6話 ともかく真実は残酷で
食後の散歩と銘打ち、リリティアに手をひかれながら連れ出された先は、まるで童話で読んだ世界の如く鬱蒼と生い茂る森だった。
風が囁くかのように木々の合間を縫ってこちらの頬を撫でれば、空に閉じ込められた光が木漏れ日となって大地に降り注ぐ。果実をついばんだ鳥がチチッと鳴けば、それを聞いた仲間たちが枝に集まり団欒をはじめる。
ここには失ったはずの命が、循環し、芽生えていた。
「こっちでーす。迷子にならないようにしないとダメですよー」
「ちょ、チョット待ってもらえないかな!? そ、その、手とか引っ張られると!?」
「なにせはぐれたら死んじゃいますからねぇ。お手々繋いでレッツゴーです!」
森の地理に詳しいのかリリティアは明人の手を引きずんずん前へ進んでいってしまう。
パーティドレスのような衣装の腰に帯びている細長い棒は剣のおもちゃか。これほどまでに森に似つかわしくない格好もそうそうお目にかかれない。
葉の隙間から漏れる筋がリリティアの晒された首筋に陽光の斑点を作るのを見て、明人は握られた自身の手が僅かに汗ばむのがわかった。
ともかく目前に広がる信じがたい光景は、しだいに人の心へと予感めいたざわつきを胸のなかに落とし込んでいく。
「ここは……?」
喉から絞り出したうろんげな掠れはリリティアの耳に届かなかったのか答えは返ってこず。
ただ、ほんの少しだけ握られた手のぬくもりが増した気がした。
「ねえ」
リリティアに手を引かれながら振り返ると、まるで森に溶け込んでいるかのように緑の長い髪を尾のようになびかせて歩くユエラがいた。
長い耳を上下に揺り動かす。眼差しはやはりこちらを睨むかの如く鋭い。
「さっきも聞いたけどさ、なんでアンタ泣いてたの?」
「えっ? ――あぶなっ!」
なれない自然のなかで出張った木の根に足が引っ掛かった。
それでもすんでのところで立ち直る。先導者に歩調を制御されているためよそ見は許されない。
「ごめん。もう一回いいかな?」
「だからぁ、なんで寝てるときに泣いてたのか聞いてるのよ。私それが気になって見てたんだから」
網膜に焼きついて離れない白い太ももを思い描きながら、明人はとりあえず肩をすくめてみる。
思い返してみれば、朝もまったく同じ質問をされた。が、やはり記憶にはない。
「別にオレは泣いてないけど?」
「寝てるときに泣いてたんだって言ってるでしょ! それで……その、どうしたのかなって思って近づいたら――空! 旭! って言いながら飛び起きたんじゃない。びっくりしたんだから」
ユエラは気恥ずかし気にもじもじと自分の指を絡ませた。
彼女なりに心配をしているのだろうか。高圧的な態度とは裏腹に存外いい子なのかもしれない。
「そう、だなぁ……なんだか悲しい夢を見た、ような気がするんだ」
朝よりは明確だが、未だ不鮮明で曖昧な記憶。
「悲しい夢? 泣いちゃうくらい悲しいってこと?」
「……うーん。兄弟のように育った友達が1人づつ遠くにいっちゃうような、そんな夢だったかな?」
ねばりつくような闇。
閃光となって弾けて消えていく仲間。イージス隊の面々。
その後を追うこともできず、ただ泣き叫ぶことしかできない自分がいて。
明人にとって考えうる限り最悪の結末でしかない。
「そう……そうね。それは……確かに悲しかもしれないわね」
ユエラは切れ長の目に悲痛な色を浮かべうつむきがちに唇を噛んだ。
横顔が曇るのを見た明人は、失言をしたことを後悔する。
「あ、ごめん。そんな大したことではないんだよ。ただそういう夢を見たってだけの話だし……はははっ」
この地球上で心に傷を負っている人間は少なくない。というより大多数が親子の縁すら絶たれてままならぬ。
きっと彼女もそういう類なのだ。
――随分しつこいと思ったらこの子もトラウマもちか。これはちょっとしくじったな。
空港の滑走路に点在する布やビニールで急ごしらえしたずさんな住居に、食料や物資が不足している悲惨な環境。友人や家族が次々に消えていく終わりのない憎しみの連鎖。無論そのような環境で心が折れてしまう人も少なくはない。
そんななかで明人が自身を保ってこられたのはひとえに友の存在だった。
ときに肩を組んで涙を流し、互いに寄りかかるように励まし合い、戦い、同じ死を約束した戦友の存在のおかげだった。
「初めは、ただの好奇心でした」
「ん?」
ふと、重々しくもあり、それでも凛々しい声がした。
明人は不意に聞こえてきた声の方角へ首を戻す。なおも手は繋いだままで、ようやく見えたリリティアの横顔はやはり美しい。
でしょうね、と茶々を入れようかと思った明人だったが、空気を読んで自重する。
しょせんは重機操縦士であり、ただの一般人。使い捨てのコマを彼女が助けて利を得ることなどないはず。
「ユエラになんらかの変化をもたらしてもらえればと思っていました。ですが……」
リリティアは途中まで言いかけ、結ばれた手に痛いほどの力がこもった。
ふと明人は彼女の見つめる先を目で追うと、森の奥で金色の輝きがあふれていた。
それらは秋空の下に栄える稲のよう。実り頭を垂れて波打つ行く先いっぱいに草原が広がっている。
そのちょうどその中央で威風堂々と佇むは愛機。
「あ、あああ……あああ……!」
宙間移民船造船用4脚型双腕重機ワーカーだった。
周囲に転がる鉄くずを見て、明人の体からさっと熱が奪われていく。
「貴方はきっと、アレに乗って私たちの知らないどこかからやってきた。違いますか?」
繋がっていた手がようやく解放されるも、しだいに大きくなっていく鼓動を胸に、明人は現実を受け入れることができない。
「嘘だ、嘘だッ! あれは……――ッ!」
張り詰めた弦がぷつりと切れ、記憶が津波のように押し寄せてくる。気づけば明人は草原にむかって駆け出していた。
「あっ! ちょっと! なにいきなりとり乱しているのよ!」
ユエラの制止の声を背に受けてなお、大地を転がるようにして明人は走った。
足を繰り出すたびに白い胞子が宙を舞う。
「そんなっ、そんな……そんなバカなことってあるわけないだろ!?」
しかも1機のワーカーを囲うようにして、戦友のものと思わしき機体が残骸となって無残に転がっている。
明人の記憶。失っていた最後の欠片は仲間の死をもってして完成へと至った。
「嫌だッ!! オレを――オレをおいていかないでくれッ!!」
忘れていたのではないのだ。
心が壊れてしまわぬように鍵をかけていただけだった。
こみ上げてくる感情に嗚咽し、吹きすさぶ風をきりながら明人は最悪の幕はすでに下りていたことを思い知る。
世界はもう終わっていたのだ、と。
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