために乗り越えなくちゃならねー失敗のひとつであると信じてーです」
立ち止まることもなければ振り返る様子もない。
そこからはただ粛々、と。裸足がぺたぺたと床を叩く音だけがつづいた。
船に潜り込んでおよそ半日くらいは経っただろうか。もしかすれば外はとっくに夜も更けているのかもしれない。
もう他愛もない雑談を交わす余裕すらなくなっていた。心身ともに疲弊を実感せざるを得なくなっていた。
肉体的な疲労ならマシ。いなれぬ世界に放り込まれているということがなによりの負荷となっている。
「――あっ」
だからか、見えた小さな扉の向こう側が最後であることを全員が望んだはず。
ディアナは小さな吐息をこぼすと、見つけた扉へ迷いなく、むかっていった。
新鮮だったはずの刺激に麻痺しいている。もうこれ以上を魅せられるのは辛いとさえ思えてしまうほど。
絶望し尽くしたのだから僅かな希望くらい求めても良いのではないか。たった1人を救うだけという小さな願いくらい叶ってもバチは当たらないのではないか。
ヘルメリルは、ちらと物静かなリリティアの様子を横目がちに伺う。
「…………」
凛としながらも青みがかった横顔だった。
彼女の感情を汲みとることはひどく難しい。その上、部屋へ立ち入ってからというものひとことも言葉を発すことはなくなっていた。
なにか物思いに耽っているのかもしれない。彼女がヘルメリルの視線に気づかぬというのも珍しかった。
――なにを考えているのやら。もし癇癪なんぞ起こされたら大事だな。
行き着く先とその答えを告げることに躊躇う。
予想が正しいのならこれ以上進む価値は皆無。どころかそれ以下の結果を及ぼしかねない。
ヘルメリルは慈悲の心でリリティアの手を引く。
「顔色がずいぶんと悪いようだ無理はするな。残りの探索は我々に任せて貴様はここでおとなしくしているという手もあるぞ」
リリティアは静かに首を横に振った。
少しの挙動だけで金色の三つ編みが揺れ青いリボンが羽ばたく。
「……いえ」
ただ短く、そう拒絶しただけ。
ヘルメリルもまたそれ以上を詰めようとはしない。
「そうか。ならもっと足元ではなく前を見て歩くことだな」
どうせ提案しても拒否されるとわかっていたから。
ディアナは一党らが僅か後方で見守るなか。扉横のつぶつぶ? に少女と同じくらい小さな手を引っつける。
「認識コード840。扉よ開け」
魔法の数字を唱える声に始めほどの元気はない。
人というのはなぜこうも扉に触れたがらないのか、はなはだ疑問が残る。
またも最高権威保持者専用と描かれた扉が、請われるがままぷしゅう、と音を奏でた。
同時に黒い靄が蓋の開いた向こう側から解き放たれる。津波の如くこちらの部屋へと噴きでて侵食してくる。
「な、なんだよこれ!? ゲホッ、ゲホッ!?」
「――クッ! 口を塞げ! 吸い込んで碌なことはないぞ!」
ヘルメリルはすかさず闇の手を伸ばし、ディアナの首根っこをひょいと拾って引き上げた。
全員があふれでる腐臭を察知して鼻を押さえる。
「これ生物の腐った臭いとかなりよく似てるわッ! しかもよくわからないもっと酷い臭いも混ざってるッ!」
ユエラは口元を押さえながらぱたぱたと臭いを闇ごと手を払い退けた。
だが、闇の侵入はとめどない。鼻腔へ流入してくる臭気はあふれかえらんばかり。そう待たずしてこちらの部屋の足元を侵食していった。
鼻の奥をツンと突くが如き薬品めいた臭い。そこへさらに死骸が腐敗した臭いが混ざったような感じ。胃の腑を裏返したくなるほど、とにかく酷い臭い。
「と、とりあえずいったん扉を閉めて対策を練り直そう! このままじゃ呼吸さえ苦しくて戦闘どころじゃないよ!」
ディアナが慌てて扉のほうへ進もうとした。
と、同時。白い風が部屋の中央から扉のほうへ颯爽と吹き抜けていった。
「リリティア!? ダメよ止まって!」
ユエラが手を伸ばすも、もう遅い。
暴風とばかりにリリティアは駆けていってしまったのだ。
しかもとうに影も形もない。すでに闇のなかへと呑まれ、消えてしまっている。
「貴方まで行ってしまっては隊列もなにもなくなってしまいます! お願いですから1度冷静になってくださいまし!」
ミルマは、リリティアの後を追おうとするユエラを、慌ててとりおさえた。
「離してミルマさん! リリティアひとりを勝手にいかせたりなんかしないんだから!」
エルフ如きがどれだけもこうとも振り払えるわけがない。
龍の剛力に捕獲されてしまえば無力同等。魔法を使えばわけないが、今の彼女にソレを実行する思考があるとは思えない。
それでもユエラは力任せに消えてしまったリリティアを追おうと躍起になっている。
「私だって、ッ!! 私だってアンタと同じくらいアイツを助けたいと思ってんのよォ!! それを自分だけが大切にしている思いみたいに振る舞ってふざけたことやってんじゃないわよォ!!」
闇へむかって長耳逆立ながら怒鳴り散らした。
その身すら犠牲にしても救う。そう、リリティアは口にしていた。
しかしこうも無茶で無謀な行動にでるとは誰が予想できようものか。このままでは各個撃破されることも考えられる。
猪突猛進に突っ走ったリリティアを追うか、追わざるか。一党らは選択を迫られる。
「この闇、貴殿に払うことは可能か?」
「お安い御用です」
しかしこれが最悪の展開――というわけではない。
悲観し絶望し癇癪を起こされるほうが、ヘルメリルにとってはよほど厄介だった。
この奥に闇が巣食っていることくらいは想像の範疇でしかない。ただ扉を開放して難儀な点があったとするならば、非常に臭いということだけ。しばらく鼻に残って仕方がないだろう。
「《聖・浄化》」
タストニアの呼びだした白光が瞬く間に闇を退かせ、払っていく。
もうもうと満ちた闇が強い光に当てられ一瞬のうちに消し飛んだ。
「……そんな……そんな……」
そして晴れた最奥の部屋には白き影がひとつ見えてくる。
剣鞘から剣を抜き放ったままの姿勢でぼんやりと佇んでいた。
「……そうか。やはり人間種族はその方向へ進化の手を伸ばしていたか……」
「この船は製造を行うと言ってたです。まさかまんまその通りの結末を迎えることになるとは思わなかったです」
ヘルメリルとタストニアは人の辿ってしまった結末を眺める。
人種族は誤ったのだ。誤ってしまったからこの結末を迎える羽目になった。
だが、それは生きるための尊い犠牲だったのかもしれない。だからといって手を染めてよかったとは肯定してやることは難しい。
「断罪の天使様に……お願いがあります」
剣士の手から剣がこぼれ落ちた。
落ちた剣は嘆くような音色を反響させてから冷たい床の上で静かに横たわる。
こちらへ振り返ったリリティアは、ふっ、とした微笑みを浮かべていた。
「先ほどの部屋もろともを破壊してあげてください。せめて残る魂の断片が安らかな眠りにつけるように」
それはとてもいつもの彼女とは思えぬ表情。
泣きそうで、悲しそうで、辛そうで。まさにこの時にでもすべてがぽっきりと折れてしまいそうな脆さだった。
今にも崩れ落ちてしまいそうなほど必死で悲痛な笑顔で泣いていた。
「どうか――どうか人の犯した罪をその御手により断ってください! これを人種族である明人さんの目に入らぬようこの世界から消し去ってください!」
リリティアは懇願する。
そんな彼女の背後には、人になりかけの顔が横に傾いて落ちていた。
手や足どころではなく身体すらない。鼻もなければ肌も出来てないため赤々とした筋が晒され痛ましい。
大穴の眼窩には紅の眼がうぞうぞと幾重にも蠢いている。
さらには一室に及ぶほど巨大であった。その大きさは人どころか龍にも及ぶほど巨大な人なりかけの頭部。
彼女だって決してバカではない。
ここまで歩いているうちにヘルメリルと同様の答えへと帰結してしまったのだ。
人は、このヴィシュヌの奥底で、人を作ろうとしていた。
そして人は、闇の襲来によって技術ごとヴィシュヌを強奪された。
唯一の幸運は、闇が人の完成には至っていないということ。だから今もこうして人ならざる肉が船の最奥で眠っている。
「了解です。望み通りの跡形もない救いを与えてやるです」
小さく儚い願いは、天使によって見事跡形もなく叶えられた。
運命は残酷な時を刻みつづける。
動きだした秒針は止まりも戻りもせずに終わりへむかって進みつづける。
船に潜入してわかったことは、闇が人を欲しているということだけ。
それだけが確定されてしまった。
一党の耳に報告が入ったのは、船を脱出した直後のこと。
ルスラウス世界に亀裂という特異点が再び出現したのだという。
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