『※イラスト有り』610話 そしてそれぞれの歌 1
「ダメです」
感情の一片も籠められていない無風のような声音だった。
聖女テレーレは、真剣味を帯びた視線をヘルメリルから反らすことなく言い切る。
まさに一刀両断。そして交渉の余地なし。門前払いのほうがまだ希望を多く持てただろう。
華奢な身を飾る女王に相応しい純白白銀のドレスを纏う。希少なる宝石の散りばめられたティアラは高級感よりも威厳という確固たるものを証明するためのもの。
射止められたヘルメリルもまた女王でありながら銀の瞳から目を反らしかけた。
ただ負けっぱなしというのも目覚めが悪い。拒否の反撃に弱点を貫くことにする。
「少しくらい許せ。……まさか胸だけではなく頭まで硬いというのではないだろうな」
「柔らかいですよ! よく見てください! ないんじゃないんです! 少しはあるんですう!」
テレーレは、薄くシャープになだらかな部分を抑えながらふんすこ湯気をたてた。
胸いっぱいに広がるのは愛らしいなだらかな小丘だ。ないというわけではないが、あると言い切るには不十分。
「メリーは自分のおっぱいが大きいからってそうやって上から見下すんです! そのうち天罰がばちこん与えられてお胸が縮んじゃいますからね!」
小鳥のように地団駄を踏むと綿毛のような銀髪がふわふわと揺れた。
聖女は内面が自生によって僅かに異なる。しかし常に体調と体格は平行線のまま。つまるところテレーレは先代から末代に至ってずっと同じ身体を継承していく、一生貧乳。
いっぽうでいつも弄り倒しているヘルメリルには、ちょっと羨ましいという感情があった。
「……薄いと選びようがあって良いことだと私は思うがな」
「なんですか!? まだイジメたりないって言うならメリーはお茶菓子なしですからね!?」
「ム……なんでもない。茶菓子のない茶は困るから止めてくれ」
ヘルメリルは、癇癪を起こすテレーレを前にあっけなく引き下がった。
大は小を兼ねるというが、実のところそんなことは微塵もない。大きければ大きいなりの悩みは絶えぬ。
まず街で偶然見かけた可愛い服は着れない。誰かが可愛さを籠めて作った思いの服を愛でることすら許されず。長耳しょげさせ見逃すことの悲しさたるや。
なにより常につきまとってくるのだから肩も凝って仕方がない。うつ伏せに眠るのも苦しいし、歩くたびに遅れてずん、と脚に疲労を与えてくる。
――……アレはアレで愛らしいのだがな。
乙女の悩みは膿より深い。
物欲しげな瞳が、茶を沸かすテレーレの胸元をしばし横目に羨んでいた。
それ以外の場所でも大扉の魔法で呼び込まれた連中が各々好きにくつろいでいる。
「暗殺者で奴隷を交わし后を狙うんだー」
「キサンの行動はお見通しじゃ。次のターンまでにこっちは盾兵と弓兵で本陣の将軍へ進攻してやらぁ」
「ふにゃ……ふにゃ……にゃう……」
ゼトとアクセナが盤上の駒を遊ばせる横でニーヤも絨毯の上で尾を抱いて眠る。
斧動明迅、双腕、にゃにゃにゃ。Lのなかでも古参の面子だった。
昔はヘルメリル含め良くこうして集まっていた。だからかその時の様子を感じさせるかのよう、みなが我が家と言わんばかりに聖女の私室で気ままに過ごす。
いっぽうで新参者が肩身の狭い思いを強いられているかと言えば、そうでもない。
「すいしん……羽ばたかない飛行……加速……のもたらす力。つまりぃ……風かなぁ?」
新参者ディアナはなにやら図面を引いて眉をしかめていた。
宙間移民船がなぜ空に浮いていいたのか興味が尽きぬらしい。小ぶりな尻を天へ突き上げながら前のめりに図面へ線を引いては消してを繰り返していた。
今日この日、ここ聖城にルスラウスのLクラスたちが集う。
Lの顔ぶれがこうしてそろうのが幾日ぶりかと言えば、記憶の彼方になるほど遠い過去のこと。
しかも本日は新参者が入っての会合、もといお茶会。新たな顔ぶれを迎えての招集はこれが初回ということになる。
「それにしてもとても痛ましいことです。待望していたLクラス懇親会に欠席者がでてしまうなんて」
テレーレは浮かぬ顔で茶の準備を進めていく。
刺繍のクロスが敷かれたテーブルへ陶器の皿や茶請けなど、ひと通りをその手でこなす。
元より彼女は誰かしらを招いて茶を嗜むことを大いに好む傾向があった。民だろうが兵だろうがなんとなくで茶に招いてしまうほどの茶好き。本質としては誰かと語いたいだけの種族好きともとれた。
「欠席というのはちと違う。なにせアレは邪魔だから声掛けすらしていない」
ヘルメリルは、ひと足早く席を決めてテーブルへ着いた。
それを見たテレーレもそそくさ手早く彼女の前へポットを傾ける。
琥珀色を注ぎ入れると、芳醇で品のある茶葉の香りが室内へわあ、と満ちていった。
ヘルメリルは手にしたカップから香りを鼻腔へと送り込む。
どこか陽光の香る慎ましい甘さ、それでいて花の微かな渋み。
「金盞花とはまた珍しいものをもちだしたな。決して希少というわけではないが趣味で楽しむものであろうに」
片側を伏せた視線の先で盆を抱いたテレーレが「ええまあ……」逃げるよう目を背けた。
金盞花には胃の腑を温め安らがせる以外にも気落ちの病を払う効能があるとされている。
客に振る舞うということは癒やしたい者がいるのだ。Lクラスのなかでもっとも打ちひしがれてしまった者に飲んでほしいという思いが琥珀色の液体より伝わってくる。
「して……弟子抜きで集められた理由はいったいなんじゃあ?」
盤試合を終えたゼトが立て膝に鉄腕を置いて重々しい動作でのっそり立ち上がった。
なお盤の向こう側では、アクセナが精根尽き果てたとばかりに2つ結びを絨毯に放りだして寝そべっている。
無残な敗北者の末路。終局を迎えた盤面を見る限り自陣の駒をほぼすべてをカツアゲされたようだ。
「懇親会なんて大層な名目を掲げんでもおおよその理由は察すがのう」
「闇の襲来さえなければ本当にこうして懇親会を開きたいってメリーとお話してたんですよ?」
ゼトはテレーレから受けとったお茶をがぶりと一口で空にした。
蓄えた白ひげについた茶の飛沫を豪快に鈍色の腕で拭い去る。
「あのバカ弟子を止めるっちゅう話ならワシは力になれねぇぞ。なんせなんも言うこたねぇからな」
「己の弟子を見捨てるということか? ずいぶんと冷めた師弟関係もあったものだな?」
「男がやるって決めたことに口出しすんのは、ちと違ぇ。しかもあのバカほどの臆病モンが振り絞った決意を無駄に出来るほどワシは老いちゃいねぇわい」
ゼトは、突っかかってくるヘルメリルへ、白く霞んだ瞳を真っ直ぐむけてハッキリ言い切った。
鉛を転がすような低い声でつづける。
「アヤツも復讐のために生きろと2つ首の龍へ言っとったじゃろ。復讐ちゅう忌むべきはずのものを堂々と生きる術と言いはれるのは己の信念と同期していたからってことじゃな」
それは明人がミルマを説得したときに使った方弁だった
旦那と子を失った母へあまつさえ復讐のために生きろと言い張る。仇となる時の女神への闘争心を糧にしろいうこと。
普通ならばありえないだろう。だが彼ならばありえる。同種、戦友、そして未来、そのすべてを奪った闇への復讐を忘れることなく生きることを体現した操縦士の実物だから。
ヘルメリルはしばしゼトの話に耳を傾けつつ感嘆の吐息をこぼす。
「……だから止めるなと言っているのか? この私に友の死に目をただ指を加えながら眺めていろと、そう言っているのだな?」
漏れた怒りの感情によって僅かに長髪の先端が浮かび上がった。
たとえ彼の言うことが正しいとして、止めぬ理由にはならなかった。
するとゼトは怯んだ様子もなく、しっしと犬を巻くような素振りで鋼鉄の手を払う。
「止めるか止めぬかはそれぞれの裁量であり罪でもなんでもありゃしねぇさ。ただワシくらいは弟子の覚悟を無碍にしたくないっちゅうだけの話じゃ」
それはヘルメリルに思いつかぬ発想だった。
見捨てるというのではなく夢を叶えさせる。復讐へと向かう者の背を押すことで本人の救いとする。
どのみち無理やり明人を縛り上げてもいずれは闇へ飛び込むだろう。そうなる前に全員で見送るという新しい考えかた。
「とはいえ……もし明人を救える方法があるってのなら一声かけてくれい。……こんの病に侵された命でも使いみちくらいあるじゃろう」
そう低い喉で呟いてからゼトは、髷を結った頭をヘルメリルへ深々と下げるのだった。
人の活躍によって間接的に救われた種族たちは多い。
しかしこの老父は誰よりも直接的なのだ。おそらく己を犠牲にしてという言葉にも嘘偽りはない。
だからこそ明人へ傾ける思いも言葉以上の覚悟が秘められている。
「だがアヤツ自身が口にしたことへケチをつける気はサラサラねぇ。花道を飾る背を消えるまで見つづけんのだって友としての務めじゃ」
魅了されたまま生涯を終えるはずだった老父の目は凄みを感じるほどに澄んでいた。
それがゼトの意見。鵜呑みにする必要はなくとも間違ったことはなにひとつ言っていない。
と、地べたで惰眠を貪っていたはずのニーヤが焦げ色の尾を揺らす。
「でも……にゃーはもっとふにゃーと一緒に遊びたい」
顔は絨毯へ伏せったまま。そのせいで声がこもってしまっていた。
とはいえ先ほどから寝息も聞こえなければ頭の上の三角耳だってちろちろと動いていた。
ずっと寝たふりをしながら耳を澄まして聞き入っていたのだろう。あるいは……絨毯に押しつけたままの顔を見られたくないのどちらか。
「また一緒にお祭りにでかけたり危ないクエストで助け合って達成した喜びを分かち合いたいよ。それに冒険をしながら美味しいものを食べて回りたい。お昼寝するとき尻尾枕の取り合いとかも……楽しかったんだよぅ」
普段と異なる余分のとれた口調。
それでいてくぐもっているし、ときおり鼻をすするような音がする。
「いっつも会うと優しく頭ナデナデしてくれたし……ふにゃーの好きなおかずなのにいつもわけてくれたし……寝てると黙ってお布団かけてくれたり……」
しだいに着物に覆われた丸い背中がひく、ひくと揺れだす。
声も震えきっていたし、鼻声もいいところ。
「……ま、た群れのみんな、と一緒になれたのだってふにゃーの、おかげだから……っ!」
もう泣いているということを隠そうともしない。
絨毯に額を押し付けるようにしながら牙を噛み締め隙間から喘ぎ、喘ぎだ。
尾っぽだって下に巻かれてしぼんでしまっているし、耳も横に折れしょげている。
「そうですよね……ニーヤはいつも明人さんと一緒にしてきた楽しい思い出を私に話してくれてましたもんね」
テレーレがニーヤを案じて震える肩へ手を添えた。
その直後に伏せていた頭が外ハネの髪を散らしてガバッ、と起き上がる。
「もっどいっじょにいだいに”ゃあ”!! もっどに”ゃあ”のぜながにのっでいろんなどごいっだりほめでもらっだりしだいんだに”ゃあ”!!」
ニーヤは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で悲痛な叫びを吠えた。
遠吠えの如き遠くまで響くような音が室内をキンキンと反響してそれぞれの鼓膜を貫いた。
テレーレが涙をこらえながら彼女の顔をハンカチで拭うも、水気はおさまることを知らない。
「あんなに助けてもらったのになんのお返しもできてないにゃ!! 恩返しもさせてくれないでどっかにいっちゃうなんて酷いにゃあ!!」
ぺたん座りの大勢で幼子のように頭をいやいやした。
雑種の嘆き。ニーヤにとっても人間は救世主なのだ。
複合種たちは群れをなによりも愛する。そうして支え合って己の種族を絶やさぬよう血を守りながら生きていく。
なのにニーヤは魅了によって操られてしまった。意識はありながらも複合種たちを貶めた。
もう2度と仲間の元へ戻れぬと悲観して雑種が逃げた先に、彼がいた。
「ふにゃーもにゃーの群れの仲間にゃあ!! 群れのなかからハグレモノをだすなんてもういやにゃあああ!!」
びぃびぃけたたましく泣きわめく。
わがまま、駄々っ子、きかん坊。ただ叫ぶだけ。ニーヤは感情を丸投げにするように天へむかってがなりたてる。
そしてそれはきっと大陸種族の誰しもが抱く感情そのものだった。
この大陸に彼がやってきてありとあらゆるものが大変革を迎えたのだ。その恩恵によって救われた命は――ルスラウス大陸種族すべての命。
決して彼自身が自分で功績を讃えることは――自己評価が異常に低いから――ない。
それでもひた走った様を目の前で見、救われてきた者たちにとって偉業以外のなにものでもないのだ。
救われただけ彼を求む声がある。
そのなかでもっとも中心にいるであろう者が、ふたりいる。
(区切りなし)




