621話 【VS.】赫眼のヒトガタ UN.Resident ●●●●●● 4
どうやら彼女は一党らをぐるりと囲うよう魔法のバリケードを作ったようだ。
ユエラが、ぱあっと花咲くような笑顔を浮かべる。
「ミルマさん! 助けにきてくれたのね!」
たまらずといった感じでミルマへ駆け寄っていく。
「貴方のためならば何処へでも馳せ参じてみせますわ」
「お友だちのために駆けつけるのは当然のことだから。これはユエラちゃんがアタシたちにしてくれたことと同じこと」
ミルマも我が子を迎えるような母の笑みでユエラを迎えた。
再会を祝したふたりは、どちらともなく手と手をとりあう。
「この船のなかで亀裂を倒すための手段を探したいの! だからお願い! 明人を助けるためにアナタの力を貸して!」
ユエラはエメラルドグリーンと蜂蜜色を滲ませながらミルマへ懇願する。
「おおよその事情は主様の言伝により把握しておりますわ。貴方がたがこの異界の船へなにを求めにやってきたのかも」
「それにあの青年もアタシにとっての恩人よ。彼を助けることに異論を挟む余地はないわ」
彼女は頼まれるまでもないとばかりに迷いなく首と尾を縦に振ってみせた。
その瞬間ユエラのなかで緊張の糸がピン、と切れた。ミルマへ全身の体重を預けるみたいに両腕をぎゅうと絡めて飛び込む。
「っっ! ありがとうミルマさんっ!」
当然相手は龍だ。彼女ひとりの体重如きでは微動だにせず。バランスすら崩さない。
しかし花の妖精が胸に飛び込んできたことで途端に慌ただしくなる。
「ゆ、ゆえらちゃん!? あの……あ、あたくしこういうのに慣れてなくって……」
ミルマは顔面をボッと燃え上がらせた。
友だというのに心の距離は詰めきれていないらしい。抱きしめ返そうとしているようだがなかなか上手くいかず。
わたわた、と。両手を遊ばせながらほっぺたを真っ赤に染め、おろおろ。
ふたりは、遠いと言えるほど遠くはない戦場の隅で、再会する。
おそらく滅多に会えぬというわけではない。どちらかが願えば容易に会えるはず。なによりクレーターを挟んで別離していたときよりは、よほど。
だがミルマの側に問題がある。その身体は冥府の巫女による血盟によって現界できているに過ぎない。
「それで貴様の主はどこまでを許容するのだ?」
ヘルメリルは含みある微笑でミルマへ問う。
あのケチな吸血鬼が助けを寄越すことですら青天の霹靂に等しい。
しかも持ち札のなかでもっとも優秀な龍を選出してきた。となれば相当な消耗を覚悟してのことだろう。
「規格外のマナを託されたのだろう? 雑魚とはいえこのゴブリンの量なら使用も尋常ではあるまい」
ミルマは一癖を食んだ笑みをふふ、と奏でる。
「すべて、ですわ。救世主の維持以外に使用可能な限りのマナをすべて。そういったご伝達をいただいております」
「フッ。ずいぶんと思い切りが良いではないか。男に救われたことがよほど癪に障っているのだな」
龍を前にとり繕っているが内心驚愕の一色でしかない。
少なくともヘルメリルの知る冥府の巫女が、情などにほだされる生娘ではないことくらい理解の上だ。
どこまでも理知的かつ利己的。目的のためなら親子供ですら足蹴にするであろう、そんな女。
冥府の祖母の忠犬――とは言い難いが――。とにかく彼女の存在理由をまとめるならば執念でしかない。
ミルマは、ヘルメリルの――長――耳元へフフッと甘い吐息を吹きかける。
「この行動の元凶は彼ですわ。冥界のことごとくを挫いて回った者を助けるということ。それつまるところただの嫌がらせと見るべきではなくって?」
声潜めがちに底意地の悪い悪女じみた笑みだった。
生暖かい息と重なって触れる先端と柔和な肌。ぞくりとするほどの色香。こればかりは女性であっても魅了されかねぬ。
ヘルメリルは「フッ、そういうことかよ」押しつけられる傲慢に、負けじと己の傲慢を張り詰めて押し返した。
「ならば貴様らに十二分な活躍を期待しようではないか」
「おまかせくださいまし。未亡となったこの身で良ろしければ献身的に尽くさせていただきます」
子と夫を失った未亡龍は、優雅な足どりでくるりと回ってみせた。
龍玉で同族を支配をしていたころより遥かに美しい。肉体ごとしがらみも捨てて身軽になったかのよう。
男ならこの上澄みを見ただけでだけでころりといってしまうのだろう。もし触れるのならば上澄みだけにしておかねば怪我では済まなことになるが……
「さあ皆様がた余裕があるからとおっしゃっても時間こそ有限です。アタクシたち救世主が率先して行うのは時間を稼ぐことのみ。羅針盤をはじめから担っているのは貴方がたなのですので」
ミルマは艶めかしい唇からちろりと舌先を覗かせる。
意地の悪いことだ。殲滅、進撃、脱出と、とれる手は限られていても、判断する側は苦悩する他ない。
しかもその蠱惑な瞳がむけられているのは1点の方角。拳を握り固めながら佇む同族を流し見ている。
「ねぇ、そうでしょう白龍。元よりこれは貴女の始めた児戯。ならばきちんと示していただかねば引き際を見失ってしまいますわ」
リリティアは金色の眼でミルマを睨みつけた。
「そんなことはわかっています! 言われるまでもなく最善策を考えているところです!」
まるで射抜くような視線だった。
しかし混ざっている色は怒りではない、焦り。いわば追い詰められた虎の子の如き気勢を欠いた威嚇。
「あるかどうかもわからぬ方法を探すのか、増えつづける敵を駆除するためにこの船を破壊するのか。それらから選ぶのはリーダーである貴方のお仕事ですわよ」
ミルマは彼女の焦燥感を煽るみたいに腰を揺らして周囲を練り歩く。
前者を選ぶならば言うまでもなく悪あがきをつづけるということ。見ず知らずの砂漠で1片の硝子を探すような途方もない希望探し。
そして後者ならば……人の命を諦め特攻を許すということ。闇の中枢へ反撃手段のない大陸にとってはある意味での最善策。
「……っ!」
二者択一を迫られたリリティアはたまらず下唇を噛んだ。
発破と損壊の音を向こう側に置いて、裂けた唇の傷口からつつ、と赤い筋が垂れていく。
「わかっているんです……! 私のしていることがただのわがままだということくらい承知の上なんです……!」
震える喉から絞りだすようにして胸のうちに押し込めた思いを紡ぐ。
剣の柄が潰れてしまいそうなくらい強く握りしめられた。
「ならばどのような決断をとるべきかは貴女自身がもっとも良くわかっているのではなくって?」
「このまま無策に歩めば別の犠牲を払うことになるかもしれないわ。手が届かなくなってから後悔しても遅い」
なおもミルマは双頭で揺さぶりかけた。
苦悩する耳元にそっと頬を寄せながらリリティアの答えを求めた。
ふとヘルメリルはもうひとりのほうへ気を配る。も、ユエラは「……」静かに三編みを横に揺らしただけ。
「――だからと言ってそう簡単に諦められるものですかッ!!」
紅玉の眼。龍の開眼だった。
同時に気迫と炎色が乱れ飛ぶ。
「明人さんが私たちに与えてくれたモノを覚えているでしょうッ!! それはきっと生涯に得られるどれほどの幸福にも勝りうる至上の価値なんですッ!! だからあの人だけは絶対に幸福な結末を迎えなくてはいけないッ!!」
品位なんてありはしない。本能と心で叫んでいる。
そんな、いつ泣きじゃくり始めてもオカシクない咆哮が木霊した。
なおもリリティアは切っ先を震わせながら感情を荒立てる。
「この身を捧げてでも救いたい命があるんですッ!! 逃げつづけることで龍としての誇りを捨ててしまった私が闘うべきは今なんですッ!!」
閉じ込めてられていたはずの思いの丈が周囲の騒音すらも押しのけて波動のように爆発する。
「あの人は向こう側の世界に見捨てられてしまったのッ!! だからこちら側の世界でも見捨てたら明人さんの生きる場所がなくなってしまうッ!! そんなことだけは絶対に駄目ッ!!」
そして戦場に響く歌。恋する龍の愛の嘆き。
滂沱の涙に濡れてかなお芯のある本気の告白。生涯を共に歩見たいと願う訴え。
1匹の龍が命を賭して守ろうと誓う。轟々としていて隆々とした愛の旋律だった。
――……敵わんな。そこまで深いか。
ヘルメリルは未だ引かぬ友の叫びを脳裏に刻む。
己の思慮の浅さを推し量り、天を仰ぐ。
なにより驚きだったのは、リリティアの決意。死から逃げつづけた龍が己の命を犠牲にするとまで言ってのけたこと。
この遠征は――少なくとも彼女にとっては――可能性を求めるだけものではなかったのだ。
一世一代の決断。命すらもを引き換えに行った本気の決め手。
こうなってしまっては早々に悪あがきと決めつけていた浅はかさを呪うしかない。
「おい邪龍とやら聞きたいことは聞けただろう。今聞いたものすべてがそこにいる女がもつ全身全霊の思いだ。だから、それ以上私の友を追い詰めてくれるな」
ヘルメリルはやれやれと細身の肩をすくませた。
ぞんざいな揺さぶりである。それに感情で返すリリティアも難儀。とはいえ聞きたいことは聞けたのだからもう十分であろう。
いっぽうでミルマも些か驚愕したように眉を上げて目を瞬かせていた。
「お、驚きましたわ……! まさか……臆病だったはずの白龍がここまで覚悟を決めていたなんて……!」
「そう……変わったのね貴方。変われたのね……アタシのように」
それからすぐに花の蕾が綻んだように頬を緩ませた。
髪から熱気を発したまま口を閉ざすリリティアの頬へ、そっと触れる。涙を拭う。
「試すようなマネをしてしまってごめんなさい。ただ貴方の歩みかたが危なっかしくて真意を問いたかっただけ。アタクシの歩んでしまった粗暴な道に似て見えてしまっていたの」
「でもそれはアタシたちの勘違いだったのね。貴方は周囲ではなく己の命を賭けられると言い切った。アタシたちと違ってよほど強い信念をもっている」
ミルマが浮かべたのは母のように優しい微笑みだった。
慰める手つきは慈しみ。リリティアの逆立ててしまった感情を均すよう優しく包み込む。
「貴様は白銀の舞踏の幼きころを知っているのか?」
ヘルメリルが尋ねると、時待たずして「ええもちろんですわ」即答だった。
「だってこの子が殻にこもっていた頃から面倒を見て育てたのは、このアタクシなのですから」
「捧げてしまった子たちのこと、誰ひとりとして忘れていない。みんなアタシの愛した大切な子たちなのだから」
ミルマは、僅かにまつ毛の影で瞳を陰らせた。
話が逸れはした。が、とにかく引くという選択肢だけは消滅した。
リリティアの決意を耳にしながら手ぶらで帰る阿呆は一党にいない。
なにせ誰も彼もが人間の活躍によって救われた者たち。上等なことにミルマの揺さぶりとリリティアの声は一党らに目的を再確認させた。
「始めから諦めるつもりなんてこれっぽっちもないわよ。しかも私だってリリティアとまったく同じ思いだもの」
「こっちはわざわざ反対勢力の目を欺きながら危険を冒してまで出向いてやってんです。断罪の意志はハナっから揺るがねーです」
ユエラとタストニアも目的を直視するようにして瞳に覚悟を迸らせた。
となれば必要なのは無闇な気合ではなく打開策。
「kiiiiiiiii!!」
『損害軽微。修理ノ必要ハアリマセン。異物ノ排除ヲ優先』
ゴブリンゾンビによってアンドロイドたちの猛攻を防げている。だが先行き不透明なことは変わらない。
使えるかどうかも知れぬ施設の防衛をつづけるか。それともこの場を更地に変えて目標を改めるか。かといってこの巨大な船のすべてを引っ掻き回すというのはあまりに時間を無駄にする。
大陸に次回の亀裂が現れるまでは足掻くしかない。だが賢く足掻けねば平然と止まっていることと同様。
するとヘルメリルは唐突に気づく。
「……あの餓鬼はどこにいった?」
いつの間にかディアナの姿が忽然と消えていた。
ざっと周囲を見ても影も形もない。どこまで存在していたのかすら記憶から抜け落ちている。
戦力としては微塵も期待できぬぶんどこぞで討ち死になんぞされていたら目覚めが悪い。
「あっ、やべーです。すっかり忘れてたです。ゴブリンみてーな背丈してるもんだからうっかりです」
どうやら監視役であるタストニアですら見過ごしていたようだ。
きょろきょろ、と。半微笑の顔をぐるりと周囲に巡らせる。
と、ちょうど周囲を探るタストニアの足元に異変が起こった。
「ん、ああ呼んだかい?」
平坦で凹凸ひとつない床が突然開いた。
そして地面の中からディアナがひょっこり顔を覗かせる。
これには天使ですら虚を突かれてふわり、ゆるやかに飛び退く。
「うわっち!? どっからでてきやがんです!? あと絶景だからって下からパンツみんなです!?」
タストニアがスカートを押さえて守るなか、ディアナはいそいそと床に開いた穴から身を乗りだしてくる。
忽然と消えたかと思えば神出鬼没。しかも全身を埃やら汚れやらにまみれさせ小汚い。
見てないよ-。昇ってきたディアナは頬についた油を猫のように袖で拭った。
「その様子だとなにかを見つけたのか? というかどうやって地中深くへ潜り込んだ?」
ヘルメリルは舞ってくる埃を手を振って払いながら問う。
当たり前だが期待半分、怪訝半分。
ディアナははふ、と一息つきながら工具をもっていないほうの手を開いた。
「うーんちょっとね。確定というわけではないけど、どうやらこの船の核となるようなものが奥にあるみたいなんだ」
小さな手からばらばら、と。なにかしらの部品と思われるものが床に溢れていく。
散乱したのは鉄の輪に似たものと、八角形の頭をした銀の棒だ。
「これって僕らの世界とは規格が違うけど、おそらく留め具なんだよね。フリーサイズの工具をもってきていたからちょうどよかったよ」
「なにやってくれてんですオマエさん? なんでこっちの警告ガン無視決め込みまくってやがんです?」
「で、これで止められていた床下の管をバラしてみたらすごいことがわかったんだ」
あぁん? 無視されたタストニアの額に青筋が浮かぶ。
天使による監視の隙をつくというのは勇気というより無謀でしかない。
しかしディアナは悪びれた様子すらなくつづける。
「この船、どうやら黒い霧みたいなよくわからないモノを動力にして動いてるっぽいんだよね。そいつを壊せばアンドロイドたちの増産を止められるかも?」
そして彼の活躍により、一党の求めていた方針が決まった。
それとは別にディアナはパンツを無断で見たという罪で、タストニアの断罪げんこつを食らった。
一党らはゾンビ兄妹にこの場の混乱を任せ、より深くの深部へと繰りだす。
深層の真実を追求し、黒き闇を永劫の果てへ屠るために歩を進める。
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