612話 そして決起 ――Expedition――
「最近上が忙しいからってすーぐ出張頼みやがんです。こうみえてこっちだって色々と結構忙しいんです。なのに上の連中は自分と世界のことしか考えてねーです。上等級の天使は希少なんだからもっと過保護に扱ってくれなきゃ参っちまうです」
しなやかな足先を草地へつけず、上下せず平行に進む。
合わせてベル状のスカートがゆらゆら首を振るよう揺らぐ。腰辺りまである清らかな髪がまばらに別れて広がる。
真っ直ぐに平坦な背の肩甲骨辺りからは種族のもたぬ美しい白翼が生え伸びていた。
そう、天使の背には翼が生えている。なのだが飛ぶ際に翼は使用しないのだとか。しかも基本的に気分で飛ぶらしい。
無邪気者の呼びかけに応じ、断罪の天使タストニア・リーシュ・ヴァルハラが降臨した。
そして降臨してからというもの小言が延々とつづいている。
「しかも最近ことあるごとに地上へ送られるもんだから断罪の貴重さが地上でも薄くなりつつあるです。こんな頻繁に3等級天使が駆りだされてきたら種族たちもレア物として見えなくなっちまうはずです」
そうは思わねーです? やや意味ありげな笑みが、首と一緒にがカクン、と傾いた。
愚痴を聞かされる側は地上の民ヘルメリルだ。人間ならまだなんとかなっただろうが、天使相手になんと応じれば正解なのかわかりっこない。
しかも相手は高位存在の断罪である。そうなると、いち大陸の民として言葉に迷ってしまう。
「ま、まあそれほどでもないと思うぞ。確かに近ごろたびたび顔を合わせはするが見慣れることはそうないだろうさ」
こういうのは人間の仕事のはず。だが今はいない。
ヘルメリルは先行するタストニアの後につづきながら当たり障りなくがんばることにした。
「でもそんだけ大きいとこっちが薄く見えてんじゃねーです? 女よりな天使のくせに薄型シャープとか思ってんじゃねーです?」
タストニアは表情1つ変えずヘルメリルの胸部をじぃ、と見つめる。
もたざるものの憂いに満ちた視線が、歩数ごとに波を刻む大毬へ、じっとり注がれた。
「ハァ……まったくそんなたわわに存在感があって羨ましいかぎりです。マジうらやまです」
――はて? 会話の流れが唐突に変わった気がするのだが……どういうことだ?
小首をひねるヘルメリルの横で天使はぬるい吐息をぷぅぅ、と漏らす。
慎ましく控えめな胸から吐かれた息は、丘をざわめかす微風に乗って遠く、遠くへと運ばれていった。
一党らは、お上に遣わされたタストニアの後につづく。
天使とあってか白い召し物も純白の翼と相まって清潔感が著しい。彼女には天使という幻想的な形容を担う資格がある。
話題に上がった薄いのに必死に主張する胸部も、また彼女の愛らしい顔立ちに相まり可憐なもの。
「天使様天使様! ちょっとくらいお喋りしてもいいですよね!」
と、そこへ勇気あるディアナが無謀にもとと、とタストニアの横に小走りで駆け寄っていく。
天使と対等に振る舞おうなんて無礼にもほどがある。大陸種族であれば言葉を交わすことすらためらうはず。
なのだが、子供はその限りではない。なにせ天使を無理やり降臨させたのは言うまでもなくディアナなのだから。
「あんです? 別に構わねーですが答えられることと答えられねーことはあるです? ちなみにAカップはあるはずです」
「いや別にそういうこと聞きたいんじゃないです。それに僕はそのへんこだわらない中身重視主義なんで」
「よしです! ならなんでも聞けです! オマエさんいいやつです!」
タストニアの表情が――元からだが――いっそうぱあ、と晴れ渡った。
いっぽうでディアナもまた狼藉を働いて腰が引けるわけでもなければ、狼藉とも認識していない。
若さ故の過ちともとれるが。とはいえ彼が年をとること事態が永遠にないのだ。
「3級天使様ほど御方が直々に降臨なさる。と、いうことはそれだけあの残骸が重要な事象であるということですよね?」
しかも聞きたいことはやはりというか宙間移民船の話題。
技術にしか興味をもっていない辺り一貫しているとも言えた。
タストニアは、しばし仮面の如き笑顔の中心に指をたてて考える素振りをする。
「正直なとこ天界では絶賛大混乱中です」
「あ、やっぱりですか?」
「地上へ落っこちてきたパネェもんをお宝とするか超危険物と断定するかです。その会議が喧々諤々と開かれてる真っ最中です」
降って湧いた宝とするなら回収か、あるいは放置か。危険物と断定されようものなら天界の手によって存在ごと抹消される。
それを技術屋が聞いて黙っていられるはずがなかった。
破壊ならもちろんのこと、回収や放置でもどちらにしても種族に探索する術はない。つまり地上へ御鉢が回ってこないということ。
「ええ!? それってつまり近いうちに回収か破壊されちゃうってこと!? 僕らが落としたのに天界へ横どりされちゃうんですか!?」
ディアナがぎょ、と目を見開いた。
そしてあろうことか両膝で小刻みに跳ねながら天使相手に詰め寄る。
「なんでですか!? ちょっとくらい僕らにも技術を分けてくれてもいいじゃないですか!? こっちだって快適な生活を送るために日々躍進をがんばっているですからね!?」
まるで仔ウサギのように天使の周囲をぴょんぴょん跳ねた。
その都度腰に巻いたベルトから工具ががちゃがちゃとけたたましい騒音を奏でる。
「それくらいヤベーんですあの船のパンドラっぷりは。なによりこうして天使同伴で潜入出来るは混乱中の今だからこそなもんです。いわばすり抜け暴挙みたいなもんです」
タストニアは涙目になりながら懇願するディアナへ、シロツメのような手を伸ばしていく。
「じゃ、じゃあ今回を逃せば2度と探索が出来ないっていうこと……?」
「そうなっても良いように見聞のていどを見極めつつ探索しろってこってす。せっかくその機械を作ってやったんです。だからもう泣くのもワガママ言うのもなしです」
コクリ、と頷く子の頭を、天使は優しく愛でるように撫でていった。
やはりか。聞き耳を立てていたヘルメリルは、己の考えが間違っていないということを確信する。
天界もまた宙間移民船ヴィシュヌの残骸に大きな興味を示している。つまり、利用価値は十分であるという保証がついたようなもの。
天界がこれだけナーバスになるということは、種族に知られてマズいものが眠っているのと同義。
龍の高温に耐え、凄まじい速度で回復する。そんな外装ですら大陸にとって超過技術。
表面の側でソレなのだからなかにどれほどの異物が眠っているのか。考えただけで脳内世界が無限に広がるというものだ。
唐突にタストニアは宙でくるりと身を翻し、糸鋸を後ろ手に回す。
「しかも人間さんは最上位天使であるうちの上司が唾をつけるくらいに超大物です。だから上司も闇に放り込んじまったらこっちで魂が回収できないかもって乳振り乱して大騒ぎしてたです」
アイツ、と聞いてはこちらも思考している場合ではない。
ヘルメリルは思案中に下がった長耳をぷるりと振って上へむけた。
「闇へ介入するということはルスラウス大陸の管理下から逸脱するということか」
ソレに対しての返しは短く、「です」
「数億の思念体ではない純正の人の身体には個の魂が未だ宿されているです。それを選定するにはこちらの世界で死を迎えてもらわねばとり逃がしてしまうです」
「つまり天界側としてはあの蒼き魂を特攻如きに使わせてはならぬと言いたいのだな。貴殿の降臨の速さからして審判の天使の焦りようが伺いしれるぞ」
ヘルメリルの頭にも、あのエルエル・ヴァルハラの慌てふためきようが、容易に浮かんでくるというもの。
おそらく彼の特攻発言は全能の天使であっても予定外。尋常じゃない煮え湯を呑まされたことだろう。
タストニアは、いつにも増したニヤケ顔でフフ、と鼻を鳴らす。
「という感じにほぼ強行するような形と相成ったわけです。宙間移民船の残骸を調べてでも人間さんを助けろってお達しがでたです。でも逆に闇を討伐出来るのなら人間の魂を捧げろという天界方針もフィフティーであるということも忘れないでほしいです」
翼をはたと振って羽の燐光を散らばした。
やけに笑顔がいたずらめいているのは、上司の計画変更が起因しているのか。なにやら鼻歌でも奏ではじめそうなくらいとても機嫌良さげ。
なにより彼女にとっても望んでいる事態なはず。
タストニアだって人は友。明人を助けるという大きな目的が同行する種族たちとそのまま一致している。
「潜入の制限つきとはいえ超特例中の特例だな。やはり蒼力は審判の天使とて見過ごせぬほどのものか」
「先輩は、蒼き力の種……人そのものではなく希望の一部を欲しているだけです。ああ見えて小狡いとこあるから見た目に騙されねーほうが堅実です」
「つまり貴殿はNPCの力ではなく存在を認めているのだな、己の上司以上に」
「だって……アイツさんは大事なお友だちです」そう言い終えてタストニアは片翼を振って身を翻しつやめく髪を振った。
ただ1つの命のために王は動かないのと同じ。ただ1人のために天が動くとは限らない。そこに得というものが存在しているからこそ天界は彼を選んだのだ。
しかしそんなことは関係ない者らもいる。ヘルメリルもそうであるように後につづくふたりも、そう。
「ねえ。アイツが死にたがってるっていつから知ってたわけ?」
「出会ったばかりのころからすでに死を望む気配はありました。それが現実味を帯びたのは言うまでもなく防衛戦争です」
互いに瞳を合わせることはない。
ただ隣り合って歩幅を同じくしながらゆっくりと歩く。
「だから防衛戦争を平和に終え焔龍に挑んだと聞いたとき……かなりショックでした。せっかく生きられるようになったのに……それ以上に劇的な死を欲していると知って……」
「あのときは正直かなりびっくりしたわよ。明人の頭が吹っ飛ぶんじゃないかってくらい手加減抜きで平手打ちするんだもの」
「て、手加減はしてましたよ! ただちょっと感情的になってしまって力加減を間違えちゃただけです!」
慌てるリリティアを横目にユエラは、ん、と伸びをした。
年の割に育ちの良い胸部がツンとし覆う衣服を内側か押しだされる。
そして僅かに日の当たる顔を僅かに影へと隠すよう顎を引く。
「もう、隠し事なんて抜きね。ぜんぶとは言わないけど、私たち家族なんだからさ」
そう言いながら横にいるリリティアの手をとってぎゅう、と掴んだ。
「……ユエラ。明人さんのこと、黙っていてごめんなさい……」
「いいわよそんなのもう」
顔を上げたユエラはにっこりと天空の日にも負けぬ活気ある笑みを浮かべている。
「だってアイツっていつまでたってもよそよそしいんだもん! 逆にようやく理由がわかってすっとしたわ!」
陰ったリリティアとは違い彼女の表情は晴れ晴れとしていた。
リリティアの悩みや鬱屈とした懸念をまとめて払い飛ばすような、そんな笑顔。
まるでもう守られているだけの存在ではないと、ユエラのほうから伝えたがっているような感じ。
「私にも家族のために悩むことくらいさせてよね! 助けられてばっかりってのもけっこう辛いんだからっ!」
彩色異なる瞳のエルフ側を、呆気にとられるリリティアへむかって、ぱちん、と閉じる。
「それに私はもうLクラス! 混血の自然女王なのよ! そろそろ子供扱いも止めてもらわないとねっ!」
竹色の深い色合いをした前髪の端で小さな三つ編みが元気に揺らいだ。
2本の大小異なる三つ編みが一緒に仲良く揺れる。
傍から見ればふたりはまるで姉妹のよう。気落ちする姉を妹がカラ元気で勇気づける。
「私は天界がなにを欲しがっているのかなんてどうでも良いわ! とにかくやれることは全部やってやるだけよ! そんで後々になってアイツが天界へいくかいかないかなんて私の知ったことじゃないもの!」
ユエラは、やや強引に繋いだ手をぶんぶん、と。長耳も同時に振ってみせた。
そしてリリティアも、彼女を見てはっとするみたいにようやく目を覚ます。
「この剣に誓って闇を倒すための材料を必ず見つけだしましょう。私が欲しているのは遠い未来ではなく今ここにあるべき大切なモノです」
繋いでいないほうの手を腰の剣鞘へとかけながら背を真っ直ぐに白布を風に流し歩む。
もう涙を見せる気配はない。すべてを決意した凛々しい顔立ちに紅玉の瞳が熱を滾らせている。
顔を上げるだけで三つ編みの根に止まった青い蝶リボンが大きく跳ねた。
「その意気よ! 敵を倒して誰かを助ける! これは今までやってきたこととなにも変わらなければ私たちにとっての得意技でしょ!」
「確かにびっくりするほどそれくらいしかやってないですね! 明人さんって実はかなりのトラブルメーカーだったのかもしれないです!」
ドゥ家の1人が欠けたところで問題はなかった。
はぐれ龍と忌み子であった彼女たちを救ったのもまた、人。そんな人へ返すのもまた華やかな未来でなくてはならぬ。
常に戦場の中心にあった彼女たちがそう簡単に折れることはないのだ。希望はいつも進んだ先にある。
ただ友を助けたいという――ディアナを除いて――一心で集った5名の勇姿が向かう。
天使、語らず、剣聖、大技工、自然女王。冒険の一党と呼ぶには些か世界をとりに行くような面子だ。
そして目指す先はすでに視界いっぱいに広がっている、ソコ。目的は犠牲を払ってようやく堕とした宙間移民船Vishnuの残骸。
あちらの世界はこちらの世界を歓迎で迎えてくれるのかはわからない。それでも一党の歩む方角に迷いはなく、勇ましかった。
「……感動的だけどたぶんアイツさんの考えはそうじゃねーです」
薄らぼんやり聞こえてくる音色に反応し、長耳がピコリと跳ねた。
すると見られていることに気づいたのか、翼を傾けて音もなく近づいていく。
「……ところでどうやったらそんなにおっぱいデカくなるのか教えてほしいです……方法急募です……」
そして、ぼそり。
天使は甘い香りとともに耳打ちしてきた。
「……。よく食ってよく寝ること……あとは体質だ……」
この天使ずっと胸の話しかしないな、と。
それがヘルメリルからみた天使の感想だった。
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