『※イラスト有り』609話 そして偽りの歌
「斡旋所があったから冒険者を狙い撃ちにして噂を垂れ流した。ああいう冒険者たちは噂ひとつが生き死にに関わってくるからな」
明人はカルルが注いだばかりのティーカップを手にとった。
側近たるもの主が求めるタイミングで最高の紅茶くらい淹れて応えねばならぬ。
ゆえにカルルに求められるのは完璧な紅茶の作法。しかも紅茶は選りすぐった1級品でありポットやカップも1品ものばかり。
しっかりと香りの立った管理された適温、蒸らし、香り豊かな茶葉が生き生きと湯にしっかり使った最高品質の紅茶。
それを明人はしばし香りを楽しんでからひとくち含む。
「高級感のある香りが鼻腔いっぱいに広がっていく。これは――ダージリンだな!」
「……ルイボスティーです」
「なんだそれ聞いたことすらないや」
ただ格好だけ合わせてみた感じ。野良犬には宝石のとうてい価値が理解できなかったようだ。
カルルによって化けの皮を剥がされた明人は、それ以降紅茶の感想を口にすることはなかった。
夜の帳が降りた書斎へ夜風が吹き込むとランタンの火が踊って影がざわつく。
視界の端で陰影がぼんやりと輪郭をぼかす。揺らめきはどこか微睡みに似て眠りを誘う。
まるで夢の欠片をひとつだけつまむようなぼんやりとした空間。心地の良い宵闇は朝を待つだけが夜の楽しみかたではないのだと教えてくれていた。
明人が底の浅いカップのティーで舌を湿らせ終える。
「だから冒険者数人に噂を流せばあっと驚く間もなく伝染病のように迅速かつ広域へと広まる。たとえそれがただの嘘だったとしてもだ。勝手にその他が信憑性を付け加えてくれるんだよ」
茶の味もわからぬくせに口と企みだけは達者だ。
テーブルを挟んだ対面に座すヘルメリルは、不機嫌のままに傲慢な振るまいを返す。
「ずいぶん底意地悪く手慣れているようだな。貴様がそのような恥も外聞もない手法を好む下衆だとは思わなんだ」
足組みして両腕を背もたれの後部へと回す。
窮屈なバスト部分が横縞を描く。魔装の生地がみちみちと裂けんばかりに張られた。
嵌められたのだ、あまつさえ目の前の青年に。守ろうとしていたはずの対象によって裏切られたと言っても正しい。
2重苦とでも言おうか。ヘルメリルにとって明人の行動はこれ以上のない落胆を味わわされるものだった。
しかし彼は己がまるで正義であるとばかりに飄々としている。
「これは滅ぶ直前のさらにちょっと前に人間がやってたことなんだよ。世界が文化ごと崩壊しそうになっても、もし自分の国が無事なら覇権がとれる。そう考えてみんな仲良く地獄に落ちた脳無しがいたんだ」
もちろんオレのとこじゃないぞ。そう付け加えてから端で焼き菓子をひょいと頬張った。
――王の器足りえん者を頂点に据えた民の末路か、あるいはそうならざるを得なかったのか。
ヘルメリルはヒールの先端を揺らしながら話に耳を傾ける。
とはいえ他世界の話は退屈ではない。むしろ探究心をチクチクと刺激してならないのだ。なにせ種族同士の戦争を終えた大陸にとっても他人事ではなかったから。
なんとか立て直せたものの1歩でも間違えれば異世界と同様の末路を踏むことになっていたはず。そのすべての絶望をひっくり返してみせたのが目の前にいる真の英雄なのだ。
「……なぜそこまで死にたがる? なぜ己を自らの手で追い詰めるようなマネをする……」
だからこそヘルメリルは見捨てられない。
受けた恩と借りのすべてを返せる日がくるまでみすみす見逃してやれるものか。
「貴様は己の世界が滅ぶ様を見届けたのだろう。しかし代わりにルスラウス世界を救ったのだ。なんらかの重荷をその身に背負っているのならば我々に話せ」
「話せと言われてもな。困ったことに話したところでどうこうなる話でもないだよ、これがさ」
「魔法すら禄に使えぬひよっこ如きが我々を見くびってくれるなよ。こちらの世界の連中は貴様が予測するであろう数倍以上の働きを返すぞ」
こちらが真剣な話をしているにも関わらず、相手はそうではない。
明人はへらへらと締まりの悪い笑みを浮かべつづけている。
それが彼にとって本当の顔なのだろうか。普通に生き、普通に暮らした、普通の青年。世界なんて渡らず。ましてや闇の襲来すらなければそのように笑えていたのか。
「……ちっ!」
とにかくヘルメリルは気の抜けた友の顔にイライラとした感情を募らせていた。
だが怒鳴るような頭ごなしでなんとかなるタマでもない厄介な相手である。
とにかく少しで良いから腹のうちを探らねばならぬ。その役割を頼ってくれた他のLクラスたちのためにもだ。
「なぜ敵が貴様のみを狙っていると言い切れる。我々大陸種族も奴らに殺意という煮え湯をたんまり飲まされたのだからこちらへ無感情というわけでもあるまい」
見下しがちに首を転がしながらヘルメリルが低く問と、カルルも1歩ほど歩みでながら主の援護した。
「女王様の言う通り連中は我々にも均等に牙を剥いてきました。戦場に立っていたからわかります。闇は決して明人さんのみを狙うというような一貫した動きをしていません」
ピチチだけは丸い目くりくりさせているが、気楽に茶を啜る明人のもとへふたりの険しげな視線が集まった。
そしてしばしの沈黙の後。カップを底まで乾かした明人は、一息つくよう吐息を漏らす。
「斥候が接近しても攻撃してこなかったのはオレがいなかったからだよ。狙うべき人間という対象がいなかったから種族たちへ興味をむけなかったんだ」
それを聞いてヘルメリルはひくり、と長耳を軽く揺らがす。
「それは極少数での攻撃だったからこそ反撃をしてこなかっただけだ。敵もこちらに猛攻の気概がないとわかっていたのだろうさ」
「明人さんもきっと戦場の空気に当てられ気づかぬうちにナーバスになっているんです。ただ数回の接敵で人のみを狙うと断言すべきではありません」
ここぞとばかりにエルフふたりで畳み掛けた。
きっと彼は人を狙うという点に負い目を感じている。だから自分さえいなければ闇はもう大陸に現れることはないなんて言いだす。
では人を狙っていないという証明さえできれば良い。そうすれば明人自らが上っていってしまった断頭台から引き摺り下ろすことが出来る。
「ふぁぁ……まったくみんなして、そうなんだから……」
上にむかって伸びをした明人は大口を開いて大あくびした。
まるで気のない他人事。対岸の火事を野次馬するような態度。
これにはさすがのヘルメリルでさえ眉間にシワが寄る。
「真面目に聞いてください! 私たちはアナタを助けようとしているのですよ!」
しかしどうやらカルルのほうが我慢の限界を迎えた。
温厚である彼が今日2度目の拳をテーブルへと叩きつける。
そしてカルルはやりきれない怒りを爆発させ、もういっぽうでも驚いたヘルメリルは肩と耳をぴくっ、とさせた。
「こちらの願いはアナタを死なせたくないだけなんです! つまりアナタにはこの大陸で生きてほしいと言ってるんですよ! この世界を救ってくださった人間という種族へ恩を返したいんです!」
まるで道を違えた友を叱るような感じ。
それでいて己の伝えたいことを直線的に伝えていく。
コレばかりは同性で馴染みあるカルルにしか絶対に出来ないこと。友だからこそ言えること。
「それなのになぜ明人さんのほうからこの世界を離れようとするんですか!? なぜ私たちの願いを不意にしてまで闇のなかを目指してしまうのか!?」
カルルは言い終えてなおもたじろぐことはない。
トドメとばかりに机上へ手を振り落とす。鬼のような形相で明人を睨んだまま喉と肩で呼吸を刻む。
「ふにゅう……? ふにゅうがどっかにいっちゃうッす……?」
震えたか細く幼い音だった。
ランタンに塗られた濡れた青い瞳がゆらゆらと涙を滲ませる。
「なんでオレがどこかにいっちゃうと思うんだい?」
「だって……ふたりが真剣に止めようとしてるッす。つまりすごく危ないことしようとしてるからじゃないんスか……?」
明人は、涙目で見上げてくるピチチの頭へ手を乗せて静かに撫でた。
夜泣きする赤子の頬を撫でるよう。繊細に指の間で青い髪を梳いていく。
「ただちょっと家に帰るだけさ。それで発生しまくったゴキブリの大群を始末するだけだよ」
「――明人さんッ!! 貴方の命もかかっているのですッ!!」
おそらくカルルの説得は1ミリも彼の心に届いていないのだとわかる。
臆病者が臆病ではなくなった。臆病だったがゆえにその魂は肉体へと繋ぎ止められていた。
ヘルメリルは、初めてであったあの日から舟生明人という人間の在りかたを、知っている。
『イージス隊所属、イージス3、宙間移民船造船用4脚型双腕重機3号機ワーカーの操縦士をしている』
彼はあの日からずっとルスラウス世界でそうやって生きてきた。
名前、所属、そして操縦士。舟生明人という人間は世界を越えてなお、臆病でありながらも、操縦士でありつづけていた。
「……生を望む友の声が聞こえぬほど耳が遠くなったか……はたまたそれほどまでに遠くへいってしまったのか……」
ヘルメリルは遠くない過去を脳裏に巡らせながら茶で口を湿らした。
組んでいた脚とカップをテーブルへ静かに戻す。落ち着きのあるモダンな絨毯にヒールの踵を沈め優雅な所作で立ち上がる。
側近として勝手知ったるカルルが「じょ、女王様?」どうやら異変に気づいたらしい。
「それは信ずる連中に対しての裏切りに等しい行為だと――……なァぜ気づかんのだァ?」
血色の瞳が剥かれ絨毯の底から闇が噴出する。カルル以上に鬱屈させた怒りを眼光に秘めて対面の明人へ放つ。
魔力が暴発し、闇が渦を巻き、部屋一帯に立ち昇った。それのみで室温が5度下がるような寒気を生む。
あまりの恐怖に貫かれたカルルは即座に姿勢を正す。ピチチは目を瞑って人の身体へひしっと縋りつく。
「黙って聞いてやれば身勝手ばかりをノタマウ。自分勝手もそれまでにしておケヨ」
影をまとった彼女の姿は呑まれ、血色の瞳だけ。ただ2つのみが煌々と浮かんだ。
あちらにはあるかもしれぬが怒りを測る機材なんてこの世界にない。ゆえにカルルの怒りと彼女の怒りの度合いというものを明確にする技術は存在しない。
ただひとつ言えることは彼女もまた人の友であるということを誇りにもっているということだけ。
「これ以上の戯言を抜かすのであればこちらにだって幾億の手段ということを忘れてくれるナヨ?」
大陸最強の魔法使いによる莫大なマナの膨張による威圧だった。
肺が圧迫され呼吸が止まるほどの重圧。部屋は一瞬のうちに彼女の作りだす闇へ呑まれた。
それでもただ1人だけは靴を脱ぎ革張りの上であぐらをかいている。
「んっ、だなぁ」
「……ナンダト?」
明人は、ヘルメリルの重圧に屈さず。
ゆるく首を横に降って黒い髪をはらはらと散らしながらどころか唇で薄い笑みを作った
「ありがとうな」
「……なんの礼だ?」
「出会ってからずっと今この瞬間までのぜんぶに感謝してる。これは嘘じゃない」
「……っ」
ヘルメリルが感謝の言葉に虚を突かれ、僅か怒りを曇らせた。
なにせそこには微かに薄らぐ闇のなかで青い瞳が2つ。自己を主張するが如く、くっきりと浮かび上がっているのだ。
それは意志の現れ。彼にとっては無意識的であり反射的な能力の現出。曲がらぬ意志の象徴。
「次から連中は本気でオレをさらいにくるだろう。あるものすべてを引き換えにするくらいの全力で来るはず」
なおも明人は笑う。
蒼を鮮明にまとって偽りの闇を照らす。
純真なまでに蒼き眼を細めて柔らかく、友へと微笑む。
「なにせ……捉えた人間も、宙間移民船も、人間に求めて奪ったものすべてを失ったから。そうなるともうオレみたいに1つの目的しか見えない盲目になる」
――ああ……なんてことだ。
ヘルメリルは語らずして発動させた魔法を解く。
小芝居を打ったていどで彼の意志を曲げさせることは不可能だと気づく。
だから室温を下げる氷の魔法も、演出に使った不可視の魔法も、もう必要ない。
――こんなことなら……っ、違う!
そう、思うのはそれこそ勝手だった。
彼を戦場に引き込んだのは、誰でもないヘルメリル自身なのだ。
だから明人が臆病でいてくれたほうがマシだった、なんて。望むことは己が身に爪を立てる行為でしかない。
舟生明人という人間はもともと英雄ではない。ならばなぜ彼が英雄としてもてはやされるのか。
ヘルメリルは元いた革椅子へと、すとん。膝から力を失うみたいに尻を落とす。
「臆病者を英雄へ作り変えてしまったのは私たちのほうではないか……! それをいまさらになって押し止めるなどと……!」
後悔と自責の念が腸を煮やしてぐるぐると回るような気分だった。
いまさら頭を抱えたところでもう遅い。すべてを人へ押し付け、望んだのは種族たちのほう。
そしてその結果がコレ。臆病な青年はもうとり返しがつかぬほどに勇敢に化けた。死をも恐れず決死を覚悟する蛮勇の英雄になってしまった。
するとピチチが空のティーポットを手にした明人を見て滑らかな青い鱗の尾先を跳ねさせる。
「なんかさっきから紅茶をガブガブ飲んでるッすけど、喉乾いてるんスか? ならもう飲まないわたしのぶんあげるッす」
「お……さんきゅう。高級なお茶だからつい美味しく、て――おっと!」
受けとろうとした明人は手からティーカップを滑らせてしまう。
慌ててもう片方の手で受け止め難を逃れるも、受け止めたほうの手には冷めた紅茶がこぼれ滴る。
「ははっ。ティーカップの取っ手ってなんでこんなに持ちづらいんだろうな。きっと作ったやつは紅茶を飲むためじゃなくてオシャレな自分に酔おうとしたんだ。オレも物作りが好きだからこういう自己表現が上手い作品に憧れちゃうよ」
「まったくおっちょこちょいさんスねぇ~。それに恥ずかしいからって言い訳なんてしなくていいッすいいッす。いまわたしが拭いてあげるからそのまま待ってるッす」
「ならばこちらの清潔な布巾をお使いください。冷めていたため火傷をせずに済んでなによりですね」
些細な小さいミスだった。
しかしながら張り詰めていた空気が徐々にほころんでいく。
「ティーカップは摘んでもつのが正解ッす。それと薄くて口が広いのは冷めやすくするためッす」
「ピチチ様はお若いのに博識でいらっしゃいますね。紅茶は入れる際に熱湯を使うため、すぐお飲みになられるよう効率を計って作られているんですよ」
カルルが軽い拍手を送ると、ピチチはノースリーブセーラーをフン、と反らす。それを見て明人が声を張らないていどにふふ、と笑う。
存在には意味があると同じで意味があるから存在する。ならば人間が世界を渡ってきた意味とはなんだろうか。
――アレのところへ相談をもちかけてみるか。
ヘルメリルは、団らんする友たちを見つめながら強く決意を固めた。
そうやって笑うために生まれてきた人間を還さぬためにやれることをやる。それこそが――……友の役目だ。
亀裂の発生報告は未だ無し。闇が再び予見される前に明人を救う方法を見つけださねば、時が迫る。
――なにがなんでも手を尽くす。手がなくなったとして脚だろうが首だろうがのすべてを使って見つけだしてやる。
この終わりなき戦いに終止符を打つため黒き蝶が動きだした。
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