611話 そしてそれぞれの歌 2
皆が触れぬように身構えていたわけではなく、どう触れて良いものか手をこまねいていたことだった。
しかもその一室の一角だけが雨雲にでもとり巻かれたかの如くひどく悲壮めいている。
「せめて意見交換の場なのだから参加くらいしてもらいたいものだがな」
ヘルメリルはティーカップへ口づけを交わすよう茶を含んだ。
それからコクリと細い喉を鳴らしてから比較的健常なほうへと、首を巡らす。
「飯も喉を通らんといったばかりの酷い顔色しているな。未だぐずぐずと地の底を這っているのか?」
すると問われたユエラは僅かに戸惑いながらも浅く頷いてみせた。
「明人が家にいたときよりはかなりマシになったと思います。ご飯もちゃんと食べられるようになったみたいですし、回復に向かっているはずなんですけど……」
表情は曇天の空より暗い。
見てわかるほど顔に疲労が滲んで長耳もへたらせたまま。ユエラは丸くしょぼくれたリリティアの背を優しく撫でた。
エルフ国へ明人が一時的に引き受けた理由は、ソレ。人が平和の代償として旅立つということに明らかな異変をきたしてしまった者がいた。
「やっぱり唐突だったからかショックが大きかったみたいで……」
ユエラは片時も離れず、傍で介抱に徹す。
いっぽうで介抱される側は椅子に腰掛けたまま口を引き結んでピクリとも動こうとしない。
「…………」
リリティアは、表情が前髪で隠れるほど椅子の上でうつむいてしまっていた。
彼女を家からここまで引きずりだすのはそう難しいことではなかった。なにせ手をひかれるがままに抵抗のひとつすらしないのだから楽なもの。
問題なのは気を病んでしまっていること。はじめの食事すらしなかったころよりは大分マシになったが、それでも本調子からはあまりに遠すぎた。
「まさか明人があんなにリリティアをないがしろにするなんて思わなかった……。誰かを傷つけるようなやつじゃないはずなのに……」
ユエラの口から明人の名が飛びだした瞬間だけリリティアの背がひくっ、と揺らぐ。
しかし顔を上げるどころか白いスカートをぎゅぅ、と握って小刻みに拳を震わせていた。さらに睡眠もろくにとれていないのか目の下にクマができてしまっている。
こうなるともうヘルメリルですらからかう気が起こらない。
「リリーから投げかける発言のすべてをNPCは意図的に無視したということか?」
「いえ、普通の会話はちゃんと返していたんです。ただ……リリティアが考え直してほしいということを明人に伝えると、途端に……」
「相手にされなくなってしまったということか。それしきのことでそこまで落ちぶれるとは龍とて存外弱い生き物だ」
ヘルメリルが補足するとユエラは消え入りそうな声で「……はい」肯定した。
ゼトは――はじめて話に触れたときと同じように――顔中の皺をいっぺんに顔の中央へと集める。
「前から聞いておったがアヤツもなかなかに残酷なことをするのう。身を案じる相手をことごとく躱しちまうとはそうとうな偏屈じゃあ」
「意図的な無視というより行動の一貫性からして黙殺の類であろうな。幼稚でもっとも楽な方法だが残酷だ」
「しかも善意で説得しているというのに聞く耳をもたぬとはリリーが浮かばれんにもほどがあろうよ。我を押し通すにしても手段が露骨過ぎるわい」
奇しくもヘルメリルとゼトふたりの深く重い溜め息が重なった。
それほど明人が覚悟を固めていると言えば聞こえは良いが、案ずる側はたまらない。あちらへ好意を寄せているからもっと辛い。
その結果、リリティアは伝えようにも伝わらない思いを募らせつづけ打ちのめされてしまった。
ヘルメリルはそんな彼女が追い詰められすぎぬよう元凶の元を彼女から無理やり引き離した。それが城へ彼を引き受けた理由だった。
当然引き離しただけで根本的な解決にならぬ。もっとも警戒すべきは人の心が遠く離れてしまっているということ。
「うがあああ! 女を泣かすなんて男の風上にもおけねぇとんちきちーだー!」
唐突に盤面での敗北を喫していたアクセナが、じたばた。癇癪を起こし始めた。
仰向けに転げたまま両手両足をばたばたとさせる。起毛の絨毯を均す、盤も蹴りつける。やりたい放題。
きっと湿気臭い部屋に呼ばれて虫の居所が悪いのだ。そこらの男よりも剛気なアクセナはなによりもうじうじした空気を嫌う。
ひとしきりのじたばたを終えたアクセナは、手をバネのように使って身軽に立ち上がった。
「死にたがりのクソくだんねー意見なんてもんはぶん殴ってでも無理やりへし折っちまえばいーんだー! そうすりゃもっと簡単だーな!」
室内のほぼ全員が顔を渋く互いの様子を伺う。
彼女のそれはとても彼女らしい意見。そしてもっとも柔軟ではない端的かつ愚かな意見だった。
そしてそのどれもが誰だよコイツを呼んだの、と言わんばかりにしかめ面をアクセ名へ向ける。
「なんならその役目あちしが引き受けてやんだーな! しゅ、しゅしゅしゅ、しゅしゅ!」
なのにアクセナだけは鬼の首をとったかの如く。見えぬ影を相手に拳を叩き込む練習をはじめてしまう。
それが出来たら苦労はしない。ここに集う面々だからこそ強硬手段は――もう――出来ないのだ。
「それをやったら2度とアヤツと対等な関係を築けなくなっちまうぞ。ワシらは平和にかこつけてアレをどれだけ酷使してきたと思うちょるんじゃ」
「無理やり言うことを聞かせたのなら私たちも晴れてあちらの世界の支配者層と同じになれるな」
「もうにゃーたちが出来るのはお願いすることだけにゃ……ふにゃーが聞き入れてくれることを願うしかないのにゃ……」
どんよりと重い空気が濃厚になって満ちていく。
いままでLクラスとて彼に頼り切っていた場面は多い。なんだかんだと統率を仕切っていたのは誰でもない人間なのだ。
戦いを嫌う臆病者を戦場へ引きずり込んだのもこちら。剣聖を扱えるという点を利用したのだってこちら。平和を成し遂げて大陸を駆け回る姿を放置したのだってこちら。彼という決死の英雄を作りだしてしまったのは言うまでもなく大陸種族たちに他ならない。
だからこそ生きてほしいと願う連中がこれほど集まっている。
残酷な世界を越えてやってきた平穏な世界でのびのびと生きて幸福を抱きながら生涯を終えてほしい。それが友から贈れるせめてもの感謝だった。
「……実は気づいていたんです」
するとようやくうつむく影から琴音のような声がひとつ。
押し黙る一党らの元へ1つの声がかすめていった。
「……知っていたんです。知っていたからこそ幸せになれるよう隣に寄り添うと決めていたんです……」
今にも消えてしまいそうな小さな音が風に乗って聞こえてくる。
リリティアは、うつむいたまま薄い桃色をした唇だけを動かし、語る。
「あの人はずっと……この大陸に降り立ってからもずっと……ずっと、同じ場所を目指しつづけていたんです」
ポツポツと小雨が降りだすみたいに。水滴は地べたに当たり広がっていくような。
声にだって覇気すらなければ、泣いているかのような震え声。
そうやって耳を澄ますヘルメリルたちみなの心のなかへと彼女の声が染み渡っていく。
「しかし今……明人さんのむかうべき先へ進むための条件が全て揃ってしまったんです」
金色の三つ編みがかかった華奢な肩が、小刻みにひくひくと揺らいだ。
「あの人ははじめからずっと自分の死場を探しつづけていた。そして操縦士として死ねる唯一の場所へむかうあの人をもう止めることは出来ない……」
衝撃が部屋中を駆け巡った。
聞かされた一同は唖然を表情で語りながら硬直した。
ヘルメリルだってそう。なにを聞かされたかすら一瞬躊躇するほど大きく心臓が跳ね上がった。
ずっと明人が死にたがっている。そんなことを唐突に聞かされてはいそうですか、なんて。得心がいくもんか。
人が死の淵に立ちながらも意地を張って様々な困難を乗り越えてきたことを見知っている。だからこそリリティアの世迷い言を信じるわけにはいかなかった。
「そしてその兆候にはいつでも気づく機会があったんです。ありながらも私たちは明人さんの背中を追いつづけてしまったんです……我が身可愛さに」
「貴様……とうとう狂乱でも患ったか? あの臆病者が死にたがりとは笑えん冗句だ」
おそらくヘルメリルの声は聞こえていない。
しかもリリティアははじめよりずっと早口になっていく。
そうやって舟生明人という人間の隣で感じとった行動理念を解体していくのだ。
「防衛戦争のときだってテレーレを助けるという名目で自ら名乗りでたんです。そんなこと絶対にするような人じゃなかったはずなのにも関わらず」
しかしそれもまた人間を知る誰しもが心のどこかにあった疑問でもある。
少しづつ紐解かれていく。誰よりも彼と一緒にいつづけたリリティアの口自らによって判明させていく。
「それにドラゴンクレーターへとむかったときだってそうだったんです。あの人の中には誰かを助けたいという優しさと勇敢さが常に存在していた。でも……明人さんの行動理念の根幹には必ず死という到達点が設定されていたんです」
ヘルメリルは激しい動揺のなかで不意にユエラのほうへ髪を振る。
するとユエラは口元を押さえ青ざめたままリリティアの背中へ目を剥いて剛直していた。
きっと知らなかったのだ。彼のことも、彼女が秘めたる憂いも、聞かされていなかったのだ。
その間にもリリティアは連ねるような声色のまま無情につづける。
「だから……だから……だから――っ!」
否、もう限界だった。
喘ぐよう喉を詰まらせ次の言葉がでてこない。心が追いつけていないらしく唇がパクパクしているだけ。
しかも彼女を慰められるものはこの部屋にいない。全員が突きつけられた事実と思わしきものによって目を剥き固まってしまっている。
死にたがっているという言葉ひとつで否定する材料をぜんぶとりあげられてしまったのだ。臆病者がなぜ大陸をひた走りつづけることが出来ていたのか。すべてのケリがついてしまうほどに及んでしまった。
「っ、は! 私たちはずっと明人さんを使ってきたようなものではなく本当に使ってきただけ! ルスラウス種族はあの人が元いた世界でも使われていたと知りながらもひた走る姿をただボーッと眺めていただけ!」
上げた顔はすでに涙と紅。
白い頬をつぅ、と涙が伝う。炎色に燃える瞳がしどと濡れそぼって瞳を揺らす。
やがて閉じ込めていた感情が叫びとなって噴出する。
「あの人は誰かの都合で良いように利用されてしまったんです!! それなのに幸せになるどころかまた誰かのために殺されるなんてあんまりじゃないですか!!」
リリティアは身を振り髪を振り全員に訴えかけた。
当然、異論はない。押し黙ったままのヘルメリルたちは無言でその言葉を肯定するだけ。
だってもなにもない。ここにいる全員が彼によって救われたのだから。
心のどこかで彼の目指しているモノに気づけたはずなのに目を背けてきたのだ。甘えていたと言ってもいい。
「私は明人さんを心から愛しています!! 心の底からこの身を捧げてもいいと思えるほど愛してしまっているんです!! それなのに愛した人が幸せになれないまま死を目指しているんだんて辛すぎるんです!!」
リリティアはただ1人を失いたくない一心で涙を散らしつづけた。
彼が犠牲にならぬもっともな手段は闇を完全討伐することのみ。ただ16眼の放った光線を垣間見てそれを楽だと言える阿呆がいるはずもない。
ヘルメリルは、ぐずぐずと泣きじゃくる声を聞きながら、自らの爪を噛む。
「アレをこのまま歩ませぬためにはなんらかの有効打が必要不可欠だ……! もっと巨大で遠方へと破壊をもたらせるだけの大仕掛けが……!」
「じゃ、じゃあもっとヒュームを集めて今の話を聞いてもらうっていうのはどうです!? ひらめきの力とドワーフたちの技術があればきっと――」
「お嬢そんではダメじゃ。たとえ構想が間に合ったとて大仕掛けを仕込む時間がねぇ。さらには明日にでも現れるかもしれん相手じゃ。有効打となる840機構を増産する手をとめてはならん」
「ならにゃーも複合種のみんなに声をかけてお願いしてみる! アラクネたちは細かい作業が得意だし、タウロスたちを総動員すればもっと材料を集めることも出来るはず!」
次々と目が覚めたかのようにアンレジデントへの対応策が飛びだした。
悩んでいる暇はないとリリティアの言葉で理解したのだ。
それでもやはりでてくるのはルスラウス大陸ていどの知識を集めたものだけ。もう1歩ほど技術文化を先にすすめる奇抜な案が足りない。
必要とされているのは魔法と技術の混合。地球世界で届かなかったまったくの別枠となる大きな力を生みださねばあの強大な闇へ対抗できぬ。
――そうなると足りないのは技術のほう……! 魔法と技術を進めるのに技術を生む手が足りんのだ……!
「よーしわかったぞ! 推進力って自分が動く力でだったんだ! そうやって受ける風の力を得て翼の傾きで受け流す! そうすれば空に浮くって仕組みだったんだ!」
――しかし唯一の方法は閉ざされた……! だからといって1から生みだしていては時間の猶予がなさすぎる……!
「ってことはつまり僕の作った風車と同じ原理が使用できるっとことじゃないか! ウ~ンでも僕らには羽があるから別に必要ない技術だね!」
ヘルメリルは思考の邪魔になる浮かれた声の方向へ蔑みの視線を送った。
部屋の端っこの隅の影らへんに、ずっといる。日差しも届かぬ4隅の一角に小さな身をより小さく縮めるようにした妖精の羽がいる。
そんな地べたに広げた図面を覗くだけで一切会話に関与ていなかったディアナが、喜々としていた。
「おいチビっ子。貴様も王を名乗るのであれば会議くらい真面目に参加したらどうなのだ」
「これって会議だったのかい? あまりに生産性のない話をしているからつい別のことに集中しちゃってたよ?」
ヘルメリルは失礼な物言いに思わずカチンと怒りを覚えた。
が、ディアナはそんなこと露知らず。
「で、なんとなく聞いていたぶぶんを要約すると、闇に勝つための方法がほしいってことだよね?」
絨毯の上へ転がしておいた工具を拾い上げ、ようやく一党の終結する場へ歩み寄ってくる。
ちら、と。彼のいたところを見れば地べたに白い紙が広げられていた。そこにデカデカ描かれている異質な絵は……宙間移民船のだろうか?
ディアナは未熟な足を晒す短丈のショートパンツをぽん、ぽん。癖のように尻についた埃を叩く。
それからあどけない丸い瞳がぐるぅりと他のLたちを巡った。
「エルフ女王は、さっき聖女様に宙間移民船のなかへ入っちゃダメって言われてたでしょ?」
そして最後はヘルメリルの元へ向いた。
「む……まあそうだな。宙間移民船の内部を探れさえすれば糸口が見つかるやもしれんと考えたのだが……」
言葉を濁しつつもう1度テレーレのほうへ視線を向ける。
この会話で少しは心が動いていれば儲けものだが……
「ダメなものはダメです。アレは本当に神の望まぬ代物だからこそ私の一存でどうこうできる代物ではないのです」
あいも変わらずといった感じ。
テレーレは片頬を膨らしながらより強固な意地をヘルメリルへ見せた。
先日堕とした宙間移民船こそがまさに今大陸の求めるもの。あれは超過技術の結晶体と言っても良い代物だ。内部を探索できればなにかしら反撃の術が手に入るはず。
そこに目をつけたが結果は玉砕。神の啓示を賜る聖女テレーレによって一刀両断されてしまった。
「闇を滅すにしろ、明人のバカを救うにしろ、あれの内部を調べることこそがもっとも効率的な近道だったのだがな……」
ヘルメリルは諦めきれぬ思いをため息に乗せた。
たとえ友の窮地とはいえ道理を翻すことは王であっても容易ではない。天界が絡むとばれば手の出しようはない。
ふんぞり返りもせず、それでいてしんなりした長耳はお手上げを意味していた。
「だったら僕にちょっと考えがあるんだよね!」
ディアナがバチン、とインクに汚れた指を弾く。
すると屋内にいる面々が一同に彼へと僅かな希望を秘めた視線をむける。
「な、なにかいい考えがあるんですか!? 明人さんを救える手段が!?」
「あるならさっさと教えて! アイツを助けられるんだったらなんだってしてやるんだから!」
ユエラとリリティアの視線には他の面々より大きな熱が籠められていた。
藁にもすがる思いがただひとりの少年の元へ集う。新米で実績の少ない新しい風の元へ古株たちがこぞって縋る。
そして次の瞬間。幼い声が誰にも予想のつかぬ方角へと放たれた。
「おーーい天使様ぁ! どうせ聞いてるんでしょー!」
同時に向けられていた淡い期待は急降下を開始する。
ディアナが語りかけているのはあろうことか天井。の、さらに奥の向う側にあるここではない場所だった。
「貴方たちだってふにゅうくんに助けられたんだし、ちょっとくらい同情の余地ってあるんじゃないですかねー!?」
全員がディアナ目論見に気づいている。
「聖女様のお声じゃなくて貴方たちから直接可否をお伝えいただきたいんですよー! もしダメならダメってそっちから言ってくれないと僕としても踏ん切りがつかないんです!」
コイツただ移民船に乗りたいだけだ、と。
しかし時待たずしてディアナの呼び声に応じ、天使が降臨してしまうまでに発展した。
禁忌を陽気に飛び越える。そんな彼の2つ名は、大技工。
大技工ディアナ・L・ルセーユ・シェバーハは、技術躍進のためならば手段を選ばぬ。
Lクラスきっての無邪気だったらしい。
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