594話 そしてLクラス、英雄の弟
戦時にて兵とは宝石ほどの価値がある。
屈強な身体と崇高なる精神によって磨き上げられた戦士こそ戦場の主役と呼ぶに相応しい。
だからこそそんな彼ら益荒男共が熱く強く振る舞うには兵器以上に整備を欠かしてはならぬ。
「う、うめぇ! うますぎて永遠に食えそうだ! 戦場でこんなうめぇ飯が食えるなんて夢にも思ってなかった!」
「こんなに美味しいシチューを食べたのははじめてだわ! 高級料理店ですら跪いて教えを請うレベルの完成度よ!」
肉と野菜を形が崩れるまで長い時間煮こんだ料理に舌鼓を打つ。
うまい、うまい、と。草っ原で車座になった兵たちが口々に感想をこぼす。
その巨大な円の中心で猛威を振るうのは言わずもがな。料理スキルでもLクラスである。
「お鍋の火力が弱いです! お肉が足りないです! お野菜ももっともってきてください!」
リリティアは、バタバタと駆けずり回る給仕たちへ指示を飛ばしていく。
すると給仕たちも怯えるどころかここが我が戦場とばかりに機敏な動きで応えた。
「エーテル族メイドチームとドワーフ族ミニマムチームは荷降ろし! 複合種族の女中は下処理を手早く! お手伝いの龍族は魔物の解体処理を急いで!」
「たったひとりの剣聖様に遅れをとるんじゃない! なにがなんでも食らいついて生き残った兵たちに美味しいお料理を提供しつづけるのよ!」
的確な指示の下、卓越した判断力で行動に無駄がない。
台車の荷台から兵糧の詰まった木箱をリレーするみたいに下ろしていく。獣の爪で根菜などの下処理を瞬く間に済ませる。手伝いとして参加したセリナも尻肉がはみだすほどのプリーツスカートに着替えで「うーっ!」と元気に鳴いた。
そしてみなが一丸となってリリティアの舞う野外調理台へ大量の食材を提供していく。
「ククク、兵士の管理に必要なものとは! それは旨い飯と大量の酒! 以上だ!」
ヘルメリルは、野営にて休息楽しむ兵たちを満足気に眺めた。
うまい飯が食えれば兵は戦える。怪我をしたなら回復魔法で癒やせば動ける。これらは戦の基本である。
あとは浴びるほどの酒があれば尚良い。全員が、とまではいかずとも酒は辛さや悲しみを濁らせてくれる。
言わずもがな兵たちは我先にとばかりに胃を満たすのに必死だった。
「今日の敗北は明日の糧だ! あの攻撃を前にして生き残ったことを掲げて乾杯といこうじゃないか!」
「ラーラーララー♪ 偉大なる祖父ルスラウス神へ美酒を与え給うた感謝の歌を捧げましょう!」
数名はとうに食事を終え酒を流し込みながら宴会をはじめている。
悔しいから飲む者もいる、悲しいから洗い流そうとするものもいる。そこに強い弱いは関係ない。
しかしこういった光景は場合によって背徳とも捉えられることもある。戦場に慣れぬ者にほど不謹慎に映ってしまうもの。
「こういうときにお酒っていいのかな? 戦争の後とかになるともっと厳粛なイメージがあるんだけどさ?」
やはり気になるのか。ディアナは木匙を齧りながらボヤく。
対して降りかかるのは「なにを言うか小童が」偉大な女王からの叱責だった。
「くっくっく。酒なくして明日の希望なし。王を名乗るのであればそれくらいは学んでおけ」
「えぇ……お酒なんて身体に悪いだけじゃないか……」
への字眉で文句を言うディアナ。
しかしヘルメリルは口角をうんともちあげて紅の半円を描く。
戦場で酒は欠かせぬ。酒というものは兵にとっての薪であるのだ。
「よく咆えたな? ならばここで授業をしてやろう? 良いか若造?」
指をくるくると回しながら新米王へ戦上手の説法をくれてやることにする。
「酒は高揚した戦士たちの緊張を適度にほぐしてくれる。さらに酔いは身体を休めるための睡眠導入にも一役買う」
これぞ酒が百薬の長とも呼ばれる由縁だ。
兵は、酒と飯さえあれば、明日また勇敢に戦えてしまう。すなわち原動力というやつである。
これにはディアナもさぞ驚いたとばかりに目を丸くするしかない。
「眉唾もののまっとうな理由じゃないか!? もっとフザケた感じかと思ってたのに!?」
「これのどこが野蛮だというのか。どころか癒やしの女神の間違いだろうよ」
知るものと知らぬものの差というやつだった。
戦を経験したやり手が盤上のみの戦しか知らぬ者に負ける道理なし。なにせ戦とは容易に駒を進めもしなければ落とせもしない。兵の命は1つ限りである。
ヘルメリルはすくみ上がる若造を前に気分良くしたり顔を晒す。
「それ以外にも気つけや、傷口やら武器に吹いて清潔さを保つことにも使用できるな。これほどの万能を戦場にもちこまぬは愚かと言わざるを得んよなぁ」
「す、すごいやこれはいいことを聞いたぞ! つまり労働が厳しい環境なら日の終わりに酒を提供っていうのも1つの手なのか!」
「ククク、自分本位だった兄とは違って飲み込みが早いじゃないか。それと楽器なんぞをそこらに転がしておけばあとは猫じゃらしよろしく勝手に遊びだすって寸法だ」
でも飲ませすぎは注意だがな。そう言ってヘルメリルはグラスの葡萄酒をちびりと舐めた。
涼やかさと兵の歌声が広大な平野の至るところで響き渡っている。中央に焚かれた火の鳥が踊り、豊かな食卓の香りが夜に相応しい安堵をもたらす。
胃が満たされれば肩の荷が降り瞼がとろりと溶けはじめる。明日また目覚める喜びを胸に今日を終えるのだ。
それに戦った後もずっと重しを乗せていたらゆくゆくは潰れてしまう。つまり兵だろうが王だろうが関係はなく、オンオフこそが寛容なのである。
「お酒ってあんまり好きじゃないけどそんなにすごいものだったんだねぇ。そうなるとやっぱり聖女様のところやカラム王のところでもそういう使いかたってするのかい?」
ディアナは設えた別のテーブルへ天蓋となった夜空より瞬く瞳の星をむけた。
するとテレーレとカラムも煙たがる素振りすら見せずに頷いてみせる。
「ええ、兵たちの心身を管理するのも王の仕事ですからね。戦時中では兵あっての王であり、そうでないときは民あっての王です。突き詰めると国策と戦はとても良く似ているんですよ」
「なにせ兵の慰労は作戦の要ともなる。どう攻めるか守るかを考えると共に、そちらもまた重要な課題のひとつであるからな」
実益を備えた王たちが発するのだから言葉の重みが違った。
若き才覚にとって種に新鮮な水を与えられたと同義。
「戦と国策かぁ! 言われてみれば確かに兵も民のひとりだもんね! なるほどなるほど含蓄あるなぁ!」
ディアナは先輩の教えに感動を覚えたみたいに何度も何度も頷いてみせた。
それから思いだしたかのようにシチューを口に運ぶ。
「はぁぁ……このシチューも美味しいなぁ。戦場なのに我が家より贅沢だなんて罰が当たりそうだよぉ……」
妖精王ディアナ・L・ルセーユ・シェバーハは発展途上だった。
そのうえ格好は泥と油だらけに汚れた神聖さの欠片もない法衣である。食卓の横には鉄でできたなにやらかの締め具を肌見放さず持ち歩く。
彼は今や妖精王だった。王座を暖める立場にある。
にも関わらず質素と言うか貧相と言うか。とにかく王という高貴なる立場に馴染まない少年だった。
――弟とはな……兄のディクラと比べてこうも生きかたを分けるか。
しかしヘルメリルはそれでも良しとしていた。
記憶の齟齬に若干の違和感と愉快さを覚えつつある。
兄である癒やし手のディクラとヘルメリルは面識があるどころでは済まない関係だった。なにせディアナの兄ディクラは共に龍の住処へ赴いた勇姿のひとりである。
それが死してなお化けてでたかのような瓜二つの容姿。兄の影を弟に重ねてしまうのも仕方のないこと。
――兄は小生意気な餓鬼だったが実力は十二分にあった。と、すれば弟はいったいどうなのだろうな。
これにはヘルメリルとて期待半分といったところ。
兄のディクラは、《白き風》というレガシーマジックでの範囲回復魔法を発明したという偉大な功績があった。
反して魔法の才能がない弟ディアナは、技術や発展という面で発明を期待されている。
――重圧に負けぬだけの胆力をこの小さな身体に有しているのか。あるいは容易に他者へすがり手放すか。これは見ものだな。
天才兄と凡才弟。しかし同じ立場にいるということはきっと血が争えないという証拠のはず。
兄は狂乱の末絶望の谷へ身を落とした。弟も同じ道を辿ろうとするかは運否天賦だろう。
そして幼くも無垢そうな瞳が、思考するヘルメリルを捉えるなり、ニンマリと子供っぽい笑みを浮かべる。
「そういえばこっちの会議はさっき済んだところなんだよね。他方の王たちが決定した方針もまあまあってところだからそれを今からお話するよ」
くらり、と。ヘルメリルでさえ目眩を覚えてしまいそうな無邪気すぎる微笑みだった。
兄ディクラにはなかった別の顔。穢れず、純真無垢な少年の顔。
――我らが築き上げた世代がこの笑みを曇らせぬことを祈りつつ見守るとしよう。
しかし惑わされてはならぬ。妖精の雄といえば見た目も中身も幼いまま。騙されるとすればどこぞの品のない黒狐くらいなもの。
ヘルメリルは眩しさに負けじと、椅子に浅く腰掛けながらふんぞり返って足を交差させる。
「ならば発言を許してやる。話してみろ。眠くならんような意義ある報告を期待したいところだがなァ」
頬杖をつきながら白い顎を尖らせた。とくに理由なく葡萄酒を回し、回す。
相手が王ならばこちらも王。それもこちらは王として熟れに熟れていた。
年輪の違いと言えば桁すら違ってくるほど。新参者の妖精王へ格の違いを見せつけてやる。
それをニーヤとゼトは卓を同じくしながらもジト目で眺めている。
「うーわ……でたにゃでたにゃ。メリにゃんの悪い癖新入りイビリにゃ。しかも会議をひとりだけブッチしたくせにめちゃくちゃ偉そうにゃ」
「これこれニーヤよやめておけぃ。こんの性悪エルフは生まれついての性悪じゃて。昔ワシのケツがこの性悪の悪手になんぼしばき回されたことか……数え切れんわい」
部外者は小うるさいが、コバエと同じく無視。
ヘルメリルは見る者にとっては恐怖を覚える笑みでディアナを見下す。
「これほど時間をかけて烏合の衆が語り合ったのだから弱点のひとつでも割りだせたのだろうなァ? 龍と840機構をもってしても上回れなかった再生能力の看破法をよォ?」
烏合呼ばわりされたテレーレとカラムもまた慣れているのか素知らぬ風を決め込んでいる。というより相手にすらしていない。
しかしこの無茶振りに対して、新入りからの回答は「ああ、うん。まあね」ときたものだ。
ディアナは、意図的に威圧するヘルメリルに臆した様子もなくつづけた。
「さすがにまだ詰めなければいけない箇所が多いから看破と言い切れないかな。だけどいちおう反撃の目処はたったかもね」
「……ほう? ……嘘つきは嫌いだぞ?」
「嘘かどうかは話を聞いた後にそっちで決めてくれてぜんぜん構わないよ。王としての経験が浅すぎる僕に出来ることと言えば、キミたちに思いついた奇策なんかを伝えることくらいなものだからさ」
「む……むぅ。そ、そうか……殊勝な心がけは関心だ」
出鼻を挫かれたヘルメリルはとりあえずもう黙ることにした。
予想では、涙を浮かべるほどの焦りと幾度とない謝罪が同時に返ってくるはず。だったのにまさかの回答がディアナから飛びだしてはもちあげた長耳を下げるしかない。
「ゼトじぃ見るにゃ、メリにゃんが押されだしたにゃ。ああ見えて意外と予想外の事態に弱いにゃ」
「知っちょる知っちょる。なまじ熟考して行動に起こす女じゃからな。不意をつく方角の攻めにとんと弱いんじゃ」
するとここぞとばかりにニーヤとゼトがひそひそ密談を交わす。
「やかましいぞそこの肉玉毛玉の畜生コンビ! それに貴様らは遠回しに会議の戦力外通達されていることに気づいてないのだな!」
付き合いが長いだけあって勝手知ったるといった感じ。
ニーヤもゼトもヘルメリルも繋がりをもってそこそこ長い。だからこうして真剣な話し合いに茶々を入れてくる辺りそれもまた考えものではあった。
だがこうしてフザケないとやっていられないという一面もあるのだ。敵があまりにも強大かつ不沈であるから。
ヘルメリルは緩んだ空気を「とにかく、だ」引き締め直し、ディアナのほうへ眼差しを向け直す。
「あの兵器共を如何様にして根絶やすというのだ? 攻撃をした端から再生されては張子の虎の堂々巡りとなるのみぞ?」
ここからが本番。王としては空気とともに気も引き締め直さねばならぬ。
本当に移民船型の対処法が見つかったというのならば勲章もの。逆に嘘なら懲役ものである。
「それだよそれ。その兵器という考えかたが罠なんだよ」
するとディアナは油に汚れた指をぱちんと弾く。
「あのときの彼の発言がずっと気になっていたんだ。だけどまさかそこに敵の弱点が隠れているとはね」
「彼……えぬぴぃ――明人のことか?」
「そう。その彼の言っていた目の数こそが敵攻略のヒントだったんだよ」
ヘルメリルはぷるりと長耳を振って、虚空へ思いを巡らす。
敵の目の数。それは人間が異常に執着していたところでもある。
「そういえばNPCのヤツがやたらと目の数に重きを置いていたな。それと確かに敵の形態によって瞳の数にブレが見られたのも事実か……」
札による対話はあるていど共有されていた。だからヘルメリルも、ディアナと明人の会話を聞いていた。
そのなかで人は敵の手足の本数や瞳の数を逐一報告している。尋ねてもいないのに関わらず、まるでそれが癖であるかの如く。
ヘルメリルは白く長い指を薄い桃色の唇へと添える。
「手足は形態の確認だということはなんとなく理解できなくもない。が……あの切羽詰まった状況で目の数を気にする理由とはなんだ?」
「つまり目が多いとそれだけあぶにゃいってことじゃないのかにゃ?」
素っ頓狂な欠伸声が真剣な語らいに割って入った。
ヘルメリルは、地べたに這いつくばって獣の伸びをするニーヤを、湿っぽくじとりと睨む。
こちらで真面目な会話をしている。というのに話の腰の折られてはたまらない。
「それだよそれ! おそらくだけど彼は目の数を見ることで敵の強さを測っていたんだ!」
しかし驚いたことにディアナが「大正解!」あろうことか丸白い尻を天に突きだす間抜けな獣へ賛辞を贈った。
これにはさしものヘルメリルとて眉を寄せざるを得ない。
「……さすがに冗談ではないぞ? 王と名のつく連中が集いも集って無能に置き換わったというのでれば話は別だが……」
目の数が多いと強いなんて見たままではないか。
そんな語らいで満足するなんて会議ではなくただの感想の言い合いではないか。
なによりそれは敵を倒すための議論ですらないのだ。目が多いと敵が強い、なんて。解決法ではなく、ただの事後報告ではないか。
「冗談なんかじゃないさ。しかもさっきアナタ自身が口にした兵器という単語こそが最大の間違いであり論点でもあったんだよ」
しかしディアナもまた引くことはない。
食べ終えた空の木皿へ木匙を弾き入れる。器用に弾かれた木匙は皿の淵にそって円を2周ほど描いて止まる。
つづけて食べかすで汚した口端でニヤリと笑む。
「残念なことにアレはもはや兵器なんて生易しいものではない。しかも僕らを攫って研究につかうどころか殺意をむけていたことから考えるに……進化は人種族の住まう世界で済ませ終えたということだろうね」
銀鉄の工具で木枝の如き華奢な肩を叩き、すらりと白い少女のような足を法衣の裾のなかで組み替えた。
もうすでに世を知らぬ風体ではない。目を細めるだけで利発そうなこざっぱりとした顔立ちが急激に王としての貫禄をまとう。
――ほう、血は争えぬということか。しかも探究心という点においては兄の上をいく貪欲さやもしれん。
ヘルメリルはこの少年がアレの弟であることを理解する。させられる。
似ていぬはずがない、無能であるわけがない。なにせ彼はすでに少年の皮を脱ぎ散らかしていた。
さすがは晩年元救済の導――清浄と探求の王ディクラ・E・ルセーユ・シェバーハの弟である。
これでようやくヘルメリルも対等なる王としての対話が可能となるというもの。
「すでに進化を終えたヤツらにとって我々は無用の長物ということか。なるほどな、戦闘中に覚えた違和感を払拭するには十分な材料ではある」
「それに人種族から学んだのは技術だけじゃない。きっとその結果があのおぞましい生命部分なんだ」
問うまでもないが少々フザケがてらに「生命部分とはなんだ?」問うてみれば「眼球さ」間も明けずに返ってくる。
乾いて乾いて満たされぬという欲望を宿す瞳。ワガママな妖しい微笑もまた、欲望のままに求め、民を率いる妖精王の威光を孕んでいた。
「あの目こそがアイツら化け物にとっての生命を司っている部位であることは間違いない。いうなれば事実上、最大進化の到達地点。だからアレこそが、有した脳に値するというのが僕の仮説さ」
ディアナもまた兄ディクラの血を引いたただのひとりの探求者なのだ。
さらにはテレーレとカラムもまたどこか達観した微笑みを浮かべながらその様子を見守っていた。
「さあここからが対応の詰めだよ。僕の国で好き勝手に暴れてくれた連中をこのまま野放しにしてはおけないからね」
若き芽によって考案された策は、熟練の王たちを頷かせるに足り得る盤石なものであった。
夜は静かに、だが希望をもって更けていく。
昼の空が割れていたとは思えぬほど穏やかな星空だった。
………………




