582話 決戦前夜の眠らない夢 3
「いらっしゃいませーっ! 3名様ですねっ! ではこちらのお席にどうぞーっ!」
少女たちは、惜しみなく晒した肌とよく肥えた褐色の脚で、店内を駆け回る。
丸い腰に巻かれたスカートでもない布が蠱惑な臀部をチラ見せするよう波を打つ。頭にぴょこんと乗ったワーキャットやワーウルフを模した三角耳のカチューシャが彼女たちの愛らしさを加速させた。
こぶりな彼女たちはさながら雛鳥のよう。舌の短いうら若き声があちらからも、こちらからも。それだけでシックでシャギーな埃臭い空間が夢の空間と化す。
「聖都で人気沸騰中の男汁がより美味しくなって新発売でーすっ!」
「その名もなんと豚男汁! ひとくちすすればアナタも虜間違いなし! ぜひご賞味くださーいっ!」
ここはドワーフ国の名所――癒やしのヴァルハラと呼ばれる料理屋。
その名の通りここでは癒やしを提供する。夜には国王自らがカウンターに立つことで――良くも悪くも――話題だった。
艶やかな少女たちが服とは言えぬ服装で右へ左へ。料理を乗せた盆を片手に客へ幸せを運ぶ。
「3番卓のウェポナーの灼熱焼き上がりました-! 手が開いてる人お願いしまーす!」
「はーい! ただ今お運びしまーす!」
万年に渡っての若さを誇る店員が華やかに給仕に勤しむ。
客たちは、少女たちのあふれる笑顔に心を打たれ、衣装からなみなみとこぼれたヒップに目を釘づけにされる。
ドワーフたちの薄い胸を隠すのは頼りない布だけ。隠すというより視線を奪うような魔法で男たちを魅了してやまない。
さりとて俗な見た目とは裏腹に、サービス自体は非常に教育が行き届いていた。
「こっちの注文よろしく! 極男セット2つにプリチー盛り2つ頼むぜ!」
「5番さんにゴクつー! それと店長つー! あとスタンプカードで男汁サービスつー!」
喧騒のなかでもよく通る声が厨房へ吸い込まれていく。
と、奥からも「りょー!」タイムラグなく返答が返ってきた。
これも店長であるミプリー・キュート・プリチー為せる技か。王と女王2つの顔をもつ漢が作り上げたフィールドこそ癒やしのヴァルハラなのだ。
店は鼻の下を伸ばした男たちやら冒険者やらがすし詰めになるほど。控えめに見て大盛況である。
「食うんだ……キューティー!」
「あ、あのあの!? こ、これほんとうに試食するのわたしでいいんですか!?」
しかし本日の主役を務めるのは彼女たちだけではない。
場違いな青年が手ぬぐいと襷を帯びてカウンター席の向こう側にいた。
正面にもっちりとした尻を座席に落ち着けるは、当店人気No.1と名高い店員。源氏名キューティー・キャットだった。
「これが今オレに再現出来る和の調和だ! さあ日の本の誇りをしかとルスラウス世界に響かせてくれ!」
「あ、あのう!? 本当にわけがわからないんです!? も、もも、もっと説明していただけませんか!?」
「習うより慣れろだ!」
「意味がわかんないです!?」
そんな2人に対し、なんだなんだと。
客どころか店員すらとある1点に活気を注いでいる。
店員である双子もまた双子もまたフリフリ衣装に身を包みながら、その様子を遠巻きに伺う。
「で、なによあれ? 新しいいじめかしら?」
「べ、別にいじめてるわけじゃないんじゃないかなぁ……?」
サナ・ロガーは、くびれの辺りに手を添えながら長い人差し指で髪留めをくるくる回す。
「お願いされてだしては見たけど、確かあれって土鍋とか言う調理器具よね?」
抑揚のとれたナイスバディーは癒やしのヴァルハラにしては珍しい。
なにせ彼女はドワーフではなくヒュームである。成長という時を止めてしまう幼子の中ではすらりと長身で良く目立つ。
その傍らでも同じ顔がもうひとつ。横結いの髪がぴょこんと跳ねている。
「あれってフニーキさんがここに寄付したらしいよ? たしか七輪なんかも無償でお店に贈ってくれたんだって」
傍らのルナ・ロガーもハラハラとして面持ちで様子を見守っていた。
似た顔がふたつ。どちらも色の白い肌をしてシミひとつとしてありはしない。
肉感もたわわに実り、およそわがまま。奴隷街で身をやつしていたころと比べれば質も肉付きも大人と子供ほど違って健康的になっている。
「それでクロトあれってどういう騒ぎなのよ?」
そんな2人の間にはクロトが座っている。
「んむっ? ひょっほまっへへ……」
パンと肉を交互に頬張っていたところ。サナの問いかけにもごもごと答えられず、水でお喉に押し込む。
しかも急いで食べていたせいで彼の口の周りがソースでとろとろに汚れてしまっていた。
サナがため息とともにクロトの口を清潔な布で強引に拭う。眉を吊り上げながらも面倒見が良く甲斐甲斐しいともっぱらの噂。
「だからなんでうちの看板娘が仕事の手を止めさせられてるのかって聞いてるのよ。これでも結構忙しい時間帯なんだからね」
「試食会だってさ。フニーキさんの母国で良く食べてた……おこめ? とかいうのをキューティーさんへ無理やり食べさせようとしてるらしいよ?」
「お姉ちゃんはああいってるけど、私たちもクロトがきたからこうしてサボってるし、棚上げもいいところなんだけどね」
クロトが女装しているということもあって美貌は、双子にすら引けをとらぬほど。
知らぬ者にとっては、きっと美女が3人で雑談しているように見えたことだろう。
「い、いい、いただきましゅっ!」
まごまごしていたキューティーはようやく腹を括った。
野次馬たちも緊張の面持ちでゴクリとつばを飲む。
尚なぜ彼女が試食役に選ばれたのか。それは明人が店に飛び込んでからずっと背中にくっついていたから。手近なところに生贄がいたというだけ。
「さあ忌憚のない意見を聞かせてくれ! いざ実食!」
「ご、ごくり! そ、それじゃあ蓋を開けます!」
キューティーは、明人に急かされながらも、土鍋へとうら若き手を恐る恐る伸ばしていく。
土鍋は以前明人が作って店に寄付したもの。円盤状の肩に配合した土を被せて焼いた陶芸の真似事である。
それもまさか大陸で野生の米が手に入るとは夢にも思うまい出来事。これはひた走ったことへの神からの極上な感謝と捉えるべき案件であろう。
しかも存在していたのはただ1つ。唯一捜索の地域から抜いていた大陸東に位置するドラゴンクレーターだった。考えてみれば水が綺麗でかつ温帯なあの場所ならば米がある確率は非常に高い。
「わ、わあ! こ、これが――おこめさん!」
上げた蓋と鍋の隙間から特濃の湯気が広がった。
キューティーのみならず周囲からも感嘆の吐息が聞こえてくる。
これには明人も一同を眺めながら満足げにコクリと頷く。
「ま、白米じゃなくてタイ米だったんだけどね。インディカ米じゃなくてジャポニカ米がほしかったけど贅沢は言ってられないよな」
求めていたものでなくとも米は米。日本人としては歓喜せずにいられないのも事実。
さらに突き詰めれば品種改良が施されていない純粋な米である。粘りは少なく甘みも淡い。
「どこかの虫の卵によく似てますね! し、白いつぶつぶです!」
「おいこらやめろ。日本人じゃ絶対にもたない疑問を口にだすんじゃないよ。いいからさっさと食べなさい」
キューティーの無垢な瞳にさらされながらも、明人は食べるように指示した。
鍋蓋を開けきればとうとう米の登場である。一斉に立ち上がった米からは拍手喝采が聞こえてきそうなほど。万の米たちがオーケストラのフィナーレを迎えたかの如く蒸された熱気と湯気をわぁ、と立ち昇らせていた。
それをキューティーはばってんを作った箸で僅かばかり摘む。そして明人と米を交互に見やりながらも小さく開いた口の中へ運んだ。
「ふん、ふん、ふん。優しい甘さと柔らかい食感。それと癖がまったくといっていいほどなく、大陸では食べたことのない新しい味です」
咀嚼をしつつ米の感想を述べていく。
「確かに主食にするのであれば飽きがこないので合うかも? パンみたいに他の食べ物と一緒に食べれば味が喧嘩しないかも、ですね?」
キューティーは、食べ慣れていない米に若干の戸惑いを表情に浮かべた。
パン食の大陸住民には受け入れ難いのかもしれない。ふっくらとしたパンのほうが食べごたえはあるだろう。
しかしそれは素で食べたときに限る。米はあくまで引き立て役であって裏方の長なのだ。
「ご注文のぉ、かれぇ? とやらが完成です。いきなり飛び込んできたと思ったら作れなんて言われてちょっとびっくりですよ?」
厨房のほうから白い衣に若妻風エプロンの女性が現れる。
手には重量級の底深い鉄鍋。なかからは蓋がされていても薫るスパイシーな香りが漂ってきていた。
救世主の登場に明人は待ってましたと言わんばかりの笑みで迎え入れる。
「ナイスタイミングだ! やっぱりタイ米といえばこれだろう!」
「あら? 明人さんの作っていたそれ……なんか虫の卵みたいですね?」
「そういうのはいいからさっさととりわけて。ソレを米の上にハーフアンドハーフな感じでかけてやってくれ」
呼ばれた女性は細腕で抱えた鉄鍋をカウンターへずんっ、と置いた。
「これが巨龍のもってきたつぶつぶですか。ずいぶんとキレイな見た目に様変わりしちゃいましたねぇ」
彼女は物珍しいそうに米を眺めながらも、そそくさとキューティーの皿にお玉で茶色い液体を注ぎかけていく。
すると先ほどよりもなおのこと強い香りが立ち昇る。香気に道を譲った野次馬たちが再び皿へ注目を集めた。
「さあキューティー! それが完成品の本格インド風ルスラウスカレーだ!」
御覧じてみろ! 明人は確たる自信をもって完成したカレーライスを勧めた。
カレーライスとは、万人に好まれ愛される、万人むけの料理。大陸種族の味覚が人間と同様であればカレーだって刺さるはず。
チョコクッキーにはじまり酒や調味料。人は今までに様々な食文化を大陸へ流入させてきた。が、今回のものは最大の自信作であった。
「はぁぁ……とってもいい香りですぅ……! この剣聖様のお作りになってくださったソースがかかっただけで……! あぁ、お皿に魔法のような魅力が追加されましたぁ……!」
キューティーはカレーの香りにうっとりと眦を下げ、両手で頬を包みこむ。
それから待ちきれぬとばかりに箸から匙に変えてカレーと米の交わる境を掬い上げる。
そしてひとくちほど。口に入れると同時に少女の眼はこぼれんばかり。小さな体がびくびくっ、と電流を巡らせ、どんぐりのようにかっと見開いた。
「…………っ!」
じわり、じわり。丸く剥かれたキューティーの瞳がフチからじんわり濡れていく。
周囲の期待した空気は瞬く間にどよめきへと変貌する。
不味いのかはたまた毒でも盛られたか。憶測が憶測を呼び混乱を呼ぶ。
「……ずずっ! ご、ごめんなさい……!」
キューティーは、鼻をすすりながら匙をカウンターの上に静かに置いてしまう。
涙はすでにとめどない。サナとルナが慌てて駆け寄りその涙を受け止めていた。
それから嗚咽に紛れて聞こえてくる。感想のほどは――
「う、くっ、生きててよかった……! こんな美味しいもの……食べられるなんて! あの時は思ってなかったから……!」
生きててよかった。どうしようもなく率直かつ澄んだ感想である。
キューティーは幼い顔をぐちゃぐちゃにしながらも、懸命にカレーライスを頬張っていく。
見ている野次馬たちもいつしかニンマリと微笑みを浮かべていた。
勝利である。明人は、カウンター側へしずしずとやってきた女性と、息のあったタッチを交わす。
「こうなるとちょっと塩味が効きすぎてるかな?」
「大丈夫ですよ。なにせ暖かくすごしやすい気候ですし塩っけは重要です」
これは2人で作った傑作なのだ。しかもカレーを作ったのは大陸随一とさえ語られる料理の達人。ならば不味いわけがない。
かたやもらい涙に鼻をすする。かたやふくふくとした白餅の頬を和らげる。キューティーによってたいらげられていく皿を眺めて目を細める。
すると、鶴のひと声とはまさにこのこと。たまらずといった感じでどこいらからか野太い声が発される。
「それ俺たちのぶんもあんのか! よ、よかったらこっちにも食わせてくれよ! こっちだって必死になって仕事しながら生きてんだぜ食う権利はあるだろ!」
「ねらぐぁも食べたーい! お米いっぱい探したからおなかぺっこぺこー! 大皿大盛りぃ!」
龍のおねだりもあってか、店内がカレーを求めて大騒ぎになってしまう。
みなが一様にカレーライスたる新たな商品を求め店員たちを挙手して呼ぶ始末。
「あーもうもう! 忙しい時間帯なのに余計なことしてくれちゃって! どうしてくれんのよ、この騒ぎ!」
「あ、ああっ! お米とカレーの作りかたなんてマニュアルにないよう!」
大繁盛の気配に双子の悲鳴も上がった。
癒やしのヴァルハラに、また新たな異世界の食事のメニューが並んだ瞬間である。
「タイ米か。日本酒は無理だけど沖縄名産の泡盛なら作れるな。これはまた売れる気配がするぞぉ……くっくっく」
「うふふっ。明人さんがまた悪い顔してますっ。あとお米の追加が入ったんで早く料理してくださいね、私じゃやりかたわからないですし」
ブロンドの三つ編みの根本で青のリボンがぴょこんと揺れた。
……………




